幕末お伽噺 もも頭巾ちゃん




ある日のこと、近藤先生が山に芝刈りに行きました。
そして井上さんが満足する程芝も刈り終え、川のほとりでひと息ついていると、何やら上の方からどんぶらこ、どんぶらこと流れて来る物が目に入りました。
何だろうと、よくよく目を凝らすと、それは見たことも無い大きな桃でした。
そうと知るや、近藤先生は慌てて水の中に飛び込み、流れ行く其れを寸での処で止め、川べりへと持ち帰りました。

丁度お腹も空いていた処です。
よく言えば豪放磊落、悪く言えば最初から最後まで自己陶酔の拡大解釈に終始する気性の近藤先生は、この時も、これは働き者の自分へ、天が褒美を与えたのだと簡単に受け止め、早速芳醇な果肉を味わうつもりで、腰から抜いた虎鉄を一閃させたその刹那。
何とっ。
真っ二つに割れた桃から出てきたのは、それはそれは愛らしい小さな男の赤子だったのです。
近藤先生は驚愕に目を見張りながらも、大体が桃から子供が出てくるなどと云う不可思議を深く考えもせず、『これも何かの縁』と、震える赤子を自分の片袖を千切って包み、大事に胸にかかえ山を下りました。
流石は太っ腹な道場主です。
いえいえ当節この位頓着無しでなければ、貧乏道場の切り盛りなどしてはいられません。


それから幾星霜。
桃から生まれた子供は『桃太郎』と付けるにはあまりに安直すぎるとの井上さんの意見で『宗次郎』と名づけられ、近藤先生の庇護の元、すくすくと素直な器量良しに育って行ったのです。

やがて宗ちゃんもお年頃になり、今では悪い虫が付かないように周囲に目を配るのも大変な近藤先生でしたが、ひとつだけ頭を悩ませる問題があったのです。
それは――
宗ちゃんが可愛いと惚れ込む物の基準についてでした。
実は近藤先生は厳つい顔に似合わぬ可愛いもの好きだったのですが、宗ちゃんが拾ってくるものと云ったら、一度拝めば二度とは御免と思えるような、恐ろしく目つきの悪い蛸だの鮒だの猫だのだったのです。
近藤先生は溜息混じりに、
『こんなものを飼っていたら、お前は変な人と後ろ指をさされてしまうよ』
と諄々と諭すのですが、その度に宗ちゃんは深い色の瞳を潤ませ、か細い首を項垂れてしまうのです。
そしてそんな姿を目の当たりにすれば、近藤先生もつい哀れが先立ち、それ以上の小言も云えず結局折れる他無いのでした。

と云う訳で適当に時が経ち、いつの間にか目つきの悪い愛玩動物やら虫やらで、近藤先生の道場である試衛館は一杯になり、それらに囲まれてうっとりと過ごすのが、宗ちゃんの至福の時となったのです。
ですがこんな趣味が人様に知れたら大変です。
目つきの悪いふてぶてしいご面相の愛玩動物を溺愛しているなどと分ったら、いくら良い養子縁組の話が来ても、途端にお釈迦になってしまうのは目に見えています。
近藤先生は宗ちゃんのシアワセの為に、この事を己の胸の裡だけの極秘にしようと堅く決意したのです。

ところが・・・
その近藤先生を更に悩ます問題が、最近生じてしまったのです。
近藤先生には、土方さんと云う昔馴染みの薬屋さんがいました。
土方さんは通りすがりに、ちらりと視線を送っただけで、忽ちおなごを虜にしてしまうような苦みばしったいい男でしたが、鋭い三白眼はお世辞にも可愛らしいものとは云えません。
それどころか、出くわした途端、犬も猫も唸り声を上げて威嚇の構えを取ってしまうような、筋金入りの目つきの悪さでした。
それこそ宗ちゃんが土方さんを知れば、ひと目で魅入られてしまうのは、火を見るよりも明らかです。
そう云う訳で宗ちゃんの嗜好を薄々と感じるようになってから、近藤先生は殊の他、この土方さんとは合わせぬよう神経を張り巡らせて来たのですが、其処は其れ、油断と綻びは何処にでもあるもので、先に土方さんの方が、川で桃を冷やしていた宗ちゃんを見初めてしまったのです。
それを知った近藤先生は、昼に夜に宗ちゃんを射止めんと奇襲を掛けてくる土方さんとの攻防戦で、ここの処少しの気も抜けない毎日を送っているのです。

