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総ちゃんのシアワセ♪ 一番シアワセ♪ (した)



(参)

総ちゃんは所司代屋敷につくと、ちょうどそこの門を潜る人に、八郎さんを呼んで下さい、とお願いしました。
そうするとその人は『伊庭のところに連れて行ってあげよう』と総ちゃんに親切にそうに言って、ずんずん前を歩き始めました。
『伊庭の奴、へんてこな鳥を買って来てみんな迷惑しているのですよ』
歩きながら、その人は心底困った風に溜息をつきました。
総ちゃんはどきどきしました。
そうです、あの目つきの悪いオウムの事に違いありません。
『どうして迷惑をしているのですか?』
不思議そうに、総ちゃんは聞きました。
あんなに愛らしいオウムがみんなの嫌われものになる筈が無いと、総ちゃんは頭から信じ込んでいるのです。
『どうしてって、あんなに目つきは悪いは、声はがらがらで聞くのも鬱陶しいは、愛想は無いは・・・』
文句は次から次へと続きます。
『早いトコ鳥鍋にしろと言っているのですが、伊庭があと二日待てと聞かないのです。オウムの肉って固そうだけどな・・。まぁ食って食えないこともないか・・』
ぶつぶつ言う男の人に、総ちゃんはびっくりしてしまいました。
上さま奥詰のみんなは、あのオウムの可愛らしさが分かっていないのです。
こんな処においておいたらオウムの命はありません。
総ちゃんは絶対にこのままオウムを連れて帰ると、強い決心をしました。


案内されたお部屋に八郎さんはいました。
『総司、来るなら迎えに行ったものを』
八郎さんは総ちゃんを抱きかかえんばかりにお部屋に迎え入れました。
初めて八郎さんのお部屋に一歩入って、総ちゃんは目がまんまるになってしまいました。
だってそこにある調度品から座布団から、湯呑み茶碗まで、全部三つ葉葵の紋が入っていたのです。
おまけにそれらはぴかぴかと金色に輝いています。
『これは全部上さまからご褒美に頂戴したのさ』
八郎さんはわざと事も無げな顔をして言いました。
総ちゃんはそんな八郎さんに見向きもせず、すぐにあのオウムを探しました。

『八郎さん、オウムは?』
八郎さんはとっても嫌な顔をしましたが、しょうがなくお部屋の隅っこを指差しました。
『土方さんっ』
総ちゃんは唖然とする八郎さんなど目に入らぬように、その名を呼んで駆け寄りました。
『あほー』
オウムはやっぱりおんなじ言葉を繰り返します。
それが何となく嬉しそうに聞こえるのは、もちろん総ちゃんの錯覚です。
『・・・あれ?』
けれど総ちゃんは首を傾げました。
そうなのです。オウムの様子が何となくおかしいのです。
すこぉーし、まぁるくなったような気がします。
もっとよく見ると、目つきの悪さも今ひとつ鋭さに欠けます。
何だか「とろん」としてシアワセそうなのです。
総ちゃんは八郎さんを振り向きました。
『八郎さん、土方さんに何をしたのですか?』
総ちゃんはいつの間にかオウムを「土方さん」と呼んでいることにさえも気が付きません。
『何って、飯を食わせただけさ。こいつの食い意地は尋常じゃねぇな』
八郎さんは思いっきり嫌な顔をしました。
言われて見れば、オウムの籠の隣りには禁裏御用達のお料理屋さんの重箱が空になって置いてあります。
総ちゃんは真っ青になりました。
きっと八郎さんもここの人たちも、オウムの土方さんに美味しいものを沢山食べさせて、まるまるに太らせて鍋にしてしまうつもりなのだと思ったのです。
そんなことは絶対に許せません。
総ちゃんは鳥かごを両方の手で抱えて立ち上がりました。

