総ちゃんの日記 

皐月二日



総ちゃんはこのところ溜息ばかりついています。
それは何故かというと、ひと月ほど前に見た目つきの悪いオウムの事が頭から離れないのです。
やっぱり土方さんはお金が無いので、総ちゃんはオウムを買って貰えませんでした。
でも時が経てば経つほど、欲しいのに手に入れられない物は、人の心をどんどん『欲しいだろう?欲しいだろうぉ?』と占領してゆきます。
総ちゃんは『欲しくない、欲しくない』とおまじないのように目を瞑って、頭をふりふりさせて自分に言い聞かせるのですが、瞼に浮かぶのはあのオウムばかりです。
耳に聞こえるのは、あの『あほー、あほー』という人を小ばかにしたような声だけです。
総ちゃんはもうたまらなくなりました。
やおら立ち上がって近藤先生のお部屋にゆくと、丁度近藤先生はひとりで何かをしていました。
良く見ると口から拳骨を、出したり入れたりしています。
総ちゃんの姿を横目でみとめると、近藤先生は手を休めて「総司、どうした?」と優しく聞きました。
総ちゃんは先生の前にぺたりと座ると、真剣な瞳で見上げました。
「近藤先生、オウムを買って下さい」
「オウム?」
「土方さんに似ていて、とっても目つきが悪くてかわいいのです」
総ちゃんは必死です。
「それに声もがらがらで、人に『あほー』って言ったり、本当に土方さんにそっくりで愛らしいのです」
総ちゃんは一生懸命に、そのオウムがどんなにかわいらしいか近藤先生に説明しました。
けれど近藤先生は溜息をつきました。
総ちゃんは本当に素直にすくすくと育ってくれたのに、オトコを見る目だけは近藤先生の意志に反して逆の方向を向いてしまったのです。
誰が土方さんに似た愛玩動物をかわいいなどと思うでしょう。
そんなのは総ちゃんだけです。
「総司、それは世間ではかわいいとは言わず、愛嬌が無いとか、憎たらしいとか、可愛げがないとか言うのだよ。そんなものを飼っていたらお前は変な人だと言われるよ」
近藤先生は諭すようにゆっくりと言いました。
総ちゃんはがっかりして、俯いてしまいました。
それを見た近藤先生は何だかひどく可哀想に思い、懐から巾着袋を取り出すと、お金を総ちゃんに渡しました。
「これで歳と遊んでおいで」
総ちゃんはじっと手の平に置かれたお金を見ました。
それは十両にはとても足りません。
あんまりしょんぼりしている総ちゃんを見ていると、近藤先生もつらくなります。
けれどこれも人生の試練です。
ここで軌道修正してあげないと、総ちゃんの審美眼は後世まで「オカシイ」になってしまいます。
近藤先生は心を鬼にして見ない振りを決めると、また拳骨を口の中に入れたり出したりして、今晩見せる宴会の余興の練習を始めました。


結局総ちゃんは土方さんと連れ立って清水まで来ました。
何故清水かというと、総ちゃんが近藤先生からお小遣いを貰ったと聞くと、土方さんが自分に茶碗を買えと言ったからなのです。
実は土方さんは、前に総ちゃんが清水で八郎さんにお対の猪口を買ってあげたのを密かに知って、どうにも悔しかったのです。
八郎さんにあげたのはひとつだけで、お対になっているもうひとつは、八郎さんが自分で買ったので少しは許せますが、総ちゃんが買ってあげたとういう事実に面白く無いことは確かです。
土方さんはいつか夫婦茶碗を総ちゃんに買わせて、自分に贈らせようと思っていたのです。
そしてそれを八郎さんに見せびらかせようと思っています。

「総司、伊庭に猪口を買ってやったのはどの店だ」
総ちゃんは辺りを見回しました。
たしかお店の軒先には、ひょっとこのお面がぶるさがっていたはずです。
きょろきょろと見ていると、ふときらきらと煌くものが目に映りました。
それはお日様の陽の中で、くるくると光の輪をつくって揺れています。
「・・・あっ」
総ちゃんはそれがすぐにあの亜麻色の髪の人だと気付きました。
総ちゃんはもう矢も盾もたまらなくなりました。
土方さんが何か言うのも聞かずに、走り出しました。
もしかしたら、あの綺麗な人は今日も目つきの悪い兎を連れているかもしません。
総ちゃんは亜麻色の髪の人に向かって、もう何も見えないように一気に坂を駆け下りました。
けれどあんまり勢いが余って、その人の前で止まることができずにぶつかってしまいました。
「ごめんなさいっ」
咄嗟に目を閉じた総ちゃんの耳に、ふんわりとまぁるい可愛らしい声が聞こえました。
おずおずと瞳をあげると、亜麻色の髪の人はびっくりするほど優しく微笑んでくれていました。
総ちゃんは暫くぼぉおとお目目をこれでもか、という位に開いて見てしまいました。
亜麻色の髪と同じ色の大きな瞳は、前に伊東先生が自慢して見せてくれた、綺麗な細工を施した文箱の「ぎやまん」のように透けてしまいそうです。
総ちゃんはいつもむさ苦しい男達ばかりに囲まれていたので、どきどきしてしまいました。
けれど、こんなに綺麗な人だからこそ、あの目つきの悪いかわいい兎とお似合いなのだろうな・・と羨ましく思いました。
「大丈夫ですか?」
口をきけずにいる総ちゃんに、亜麻色の髪の人はまたまた心配そうに声を掛けてくれました。
総ちゃんは思い切って、『今日は兎は連れていないのですか?』と聞こうと思いました。
「あのっ・・」
総ちゃんが口を開いたその時、店の奥から声がかかりました。
見るとあのときの、土方さんに似た背の高い男の人がいました。
亜麻色の髪の人はすぐに嬉しそうにそちらに視線を移してしまいました。
「総司っ」
それと一緒に、いつの間にか総ちゃんに追いついた土方さんが怒ったように呼びました。
実は土方さんは亜麻色の髪の人に見とれていて、一句作ってあげちゃおうかな、と思っていたのですが、店の中にいた男の人に気付くと、心の中で『ちっ、男連れかよ』と舌打ちしていたのでした。
けれどその男は何となく自分に似ているような気がしたので、八郎さんや田坂さんほど嫌な気分はしませんでした。
やれやれ、土方さんも我が身はかわいいらしいです。

総ちゃんは土方さんが怖い顔をして待っているので、小首を傾げているその人の前を頭を下げると立ち去ろうとしました。
でももし自分も、あの黒い目つきの悪いオウムを買って貰えて、この人とお友達になれて、兎と一緒に二人と二匹で色々お話できたら、どんなに楽しいだろうと思ったら、つい立ち止まって振り返ってしまいました。
もう亜麻色の髪の人はお店の中に入って見えませんでした。
けれど総ちゃんはずっと佇んだまま、自分が考えた想像に思いを馳せて、今うんとシアワセな中にいました。

「・・・帰ったら近藤先生にもう一度お願いしてみよう」
総ちゃんはぽつんと呟きました。
遊びに行くときのお土産は、前に八郎さんの持ってきてくれた『禁裏御用達』の虎印の羊羹がいいのかな・・・そんなことを思うと、つい頬が緩んでしました。

そんな総ちゃんを坂の上から見下ろしながら土方さんは、明日は田坂の来る日で、伊庭の奴もきっと来るから、今夜の『土方印』は大量に付けとかなければならないな、と心を新たにしていました。





水晶の文庫