総ちゃんのシアワセ 話し方特訓なの♪ (した) 「どういうことだ」 土方さんの、あまりに苛々が過ぎてぎゅっと凝縮され平べったくなってしまったような感情の無い声が、ゆっくりと部屋に響き渡りました。 「近藤さんは総司が養子先で継子虐めに合うのを案じているんだろ?それならそうならない処に遣ればいいのさ」 八郎さんは、ぱちりぱちりと扇子を広げたり閉じたりしながら、『そんな事も分からないのか』と、露骨に顔に出して土方さんに応えました。 「誰が総司を養子にやるって言ったっ」 「近藤さんだろ?」 怒髪衝天の勢いをやんわり交わして受け流し、ついでにきっちり嫌味をくっつけるのを忘れず、返した八郎さんのいらえは余り余った余裕に溢れ、土方さんの神経を更に逆なでします。 「そういう訳で総司は俺が貰って一緒に江戸に帰るから、あんたは何も心配せずに新撰組に骨を埋めてくれろ」 「独りで帰れっ」 「できないねぇ」 土方さんの罵声など何処吹く風のように、八郎さんはゆっくりと扇子を扇ぎながら明後日の方角を向いてしまいました。 と、その時――― それまで自分の哀しみだけが精一杯の有様で項垂れていた総ちゃんの顔が不意に上げられ、両の瞳がしかと土方さんを捉えました。 もう血の一滴だって残っていないような頬に溢れるものは止(とど)めなく、総ちゃんは手の甲で一生懸命にそれを拭うのですが、そんな抵抗など何の役にも立たない程、次から次へと冷たい露は滴り落ちます。 それでも土方さんを見つめる瞳は逸らしません。 そうなのです・・・ 総ちゃんは哀しみで胸が張り裂けそうな中でも、土方さんと八郎さんの話を途切れ途切れに耳に入れ、近藤先生が自分を養子に出す心づもりがあると知ってしまったのです。 自分のこの変てこりんに違い無い話し方をどうにかしなければ、土方さんと離され他所に追いやられてしまうのです。 そんな事は死んでも嫌です。 ずっとずっと土方さんと一緒にいたい、それもこの世だけでは駄目なのです。 あの世でも次の世でも、更にその次の次の世でも、土方さんの傍らにいたいのです。 ですが度重なる衝撃の事実で、心が虚ろになってしまった時に耳に届いた言葉を、断片だけ繋げて出来てしまった解釈ですから、其れはそれ、誤解と被害妄想がもつれにもつれて、総ちゃんの思考はとんでも無い結果に達してしまっていたのです。 話し方を直す理由というのが、『養子先で継子虐めにあわせない為に、人に一歩も二歩も退かせる威厳のある話し方にさせたい』と云う近藤先生の願いだとは露程も思っていない総ちゃんは、今すぐにでも自分の話し方を直さなければシアワセは掴めないのだと、深く深く胸に刻み込んでしまったのです。 「・・・土方さん」 哀しみを乗り越え、悲愴な決意を秘めてやっと搾り出した総ちゃんの声は、土方さんも八郎さんも、柄にも無く固唾を呑んでしまう程痛々しげなものでした。 「練習・・・したいのです・・・」 総ちゃんは時々しゃくり上げながら、それでも必死の思いを訴えかけます。 それを見守る土方さんも、思わず目から溢れ出そうになるものを、ぐっと堪えて大きく頷きます。 八郎さんは、総ちゃんのいじらしさをこの上なく愛しいと思いながらも、そこまで尽くす甲斐性が一体この男の何処にあるのかと、憎々しげに恋敵を扇子越しに睨みつけました。 土方さんは思います。 これから自分と総ちゃんが進むべき道は、千も万もの茨が巻きついた苛烈なものです。 ですが例えそれが如何様な辛苦であっても、決して二人は離れてはならないのです。 ならばどんな事をしても総ちゃんを特訓し、その成果を近藤さんに知らしめなければなりません。 ・・・けれど あまりに感極まりすぎて土方さん自身も叉、何の為に話し方を直さなくてはならないのかと云う、根本的な問題を失念してしまっていたのです。 