総ちゃん(と土方さん)のシアワセ 猫鍋でシアワセ♪なの お後がつかえてますとばかりに、しゅんしゅんと、湿った音を上げる鉄瓶。 障子を透かせて籠る、陽だまり。 ひたすら平和な、小春日和の昼下がり。 ところが。 そんなうららかさとは無縁のような難しい顔をし、端座しているのは、一応この部屋の主、総ちゃん。 そしてその総ちゃんの真摯な眼差しなど素知らぬ振りして、上座に置かれた ぶ厚い座布団に身を沈め、丸くなっているのは、猫の土方さん。 更に、ひとりと一匹の真ん中に置かれているのは、土鍋。 加えて、土鍋の横には、尾頭付きの鯛。 やがて、総ちゃんが、じりっと膝を進めました。 そうして。 「あのね、この中に入ってほしいのです」 土鍋を指差し、今朝から幾度したのか分からないお願いを、又繰り返したのでした。 けれど猫の土方さんは、そんな切実な声にも、喉の奥まで見える大きな欠伸を返しただけで、ペロリと前足を舐めるや、ソッポを向いてしまいました。 その途端、総ちゃんの瞳が哀しげに曇ります。 実は。 総ちゃんは今、自分の愛する猫の土方さんを『猫鍋』にし、世の皆々様がたに、猫の土方さんが、どこのどんな猫より気高く素晴らしいかを誇りたいと必死なのです。 そもそも、この猫鍋なる噂。 永倉さんのお気楽な聞きかじりに端を発していたのです。 そう、世間様では、猫を土鍋に入れて昼寝をさせ、それで愛らしさを競うのが大流行なのだと――。 稽古をつけていた手を休め、道場に居た者たちを集めると、永倉さんは延々と語り出しました。 「何しろ土鍋に入る猫を探して、猫を狩る奴も出てきているらしい」 「・・・猫狩り」 「そうだ、猫狩りだ」 そこかしこで上がった驚愕に、永倉さんは深く頷きました。 「しかも、だ。土鍋に入るのは一匹、二匹じゃ、巷の人間は、もう見向きもしねぇ。これっぱかりの鍋に、そうさな・・」 と、両の手で小さな輪っかを作り、 「少なくとも、十匹の猫が入っている」 「・・十匹・・」 まるで見てきたかのようにきっぱりと云い切った寸座、道場には感嘆の声がどよめいたのでした。 その様子を、総ちゃんは、入り口の戸に隠れるようにしてそっと聞いていたのです。 そうして、思ったのです。 猫の土方さんにそれをやって貰ったら、どんなに皆の賞賛を浴びる事かと・・・ 誰もが畏怖と尊敬の眼差しで見る、土方さん。 冷やかな一瞥で、相手を金縛りのように硬直させてしまう、土方さん。 その土方さんの生き写しのような、猫の土方さん。 土方さんの威厳と強さを持つ、猫の土方さん。 土鍋に入っただけで可愛いとちやほやされるそこいらの猫など、足元にも及ばない『猫の品格』と云うものを、生まれながらに身に備えている、猫の土方さん。 土方さんと、猫の土方さんを思っただけで、総ちゃんの心の臓は高鳴り、頬は昂ぶりを隠す事ができず、ほんのり淡く染まってしまいます。 けれど、その猫鍋とやらにすれば、猫の土方さんは、威厳だけではなく、かわいらしさも兼ね備えているのだと、今以上に素晴らしさが分かって貰える――。 一旦そう思い込めば、例えそれが、人様の常識とは、どこまで行っても交わることの無い平行線であっても、己の信じた道をひたすらに走るのみ。 総ちゃんは早速賄いさんに土鍋を部屋に運ぶようお願いすると、、自分は魚屋さんに走り尾頭付きの鯛を買い求め、次には、西本願寺の玄海僧正さんから正絹の座布団を借り受け、準備万端整えたのでした。 そして猫の土方さんを招き入れ、くだんの「猫なべ」になる事を懇願し始めたのですが・・・ 猫も生き物。 気分次第で、痛みもすれば、腐りもします。 しかもこの猫の土方さん、元々が、あの土方さんに瓜二つと総ちゃんが岡惚れしているだけあって、人を喰ったような態度と、一筋縄では行かないふてぶてしさも、半端なものではありません。 先程から虚しい時だけが、いたずらに流れているのです。 「お願いします」 ぺたりと畳に頭をつけての声は、最早枯れ果て聞くも哀れでしたが、総ちゃんはその頭を上げようとはしません。 それでも猫の土方さんはソッポを向いたきり、いえ、その声すら煩わしげに、座布団に顔を埋めてしまいました。 そんな猫の土方さんを見る総ちゃんの視界が、ふと滲みました。 それを慌てて手の甲で拭うと、総ちゃんは気を取り直すように膝を進め、 「ちょっとだけで良いのです。