潦 -niwatazumi-
(七) 終章




 二条城、そしてその先の所司代下屋敷を越えると、民家もまばらになり辺りの情景は一変する。
其処から更に暫く北へ上った処に、丁度雑木林を背負うようにして、谷岡の云っていた宝台院はあった。

――廃寺とも云って良い、荒れ果てた境内には人気も無く、降り続く雨が一層閑寂さを増す。
その中で独り、朽ちた軒を傘代わりにし、凌ぎきれ無い雫が、前髪から頬を伝うのすら拭わず、谷岡の姿を己の眼(まなこ)が捉えるその一瞬を、総司は待つ。
そうしてどれ程の時を刻んだのか――。
瞬きもせず前方を凝視していた深い色の瞳が、ふと遠い一点へ焦点を絞るかのように細められた。
 
 谷岡精三郎は、差した傘の下で幾分俯き加減にゆっくりと足を進めていたが、それを遮るように近づく気配を察した寸座、殺気にも似た構えを取り立ち止まった。
が、その姿が先日言葉を交わした若者だと知るや、直ぐに唇の端に薄い笑いを浮かべた。


「確か、沖田君と云ったか」
傘を折り畳みながら問う調子には、少なからずの警戒がある。
「私は山南が来るようにと、伝言を頼んだ筈だが・・」
しかし総司は応えず、無言のまま谷岡を見詰める。
「山南はどうした」
それに焦れ、重ねて問う声が、今度はあからさまな不快にくぐもった。
「山南さんは、ここには来ません」
が、相手の苛立ちを見定めたかのように、色を失くした唇から返ったいらえは、更に谷岡の怒りを煽るものでしか無かった。
「来ないとは笑止っ。あやつも其処まで不甲斐ない人間に成り下がったか。尤も、最初から人の気持ちも慮れぬ、それまでの奴だったがな」
激した昂ぶりのまま、まるで降る雨に押し流されるかのように、全ての箍を解き放ち、心にある憎悪を吐き出す谷岡の頬に、不敵な笑みが広がる。

「山南さんに、貴方からの言付を知らせなかったのは私の一存です」
その谷岡を、真っ向から捉えて、総司の唇が再び言葉を紡いだ。
「君の?」
不審げに細めた双眸から視線を逸らさず、雨雫を頬に滑らせる白い面輪が、微かに頷いた。
が、その挙措にある若い硬さが、一時の激昂で失いかけていた余裕を、谷岡に取り戻させた。
「どうやら山南に何か吹き込まれたらしいな。・・・私が浪士組の名を騙る辻斬りだとでも教えられたか?」
自嘲めいた笑いさえ含んだ皮肉な言い回しが、日暮れへの傾きを曖昧にさせる雨の中、まるでそれが谷岡の裡に刻まれた深い翳りのように、暗く、そして何故か哀しく、総司の耳に響く。
「違うのですか?」
だが一瞬溺れかけたその感傷を断ち切るかのように、深い色の瞳が強い色を湛え、再び谷岡を捉えた。
――挑む者と、挑まれた者。
しかしその極限まで張り詰められた緊張の均衡を破ったのは、つと視線を外し、其れをある一点へと止めた、思い掛けない谷岡の挙措だった。


「あそこの、・・地蔵尊」
斜め前方へ向けた谷岡の眸が捉えているものを追い、総司が視線を移した其処に、風雨にさらされ、もう顔貌の彫りさえ定かでは無い、六つの石地蔵が並んでいた。
「子を亡くした希恵は、現の辛さから逃れるように心を病んでから、ここに来ては、あの地蔵達に語り掛けていた。・・・だがその眼差しの先にあったのは、常に山南の姿だった」
地蔵尊に視線を据えたまま、低く語り始めた谷岡の横顔に雨が吹きつけ、それが雫となり、鬢(びん)から削げた頬、そして顎へと伝い落ちる。