と云うのも。
実は宗ちゃんには、今とても良い養子縁組の話が三つも来ていたのです。
ひとつ目は江戸でも指折りの剣術流派の御曹司。
ふたつ目は確かな腕と評判の繁盛診療所のお医者さん。
みっつ目は広大な寺領を持つご近所の僧正さま。
皆いずれ劣らぬ立派な人物で、きっと宗ちゃんをシアワセにしてくれるでしょう。

それに・・・
御曹司は、宗ちゃんを養子にくれるのならば、自分の処と近藤先生の処の流派を一緒にし、『心形理心流』と名打ち、鎖型に道場を増やす全国展開を企てても良いと、そっと耳打ちしたのです。
加えて、何なら一歩譲り、『天然心形刀流』と云う名にしても良いとまで、江戸前のきっぷの良さで持ちかけているのです。
これには近藤先生も、道場主として心を動かされないではいられません。

ですが・・・
繁盛診療所のお医者さんも、捨てがたいものがあります。
何しろお医者さんと云えば、この世に人と云うものがある限り、御役御免の無い先の固い商売ですし、それに宗ちゃんは病弱です。
任せて一番安堵できるのはこの縁組かもしれないと、今度は父親としての思いが疼きます。
しかもお医者さんは近藤先生に、もしも宗ちゃんを養子にくれるのならば、自分は然る藩からお呼びの掛かっている『御典医』の話を引き受けるつもりだと云うのです。
そうなれば繁盛はしているけれども忙しい診療所とは違い、殿様ひとり相手にのんびり過ごせますから、宗ちゃんに寂しい思いはさせないし、更にその藩の剣術指南役に近藤先生を推挙しても良いとまで云うのです。
そんな事が出来るのかと驚く近藤先生に、お医者さんは『それもこれも医者の匙加減ひとつ』と、にこやかに耳打ちしたのです。

ところが・・・
上には上があるもので、一番遅れを取っている僧正さまは、宗ちゃんをくれるのならば、門徒衆が引くおみくじ全部を『凶』にして、その下に『天然理心流近藤道場で修行せよ』と書いて上げようと、こっそり耳打ちしたのです。
確かにあまたいる門徒衆がこぞって道場に修行に来る事になれば、天然理心流は一気に大きな流派になる事ができます。
けれど流石に神仏をだしに嘘を云うのは気が咎め、そこの処を小心に質すと、僧正さまは『なんも修行したから云うて厄が払えるとは書いてありまへんやろ?ただ修行せよ、だけですわ。せやから嘘は云うてまへん』と、案ずるなとばかりに大仰に頷いたのです。
云われてみれば確かにその通りで、近藤先生も胸を撫で下ろしたのでした。

――今日も養子見合いの釣書を手に、どれにしたら良いのか思いあぐね、結局結論を出せずに、左のこめかみに指を当てると、近藤先生はふりふりと頭を振りました。


と、そんな日を幾つか過ごしたある日。
近藤先生が急な用事で出かけなければならなくなってしまいました。
生憎井上さんを始め、道場の誰もが出払っていています。
ですが昔馴染みの土方さんが宗ちゃんを狙っている今、ひとりで留守番をさせるのは、近藤先生にはどうにも不安なものがあります。