愛は・・・ 結局の処、馬に蹴られても屁でもない自己満足と自己陶酔に終始完結する、他人には鬱陶しいに尽きる、二人だけの世界なのかもしれません。 土方さんは立ちふさがる試練に挑むかのように、一度宙を睨み、そして次に総ちゃんに視線を戻しました。 「総司・・・」 ある種壮絶な覚悟の声が、厳かに響き渡ります。 そして総ちゃんもその心中を察したのか、今一度右手の甲で瞳を拭って土方さんを見上げました。 八郎さんだけが面白くなさそうに、扇子の端からその様子を視野の端に捉えています。 二人の間に、共に艱難辛苦を乗り越えようと無言の誓いが生まれた、と思ったその時――― 又しても馬に蹴られたい人間がひとり・・・ 「お取込中なのでしょうか?」 山崎さんの声が、障子の向こうから掛かりました。 せっかくの盛り上がりを邪魔された土方さんはお腹の中で舌打ちし、そんな場面など見たくも無い八郎さんは、丁度良い処に現われたとばかりに機嫌よく其方に顔を向けました。 「構わねぇよ、入んなよ」 ついでに親切に促す事も忘れません。 「あ、いえ・・・」 ところが山崎さんにしては珍しく歯切れ悪く応えただけで、一向に姿を見せようとはしません。 流石に土方さんも不審に思い、上半身だけを傾けるようにして廊下の様子を覗くと、困った顔の山崎さんが何とも間が悪そうに立っています。 「どうした」 途端に新撰組副長に戻った土方さんの威厳のある声に、山崎さんはつと隣の部屋に視線を流し、其処に誰かがいるのだと目だけで伝えました。 先ほどの『お取り込み中ですか?』というお伺いは、どうやら部屋の中の土方さんに掛けられたものではなく、その人間に向けられたものだったようです。 やがて山崎さんもこのままでは何時まで経っても埒が明かないと踏んだのか、おもむろに相手に向けて大きな声を発しました。 「局長、どうか先にお入りください」 何と。 隣の部屋にいたのは近藤先生だったのです。 これには土方さんだけでなく、総ちゃんも八郎さんも、思わず室を仕切っている襖を見上げてしまいました。 その気配を察したのか、遂に遠慮がちに襖が開き、近藤先生の厳つい顔が現われました。 「勝っちゃん・・・」 土方さんは呆れて後の言葉が続きません。 それもその筈です。 仁王立ちのまま宙を見据え口を真一文字にきつく結び、近藤先生は小さな目から溢れ出るものを顔中の筋肉を固める事で必死に堪えているのです。 やがて・・・ 無言のまま成り行きを凝視している四人を見回すと、近藤先生は総ちゃんに視線を止め、ぎこちない笑い顔を作りました。 「総司、偉いぞっ」 ――たった一言。 ですが、その短い一言を言い終えない内に、赤い目は叉も潤み、声は低い嗚咽に変わりました。 「あんた、いつから其処にいたんだ?」 そんな感傷など片手で受け止めて握りつぶし更に踏んずけたい思いで、男泣きに肩を震わせている近藤先生を、土方さんは忌々しげに問い質します。 「歳よ・・・」 けれど土方さんの苛立ちなど全く意に介さず、近藤先生は静かに双眸を向けました。 「なんだ」 土方さんはもう応えるのも腹立たしく、横を向いたままです。 「・・・もう、いいじゃないか。俺はこれ以上総司が辛い思いをして涙を流す姿を見たくは無い。総司に仕合せになって欲しいと願う、お前の気持ちも分からんではない。だが人間には出来る事と出来ない事がある。総司は・・・・、総司は、もう十分に頑張った」 そこで近藤先生は一度言葉を切り、感慨に耐えないように叉宙を見据えました。 「いや、総司は、このままで良いのだ・・・。きっとそれで良いのだ。そうだろう?総司」 そして最後はくしゃりと泣き笑いになった強面を、再び総ちゃんに向けました。 