「三年前の今日、僅か一間ばかりの家作に俺が帰った時、希恵は自ら喉を突き、視界を紅一色に染め上げてしまったかのような鮮血の中で身悶えていた。そして駆け寄った俺の手を力無く掴むや、止めを刺して欲しいと、薄く開いた目で訴えた。・・・だが俺はその希(のぞみ)を叶えてはやらなかった」
語られる真実の惨さに、凍てついたように瞳を見張る総司の視線を受けても、谷岡は微動だにしない。
「希恵の苦悶の様を、ひとつも見逃すまいと、俺はあいつを腕に抱き凝視していた。やがて苦しさのあまり爪を立てていた白い指が、俺の手の甲から剥がれ落ち、抱いていた腕が、力無く委ねられた身の重さで撓(しな)り、今正に事切れようとした刹那、あいつはほんの一瞬、笑みを浮かべた。そしてそれは嘗て江戸に居た頃、山南へ向けられたものと同じものだった。・・この世の一切を、落ちる瞼が閉ざすその瞬間まで、あいつは山南の姿を見ていた。・・・確かに、人の心ばかりは、同じ人である限り、どうにもならん事なのだろう。それは山南の罪では無い・・・だが」
ゆっくりと地蔵尊から戻した谷岡の視線が、秘めて来た心の裡を一気に迸らせるかのように、激しい憤怒を湛え総司を捉えた。
「だが俺は、あいつが憎いっ。最後まで希恵の心を奪い続け、そして其れを知らず、今又希(のぞみ)を持ち、先への道を進もうとしている、あいつが憎いっ」
それは――。
怒りも嘆きも憎しみも・・・今谷岡の胸中に怒涛の如く押し寄せる全てが形となった、悲愴な咆哮だった。
「山南を潰す為ならば、俺はどんな事もする。・・無論、辻斬りもだ」
そして唇の端に笑みさえ浮かべ、ひたと総司に据えられた双眸に宿る光は、人の裡の闇の部分で昂まり、或いは渦巻く負の感情を遥かに超えた、狂気そのものだった。

「邪魔だて致すのならば、容赦はしない」
静かな声が語りの仕舞いを告げるや、それが次への動きの合図であったかのように鯉口が切られ、音も無く鞘を離れた抜き身が下段に構えられたのを、総司は無言で見詰めている。
その体勢を無防備と受け止めたか、地を蹴った谷岡の刃が、下から上へ撥ね上がり、勢いのまま振り下ろされたかと見えた刹那――。
一瞬と見紛う鋭敏な動きで相手の懐に飛び込んだ総司の手に、鋼の凶器が、人の骨を断つ鈍い重さが伝わった。
それと同じくして、時を止めたかのように動かぬ谷岡の手から、ゆっくりと離れた銀の刀身が泥濘(ぬかるみ)に水音を立てて転がり・・・
やがてその後を追うように、くの字に折れた体が地に沈んだ。

――目の前で起こる出来事を、総司の網膜は、ぶつ切りのようにして、ひとつひとつ鮮明に脳裏に刻んで行く。
相手の懐に飛び込んだ瞬間も。
刀を横に薙いだ一瞬も。
その寸座、谷岡の体が、息も血潮の流れも、全ての動きを止めた事も。
だが何もかも克明に覚えているのに、それに付随する筈の意識だけが、まだ空白の時を埋めきれない。
しかしそれとて時に計れば如何許りの事であったのか・・・
動かぬ谷岡から滲み出る紅の輪が、雨に流され、立ち尽くしている足元にまで広がりを見せた時、己の意識と現との狭間を埋めるように、総司は白い喉首を逸らせて天に面輪を向けると、水の礫に打たれながら両の瞳を閉じた。





 心の臓は張り裂けんばかりに音を立て、激しく収縮する肺腑は、これ以上の動きを拒むかのように息を荒くし、走り続ける山南に箍をする。
だが例え全ての臓器が壊れようと、足を止める訳には行かなかった。

 天稟と、誰もが認める総司の才だが、真剣での勝負は竹刀や木刀とは全く違う。
人を斬った事の無い総司にとって、辻斬りを繰り返し、既に狂気の刃と化している谷岡の剣では歩が悪すぎる。
そしてそれ以上に、己の事情に総司を巻き込む事は、必ずや避けなければならない。
だからこそ、一刻も早く、一瞬でも早く、其処に辿り着かなくてはならない。
「・・畜生っ」
思わず突いて出た叫びは、急(せ)くばかりの思いに届かぬ、山南の、己自身への苛立ちだった。

 煩悶と焦燥を繰り返し、一体どれ程走り続けたのか、もう山南にも分からなかった。
が、降り掛かる雨滴を邪険に振り払った寸座、細めた双眸が、視界の先に、遂に探し求めていた黒い門を捉えた。
その瞬間、止まりかけていた足が、再び強く、叩くようにして地を蹴った。
そうして掴んだ僥倖を逃すまいと、寺の門に飛び込んだ瞬間――。
しかし山南の視界に飛び込んで来たのは、決して有り得てはならない、禁忌の光景だった。


