闇 下 この世に次の日が来ることなど無いように思えても、月は天道の光に隠れ夜は明ける。 何だかそれがひどく不思議な気がした。 外の雨戸の隙間から僅かに零れ落ちた陽が障子に当たるのをぼんやりと見ながら、総司はゆっくりと身体を起こした。 無防備に晒した肌に外気が刺すように冷たい。結局また一睡もできずに朝が来た。 あれから伝吉は何かを掴んだのだろうか。ひとつ調べ事をするのにそう簡単になせる訳が無いとは思いつつ、それでも待つ身は焦れる。 「沖田先生」 廊下に人の足音が近づいて来るのを感じて身構えていると、やがて室の前でその人物は立ち止まり声を掛けて来た。聞きなれない声だった。 「起きられてお出ででしょうか?」 慇懃な口調ではあるが何故か警戒をさせるような声音に、総司はよもや土方の事かと一瞬身を固くした。 言葉で応えるよりも先に夜具を素早く抜け出て、障子を内から開けた。 予期せぬ行動に相手も驚いたようだったが、総司も息を呑んだ。 板敷きに膝をついて自分を呼んでいたのは、昨日からの疑惑の主、佐久正造その人だった。 「・・・何か火急の用件でしょうか」 息を整え、どうにかそれだけを聞いた。 「いえ、上様奥詰の伊庭八郎殿がお出でですので、近藤先生が沖田先生にお伝えするようにと」 「伊庭殿が?」 「沖田先生、お顔の色がすぐれないようですが・・」 昨日夕刻に帰って行った八郎が、またこんなに朝早くに来るのには何かあったのかと、どうしても良い方向には向かない思考に沈黙した総司に佐久が声を掛けた。 「寝起きだからでしょう」 「それならば宜しいのですが」 心配している素振りを見せながら、その実佐久の声はひどく乾いたものだった。 「伊庭殿にはすぐに行くと、そう伝えて下さい」 自分の挙措から何かを探るような佐久の相手をするにはこれ以上耐えられず、総司は話を打ち切るように背中を向けた。 「また眠らずに過ごしたらしいな」 八郎の一声はそれだった。 「少し眠った」 「聞かないね。そんな嘘は」 「嘘じゃない」 「まぁそんなことはどっちでもいい事だ」 問い詰めたところで本当の事は言うまい。八郎はあっさりと切り上げた。 「八郎さん、今日は非番なのですか?」 昨日もここに来てくれた八郎だ。将軍家茂が京に滞在中はそうそう自由になるものでも無いと総司には思えた。 「非番だ。想太郎に代わらせた」 「・・・そんなこと」 「いずれ心形刀流を呉れてやるのだ。釣りが来るだろうよ」 「八郎さんこそ、悪い冗談を言う」 「冗談なんかじゃないぜ。無礼な奴だな」 端(はな)から冗談と決め付けて笑い出した総司を、八郎は方頬だけに笑みを浮かべながら、胸の裡である種複雑な思いを抱いて見ている。 口に出した言葉は真実だった。 自分は今手を伸ばせば届く距離にいる、この想い人を諦めてはいない。 ひとりの人間の心を捉えて己のものにする為には、この身を世に送る時に天がもたらせた何ひとつも役には立たないと、八郎は知っている。 だが天がなす意地の悪さを因果と嘆いたところで、どうでもなるものでもない。 それでも自分は総司を欲する心を止められない。 今はせめて目の前で自分に見せている総司の笑みが、少しでも屈託の無いものであればいいと、そう思った。 「それよりも、俺に託(ことづけ)を寄越したあの男・・」 久方ぶりに見せた楽しげな笑いを止めるのは可哀相な気もしたが、八郎は先ほどからの疑問を口にした。 「佐久・・・、佐久正造という人です」 「昨日の奴だな・・」 「何だ、八郎さんも気付いていたのか」 「こう見えてもお前よりは少しは敏感だろうさ」 「・・あの人、やはり私を探っている」 「そう思うのか?」 総司は黙ったまま頷いた。 「きっと土方さんの事と関係がある」 八郎にはその呟きが、唯一見つけた微かな光の糸に縋りつこうとしている総司の必死に聞こえた。その糸を絶たれてしまったら、自分の想い人はどうするのだろう。 「お前の勘はあたるだろうよ」 土方の無事を祈って、そう応えてやりながらも、何故か切ない胸の裡を八郎は持て余した。 今日は非番だと言う総司につきあって、八郎はその日を過ごした。 