総ちゃんは何が何だか分かりませんでしたが、目や鼻からの水分でぐっしょりになった近藤先生の笑い顔はちょっとだけ怖く、おかげでそれまで自分の瞳を覆っていたものは『かないまへんわ』とばかりに引っ込んでしまいました。 「近藤さん・・・」 そんな師匠と愛弟子を視界に入れて、土方さんの低い低い声が、畳を這うように響きました。 「あんた、何か勘違いをしてないか?」 氷室にひんやりと木霊するような其れに、山崎さんは『少しだけ背筋が寒い』と思い、八郎さんは『目出てぇ勘違いさ』とお腹の中でうそぶき、総ちゃんは土方さんの怜悧な新撰組副長としての一面を垣間見て、こんな状況なのに思わずうっとりと聞き入ってしまいました。 「あんたが、総司の話し方を直せと言ったんだぜ」 土方さんの整いすぎた顔に、鬼と呼ばれて何の遜色も無い冷たい笑みが浮かびました。 そうです。 この竹馬の友が馬鹿げた事を言い始めなければ、こんなに酷く辛い仕打を総ちゃんにしなくても済んだのです。 だいたい総ちゃんを養子にやるなど、土方さんにとっては天地がひっくり返っても許す訳には行かないのです。 増してその手伝いの為に話し方を直すなど、本末転倒も良い処です。 それなのにこうして総ちゃんに特訓を施しているのは、『伊庭には何が何でも渡せない』と云う、どうしても引くに引けない土方さんの男の事情以外の何ものでも無いのです。 その自分の懊悩など少しも省みず、今更近藤先生が『もういい』などとぬかすのは、土方さんには腸(はらわた)が煮えくり返って、そこいら辺の隊士の一人や二人腹を切らせてもまだ収まらない位に怒れる事なのです。 思えばこの昔馴染みの激しくも勘違いな思い込みは、今は鬼と呼ばれる自分に、仏だって三度が限界と言わせる顔を、一体どれ程させて来た事でしょう。 土方さんの脳裏に、勝太と歳三だった頃からの辛抱の日々が蘇ります。 ところが――― 世の中、上には上があるものです。 新撰組局長と副長・・・ 『副』という一文字が付くたったそれだけで、人の器というものはずいぶんと違ってくるものだったのです。 「歳よ」 近藤先生は目の端に未だきらりと光るものを残しながら、穏やかに声を掛けました。 「総司の話し方に心和む者は沢山いるだろう。俺はこの素直な物言いを護ってやりたいと思うのだ」 話し方を直せと、自分が言い始めた事などすっかり忘却の彼方に放り投げてしまった近藤先生の総ちゃんを見る眼差しは、まるで春のうららかさを愛で、そっと目を細めるようなそれはそれは優しいものでした。 自己陶酔とは――― 他人の心情など少しも慮らず、それに振り回され腹を立てる相手には、ただただ重い疲れだけを残すものなのかもしれません。 「総司はもう・・・」 「・・・近藤先生」 近藤先生が更に続けようとしたその時、総ちゃんの小さな声がしました。 「・・あの・・・、練習したいのです・・」 自分の意見に異を唱える総ちゃんを怪訝に見る近藤先生に、まだ泣き濡れた瞳の主は、それまでとは違い吃驚する程はっきりと言い切りました。 「お前はそのままで良いのだよ」 優しく諭す声にも、総ちゃんはふるふると頭(かぶり)を振りました。 「直します・・・」 そうして少しだけ哀しそうに瞳を伏せましたが、決めた意志は強そうです。 実は・・・ 近藤先生の優しい心が、総ちゃんには辛いのです。 今まで何も云わずにいてくれたけれど、こんな変な話し方をする弟子を持っていると後ろ指をさされ、近藤先生は幾度も恥ずかしい思いをしていたのかもしれないのです。 それは此処まで慈しんで育ててくれた先生に、恩を仇で返すという事に相違ありません。 だからやはり他人が可笑しいと思う自分の話し方は、何をおいても徹底的に直さなければならないのです。 悲愴な決意の証のように、総ちゃんが膝の上においた手で袴をぎゅっと握りしめたその時――― 「総司、案じる事はないぜ」 八郎さんの力強い声が掛かりました。 