「総司・・」
近づいても、地に伏す者に視線を止めたまま、微かにも身じろぎしなかった面輪が、掛けられた声に引かれるようにして、緩慢な動きで上げられた。
「・・・私が、斬りました」
雨音が邪魔をし、小さな声を更に聞き取り難くする。
だがそのいらえに、息を乱したまま、山南は無言で頷く。
「辛い思いを、させてしまったな」
置いた掌で、薄い肩を包むようにして語りかける声には、己の不甲斐なさ故に、総司を修羅に巻き込んでしまった事への、激しい自責の念がある。

しかしその瞬間、山南の裡に、突如として激しい何かが湧き起こった。
己の掌から伝わる温もりの主が、今切ないばかりに、いとおしいと――。
それは瞬く間に高いうねりとなり、山南を狂涛の渦中へと巻き込む。
この、あまりに激しく、そして狂おしい、猛る想いを何と云えば良いのか・・・
しかし山南は、敢えてそれに応えを出す事無く、否、そんな自分から目を逸らせるかのように、門の向こうへ視線を投げ掛けた。
 
 やがて其処に、飛沫を上げて駆けて来る人の姿を捉えた時、再び硬い横顔へと視線を戻した。
「・・・土方君が、来たようだ」
静かに告げた刹那、総司の面輪が弾かれたように山南の示す先へと向けられ、そしてそれと同時に、深い色の瞳に、張り巡らされていた緊張の糸が、一瞬の内に解かれたような安堵が浮かんだ。

だが近づいて来る土方を、瞬きもせず凝視しているその総司を見る山南の裡に、再び、嘗て覚えた事の無い感情の波が昂ぶる。
それはぽっかりと空いた闇の淵に、何処までも堕ちて行く戦慄にも似て、或いは、天すら焼き尽くしてしまう程に燃え立つ焔の猛々しさにも似て、山南を蹂躙する。
これが――。
嫉妬と云うものなのかと・・・
泥濘に骸と化した男に問うても、もういらえは戻らない。
が、もしもそうであるのならば、天は人の来し方行く末を、何と戯れに定めるものであるのか。

希恵と谷岡・・・そして今自らが、その修羅に堕ちねばならぬ因果を受け止めるように、山南は総司から離した視線を、ゆっくりと土方へ据えた。





 
 湯殿に響く湿った音は、それが手の平に掬った湯を落とす、ほんの微かなものであっても、四方に撥ね返り幾重にも和す。
濡れた床に、ぼんやりと膝を抱えて座り込み、桶の中の湯を、片方の手でのろりと掬い、掬っては叉落とす。
そうしてもう幾度同じ事を繰り返し、どれ程の時を経たのか、総司自身にも分らない。
ただ両の手指に残る、否、身体全部で覚えている、肉を裂き骨を砕く、鈍く重い感覚だけが、今正にこの場で起こった出来事のように、総司を捉えて離さない。
谷岡を斬った事に、悔いは無い。
だが人の生とは、あまりに呆気なく、そしてあんなにも一瞬で断ち切れてしまうものなのかと――。
それが総司に、畏怖を覚えさせていた。
が、その忘我の時を強引に破るかのような人の気配に、伏せられていた面輪が、咄嗟に入戸へと向けられた。
やがて間を置かずして、其処から現われた姿に、深い色の瞳が驚愕に瞠られた。

「・・・土方さん・・」
呆然と漏れた声音に土方は応えず、身を硬くしている総司の後ろへ回ると、無言のまま腰を下ろした。
「お前とこうして風呂に入るのは、久しぶりだな」
云うなり、片方の手で肩を掴み、もう片方の手で、向けている背を流し始めた土方に、まだ驚きから出る事が出来ない総司は言葉を失くし、されるがままになっている。

 そうして互いの無言が織り成す沈黙に、暫したゆとうていた二人だったが、天井から落ちた水滴が、ひとつ音を立てたのを切欠としたように、土方の声が湯殿に響いた。
「人を斬るのは、怖いか?」
その一言に、弾かれたように総司が振り返った。
「これから先、此処にいる限り、人を斬る事は避けられない」
問う声は、否と云ういらえを拒み、是と云う決意だけを促すように厳しい。
だがそう迫りながら、見詰める土方の双眸にあるのは、総司の胸の奥を切なくするような、哀しい程に優しい色だった。
「怖くは無いっ、怖い事などないっ・・」
幾度も頭(かぶり)を振り訴える蒼ざめた面輪を、土方は暫し黙って見詰めていたが、不意に厚い胸板が、静かに薄い背を包み込んだ。