もっとも前もって近藤からその事を聞いていたからこそ、こうして自分もここにいる。 やはり総司は何も食べることができずに、夕刻頃にはありありと疲労の色を濃く顔に刻んでいた。 一度昼飯を無理やり食べさせたが、すぐに戻してしまった。 苦しむ骨ばった背を摩ってやりながら、八郎自身もまたどうにもしてやれない己に、居たたまれない思いだった。 その総司はことごとく意思を無視する自分の身体を呪った。 「もう休んだ方がいい。明日も仕事があるのだろう」 隊務を休めと言って聞く総司ではない。だが見れば柱に背をもたらせて大儀そうに座っている。すでに限界はとうに超しているのだろう。 この件については直接近藤に事情を話す他はなかろうと、腰を上げようとしたところで、障子に動く影があった。 足音もたてず気配すら殺して近づいたその人物に八郎は身構えたが、思いの他総司は瞳に生気を湛えて素早く立ち上がった。 「伝吉さんですか」 呆気にとられて見ている八郎の前を通り抜け、すぐに障子を開いた。 「遅くなりました」 「何か分かりましたか」 こんなに急き込んで人に先を促す総司を、八郎は初めて見た。 「少しばかり、厄介な事がわかりました。ただこれは今あっしの口からお伝えできることではありません」 「どういうことです」 総司の声が悲鳴のようだった。やっと掴みかけた糸を目の前で切られた事に衝撃を受けているのだろう。 「今は何も言えません。ただ沖田さま・・」 伝吉の鷹のように鋭い目が総司を捉えた。 「あっしを信じて頂けるのならば、もう少し待って下さい」 「待てば結果は分かると?」 瞬きもせずに伝吉をみる総司の声が震えた。 それはとりもなおさず土方の生死が判明するのかということを問いかけたものだった。 「必ず」 短く応えた伝吉の声が更に低くなった。だがその眼差しが何かを含んで深い。それが自分に土方は無事だと、無言で伝吉が伝えているように総司には思えた。 「分かりました。待ちます」 硬い声音が総司の悲壮な決意のように、八郎には聞えた。 総司が確かに頷くのを見届けると、あとは何も言わず、奥で黙って二人のやりとりを聞いていた八郎に、伝吉はいちど深く頭(こうべ)を垂れて、来た時と同じように静かに立ち上がり廊下の奥の闇に消えた。 「何か曰くがありそうだな」 「無事なのかな」 伝吉の言葉で安堵に傾きかけた心が、無意識のうちに総司の唇から本音を呟かせた。 「無事だろうよ。少なくとも死んじゃいなさそうだな」 ようやく現(うつつ)に戻ったように、総司が八郎を振り向いた。 その顔に一瞬浮かんだ笑みが、すぐに歪んで顔を背けた。泣き顔を見られたくはないのだろう。 どんなに強い決意で臨んでも、ひとたびできた針の先程の穴は他愛も無く堅固な擁壁を打ち崩す。 今の総司がそうなのだろう。薄い背を見せて脆く崩れそうな心を耐える姿が痛々しかった。 総司を苛む全てのものからもう解放させてやりたいと、今八郎は真から願った。 近藤の室に向かう途中何気なく中庭に遣った視線の先に、人の影が微かに動いた。 まだこの距離では相手も自分の気配を感ずることができないらしい。 八郎はそこで足と止めると、そのまま二歩三歩あとずさり、柱の影に身を隠した。 雨戸を閉め切る程の暗さではないが、近藤の室には灯りが灯っていない。不在なのだろう。だがそれでも影は動かない。まるで吐く息が白く濁るのすら押し殺すようにじっとそこにいる。 (・・・あの男か) 腕を組んで視線だけはそらさず、八郎の脳裏に佐久正造と総司がその名を教えた男の顔が浮かんだ。 (さてどうするか・・) 新撰組は内部でどうやら何かを探っているらしい。 それがこの男のことならば、今自分が下手に動けばその仕事が水の泡と消える。 だが相手の意図が何であれ行動を起こすのを待っていたら総司の身が持たないだろう。 新撰組と己の想い人を天秤にかけるまでも無く、八郎の動きは早かった。 儘(まま)よと、背を預けていた柱から離れ、姿を見せない相手に身体を向けた刹那、俄かにその影が猫のようなしなやかさで縁から廊下に上がり、暗い室の障子の桟に手を掛けた。 その動きに反応して瞬時に走りだしたが、すぐに目くらましの様に行く手が夥しい光で覆われて足を止めた。