・・あのね、道場に行ってみんなに見せて、あと近藤先生と、八郎さんと、キヨさんと、田坂さんと、それから・・・」 ひぃふぅみぃと、指を折り、いつの間にか十では足りなくなっている事など気にも留めず、総ちゃんの懇願は続きます。 けれどその一生懸命の声を聞きながら、障子の向こうで滂沱に顔を濡らす人間がひとり。 「歳よ・・」 近藤先生は、滝のような涙でくしゃくしゃになった厳つい顔を障子から離すと、後の土方さんを振り返りました。 それに露骨に顔を顰めた土方さんでしたが、そんな事など歯牙にもかけず、近藤先生は、ずずっと鼻をすすりました。 「お前が土鍋に入ってやれ」 「何故俺が土鍋なんざに入らにゃならんっ」 「猫が入らんのなら、お前が入ってやらなくてどうするっ」 「俺は猫以下かっ」 云い出しかねないとは予想しつつも、いざそれを面と向かって云われれば、この男の脳味噌で漬物を漬けたら、一体どんな風に仕上がるのかと、土方さんは昔馴染みの顔をまじまじと見詰めました。 「お前は総司が可愛く無いのかっ」 「・・・・」 誰の手にも渡すまいと誓った愛しい者を、可愛いなどと凡庸な言葉で表現できるものかどうか、変に几帳面な常識に囚われ、土方さんは一瞬沈黙しました。 その沈黙をどう取ったのかは知りませんが、近藤先生は、今度は土方さんの肩をぐいっと鷲掴むと、厳ついご面相を寄せて来ました。 「頼むっ、土鍋に入ってやってくれっ」 「俺は猫じゃないっ」 「土方と名がつけば、この際何でもいいのだ」 「・・・・」 「この通りだ、頼むっ。今の総司を救ってやれるのは、お前しかおらんっ。悔しいが、近藤の姓を持つ俺では駄目なのだ。猫でも犬でも、鯉でも鮒でも・・・いや、塵でもいいのだ。俺が土方と云う名であったならば、総司にあんなに辛い思いをさせずとも済んだものを・・それが口惜しいっ」 小さな目を泪で溢れさせ、近藤先生は、土方さんにとても失礼な事を、何の悪気もなく堂々と云ってのけました。 「・・お願いします・・」 障子の向こうから、振り絞るように、途切れ途切れに聞こえる懇願の声。 「総司・・、可哀想に・・・」 ――土方さんを掴んでいた手をゆらりと離すと、それをぺたりと障子に貼り付け、声を殺して慟哭する一枚巌のような屈強な背を、冷ややかな視線が、無言で見下ろしました。 誰が云ったか、草木も眠る丑三つ時。 行灯の火が、光の輪を薄く広げて行き、その幾つ目かが照らす白い足袋。 腕を組み、睨みつけているのは、己の足先に置かれた丸い土鍋。 そうしたまま経った時は、もうかれこれ小半刻ばかり。 やがて意を決したように上げた視線の先には、灯りも届かぬ闇の天蓋。 そこに、浮かんでは消え、消えては浮かぶのは、先ほどまで腕に抱いて泣かせていた、愛しい者の面輪。 ひとつ大きく息をつくと、土方さんはふたたび視線を土鍋に戻し、そろそろと、片足を入れてみました。 途端、足の裏から突き刺すような冷たさに、端正な顔が歪み、入れた足はすぐさま畳に戻りました。 「冷てぇじゃねぇかっ、莫迦野郎っ」 深閑と、物音一つしない暮夜(ぼや)の淵。 八つ当たりの尖り声が、飛び出します。 それでも、無理やりながら、両足共入りそうだとは分かりました。 ですが問題はこれからなのです。 猫が丸くなる分には問題の無い土鍋も、人ひとり、それも大の男の体を詰め込むには、さすがに難があります。 さて、そこの処をどうするか――。 類稀な策士と人から評され、己自身が一番それを自負しているだけに、ここでそれを成し得なければ、土方歳三としての沽券に関わります。 いえ、総ちゃんへの愛に関わります。 土方さんは、土鍋を睨んで考えます。 眉間に皺を寄せ、目を鋭くし、堅く唇を結んで・・・ 独り山に入り、滝に打たれる修行僧のような厳しい面持ちで、考え続けます。 そうしてもう一度、今度は先ほどよりもずっと慎重に、爪先から土鍋に片足を入れてみました。 その途端、又も貫くような冷たさが脳髄まで走りました。 それをぐっと奥歯を噛みしめ堪えると、目を瞑り、顎を反らせました。 ――瞼の向こうには、愛しい者の姿が浮かびます。 その白い面輪が、瞳を潤ませ、うっとりと此方を見詰めています。 「・・・総司」 不思議な事に、そうなればこの辛さも、土方さんには何だかシアワセの裏返しのように思えてくるのです。 「冷てぇぜ、畜生っ・・」 俺と猫のどっちが大切だっ、とは問わず、ぐっと結んだ唇から、惚れたが負けの弱気が零れ落ちました。 |