『おいおい、それは俺のものだえ』
八郎さんは余裕です。
『土方さんの一番大切なものを上げるから、土方さんを下さい』
八郎さんはそれを聞くと、
(土方さんの一番大切なものはもちろん貰うが、オウムの土方なら熨斗(のし)つけてくれてやるぜ)
とお腹の中で、してやったりとにんまりしました。
これで総ちゃんは自分のものだと、もうお顔が緩むのをとめられません。
『じゃぁ今から一緒に土方さんのところに行くとしようか』
総ちゃんは八郎さんの視線を逸らさず、強く頷きました。
八郎さんはそんな総ちゃんににっこりと笑いかけました。
満願成就の日はすぐそこです。

『土方さんが一番大切だけど、オウムの土方さんはその次に大切だから鳥鍋になんかしないよ。もう三人でずっと一緒に暮らそうね』
愛想の無いオウムに一生懸命語りかけながら、ひとり満足したように微笑む総ちゃんのほっそりとした項(うなじ)が、薄暗い中で仄かに白く浮かびます。
八郎さんは、ごっくんと生唾を呑みこみました。
温泉の湯煙の中でうっすらと桜色に染まる総ちゃんのお肌も絶品だろうなと思うと、もう頭の中は二人でゆく「東海道湯乃花旅模様」で一杯です。
『総司、いくぞ』
八郎さんは呆気に取られている総ちゃんの手をひっぱって、どんどん歩き始めました。


(四)

総ちゃんを駕籠から下ろすとやっぱり手を離さないで、八郎さんは勝手知ったる新撰組屯所の中を我がもの顔でずんずん行きます。
そして副長室の前にくるとやっと立ち止まり、大きく息を吸いました。
善は急げ、です。
八郎さんは今夜すでに、このまま総ちゃんを連れて江戸に帰ろうと思っています。
一時も惜しむように、八郎さんは障子を遠慮なく開け放ちました。
土方さんは一瞬振り返りましたが、相手が八郎さんだと知ると「何も無かったこと」に決め、またお仕事をする為に背中を向けかけました。
ところがその後ろに総ちゃんが居るのに、ふと気付いて眉根を寄せました。
よく見ると、八郎さんはちゃっかり総ちゃんの手を握っています。
『伊庭っ、その手離せっ』
土方さんは立ち上がるや否や怒鳴りました。
『離しているよ』
八郎さんは空いていた左の手をひらひらさせました。
『そっちじゃないっ』
土方さんは総ちゃんの手を握ぎりしめている右手を指して言いました。
総ちゃんは土方さんのすごい剣幕に、びっくりして動けません。
『こっちは離せねぇなぁ』
八郎さんはあさっての方向を向いて言いました。
『喧嘩を売りに来たのかっ』
『いや、オウムを売りに来た』
八郎さんはオウム返しに言いました。
江戸っ子はどんな時にも洒落な遊び心を忘れません。
『オウムぅ??』
土方さんは訝しそうに聞き返しました。
『あんたの一番大切なものと、このオウムを交換することになったから、約束どおりオウムを返してやろうと思ってよ』
八郎さんは得意そうです。
『俺はそんな約束をした覚えはない』
土方さんは憤懣やるかたなさそうに言いました。
ついでに総ちゃんと八郎さんを離そうと割って入りました。
『痛い』
総ちゃんは土方さんにあんまり強く腕を引っ張られたので、つい声を上げてしまいました。
総ちゃんは本当はとってもシアワセだったのに、身体は正直です。(・・・あれ?)

『乱暴はいけ好かねぇな』
八郎さんは総ちゃんの前に立ちはだかると、土方さんにさも迷惑そうに文句を言いました。
『あんたの一番大切なものが、自分からオウムと交換してもいいって言っているんだ。人の恋路を邪魔しないでくれろ』
八郎さんは勝ち誇ったように言いました。
総ちゃんは何が何だか分かりません。
土方さんは呆然と固まっています。
そのときこちらに近づく足音が聞こえてきました。
八郎さんが振り向くと、ひよこを手のひらに乗せた近藤先生がこっちにやって来るのが見えました。