「お前が其処までしたいのならば、俺が直してやる」 八郎さんは見上げる総ちゃんに、安堵しろとばかりに大きく頷きました。 一つ覚悟を決めた者がいれば、更に揺るぎない決意を固めた者がいるのも、面白おかしい世の条理なのでしょうか・・・ 八郎さんは見事話し方を直した暁には、養子縁組と言う大義名分の元、大手を振って堂々近藤先生を脅し、必ずや総ちゃんを自分の腕(かいな)に抱いてみせると、楽しい楽しい将来設計を立てたのです。 「伊庭」 土方さんが、そんな八郎さんを冷ややかに一瞥しました。 「なんだえ?」 「邪魔だ」 「あんたがな」 総ちゃんとの仕合せの為には、邪魔とあれば上様にだって退いて貰うに何の躊躇いも無い八郎さんが、返す言葉であっさり土方さんを切り捨てました。 「伊庭っ」 噛み付かんばかりの怒声を、八郎さんは扇子の裏で受け止めると、そのままひらひらと扇いで脇へと流しました。 「歳よ」 そんな八郎さんの胸倉を掴みかけた土方さんに、又も横から怒りに火を注ぐ声が聞こえてきました。 「何だっ」 もう抑えることのできない憤りを迸らせて、土方さんのいらえも荒々しい事この上ありません。 「お前はそんなに総司の話し方が気に入らないのか?」 今度は哀しそうに問い、目を瞬かせる近藤先生の顔を、土方さんは口をあんぐり開き暫ししげしげと見つめたまま言葉が出ません。 己の常識の範疇を遥かに越える近藤先生の思考に、一旦は引っ込んだ土方さんの怒りですが、すぐにそれは怒涛の勢いでその何十倍もになって沸き返って来ました。 「あんたがっ」 その迸りの矛先を言葉にして向けた時―――― 「お待ち下さい」 それまで事態を静観していた山崎さんが、此処らが正念場と判じたのか、重々しい一言を発しました。 一瞬、皆が声の主に視線を送り、水を打ったような静けさが室に満ちた時、それを待っていたかのように、山崎さんの口が続きを語るべく開きました。 「先程から伺っていれば、土方副長は沖田さんの話し方を直し仕合せにしてやりたいと願う愛情、近藤局長も沖田さんがこれ以上辛い思いをして直す姿は見るに忍びないと言う親心、伊庭さんはその沖田さんを助けてやりたいと思う人の情け。・・・三人三様なれど共に沖田さんを思う心に相違なく、結局の処行き着く先は同じ。ならば『簡単に話し方を直せる方法』を見つけたら如何でしょう」 誰にも横槍を入れる隙を作らせず、山崎さんは一気に語り終えました。 そして『こないに簡単な事を、ここまでこじらせるあんたらは立派や』と、そんな素振りは露ほども見せず、眉ひとつ動かさずに自分を凝視する四人の視線を受け止めていました。 「・・・あの、・・簡単に直る方法、あるのかな?」 まずは一番切羽詰まっている総ちゃんが、おずおずと尋ねました。 「自信を持ったら如何でしょう?」 山崎さんは縋るような瞳に、穏やかに笑いかけます。 「自信・・?」 「そうです、自信です」 自信たっぷりに頷く山崎さんの前で、それを聞くや否や、総ちゃんはみるみる項垂れてしまいました。 総ちゃんは『自信を持て』と云われて、では何が自慢できるのかと自問自答してみても、さっぱり答えが見つからないのです。 身体は薄っぺらで頼りないと、いつも皆の心配の種になっています。 自分が可愛いと惚れ込む愛玩動物は、近藤先生が『稀に見るふてぶてしいご面相』と眉をひそめます。 更にこの度はご丁寧にも、話し方すら変だと太鼓判を押されてしまいました。 唯一皆が褒めてくれる剣術だって、それは竹刀とか刀とかのお世話になって初めて形になるものなのです。 我が身ひとつで自慢できるものと言ったら・・・・ 思い当たる事は皆無で、もう自信など欠片も見当たらないのです。 「どうしちまったんだえ?」 俯いてしまった総ちゃんを、八郎さんが肩を抱き寄せて覗き込みました。 