「いいかい、宗次郎。雨戸をぴっしりと閉め、玄関にもしっかり閂(かんぬき)を掛けて、わしが戻るまで、誰が来ても開けてはいけないよ」
近藤先生は宗ちゃんを目の前に置いて、強く言い含めます。
「・・あのね、もしも誰かが近藤先生の声を真似て、それがあんまり上手で、本当かどうか分からなかったら?」
宗ちゃんは心配そうに、深い色の瞳を瞬きします。
「その時は手を見せろと云うのだよ。こんなに大きな手の人間は、滅多にいるものじゃないからね、すぐに偽者だと分るよ」
「手を?・・でも、・・もしも手も似ていたら?」
「そうしたら次には顎を見せろと云うのだよ」
「・・あご?」
「そうだよ、わしの顎は拳骨を出入りさせる事の出来る立派なものだから、そんじょそこらの奴等とは比較にならない頑固な造りだ。だから顎を見ればお前も一目で分かるだろう?」
これには宗ちゃんも安堵し、近藤先生に向かって嬉しそうに頷きました。
「いいかい、誰が来ても決して開けてはいけないよ。さもないとお前は魔物に食われてしまうからね」
近藤先生は低い低い声で、宗ちゃんの瞳を見て念を押すように脅しました。
何しろ願っても無い養子縁組が、宗ちゃんにはみっつも控えているのです。
くれぐれも間違いがあってはいけません。
言い聞かせる言葉にも自ずと力が籠もります。
その迫力に気圧されて、宗ちゃんも幾度もこくこくと頷きました。


――お天道さんもまだ幅をきかせている真昼間から、雨戸も門も締め切れば、それは『ひとりでいるので好きに襲って下さい』と教えてくれているようなものです。
土方さんは坂を下って行く昔馴染みの変わらぬ人の良さ、簡単さに呆れながらも、唇の端に笑みを浮かべてその背を見送りました。

さてこちらは蝋燭の灯りだけが頼りの、真っ暗な家の中。
宗ちゃんは室の真中にちんまりと座って、近藤先生の帰りを待っています。
すると勝手口の方で、聞き逃してしまいそうに小さな音がしました。
咄嗟に其方の方角に耳を澄ませても、音は一回きりで、直ぐに又何事も無かったかのような静寂が戻りました。
空耳だったのかな?と、端座しなおして小首を傾げていると、今度は廊下の板張りの軋む音が聞えてきます。
驚きに瞠られた宗ちゃんの瞳には、まだ闇に浮かぶ障子の白しか映りませんが、足音は確実に此方へと遣って来ます。
宗ちゃんは今にも口から飛び出してしまいそうな心の臓の音を、胸に手を当てる事で何とか鎮めようとするのですが、なかなか思うように行きません。
それどころか、段々に近づく人の気配に、もう思考は止まり、身体は金縛りにあってしまったように動きません。
けれどこんな事で怖がっていたら、後で近藤先生や皆に笑われてしまいます。
宗ちゃんは必死の思いで廊下との際まで這って行くと、外から障子が開けられないよう、近藤先生が置いていってくれた竹刀を突っかい棒にしました。
それを終えて額の冷たい汗を手の甲で拭った拍子にふと瞳を上げると、障子には、宗ちゃんなどひと呑みにしてしまうような大きな影が映っているではありませんか。
思わず後ずさりしてしまったその気配を感じたのか、低い笑い声が闇に響きました。
そして・・・
もうこれ以上大きく開けば瞳が零れ落ちてしまいそうな宗ちゃんに向かい、影はゆっくりと口を開きました。

「春の夜はむつかしからに噺かな」
一度聞いたら二度目はお金を払っても勘弁して欲しいと思える、それはそれは無愛想な声が訳の分らぬ呪文を唱え、障子紙を震わせて室に木霊しました。
ところがっ。
その声音を聞いた途端、何と、それまで恐怖にだけ囚われていた宗ちゃんの瞳が、うっとりと細められたのです。