『総司、ぴよちゃんにちゃんと餌をやらなければ駄目だよ。ぴよちゃんはお腹をすかせているよ』
傍らに来た近藤先生は総ちゃんに、ちょっとだけ怖い顔をしました。
『・・・永倉さんと藤堂さんにご飯を上げて下さいって、お願いしたんだけれど・・』
餌の量が足りなかったのでしょうか?
それともひよこが並外れて大食いなのでしょうか?
でもいくら人にお願いしても、やっぱり悪いのは自分です。
総ちゃんは近藤先生に叱られて、哀しくなって俯いてしまいました。
近藤先生もそんな総ちゃんを見ると、つい可哀想になってしまいます。
『これからは気をつけるんだよ。ぴよちゃんはわしの口から出たのだからね』
『・・はい』
近藤先生に優しく諭され、総ちゃんはこくりと頷きました。

そんな二人の会話を聞きながら、土方さんと八郎さんはくらくらして来ました。
けれど素早く立ち直ったのは八郎さんが先でした。
近藤先生が鶏だったなど、この際どうでも良い事です。
新撰組局長が鶏だろうが、ひよこだろうが知ったことではありません。
何しろ今夜ここをたって、ふたりでお江戸に行くのです。
こんなところで悠長にしている暇はありません。

『そういう訳で総司は貰ってゆくからな』
八郎さんは思いっきり前後を省いて、自分の欲求だけを言いました。
『何寝ぼけたこと言ってんだっ、総司来いっ』
土方さんが強引に総ちゃんの腕に手を掛けて引っ張ろうとしたとき、
『八郎さん、土方さんの一番大切なものと交換なのではないのですか?』
総ちゃんが八郎さんを見上げて、不思議そうに聞きました。
『だからお前だろう?』
八郎さんは呆れたように言いました。
それを聞くと総ちゃんは頭をぶんぶんと振りました。
『違います。土方さんの一番大切なものは・・・』
総ちゃんはそれ以上何も言えなくなって、下を向いてしまいました。

『歳の一番大切なものは俳句を書いた短冊を綴ったやつだろう?』
近藤先生はそんなもの知っているぞ、という顔をして言いました。
総ちゃんはそれを聞いて、やっぱり・・と、しょぼんとうな垂れてしまいました。
土方さんは何かを言おうとしているのですが、あんまり焦っていて言葉になりません。

『そうだよなぁ。あんだけたくさんの女に自作の句をばらまいていたんだものなぁ』
大きな声がして、みんなが振り向くと、いつの間にか永倉さんが籐堂さんと一緒に廊下に立っていました。
どうやら騒動を聞きつけて退屈しのぎに見物しに来たようです。
みんなが土方さんの一番大切なものは句集だと思っているのだと知ると、総ちゃんは今更ながら哀しくて、俯いたまま手に持っている鳥籠の中のオウムの土方さんが滲んで見えます。
総ちゃんの一番は土方さんでも、土方さんの一番は総ちゃんではなかったのです。
それに自分は土方さんに「ばか」と言ってしまったのです。
嫌いになられて当たり前です。
オウムの土方さんが総ちゃんを見上げています。
それがお眼眼の中で滲んで揺れました。

『あんた達はいったい何処をみているのだろうねぇ』
八郎さんはこれだから無粋な奴らは嫌だねぇ、と頭をふりふりしました。
『それじゃぁ、何だっていうんだ?』
永倉さんが面白そうに八郎さんに聞きました。
『土方さんの一番大切なものって言ったら』
『句集だっ』
八郎さんが全部言うまえに、土方さんがすごい勢いで怒鳴りました。
そこにいた、総ちゃんを除いたみんなが「今更怒鳴って照れ隠しするような俳句じゃないだろう」と言う顔をして土方さんを見ました。

『と言う訳だから、伊庭、お前には俺の発句集をやる。一日三度拝んで読めっ』
そんな人様の思惑など度外視して、土方さんは凄い勢いで「豊玉発句集」と大書された句集を八郎さんに投げて寄越しました。
八郎さんはそれを何の苦もなく、すいっと体を反らせただけで触れもしませんでした。
訳が分かりませんが、とりあえず近藤先生も永倉さんも籐堂さんも流石、心形刀流の御曹司だな、と思いました。
八郎さんはすぐに態勢を立て直すと、『ち、ち、ち』と指を動かしました。
『嘘をついちゃぁいけねぇよ』
『嘘なんぞついてるものかっ、俺にとって一番大切なものは句集より他ないっ』
土方さんはもう必死です。
総ちゃんが自分を捨てて、オウムの身代わりになると言った事自体大衝撃なのに、更に八郎さんのものになるなど、とんでもないことです。
総ちゃんはあとで叱るとしても、何とかこの場は八郎さんを諦めさせるようにしなければなりません。
「梅でも桜でも咲かせて散らせてもってけ泥棒」と心の中で叫んでいます。

