霧 雨 真琴 さま 京の夏は蒸し暑い。 纏わりつくような暑さに、健康な者でさえ参るほどだ。 そんな中でも、よりそって眠る土方と総司は外の暑さなど感じていないかのようだ。 ふいに感じた冷気に総司は目を覚ました。 隣で眠る土方を起こさないよう静かに布団から抜け出す。 脱ぎ散らかした寝間着を肩にかけて窓辺へと寄り障子を小さく開けてみると、霧雨が音もなく降り注いでいた。 思わず微笑んだ。 容赦なく照りつける天道の熱を発散させるような雨が、身体の奥深くに残る燻るような快楽の火種を鎮めてくれそうな気がした。 心地よい風に微睡み始めた頬を渡っていく風が優しく撫でる。 「…ったく」 深いため息をついた土方が、窓辺に凭れて眠る総司を見ながら愚痴る。 傍らの気配がなくなったのを感じていたが、日頃の疲れから目を覚ますことはなかった。 が、いつまでも戻る様子がないので腕が淋しさを訴え始めた。 仕方なしに起き上がり部屋を見回すと、窓辺で眠りこける総司を見つけたのだ。 「おい総司。こんな所で寝ていたら風邪ひくぞ」 肩を揺すり起こそうとするがどうやら熟睡しているらしく、まるで意思のない人形のようにくったりと凭れてきた。 その軽さに土方は息をつめた。 普段は考えないようにしていたが、抱くたびに細く頼りなくなっていく身体に戦慄する。 …あの頃と何一つ変わっていないのに… 深い色をした瞳も、屈託なく笑う顔も、無防備な寝顔も。 変わったのは、胸の奥に巣食う宿痾。 自分から総司を奪っていく、許しがたい……。 「…土方さん…?」 思いつめたように考えこんでいる土方に、腕の中の総司の声は届かない。 土方にこんな表情をさせたくない。 なのに…… 思わず目の前の土方の頬に触れた。 ひんやりとした細く白い指。その手の感触に気づいた土方が自分の手を重ね愛しげに握る。 総司の存在を確かめるように掻き抱くと、埋めた首筋に唇を押しつけいくつもの痕を刻む。 「…総司っ」 普段の土方からは想像もつかないような弱々しい声。 総司は土方の小さく震えているような背に腕を回して柔らかく抱きしめた。 「…ごめん、なさい…」 唇から零れた言葉は、土方の耳に届く前に土方の唇の中に解けていった。 「…大丈夫、ですか?」 窓辺に凭れたまま、身支度を整える土方の背を見つめる総司。 「ああ、すまない。それよりおまえは大丈夫なのか?」 朝日に照らされた白い顔は疲労の色を滲ませている。確か今日は・・・。 「朝から巡察ですよ」 「総司?」 気だるげな様子に眉間に皺をよせる。 「総司、おまえ……」 「副長」 どう見ても辛そうな様子が気がかりで問いただそうとした時、隣の部屋から自分を呼ばう山崎の声が聞こえた。 「ほら呼んでる」 土方の心配を笑い飛ばすようにとびっきりの笑顔を浮かべる。 「今行く」 廊下に向かって声をかけ、総司と自分の部屋を仕切る襖を開け総司を不安そうに見つめる。 笑みを浮かべた総司を熱く見つめると、新選組副長の貌になって襖を閉めた。 襖が閉まると総司はフラフラと立ち上がった。 昨夜の霧雨がもたらした涼風にあたったのが悪かったのか、ひどく気分が悪かった。が土方に余計な心配をかけたくないので、何ともないふりをしていた。 “大丈夫” 自分に言い聞かせながら廊下を進み、一番隊の待つ玄関へ向かう。 「沖田先生?」 総司の顔色の悪さに伍長が声をかける。 「大丈夫です。では一番隊、上番します」 背後の隊士に指示を下すと、隊列は乱れぬことなく西本願寺の屯所を出発した。 『沖田先生っ!!』 土方は思わず顔を上げた。 誰かの悲痛な叫びが聞こえたような気がしたのだ。 だがここは副長室。 総司の一番隊が戻って来る刻限にはまだ早い。 胸騒ぎがする―――― 目を通していた書類から顔を上げたとたん、 「土方さんっ!!総司がっ!!」 廊下を踏み抜かんばかりの勢いでやって来る原田。 日頃から騒がしい原田だが、こんなに慌てた彼は初めてだった。 筆を置くものももどかしく部屋を飛び出す。 部屋の前で原田とぶつかりそうになった。 「総司が巡察中に血を吐いて…」 続きは土方の耳に入らなかった。 人目も憚らず玄関まで走り出た。 その土方の目に飛び込んで来たのは、隊士に肩を借りて、それでも気丈に歩く総司の姿だった。 「総司…」 「…ひじ…さ…」 口元も着物の襟も真っ赤に染めた総司の虚ろだった目が土方の姿を捉えた瞬間、ふわりと笑みの形を作った。 「ごめ…な…ぐっ!」 喉の奥から込み上げてくるものを必死で堪える。 だが堪えきれない咳と共に吐き出された鮮血が乾いた土の上に散る。 「総司っ!!」 土方の悲痛な叫びが晴れ渡った空に響いた。 了 |