OOGAKI FIIL VOL 2

 

 

その日、島田魁伍長の故郷めぐりを終えて、JR岐阜駅から電車で10分。大垣着。

(なんだ、早いじゃん)

岐阜から10分離れるとそこは秋!・・・・てなワケないじゃん。

暑さは相変わらずでしたよ。伍長のお山登りで足ガクガクだし、とりあえずホテルにチェックイン。

部屋に入って冷蔵庫のポカリを飲みながら(この時ほどビールが美味しそうに思えたことななかったですよ!けど、飲めば寝ちゃうからね、私)

さて、どこから周るか地図片手に検討。ホテルからお城までは直線距離で近そうだったので、ともあれ、もう一度白日の炎天下に・・・。

くっそ・・・言いたかないけど、暑い。

 

今に始まったことじゃないですが、今回の旅のテーマとかぜぇ〜んぜん、考えていなかった私。ぶぅ〜ら、ぶら。大垣城下を散策。

                                     

 

大垣市内はお城跡を中心に市内を碁盤の目のように道路が走っています。さらに至るところに水路が張り巡らされ、一言でいうと、

「なぁ〜んて涼し気な城下町」という印象でした。(実際暑いけど・・・しつこいね)

あちらこちらキレイに整備されて、「美観地区?」と一瞬思わせるところもあります。

 

     城下風景               大 垣 城                郷 土 館

  

お城近くの郷土館。入館料なんとっ!100えん!(しょーひぜいもつかないんですよっ!)  

おまけに中の展示物といい、内容といい、花○二重○!!

そしてっ!ここで私、大垣藩にはまっちまいました。

     ・・・まったく、これ以上オタク趣味増やしたらいよいよカタギからカミングアウトだってのにサッ!

まっ、いいや。世の中ホントにデンジャラス。

 

 

ここで知ったのは幕末大垣藩を背負って立った郷土の英傑「小原鉄心」。

あの、混迷の幕末において、大垣藩を導いて何とか生き延びさせた人!

大垣藩最後の藩主・戸田氏共から遡り、その兄氏彬、父氏正の三代に仕えた名家老。

名君氏正時代に、お殿様とスクラムくんで逼迫していた藩財政を見事、立て直した人。いやもう、実際すごい人だったらしいっス。

(肖像画とかだと、気のいいおじさんって感じもしないではないけど、目がやっぱりスルドイね)

 

この鉄心の改革が成功して藩の財政も何とか立ち直って落ち着いてきたのが、安政3年頃。

この、安政3年・・・島田魁が大垣藩士島田才の養子に入ったのが多分(超弱気)この頃です。

さらに、この郷土館の次に駆け込んだ図書館の郷土資料コーナー(小規模ながらも、セキュリティばっちりでっせ!)

の資料「大垣藩史」に、市村辰之助、鉄之助兄弟の兄or父と思われる人物、

市村半右衛門の名前(大垣郷土史家の方の調査による)が、「安政元年の主だった藩士」の中に百石で出ているのに、

安政3年の改革後の資料の中には抹消されて名前がナイ。

 

まっ、この件についても色々と想像できちゃったりするんですが

(おっとさまorお兄ちゃん亡くなったとか、窓際いっちゃったとか・・・)

島田魁のご子孫の関係の方のお話によると、伍長(島田のこと、以下愛をコメテ伍長)の脱藩はこのあとすぐ、文政元年だっていうし・・

なんかあったんだろうか。藩内で。

ちなみに改革を決行推進していった小原鉄心はもう、バリバリの勤皇思想の持ち主。攘夷派で軍制改革までやっている。

すでにこのとき大垣藩内において、藩論は尊王攘夷に流れつつ(というか、すでに激流?)あったのでしょうか?

それは、島田魁、野村利三郎、市村辰之助・鉄之助兄弟の脱藩に何かしら関係して来るものなのでしょうか???

 

あの苦労人の伍長が、お世話になった島田家に迷惑かかる事を承知の上で脱藩。

何しろその後、島田日記によれば、「慶応元年八月公務の為、故郷に戻った際、母上に会えた。

金毘羅様のご利益」って書いてるんです。会えた場所が現岐阜市の芋島地区。

伍長のお姉さんと弟さんたちが暮らしていたところ。そこに養子先島田家のおっかさまを匿ってもらっていたらしいです。

金毘羅様にまで願を掛けて養母の身の安全を祈っていた伍長が、そんじょそこらのことで脱藩決意するものでしょーか?

 

何があったのっ!?伍長っ〜!(夕日に向かって・・・・叫ばねーよ)

 

 

郷土史館と図書館で芽生えた疑問をそのままに、水路沿いにお次、市村辰之助墓所、全昌寺へ。

郷土館からも徒歩10分くらい。近いね。アツイ・・。

 

余談。郷土館から2件程先(北に?大垣って山に囲まれているので方向オンチになる。だってウチの田舎、南が海、北が山だもん)「珈琲館」はオススメです。水が美味しいからコーヒーも美味しい。そんでシフォンケーキもべりぃナイス。

           市村辰之助墓              武者溜橋(藩士登城の際集まった)



さて全昌寺、小原鉄心の墓所でもあります。市村辰之助の墓は比較的新しく、すぐ分かりました。

辰之助、なんで故郷に戻ったんだろう。戻って苦労して商売を起こして成功したらしいです。

でも明治5年亡くなっています。(胃にアナあいた?)