総ちゃんはそんな事は分かっていたのにと思っても、頭の中がからっぽになって、身体の中を北風が吹き抜けました。
うつろな瞳からぽろりと涙が零れ落ち、それがオウムの頭にぽたんとあたりました。
『あほー』
オウムの土方さんがそれを怒ったように鳴きました。
『あほ?』
藤堂さんが聞き返すと、永倉さんがお前の事かね?という顔で藤堂さんを見ました。
『あほはコイツだろう』
藤堂さんはむっとしてオウムを指差しました。
『あほー、あほー』
オウムは籠の中で羽を狭そうにぱたぱたさせて、失礼な鳴き声を止めません。
流石にみんながそっちを注目すると、籠を持ったまま、総ちゃんがぽろぽろと大粒の涙をオウムの頭に落としています。
近藤先生は慌ててしまいました。
『総司、どうした?ひよこが一匹じゃぁ寂しいのか?ぴよちゃんの兄弟が欲しいのか?』
総ちゃんの顔を覗き込んで、近藤先生が優しく宥めるのを聞きながら、その場にいた総ちゃんを除いたみんなが、今のは聞かなかった事にしようと思いました。
新撰組局長、勤皇志士を震え上がらせる「京洛の強面近藤勇」がまさか鶏だったなど、絶対に世間様に流布してはならない事実です。
永倉さんはこの事実を隠蔽(いんぺい)するために、素早く開けてあった障子を閉めました。


『総司、分かっただろう?所詮土方さんはお前のことなど、この程度にしか思っていないのさ』
八郎さんは作戦を巧みにすり変えることにしました。
臨機応変、適材適所、このご時世に剣で一流派を成してゆくには、この位機敏な世情の判断力が必要です。

『いくらお前が想っても、土方さんには通じねぇんだよ。可哀想になぁ。お前は土方さんにとっては、あのとんでも無い句集以下なんだよ。さぁ一緒に江戸に帰ろう』
八郎さんはごく自然に総ちゃんの腰に手を回しました。
それを見て、土方さんが烈火の如く怒鳴りました。
『伊庭っ、俺の一番大切なものをくれてやったんだ。総司とオウムを離せっ』
『オウムはくれてやるよ。籠も一緒にな。可愛がってやってくれろ。が、総司はあんたに愛想が尽きたんだとよ。そんな訳で俺が貰ってゆく。大事にするから心配はしなくていいぜ』
八郎さんは声高に勝利の笑いを辺りに響かせました。

『総司、お前はそんなにオウムがよかったのか?ひよこじゃ満足できなかったのか?』
近藤先生は自分のあげたひよこが総ちゃんの一番でなかったことに、ちょっとがっかりしていました。
『総司の一番好きなのはオウムだったんだな・・・』
近藤先生は哀しそうに言いました。
けれど今の総ちゃんには何も聞こえません。
何も見えていない両方の瞳からはぽたぽたと涙が零れ、オウムの頭にあたります。
その様子を見て、みんなが一瞬静かになったそのときです。

『オウムノヒジカタソノツギ、あほー』
さも不満げにオウムが鳴きました。
『オウムの土方って・・、こいつのことか?そういや人相の悪さはそっくりだな』
永倉さんが面白そうに聞きました。
土方さんは一瞬冷静な頭で、「いつか伊東の次に報復してやる」と思いましたが、すぐにオウムが二番なら一番は誰だと猛烈に気になりました。
自分が総ちゃんの一番でないなど、とんでもないことです。
慰めている近藤先生を勢い余って押し退けると、まだ涙が溢れて止まらない総ちゃんに詰め寄りました。