――突然の己の挙措に、総司が身を強張らせるのが、膚一枚通して伝わる。
だが土方は、絡めた腕を解く気は無かった。

まだ一刻も経てはいない、視界すら定かでない雨の中、初めて斬った人間の傍らに立ち尽くしていた総司は、駆けつけた自分に、案ずるなとばかりにぎこちない笑みを浮かべようとした。
だがそれは最後まで形になる事無く途中でくしゃりと歪み、そんな自分を見せる事を厭い、直ぐに面輪は伏せられた。
そしてその様をしかと両の眼に刻みながら、この先浪士組とある限り、総司を苦しめる結果になると承知しつつ、しかし一時たりとも掌中から手放そうとは思わぬ己の残酷さを、土方は、改めて見据えざるを得なかった。


「・・堪忍しろ」
思わず零れ落ちた呟きは、離したくは無いが故に、辛い思いを強いる己への侮蔑なのか。
それともこうして抱いている温もりが、小刻みに震える背が、今、どうしようも無い程に、切ないく愛しいからなのか・・・

「堪忍しろ・・」
そのどちらとも分らぬ思いを、ついた吐息に混じらせて、とうとう膝の上に顔を伏せてしまった背の主に、今一度、低い声が囁きかけた。





 雨は昨夜の激しさで一応の仕舞いを見せたようで、夜が明けようとする頃には大分勢いを削ぎ、その降り方が、霖雨の相を見せるようになって来た。
それでも天道の陽が射さない日々は、人の心を重く塞がせる。

 郷士屋敷の廊下の幅は、普通の民家のそれよりは余程に広く造られていたが、体躯の良い男二人がすれ違うには些か窮屈すぎる。
だが山南は、進めていた足を止める事無く、正面から来る男に視線を据えた。
が、土方の双眸も又、挑まれた其れを跳ね返すように、真っ向から山南を捉えた。
そして互いに譲らず、正面まで来て漸く立ち止まった時、先に唇を開いたのは土方だった。

「谷岡精三郎だが・・、浪士組の名を騙った辻斬りと、確かな証を掴んだ」
それを聞いても眉ひとつ動かさない山南に、更に土方の言葉は続く。
「この始末、俺はあんたにつけろと云ったつもりだったが、どうやら聞き違えられたようだな」
整い過ぎた面の、片頬を歪めての皮肉な物言いは、総司を巻き込んだ事への、それが土方なりの怒りのぶつけ方なのだろう。
まるで激した己を鎮めるかのように、低く語る語尾がくぐもった。
「全ては、私の責だ」
そしてその土方を正視して、山南の声が静かに響いた。
「これが、己の感傷に溺れ過ぎた結果だったと云う事、胆に命じて置いて欲しい」
吐き捨てるように云い置き、動かぬ山南の横を通り過ぎようとしたその刹那――。
「土方君」
呼び止めた声は、一転して強いものだった。
それにゆるりと振り返った土方の視線の先に、廊下の真中に立ちはだかるようにして体ごと向けている山南の姿があった。
「君の傲慢が、いつか大事なものを失わないよう、気をつける事だな」

それが誰の事かを・・・
方や告げず、方や問わず、一瞬挑むように絡み合った視線だけで互いの胸中を探り合うと、時を同じくして、無言のまま、二人の男は踵を返した。





 長雨が続いた後の晴天は、天道が沈む間際まで強烈な陽射しを投げかけ、暗雲の向こうには、焦れるような暑さの到来が待っているのだと教える。
その紅一色に染まる夕景の中、寺の本堂の階段にひとり腰を下ろし、長く伸び行く影を飽きもせず見ていた総司の瞳がふと上げられ、門を潜って此方に来る人の姿を捉えるや、朧げな像に焦点を結ぶように細められた。

「ここにいたのか」
声音には、そうであった事を予期していたかのような、苦笑ともつかぬ笑いがある。
「もう身体はいいのか?」
それにつられるように笑って頷いた総司だったが、しかし更に問う山南の面に、拭い切れない憂いが浮かんだ。