八郎は目に両の腕を当てその眩しさを凌いだ。 「下を噛ませるなっ」 腹の底にずしんと響くような近藤の太い声だった。 ようやく眩しさに慣れ、細く眸を開いて前方を見ると、島田魁と伝吉と、もうひとり見知った顔ではないが、隙の無い身のこなしが鮮やかな男に取り押さえられた佐久正造が、どこかしたたかに打たれたのか、苦渋に顔を歪ませていた。 どうやら佐久が罠に掛かったらしい。全員がまだ佐久の捕縛に気を取られていた。 「茶番は終わりかえ」 八郎の声に、そこに居た全ての者が振り向いた。 「怒らんでくれ。俺も今日初めて知らされた」 近藤が些かばつの悪そうに八郎を見た。 「申し訳ありません。すべては私が副長にお願いして仕組んだことです」 先ほど八郎が思わず目を止めた動きを見せた男が、吉村寛一郎と名乗って頭を下げた。 吉村の言うことには昨年秋、近藤と共に長州に下りそのまま潜伏し、山崎烝と情報活動を続けていたが、今年に入ってから新撰組の内部の動きが長州でひどく鮮明になったという。 それはそのまま新撰組の中に間者が紛れ込んだ事を意味する。急遽吉村だけがその存在を突き止めるために京に取って返し、機会を伺っていた。なかなか相手が特定できぬまま焦れていたが、土方行方不明の状況を作ることにより相手に格好の諜報活動の場を作ってやり、一気に解決しようとしたらしい。 「いい加減姿を現したらどうだ」 一通り話を黙って聞いていた八郎が、ふいに闇に静まる近藤の室に向かって声を掛けた。 「案じていてくれたらしいな」 暗い室の中から出てきたのは、紛れも無く土方その人だった。 「ふん。生きてやがったか」 「生憎とな」 騒ぎを聞きつけたのか、俄かに辺りがざわめき始めた。 それに素早く行動を起こしたのは吉村だった。 佐久の鳩尾(みぞおち)に一撃を与えると、ぐったりと前にのめった身体を次に島田が肩に抱え上げその場を誰に見られることもなく去った。 あとには何事も無かったかのように、近藤と土方と八郎の三人だけが取り残された。 「まだあまり大げさにはしたくはないが・・・」 土方が近藤に向けていた言葉をふと途中で止めた。 そのまま動かず一点を凝視している。 「・・・総司」 やがて土方の押し殺したような低い声が漏れた。 縫いとめられたような土方の視線の先に、夜目にも蒼白な顔を硬くして、総司が立っていた。 総司は無言だった。 まるで全身に茨を巻きつけられたかのように、僅かにも動けずに瞳を見開いてそこにいる。 「すまなかった」 苦悩と懺悔の色を濃く滲ませて、その人に向かって呻吟するように告げたのは土方だった。 ただ沈黙して二人を見る八郎の眸に、その声を聞いて初めて総司の頬が微かに動いたように映った。だがそれは一瞬のことで、すぐにそのまま顔を伏せた。 「すまなかった・・・」 土方の二度目の言葉に、今度こそ隠しもせずに俯いた総司の肩が小刻みに震えた。 「生き返ってすぐに忙しいことだな」 八郎の訪問に、土方は手に取って目を落としていた文から視線を上げた。 「いろいろと世話をかけたようだな」 「誰が?」 「言わずとも分かるだろう」 あれから騒ぎを聞きつけた者達を鎮め、捕縛した佐久正造の取調べを行い、土方が自室に引き上げて来た時には夜もかなり更けていた。 八郎と一緒に冷気が忍び込んできた。 「雪が降り始めたのか」 「さっきからな」 「総司は?」 「まだ起きている。あんたを待っているのだろうよ」 遠慮も無く八郎は土方の前まで来ると、そこに腰をおろした。 「そうか」 流石に胸が痛み、八郎から視線を逸らすようにして新たな文に目を遣った。 「新撰組はそんなに大切なものなのか」 その様子を八郎は暫く物言わずみていたが、やがて発した声に憤りを堪えるような響きがあった。 「何を今更言い出した」 「あんたに言っておきたい事があって来た」 ひとつ低くなった八郎の声音に、土方が訝しげに顔を上げた。 「何だ」 自分を見る八郎の双眸が射抜くように鋭かった。 「俺は諦めてなどいない」 「どういう事だ」 「俺は総司を諦めていないと言っている」 「譲る気は微塵もない」 土方がそれを真っ向から受け止めて、跳ね返すように八郎を見据えた。 