『総司っ、一番大切なのは誰だっ』
土方さんは総ちゃんの顔を覗き込みました。
総ちゃんは白いほっぺにいく筋も濡れた後を残しています。
近藤先生は、「わしかもしれない・・」と思うと少しどきどきしました。
小さい頃から慈しみ育ててきた甲斐があったというものです。
ちょびっと先走りで、じん、としてしまいました。

『俺の一番は総司だぜ』
八郎さんが横から、すぃっと総ちゃんの肩を抱きました。
『あんたの一番は句集だろう?俺にはっきりとそう言ったものなぁ』
念を押す事も忘れません。
『俺の一番は小常だ』
どさくさにまぎれて永倉さんが呟きました。
藤堂さんは咄嗟に言うものが無くて、ちょっと寂しく思いました。
十人十色、人生色々、悲喜こもごもです。

『トリナベ、トリナベ・・』
みんながそれぞれの思惑に浸っているとき、オウムががらがらの声で言いました。
総ちゃんは、はっとしてオウムの土方さんを見ました。
オウムはふてぶてしい態度を崩さずに、総ちゃんを一瞥しただけで毛繕いを始めてしまいました。
総ちゃんは真っ青になりました。
誰かが言っていた言葉を覚えてしまうくらいに、八郎さんのいる上さま奥詰の宿舎ではオウムを鳥鍋にする計画が進んでいたのです。
もしもこのまま帰してしまったら、オウムの土方さんの命はありません。
土方さんが一番大切な句集を上げても、何を勘違いしているのか、八郎さんは総ちゃんを寄越せと言い張っています。
総ちゃんは決心しました。
自分の身体で土方さんを救えるのなら、もう思い残す事もありません。

『八郎さんっ、オウムの土方さんを食べちゃうのならわたしを食べて下さい』
あまりに単刀直入で大胆な発言に、みなが一斉に総ちゃんを見ました。
けれど総ちゃんはいろんなことをひとつの頭の中で考えすぎて、もう何が何だか分からなくなってしまったのです。
土方さんの為なら、自分を煮られちゃうくらい何の苦でもありません。
『あんまり美味しくないけれど・・・』
ぽろりと涙を一滴流して必死に笑顔を作ろうとする総ちゃんに、その場にいた誰もが、この展開をどう考えてもおかしいと思う余裕を無くしていました。
藤堂さんだけが、何かヘン・・・と思いましたが、独りだけ輪の中に入れないのも寂しいので、取りあえずみんなに合わせることにしました。


『総司・・・やっとその気になってくれたのかえ』
八郎さんは感極まって、総ちゃんを抱きしめようと手を伸ばしました。
するとそのとき、
『総司を食うなら俺を食えっ』
土方さんが総ちゃんの前に立ちはだかりました。
『総司は俺に食われたいんだよっ、邪魔だよ、どいてくれろ』
八郎さんはすでに近藤先生を「お父さん」と呼ぼうとまで思っていたので、「東海道恋乃湯煙二人旅」を邪魔する土方さんが許せません。

『土方さん駄目ですっ、土方さんがお鍋になっちゃうなら、わたしが煮られます』
総ちゃんは土方さんの腕をとって揺さぶりました。
『お前が煮られるくらいなら、俺が鍋になるなんてどうってことはないさ』
土方さんは総ちゃんに優しく笑いかけました。
総ちゃんはもうぽろぽろと涙しか出てきません。
『泣くな』
土方さんは指で総ちゃんの涙を掬ってもう一度笑いました。

総ちゃんは土方さんのお顔を見るために、一生懸命に涙を拭っているのですが、なかなかとまりません。
土方さんは自分よりも総ちゃんが大切なのだと言ってくれたのです。
それは土方さんの本当の一番は、総ちゃんなのだと言うことなのです。
言わなくてはいけないことがあるのに、しゃくりあげて言葉になりません。