「伊庭っ」 土方さんが八郎さんの腕を総ちゃんから外そうと、勢いのまま体を乗り出したその時、近藤先生の方が一瞬早くにじり寄り、行く手を塞いでしまいました。 「総司、何も案ずることはないのだよ。歳をご覧」 『土方関連』の言葉には、条件のように反応する総ちゃんです。 この時もその法則に従順に、ばね仕掛けの人形のように顔が上がりました。 「歳だってあのような句を、恥ずかしげも無く未だ嗜み続けているではないか、それを自信と云わず何と言う?自信なんて云うものは所詮自惚れで良いのだよ」 近藤先生は片頬だけにできる笑窪を浮かべて、深い色の瞳に訴えます。 「そうだえ総司。あの川柳は酔狂なんざとっくに通り越して、最早世間に売った喧嘩と云うのだえ」 心底そう思っているのでしょう。 八郎さんもゆっくりと、一言一言説く様に語り掛けます。 それを後ろで聞いている土方さんの三白眼が異常に座って・・・・ 失礼を失礼とも思わない言い分に、遂に反撃に出るべく腰が浮いたとき――― 『待てっ』 山崎さんが、目だけで鋭く制しました。 自分がこの場を収めると、それは無言で告げていました。 そうしてぎりぎりの処で土方さんを止めておいて、山崎さんはやおら総ちゃんに向き直りました。 「沖田さん、自信と云うものは、案外自分では気が付かない処に隠れているものなのです。日頃は表舞台に出ず、己を殺し新撰組の影に徹している土方副長とて、あれ等の句を詠み捨てるのではなく、句帳に記して後世に残そうとしているのです。其処まで行けば最早何人をも恐れぬ度胸と自己主張以外の何ものでもありません。自信と云うものは、そんな風に人に嫌われてなんぼの自己満足で十分なのです」 山崎さんは淡々と、けれど自信をつけさせる為に、真っ直ぐに総ちゃんを見て言い切ります。 「そうだよ、総司。山崎君の言うとおりだ。だからお前だってもっともっと自信を持って良いのだよ」 流石は山崎さんだとばかりに、近藤先生も頷きます。 「かき捨てられる恥をわざわざ残すってのは、もう人としての己なんざとっくに捨ているのだろうさ」 世を捨てた昔馴染みの行く末を思い、八郎さんも少しだけしんみりとした口調で呟きました。 ―――そして 一部始終を黙って聞いていた土方さんでしたが・・・・ 「・・・良い話をしているな」 立てられる許容範囲をとっくに越えた数の青筋を、こめかみに無理やり浮き立たせ、それはそれは低い声で、総ちゃんを囲んで自分に背中を見せている三人を見渡しました。 「おおっ、お前もそう思うか?歳」 それにすぐさま嬉しそうに振り向いたのは、近藤先生でした。 「お前の事を引き合いに出せば総司もきっと自信を持てる、俺はそう信じている」 近藤先生は満足そうに頷きました。 その笑い顔に向けて、これまで溜めた怒りを一気に噴出させる為に土方さんが一度大きく息を吸い込んだ、とその時――― 「ああ、そう言えば・・・」 又も山崎さんが、常と変わらず抑揚無く語り始めました。 「沖田さん、例え威厳を持った話し方ができなくとも、取り敢えず淀み無くすらすらと言葉が繋がれば、幾分てきぱきと人には聞こえるのではないのでしょうか?だとしたら良い事があります」 「・・えっ?」 柔らかな笑みを湛えて告げる山崎さんの『良い事』に、総ちゃんは期待で胸がどきどきしてしまいます。 「古来より和歌というものには『枕詞』というものがあります」 「・・・まくらことば?」 知ってはいても、それがどう『てきぱきと話す』事に結びつくのでしょう? 総ちゃんは小首を傾げました。 「そうです。枕詞です。、例えば、何故『奈良』の前に『青丹よし』と付くのか・・・考えてみれば不思議なものです。奈良の都が青色ばかりを贔屓したら、他の色だって気分は良くないでしょう。