「あんたにその気などなくても構わない。俺は例えそれがあいつの意思とは反していても必ず手に入れる」 「強引な言い分だが、それもさせない」 「さて、どうかな」 八郎の頬に不敵とも思える笑みが浮かんだ。 「土方さん。俺とあんたの違いっていうのを、あんたは分かるかい?」 「違い?」 「あんたは望むものを手に入れた。俺は望むものを手に入れてない」 「それがどうした」 「傍からみれば俺という人間を恵まれていると言う輩は多いだろう。だがどんなものをこの身に飾らせて見ても、俺が心底望むものは未だ得られずにいる」 「それが総司か」 「そうだ。総司以外のなにものでもない。何を捨て去っても望むものを手に入れられないと言うことを知った人間というものは、もうそこでその為に全てを捨てる去る決意ができているのさ」 「それが俺にはできてはいないと言いたいのか」 「あんたはまだひとつも無くしてはいない。総司も新撰組もだ」 「無くすつもりは露程も無い」 土方の低すぎる声に、八郎が眸を細めた。 「もしも・・・。もしもあんたが斬られて骸になっていたら、総司は寸分も違わずに後を追おうとするだろう」 土方は無言だ。 「だがな・・」 「だが、俺は絶対にそうはさせない」 土方を見る八郎の眸が、信念に裏打ちされた強い光を湛えていた。 「あいつが死なせろと暴れればその手足を縛り、舌すら噛ませぬようにして必ず生きながらえさせる。水も飲まないのなら無理矢理飲ませようとするだろう。そうして俺は必ずあいつを死なせることなどしない。あいつが俺を罵ろうが、絶えて言葉を掛けようとしまいが、そんなことは構わない。そうまでしても、俺はあいつが欲しい。あんたの後など、追わせなしない」 「必ずな」 八郎が、かつてない激しさで土方を見据えた。 降り始めた雪が全ての音を消してしまったような、凍りつくような暫しの静寂だった。 「覚えておいてくれ」 やがて見事に隙の無い所作で、八郎は立ち上がった。 「伊庭」 振り向きもせずに出て行こうとする背を土方の声が止めた。 ゆっくりと振り返った八郎の視線の先に、土方の時に冷酷とも思える端正に造作された顔が、薄闇の中で蒼い焔(ほむら)のようにあった。 「俺が望んで俺が得たもの、ひとつもお前には渡さん」 怒気を含んで土方の声が低く、くぐもった。 自分を睨みつける土方を見て、初めて八郎の顔に満面の笑みが広がった。 それはひとつ揺るがぬ意思を決めた人間の潔さにも似て、何の躊躇いも無いものだった。 「奪うと、決めた」 それが意思の表れのように、土方の目の前で白い障子がぴしゃりと音をたてて閉められた。 まるで何かを恐れるように執拗に求める土方に、熱い吐息を漏らしながら、総司はただ瞳を閉じて応えるのが精一杯だった。 土方の無事を知ってもまだ信じられない自分がいた。 己の目でその姿を見、耳でその声を聞いても、まだ現(うつつ)には思えぬ出来事に、眠ることすらできず、ただじっと冷気の篭る室に火も熾かずに端座していた。 夜更けて近づいてくる微かな気配に、それが土方だと確信して足の縺(もつ)れを焦れるように廊下に飛び出た。 そこに確かに待ち望んでいた人がいた。 駆けより、掴んだ腕に人の血の通う温もりを感じたとき、堰を切ったように零れ落ちるものを止められなかった。もしかしたらあの時自分は声を放って泣いていたのかもしれない。 もうそれも分からない。ただ覚えているのは苦しいほどに抱き寄せてくれた腕の力と、すまないと繰り返していた低い声だけだった。 「・・・あっ」 首筋に歯を立てられて思わず声を漏らした。 瞬間痛みが走って思わず眉根を寄せた。それでも土方は貪る手も唇も止めようとしない。 否、さらに激しくその指は蠢(うごめ)く。 土方を待つ三日の間、眠らず食さずの総司の身体は限界をとおに越えていた。 それを知らない土方ではない。だがまるで動きを止めることで拒まれるのを怯えるかのように、間断なく求め続ける。 胸から脇腹をすべり、やがて下肢に届く土方の手は、そのひとつひとつの容(かたち)を確かめるようにゆっくりと手繰ってゆく。 そこに触れられたとき、すべてが研ぎ澄まされた神経になったように、一瞬身体を強張らせた。 