周りのことなど眼中にないそんなふたりを、八郎さんは苦々しげに見ています。
さっそく作戦の建て直しを図って巻き返し(りべんじ)しなくてはなりません。
近藤先生は、どうやら自分が総ちゃんの一番でなかったらしいことに気付いて、ちょっと胸が痛いです。
その哀しさを紛らわすように、そっとぴよちゃんに視線を逸らせました。
永倉さんは、よくわからないけれど、まぁこういうことの、ひとつふたつあってもおかしかないだろうと思うことにしました。
藤堂さんは益々混乱していましたが、一応目の前の展開を、今回はあるがままに受け入れようと努力してみることにしました。


総ちゃんはいつまでたっても形にならない言葉の代わりに、急いで土方さんの首に手を回わしました。
そうでもしないと、土方さんが言ってくれた事が、あぶくのように消えてしまいそうに思ったのです。
そのまま驚いて目を瞠る土方さんに、すぅうと顔を近づけると、自分の唇を土方さんのそれに重ね合わせました。

それは皆がお口を「あ」という形にする間もない位に一瞬の出来事でした。
やがて総ちゃんは唇を離すと、くしゃくしゃのお顔で土方さんに笑いかけました。
『総司の一番は俺か?』
土方さんの言葉に、総ちゃんはまだ流れるものをそのままに、こくこくと、幾度も頷きました。

土方さんが一番だと伝えるためにした「ちゅう」は、総ちゃんの涙がちょっとだけ入って、薄くて淡いしょっぱさでした。
でもお鍋には薄すぎるような気もして、土方さんはもっともっとシアワセでお腹を一杯にする為に、呆気にとられている四人と二匹などほっておいて、総ちゃんをふうわりと抱き上げました。

そのまま悠々と去ってゆく後姿に、梅の花びらが飛んでいるように見えたのは、きっと目の錯覚だろうと、藤堂さんは思う事にしました。



小さくなってゆく二人を見ながら、近藤先生は思います。
とうとう総ちゃんは自分の手元から離れてしまうのだと・・・。
手のひらに乗せたぴよちゃんの頭に、ぽたっ、と冷たいものが落ちました。
ぴよちゃんはさも迷惑そうに先生を見上げました。

八郎さんは決意をあらたにしました。
取りあえず今日は帰って寝よう。
でもその前に、弟の想太郎に今晩中にあの句集を襖一杯に張らせて、明日の朝一番で屯所に届けてやろう。
一番最初に見せてやるのは、あの伊東道場の婿養子がいいだろうと決めました。
そのくらいしなければ気がおさまりません。
ちらりと足元にいる、オウムの土方さんを見ました。
オウムがくちばしを開く前に、「あほっ!」八郎さんは素早く言い切りました。

永倉さんは考えます。
どうして総ちゃんと土方さんが鍋になるのか訳が分かりませんでしたが、世の中にはあまり深く考えない方が楽しいことがあると知っていたので、あとで総ちゃんに「よかったな、鍋にならなくて」くらいの言葉をかけてやろうと思いました。

藤堂さんは首をひねります。
このあいだ伊東さんに「世の中の将来(さき)をみなさい」と講釈されたばかりです。
けれど、今目の前の現実さえどんなに理解しようと思っても無理なのに、将来のことなど余計にわかりません。
今度伊東さんに聞いてみようと、朧な月を見ながら思いました。



涙がすっかりかわいても、土方さんの腕に抱っこされて、総ちゃんはとってもとってもシアワセでした。
ゆらゆらと揺れるキモチ良さと、土方さんの温もりが何だか夢の中にあるもののような気がします。
総ちゃんはこれが夢になってしまったら困ると、とても慌ててしまいました。
だから腕を伸ばして、これが夢で無い事を確かめるために、もう一度土方さんの唇にそっとくちづけしました。
土方さんは立ち止まると、総ちゃんの柔らかい唇を息の漏れる隙間も無いくらいに、ぴったりと塞いでしまいました。


「あほー」
オウムの土方さんが遠くで鳴いています。
耳に届くのも土方さんのがらがら声ならば、今いるのも土方さんの腕の中です。
一番大切な土方さんの「ちゅう」を受けながら、総ちゃんはシアワセすぎて、本当の夢の入り口にうとうとと入ってゆきました。





・・・・・・・お後も何もないようで・・とほほ。






                       瑠璃の文庫