 

大垣藩というのは勤皇に思想が流れていたにも関わらず、結局藩論を纏め切れずに、鳥羽伏見では幕軍として参戦しました。

指揮をとったのは鉄心の婿養子。その時、丁度禁裏に召されていた鉄心は知らせを聞くと、すぐ国元にとって返し、

僅かの時間に反論を勤皇倒幕に纏め、朝廷に対し、詫び状と誓文を送ります。

朝廷はこれを受理しますが、鳥羽伏見で官軍に発砲の責任をとらされ、

この後、戊辰戦争において常に最前線を担わされ、多くの犠牲者を出します。

(今でも会津若松市とは敵味方の間柄だったながら交流があるそうです)辰之助が戻ったのは明治元年、

甲州勝沼の戦のあとと言われます。(諸説アリ)この時大垣藩は上記の理由から、官軍に対して異常に神経質になっていたと思います。

幕府軍の象徴とも言える新撰組隊士であった辰之助が戻ることは何かエラク危険な気がするんですけどぉ。

危険を冒してまで戻った辰之助の意図はどこにあったんでしょー?

弟の鉄之助が新撰組ラヴァーでは有名で、ついつい辰之助の影って薄いんですけど、「市村辰之助」知れば知るほど気になっちゃう。

 

 

暑さと、ほとんど初めてと言っていい位マジメに史跡めぐりとかしたので(旅先で図書館なんてハジメテ!)もう、くてくて。

それでもバーゲンアサリにデパート探す私って、情けない位に俗人間。

 

 

翌日、万代先生の書かれていた記事を元に野村藤陰の墓のある向回院へ。

野村利三郎と関係があるのかどうかわからないけど・・・って先生おっしゃってました。

で、その後追跡調査は???万代先生?(他力本願更新中)



着いたよっ。向回院。・・・・野村某の墓なんてわかりゃしないっ!

だって、古いお墓の軍団なんですよっ!5分、努力して止めた。

根性という言葉に私ほど縁のナイ人間はいないかもしれない。すぐお墓の軍団にはバイバイ。  

 

大垣で、流しのタクシー拾おうと思っちゃ駄目ですよ!もう、捕まらないのなんのって。

もう一度郷土館行こうと思ってたんだけど、予定変更、また図書館へ。だって涼しいんだもん。(デパート飽きちゃったしぃ)

3階の郷土史のコーナーでもう一度「大垣藩史」他を閲覧。

 

あった、あった、「野村藤陰」野村龍之助。(リサブと辰兄足したような名前だね。きゃぁ!)

前の名を野村喜三郎。・・・野村喜三郎。野村喜三郎・・・野村利三郎・・。にっ、似てない?

もしかしてホントに親戚???幕末家中の士族は590軒程。・・・・ありえる??

野村一族ってさ、必ず「三郎」って付けるとか・・・良くあるじゃん。

 

さらに、さらにこの野村藤陰、例の「主だった藩士」の中に安政年間には出てきません。

慶応元年、初めて50石を貰って登場!頭のいい人で、実力で上まで上り詰め、藩校「敬教堂」の先生を務めながら、

最後にはお殿さまの侍講を受け持つまでになった人です。

 

余談ですが、私、野村利三郎は「数学得意」ってイメージ勝手に持ってるんです。(アンタだけだよっ)

私数学できる人、無条件で尊敬しまくります。

藤陰の専攻って何だったんでしょうね。漢詩とか遺しているみたいですけど・・・(うろ覚え)

 

で、で、藤陰さん、この時代の大垣藩のご多分にもれず、バリ勤皇派。

リサブ短気だからさ、親戚一同の期待の星、藤陰おじちゃんと(すでに親戚関係)ケンカして(俺は公方様を裏切れないっ!とか)

大垣飛び出しちゃったとか・・・すでに妄想から個人的確信に至ってしまったりして・・・・。

 

 

そんなこんなでオタク妄想は留まることなく、またひとつ世間様からはずれちゃった。あぁ〜あ。

結局、何も分からず(って言うか、何も問題提示していかなかったじゃん!)

中途半端で終わった感じの大垣の旅でしたが、ホント、楽しかったです。

大垣の人は皆とても親切。バスの運転手さんなんて、「暑いからね」って、バスストップの手前のわざわざ日陰で

(それも図書館への最短距離。まん前)で降ろしてくれたりしたんだよぉ。もう、感激!

 

 

 

もっと、もっと行きたい大垣。もっともっと知りたい大垣。

ここまで読んで下さった方は、「結局何言いたいんだろっ、この人」思われる位に中途半端な報告書でゴメンナサイっ!

イエ、自分でもワケわかんなくなっちゃったんです。

ともあれ、大垣への旅、見切り発車の中途半端で終了です。はぁ、目出鯛。






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