固く瞳を閉じ、夜具の端を掴んでいた総司の手が震え、ついにその刺激に耐えられぬかのように、自分を覆っている人の背に回された。 「総司・・・目を開けろ」 耳朶に触れるように囁かれて微かに瞳を開くと、上から真っ直ぐに見下ろす土方の双眸があった。 「俺を映せ・・」 それは決して命じるというものではなく、むしろ縋るような響きだった。 土方のこんな声は聞いたことが無かった。 いつも自分の前をゆき、いつも自分を力強く導き、いつも自分を包むようにして、土方はそこに居た。 土方の心の有様(ありよう)が分からず、総司はただその眸を見つめた。 「・・・他の何も映すな」 自分を見る土方の眸が何かを意識して、激しい色を湛えた。 「俺だけを映せ、総司」 「・・いつも・・土方さんしかいない・・」 突然執拗になった指の動きにただ喘がされて、紡ぐ言葉すら途切れた。 火照りが増し心の臓の鼓動が激しくなり息の詰まるような快楽の中で、だが疲労の果てをゆく身体は時折意識を霞ませる。 それでも土方を受け入れたいと思った。 土方を追い詰めたものが何なのか、それで知りえる事はでき無いかもしれない。 だが土方が自分を望む事で安堵できるのならば、たとえそこで息絶えてもこの身を投げ出してそうしたいと願った。 「お前は俺のものだな」 突然耳元に届いた低く呻くような声は、否と応えることを許さない懇願のように聞こえた。 だがもう是だと言葉で応えることは出来なかった。 せわしい息だけを繰り返しながら、それが応(いら)えだと言うように土方の背に強く爪を立てた。 この髪の一筋までも全てが、土方のものだと伝えたかった。 確かに自分は土方だけの為だけにいると、応えたかった。 もっと、もっと土方にそうだと知って欲しかった。 背に回された総司の指の爪が強く食い込む。 この身も心も全てが、今自分を抱く腕(かいな)の持ち主のものなのだと、想い人はそんな仕草で訴えていた。 それが応(いら)えと受け止めて、土方は自分を戒めていた全ての枷(かせ)を外した。 共に重なり溶けゆくように、やがてゆっくりと愛しい身体に己を沈めた。 衝撃に仰け反る白い胸を押さえ込むようにして、全てを受け入れさせると、その苦痛を分かち合うように、切なげな息を漏らす唇を塞いだ。 身体の中にある熱に魘(うな)されながら、総司は怯えていたのは自分だと知った。 この肌のぬくもりも、今自分を支配している滾るような熱さも、背に回された腕の力も、全部を失いたくなくて、自分は待っていた。 土方の帰りをずっと待っていた。 二度と失いたく無いと恐れているのは、自分だ。 「・・・もう・・どこにもやらない・・」 息苦しさに喘いでできた唇と唇の僅かの隙間から、総司のすすり泣くような声が零れた。 それに応じるかのように、土方が激しく己をぶつけて来る。 どこもかしこも己の熱しか感じさせないように、この身はこの世でも次の世でも自分一人のものだと、そう言い聞かせるように、唯一愛しい身体に激情の限りを刻み込んだ。 繰り返される嵐のような律動の波に、熱い息を吐くことすら苦しい。 ぼんやりと白む視界の中で、必死に土方の顔を探した。 身体の内を苛む苦しみと悦びは、すべて土方が与えてくれたものなのだと知っておきたかった。 「・・どこにも・・やらない・・」 想い人の唇は夢と現(うつつ)の狭間を彷徨いながら、すでに声にもならぬのに、繰り返しそれだけを紡ごうとする。 これほど愛しいものを失う事があるのならば、自分はもうその時を正気で迎えることはできない。 自分から総司を奪おうとするものも、連れ去ろうとするものも、何一つ許しはしない。 その思いの滾りを伝えるかのように、土方は抱く腕に力を込めた。 やがて際(きわ)まで高められ、 悲鳴のような細い声を放って全てを解放し、 ゆらゆらと漂いながら堕ちてゆくその中で、 微かに開かれた総司の視界が土方の濡れた眸を映した。 それは一瞬のことで、きっと遠のく意識が見せる朧なのだ・・・ そんなことを思いながら、 土方が消えてから初めて得られた、 深い深い安堵の闇に沈んでいった。 了 きりリクの部屋 |