「梅の花一輪咲いても梅は梅」
更に人が聞けば喧嘩を売っているとしか思えない、ぶっきらぼうなもの云いの声は続きます。
そしてもっと信じられない事に、それを聞く宗ちゃんの面輪が、陶酔の色でほんのり朱に染まり始めたのです。
何処をどうとっても近藤先生とは似ても似つかない声でしたが、宗ちゃんはまるで夢の中を漂うように立ち上がると、突っかえ棒を外し、決して開けてはならないと戒められていた禁断の障子に震える手を掛けた、と、その時。

「歳っ」
大音声の叫び声と共に、床を踏み砕く勢いで此方にやってくる人影が。
ちっ、と土方さんが舌打ちしたのと、驚いた宗ちゃんが障子を開くのが一緒でした。

運命の出会いとは――
大げさな触れ込みの割には、実はかくもお手軽風味にやって来るものなのです。
ひと目あったその日から恋の梅咲くこともある。
開けられた障子の音で振り向いた土方さんを瞳に映した寸座、宗ちゃんの心の臓が、一度どくんと大きな音を立て、そして次の瞬間には早鐘のように打ち始めたのです。

本当に・・・
何と云う目つきの悪さなのでしょう。
この人をくったような三白眼に比べれば、今まで愛でてきた愛玩動物の目つきの悪さなどものの数ではありません。
もう土方さんしか映していない宗ちゃんの瞳は、いつの間にかうっとりと潤んでいます。
そして土方さんは土方さんで抜かりなく、ぼうっと夢見心地で自分を見つめる宗ちゃんの耳朶に手馴れた風に唇を寄せ、『うくひすやはたきの音もつひやめる』と囁いたのです。
それを聞くや否や、項から頬まで、白を仄かな恥じらいに染める宗ちゃんの様に、土方さんはごくんと生唾を呑み込みました。




けれど其れは其れ、神さまも仏さまも世間さまも、そう簡単には美味しい展開を許してはくれません。
何しろ怒涛の勢いの竹馬の友が、もう直ぐ其処まで遣って来ているのです。
いっそ此処で押し倒してしまいたい男の欲求を漸く堪えると、土方さんは険しい双眸で廊下の先を見据えました。
今一度忌々しげに舌打ちすると、土方さんはやおら宗ちゃんを振り返りました。
そしてそのまま華奢な身体をかき抱き、大きく見開かれた瞳が閉じられる間もなく、目にも止まらぬ素早さで唇を吸ったのでした。


目の前のあまりの出来事に、驚愕に固まり立ち止まってしまった近藤先生の目前で、土方さんは魂の抜け殻のようになってしまった宗ちゃんの唇をゆっくりと解放すると、瞳を見つめ、『人の世のものとは見へぬ桜の花』と、ふてぶてしい目つきを少しだけ和らげて呟きました。
そしてちらりと近藤先生に視線を送り、『しれば迷ひしなければ迷はぬ恋の道』と、再び訳の分らない呪文を意味ありげに言い放つと、方頬だけを歪めて皮肉な笑みを作りました。

やがて動けぬ二人を其処に残して踵を返すと、土方さんは自分だけがとことん悦に入って、ゆうゆうと去って行きました。
その背を、近藤先生は、ただただ呆然と見つめていました。


「・・・うぐひすや・・はたきの音も・・」
小さく呟く声に、はたと現に戻った近藤先生が慌てて視線をそちらにやると、心ここに在らずの体でぺったりと床に座り込んだ宗ちゃんの瞳が、うっとりと宙を彷徨っているではありませんか。
「宗次郎、宗次郎っ」
魂を他所に置いてきてしまったような宗ちゃんの薄い肩を、近藤先生は必死に揺さぶります。
「しれば迷ひ・・しなければ迷わぬ・・」
それすら耳に届かず、宗ちゃんの唇は夢見るように繰り返します。

愕然と――
色を失くして宗ちゃんを呼びつづける近藤先生の太い声だけが、お天道さんがにこにこ照らす真昼間の闇の中、建物全体を震わせるように、いつまでもいつまでも響き渡っていました。





              つづく (かどうか分らない・・・)





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