朱 い 雪  (参)

 

 

 

「戻ってきたのか」

 

 

閉じられていた襖を開け、冷たい空気と共に入ってきた土方の一声はそれだった。

怜悧な眼差しも、冷たい位に低い口調もいつものままだ。

 

 

後手に襖を閉めると、山南の前に座った。

襖の向こうでは見張の隊士が物音も立てずに控えている。

 

すでに大小は取り上げられている。

さながら座敷牢であった。

 

屯所に戻ればこうなるとは分かっていた。

戻った時点で自分はこの隊における咎人である。

 

 

 

 

「最初から戻るつもりで脱した」

その土方の鋭利な視線をそらしもせず、むしろ挑むように返した。

 

「ずいぶんと人騒がせな事だな」

皮肉な物言いはこの男特有のものだ。

 

「君にはさぞ片腹痛いことだろうな」

 

「迷惑千万な話だ」

吐き捨てる様に言った。

 

 

 

 

その性格を決して相容れぬものと思ってきたが、

今はその土方の容赦ない一言一言が、山南には何故か小気味良いものに感じた。

 

考えてみたらこの男とこんな風に面と向かって、

自分は腹の内をぶつけた事があっただろうか。

 

否、ありはしない。あるはずがない。

自分はいつも穏やかな人格を演じ続けてきた。

それが土方という男など、とうに凌駕していると見せつける、

自分のささやかな矜持だった。

 

 

 

だが今挑発してくるような土方の言葉は、

自分に最早何の見栄も、遠慮も要らぬと迫って来る。

 

 

「君に迷惑がられるほど嬉しいことはないよ」

 

土方はその言葉に応えずに、ふんと唇の端だけを歪めて笑った。

 

「戻るつもりなら最初から出て行かなければいい」

それが本音のように、すぐに笑いを消して言った。

 

「行動に移さなければ近藤さんも君も分かりはしまい」

 

「移したところで分かろうとも思わない。あんたのしたことはただの茶番だ」

 

初めて土方の言葉尻に感情らしきものが走った。

それは怒りに近いものであった。

 

それを感じて山南は薄く笑った。

「十分、行動に移した価値はあったようだ」

 

土方の視線が、山南に皮肉に向けられた。

「暴挙に出た価値は俺の怒りか。・・・・なるほど、確かにそれだけはあったようだな」

 

 

 

少しの沈黙ののち、今度は山南が土方を真っ向から見据えた。

 

「土方君、私は自分がどのような裁きを受けようが、とうに覚悟は決めている。

決めて出た決断だ。すでに捨てたこの命、今更惜しいとも思わん。

が、最後に言っておく。

新撰組はこのままでは駄目になる。

ただの人斬り集団でいたら将来(さき)はない。

近藤さんや君がすべてを賭けて造り上げようとしている新撰組は、

このままではいつか崩壊する」

 

 

土方に向けられた山南の目は、かつてこの男が、

こんなに激しい怒気を含んだ目をしたことがあっただろうかと思う程に、激しいものだった。

 

だが、その激しさが、土方の神経を嬲(なぶ)った。

 

 

 

土方はゆっくりと目を細めた。

 

「では、聞く。

あんたは一度でも汚れたことがあるか。

前線に立ち、白刃を振るい、返り血をあびたことがあるか。

隊士たちは命がけで戦っている。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされて、勝ち残った者だけが新撰組を強くする。

思想は迷いを生み、人間を弱くする。

俺は最強の集団を造り上げる。その為に、今の新撰組に思想はいらない」

 

 

 

それだけ言い切きると、すでにもうこれ以上話すことはないというように、

毅然として立ち上がって山南に背を向けた。

 

 

 

「だが私の行動はいずれ誰かに波紋を投げかける。

自分の起したことは無駄ではないと信じている」

 

山南はその背に向かって矢を射るように、言い放った。

 

 

 

襖に手をかけた土方が僅かに振り向いた。

「その波紋、広がらぬうちに収めて見せる」

 

 

 

そのまま襖の向こうに消えようとした背に、

「九尾の狐めっ」

 

山南の怒声が響いた。

 

 

 

 

土方は顔色ひとつ変えず、翳った日に凍てつき始めた廊下を踏みしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

副長室に、沖田がいた。

土方と山南の間を心配して待っていたのであろう。

 

決して互いを相容れられる二人ではない。

そして今、自分が山南を連れ戻してしまった。

そのことでこの若者は、身を削る思いをしているに違いない。

 

 

「何だ、休んでいろと言ったはずだぞ」

それを十分に承知しながら、土方の口から出たのは小言めいた説教だった。

 

 

 

 

沖田が山南と共に屯所に戻ったのは、今日の昼前のことだった。

大津で一晩を過ごし、朝早くに発って来たという。

 

大津で一睡もできなかったであろうことは、その顔をみれば分かる。

だがそれよりも、山南を連れもどすという結果がもたらしたこの若者の消耗ぶりに、

土方は案じていたことが的中して眉根を寄せた。

 

 

 

 

 

「山南さんと、何を話したのです」

 

「他愛もない話さ」

土方は先ほどの初めて見せたとも言える、山南の激しい感情の起伏を思い出した。

だがそれはおくびにも出さない。

 

 

「土方さんは嘘つきだ」

沖田はその土方をみて小さく笑った。

 

「嘘つき?」

 

沖田は黙って頷いた。

 

 

「山南さんが土方さんに何も言わないはずがない。

あの人は、土方さんだけに一石を投じたかった。

土方さんだけに衝撃を与えれば、それでよかったんです。

たったそれだけの為に命まで賭けて隊を脱した。

そんな山南さんが、最後に土方さんに何も言わないはずがない・・・」

 

まっすぐに見つめてくる視線は嘘を許さない。

 

 

 

土方は一瞬眩しそうに目を細めて沖田を見た。

 

時々その感性の鋭さに驚かされながらも、それを危うく思うことがある。

沖田という若者は常に絶やさない笑い顔の向こうで、

非常に脆い均衡を保っていることを、土方はこういう時嫌というほど知らされる。

 

 

 

「俺とあいつは所詮どこまで行っても、互いを受け入れることができない人間なのさ」

観念したようにもらすと、自嘲気味に笑った。

 

その土方の横顔が、沖田の目にふと寂しげに見えたのは、ほんの一瞬のことだった。

 

 

 

 

土方と山南の二人の間にどのような会話があったのか、自分は知らない。

又知ろうとも思わない。

だが自分に最後に課せられた役目だけは貫かねばならない。

 

 

追い詰められて行く山南の心内を知っていながら、

その度量の深さに頼り、敢えて知らぬふりをして通した罪。

自分のその甘えが、山南を脱走させ、土方を苦渋させた。

 

二人に与えた罪の制裁を、沖田は受けなければならないと思った。

 

 

 

 

「土方さん」

呼びかけた声の先に緊張が走る。

 

 

それを鎮めるかのように、一度視線を土方の背後にある中庭に移した。

昨夜積もった雪は中庭にまだそのままある。

 

 

呼びかけて言葉を切ったままの自分を、

怪訝な顔をして見ている土方に、今度はまっすぐに視線を向けた。

 

 

 

「山南さんの介錯を、私に」

 

ゆっくりと、重い言葉を紡いだ。

 

 

 

 

土方の肩越しにちらりと見えた雪が、射した日を映して、

沖田の視界の中で朱に染まった。

 

 

 

                                    了

 

 

       

 

 花咲く乱れ箱