宗ちゃんのシアワセ 桜餅でシアワセ♪なの 「どうした、旨いぞ?」 何故食べん?んっ?と、覗きこむようにして聞いて来る近藤先生に、宗ちゃんは俯いた顔を上げられません。 目の前の包みには、桜餅がひとつ。 挽いた小麦に紅を混ぜて蒸し、それに漉し餡を包んだ春の菓子。 と、そこまでは良いのです、そこまでは。 問題は、更にその上に、まるで海苔巻のようにくっついている、塩漬けの桜の葉っぱ。 へたりと萎れたしょっぱい葉っぱは、菓子の甘さと相和して、口の中に絶妙な風味を広げてくれる、無くてはならない粋な味。 ところが宗ちゃんに限っては、そうは行かないのです。 折角、餡子が、「甘うて旨いでっせぇ」と云ってくれているのに、何故その訴えを素直に聞いてはあげないのでしょうか? しょっぱいはしょっぱい、甘いは甘いに分けて、どうして悪いのでしょうか? 自分の好き嫌いをきっちり棚に上げ、誰がこんなお節介を考え出してくれたのかと、宗ちゃんはこの季節になるたびに、哀しく吐息するのです。 でもまぁ、捨てる神さまがいれば、拾う神さまもいて、順繰り良く回って行くのが世間さま。 宗ちゃんも何とか毎年、桜餅の恩恵に預かってこれたのです。 と云うのも。 桜餅を包んでいる葉は、ぺろりと土方さんが剥がしてくれ、宗ちゃんは、餡子と、葉っぱの塩が滲みていないところだけを食べれば良かったのです。 そんなこんなで。 土方さんと、持ちつ持たれつの月日が経て、今年も宗ちゃんには、ちょっと困った桜餅の季節。 いつものように、桜餅には欠かせない土方さんも傍らにいます。 準備は万端、いつでも来い、の桜餅の筈なのですが・・・。 「剥がしてやる」 「だめなのですっ」 横から、ひょいと伸びた土方さんの手を、悲鳴のような声が押しとどめました。 その声の必死さに、当の土方さんと近藤先生が、ぎょっと宗ちゃんを見れば、蒼白な顔と見開いた瞳が、桜餅を凝視しています。 そうなのです。 今年の桜餅は、土方さんが向島の長命寺の門前まで足を延ばし、しかもその日の昼には売り切れてしまうと云う、人気の菓子屋で買ってきたものなのです。 宗ちゃんにとっては、まさに「生のお宝」。 一欠片だって、残す事などできません。 本当なら、近藤先生のお腹に収まってしまった三つも、大先生の処に持って行った二つも、それから井上さんが食べてしまった一つも、みんな倍にして返して欲しい処なのです。 だからこの最後の一つは、それがどんなに辛い苦行であろうと、全部自分で食べなければならないのです。 宗ちゃんは思います。 塩漬けの葉っぱは、ぬるりと指を滑るでしょう。 だからなるべく端っこを持って、口の処まで吊り上げます。 この際、お行儀の善し悪しを云々している場合ではありません。 でもゆっくりしていると、餡子の重さに負けて、持った処から千切れてしまいます。 だから慎重に、そして素早く事を運ばねばなりません。 それからぐっと息を止めて、匂いを分からなくして・・・ 睨むように桜餅を凝視しながら、あれやこれや戦略を練って小半刻――。 「剥がしてやるって云ってんだろうっ」 横から、焦れた短気な声が飛びました。 「だめなのですっ」 「いつものように、俺と半分づつ喰えばいいだろうっ」 潤んだ瞳に見上げられても訳が分からず、土方さんの声は尖ります。 「まぁ待て」 と、そこに、悠長な物言いで、近藤先生が割って入りました。 「歳よ、そう怒るな。宗次郎は大人になりたいのだ」 「大人だと?」 「そうだ、大人だ」 「それと桜餅と、どう関係があるんだ」 「桜餅の相反する甘さと塩気は、奥が深い絶妙な味だ。いや、人生の苦労を重ねた大人だけが知る、渋さと云って良かろう。今宗次郎は、その奥儀を知ろうとしているのだ。大人になろうとしているのだ・・」 厳つい顔が、己の推量に間違いは無いとばかりに、満足げに頷きました。 「・・大きくなったな、宗次郎」 そして声を湿らすや、ぐっと嗚咽を堪えた近藤先生は、熱くなった目頭を、太い指で押さえたのでした。 その様を、暫し呆気に取られて見ていた土方さんでしたが、やがて、阿呆か、と口のなかで呟くと、庭に目を向けました。 ところが。 愛弟子の事情は、土方さんとは、ちょいと違ったようで。 「・・・おとな」 ほんのり桜色の宗ちゃんの唇から、ぽろりと小さな声が零れるや、虚ろな瞳が桜餅に移されました。 そうなのです。 宗ちゃんは、一日も早く大人になりたいと願っているのです。 そうすれば土方さんに、土方さんが遊び歩いている女の人と同じ位には見てもらえるのではないかと、そんな希をいだいているのです。 そして近藤先生の言葉は、その辺りの切ない心情を、いとも無責任についてしまったのでした。 しかも桜餅の味に、なぞらえて。 罪作りな師匠に、思いこみの激しさだけは天下一品の愛弟子。 塩漬けのしょっぱさと、餡子の甘さが絶妙に混じり合った、と、その時。 宗ちゃんが、踊るように前に出たと思うや、目にも止まらない早さで桜餅を手に取り、そして・・・。 「宗次郎っ」 近藤先生の叫びに、土方さんが視線を戻すと、そこには。 白い喉をごくんと上下させた宗ちゃんが、ゆっくりと前かがみに倒れて行く姿が。 「おいっ」 咄嗟に伸ばした腕の中に沈む、薄っぺらな身。 「宗次郎っ」 宗ちゃんの瞳に、すさまじい形相の土方さんが映ります。 けれど何だか息が苦しい気がして、宗ちゃんは理由を聞けず、そっと瞳を閉じました。 「吐き出せっ、息が詰まるっ」 土方さんの声は、益々必死を帯びてきます。 でも死に物狂いで上った、大人への階(きざはし)。 例え土方さんの命令でも、はいそうですかと、簡単には下りる訳には行きません。 「吐き出せっ、宗次郎っ」 ――声は段々に遠のいて行きます。 それがどうしてなのか分からないけれど、朦朧として来た頭の中で、宗ちゃんは、まるで塩漬けの葉に包まれた餡子のようなシアワセを噛みしめていました。 |