ですが、『青丹よし・・』と口ずさめば、すぐに『奈良の都は・・・』と、すらすらと次の言葉が出てきます」 「景気づけって奴だろ?」 八郎さんが、山崎さんの流れるような解説を一言で締めくくりました。 それに山崎さんもゆっくりと頷きます。 「そうです。これは景気づけ以外の何ものでもないのです。ですから沖田さん、これから話す時には、何か沖田さんの気に入りの言葉を、一等先に口にしてみたらどうでしょう?そうすれば後の言葉はそれに続き、図らずもすらすらと自然に出てくる筈です」 吃驚するような枕詞の拡大解釈も、微かにも揺るぎない自信を持って言われると、それはあたかも昔からとっくに決まっていた事のように思えるから不思議です。 「・・・・好きな言葉・・」 そんな山崎さんを瞬きもせずに見ていた総ちゃんが、小さく呟きました。 「そうだよ総司、それが良い。お前の気に入っている言葉を先に言えば、きっとてきぱきと話せるようになるよ」 近藤先生は横から励ますように語りかけながら、もしかしたらその『枕言葉』は自分の名ではないかと少し興奮しています。 「・・好きな言葉・・・あっ」 何かを思いついたのか、総ちゃんの瞳に明るい光が宿りました。 そしてそれはそれは嬉しそうに、まるで蕾が花になるように唇が綻びました。 「何か良い枕詞が見つかったのかえ?」 八郎さんの問いに、満面の笑顔が頷きます。 それは総ちゃんの打ちひしがれた姿を見るにあまりに忍び無いと思っていた者達の胸をやっと撫で下ろさせる、とてもシアワセそうなものでした。 総ちゃんはやおら土方さんの前に進み出ると、其処に端座しました。 「土方さん・・・あのね、報告をしたいのです」 失礼な奴らへの報復しか頭に無い土方さんでしたが、愛しい者の笑い顔を見れば、それは何かと急(せ)いて聞きたくなるのが、恋に目眩ましされた者の哀しい性です。 「言ってみろ」 三人への巻き返しは取り敢えず後回しにして、土方さんは促します。 腕組みをして自分に視線を向ける威厳のある姿にうっとりとしながらも、総ちゃんはこくこくと頷きました。 「・・・あの」 言いかけてはっと口元を手で隠し、もう一度やり直す為に大きく息を吸うと、形の良い唇がやおら語り始めました。 「・・知れば迷い、知らねば迷わぬ恋の道・・・知らなければ迷わないと分かっていながら、知ってしまえばどうにもならない深い道。・・・・これが恋と云うものなのです。何時の世にも繰り返される、人の哀しい習性を詠んだ、とても奥の深い句なのです。・・・それからそれから、この句は『恋の道』を『仏の道』にも『甘味の道』にも色々に置き換えて使いまわしできる、とても太っ腹で、慈悲深くてありがたい句なのです・・・」 総ちゃんは毎日毎日、土方さんが相手をしてくれなくて寂しい時には、一言一句も違わず覚えてしまった玄海僧正さんの説法を、独りで諳んじてはうっとりしていたのです。 大事な大事な土方さんを褒め称える言葉ならば、総ちゃんは幾らだって淀みなく人様に語る事ができるのです。 これでもかこれでもかと賛美の言葉を次々に紡ぐ総ちゃんの瞳を見れば、既に魂はとっくに陶酔の世界に行ってしまい、ちょっとやそっとの事では当分戻って来そうにもありません。 愛は――― 限りなく愛を注ぐその対象ですら、時に再起不能なまでに打ちのめして君臨するものなのかもしれません。 愕然と―― 誰も何も発せられず驚愕の内に見守る者達の中で、総ちゃんの『枕詞』は延々と続きます。 やがて、少し声が小さくなって・・・・ 「・・・何も異常はありませんでした」 やっと報告を終えた総ちゃんが、ひび割れた能面をつけたように固まってしまっている土方さんの顔(かんばせ)に、ちょっとだけ誇らしげに、そして晴れやかに微笑みかけました。 ヤマもオチもイミもありませんようで・・・とほほ 瑠璃の文庫 |