あれから。
谷岡清三郎を斬った後、長い間雨に打たれ続けた総司の脆弱な身は、その夜から悲鳴を上げ、なかなか下がらぬ高い熱は、一時は医師にも難しい顔をさせた。
が、それもどうにか治まりを見せ、ようよう床上げが出来たのは、ほんの二三日前の事だった。
その間、時が出来れば顔を出していた山南だったが、荒い息を繰り返す面輪を見詰めながら、その裡を激しく揺り動かしていたのは、総司の身を苛んでいる核にあるものが、人を斬ったと云う心の葛藤であり、そしてそれを己が為させてしまった事への痛恨だった。
しかし更にその事を超えて、山南を苦悶に追い込んだものがあった。
それは、烈火の如き嫉妬の渦だった。
――苦しいだけが支配する夢寐にあって、総司の探す唯一の姿が土方であると。
縋りたいと伸ばす手が、土方のそれであると。
疾うの昔に承知していたその事が、皮肉にも、激しい妬心となって山南の裡に逆巻いた。
それはやがて、己自身を灼熱の焔で焼き尽くす、狂恋の火玉だった。
だが我が身が風塵となるその時まで、自分はこの想いに封印する事が出きるのか――。
否、出来る筈が無い。
最早山南は、情念のままに狂う己の姿を、真っ向から見据えざるを得なかった。



「・・又、皆に心配をかけてしまって」
しかし一時己の感情に溺れかけた山南を、明るい、しかし少しばかりぎこち無い声が現に戻した。
そしてそれが、あの一件から初めてこうして二人で向き合う事への、総司なりの気使いなのだとは、直ぐに山南にも判じられた。 

 総司は、希恵と谷岡、そして自分との関係を知り、尚且つその谷岡を斬った事で、この自分へ、ある種の罪の意識を持ってしまった。
その揺れる心が、つい声に硬さを走らせたのだろう。
そう解釈した山南の目が、凝視している面輪に向けて細められた。

「地蔵達を見ていたのか?」
その総司からゆっくりと視線を逸らすと、山南は、斜め脇にある六つの地蔵尊に目を止めた。
「地蔵尊は、あの世で迷い泣く子をあやしてくれると云う。・・子を亡くし、その哀しみから逃れる為に正気を失っても、希恵殿にとって、地蔵尊に語り掛ける束の間の時は、唯一安息の時だったのだろうな」
誰に聞かせるでもなく静かに語る声は、もしや希恵と云う女性を眼(まなこ)に捉えてのものでは無いのかと・・・
そんな風に総司に思わせる、山南の柔らかな眼差しだった。
「・・・地蔵尊は、賽の河原で責め苦にあっている人間を救ってくれる、慈悲深い仏さまだとも、教えて貰いました」
同じように六つの石の仏に視線を合わせながら、呟いた総司の声音には、もう硬さは無い。
「そんな事もあったな」
まだ過去にするには早すぎる、ほんの僅かばかり前の鮮明な記憶に、山南が苦笑した。
「谷岡さんは、希恵さんの事を本当に好いていた。だから山南さんを、あんなに憎まなければいられなかった。憎む事でしか、もう自分を保てなかったのかもしれない。・・・もしかしたら谷岡さんは、あの時山南さんに斬られたかったのかもしれない・・・そんな自分に疲れて、終わりにしたいと、・・そう思っていたのかもしれない」
ぽつりぽつり、自分の裡にある痞えを言葉に変えながらも、それを上手く伝えられないもどかしさに、山南に向けられた深い色の瞳が揺らめいた。
だがその語りを無言で聞きながら、山南には、総司の心裡が手に取るように分る。

嫉妬と云う――。
人を想うが故の、この重く、そして苦おしい感情は、人を人で無くし、そして己さえをも、燃え盛る業火で舐め、灰と化すまで鎮まる事を知らない。
その苛烈さに、谷岡は負けたのだと・・・
総司はそう云いたいのだろう。
だが同時にそれは、総司自身が、土方を想うからこそ知り得る真実でもあった。
嫉妬に身を焦がし、煩悶の淵でもがき続ける、もうそんな自分を終わりにしたいのだと、否、出来る筈が無いと知りながら、それでもこの苦しさから逃れたいのだと――。
谷岡の心情を語りながら、自分自身の胸の裡を告げる総司の面輪の半分に、傾いた陽が翳りを作る。

しかし総司の心の吐露は又、山南のそれでもあった。
複雑に絡み縺(もつ)れ合う因果の糸を、この世の人である限り、解く事が出来ないのであるのならば、怒り苦しみそして慈しみ・・・、それらの想いに翻弄されながら、進む他に道は無いのだと――。
端麗な線を描く硬い横顔を見詰めながら、果ての無い恋情地獄に、今自ら堕ちようとしている己を確かに承知しつつ、山南は、この天も地をも、燃えるような紅一色に染め上げる夕景の眩しさに、ゆっくりと双眸を細めた。










                                           潦-ninawazumi-      了










きりリクの部屋