嘘〜土方編〜


                                      真琴



冬を思わせる冷たい風が吹きぬける廊下を俺は急いでいた。
黒谷での会合が思いのほか長引いたのだ。
俺の帰りを待つ総司の優しい笑顔を見るために、まっすぐ総司の部屋に向かっていた。
だがぴったりと閉まった障子の向こうから酷い咳が聞こえた。
「!」
息付く暇もないような酷い咳に思わず障子を開ける。
見つめる先に、布団の中で突っ伏す小さな盛り上がりと、その布団越しに見え隠れする赤い血溜まりが見えた。
「総司!」
先に寝ていろという俺の言葉に素直に従ったものらしい。
考えてみれば、どんなに先に寝ていろ、と言っても俺が戻るまで起きて待っているのが常だった総司が、横になっていることじたい異常なことだ。
それほどに体調が悪かったということなのだろうか?
背中を震わせて咳き込むたびに大量の血を吐く。
手拭いで口元を押さえても、ごぼりと溢れ出る生暖かい血はすぐにそれを濡らした。
大量の喀血。
悪夢は再び総司を襲ったのだ。
俺は止まらない咳と血を吐く苦しさに涙を流す総司の口元を押さえ、痩せた背中をさすってやる以外何も出来ない自分の無力さに憤るしかなかった。
ようよう息が吸えるようになると、総司は幾度か深く息を吸った。
そして俺を見上げると小さな笑みを浮かべ、
「この…あい…まで――何とも、…かったのに……」
そう告げた。
「……」
俺はそんな総司を見ていられなかった。赤く染まった手拭いを放り捨てると総司の頬を濡らす涙を舌で拭った。
小刻みに震える細い身体は喀血後の発熱のせいか…。
それでも俺は総司を強く抱き寄せた。
「なんともねぇよ……」
「―――いや…」
何に怯えたのか痛いほどに俺の腕をきつく握り締め、総司は不安に駆り立てられるように必死にしがみついてきた。
だが一瞬にして力は失われ、弛緩した腕は持ち上げることも叶わなかった。
「ま…だ……」
「当たり前だっ」
戦慄く唇が先を紡ごうとするのを制し俺は声を荒げた。
「何を弱気になってる?これっぽっちの血を吐いたぐらいでくたばるつもりだったのか?
おまえはそんなに弱い奴じゃねぇはずだろっ!!」
病人に対して言う科白じゃないのは承知している。
「おまえは……」
言葉が続かなかった。


俺と同じ修羅の道に身を投じて、俺の想いを受け止めて、俺と共に生きるんじゃなかったのか?


「病なんざ気のもんだ。しっかり飯食って田坂さんから貰った薬飲んでりゃすぐに快くなる」
一番言いたかった言葉を胸の裡にしまいこみ別の言葉を言った。

容易に見抜ける嘘と分かっていても…

言うしか術がなかったのだ…。
言って…抱きしめた……。
抱きしめていなければ、すぐにでも消えてしまいそうだった。
だから………



「総司…そう…」
燃えるように熱い身体に唇を押しつけて、俺は総司の白い肌に赤い跡をつけていく。
胸の唯一の彩りを口に含むと舌で丹念に舐めていく。
「…っ!」
愛撫を施される身体はびくんと震え、与えられる刺激に過敏な反応をしめす。
朦朧となる意識を無理に押しとどめ、快楽の海に堕ちていく。
呼吸がついていかない……
胸が…痛い……
険しく眉をよせた表情から、俺は総司の言わんとすることを読み取った。
だが、一度走り出した欲望は止めようがなかった。
可哀想だと思う。
高熱に震えながら俺の愛撫に応えようとする総司が愛しい。
だがそれ以上に……


総司を失うことが……恐かった……。


「まだ…だ。総司…、おまえは…死なねぇ……」
乱れた髪の間から覗く耳元で囁く。
「まだ……」
自分の声が、こんなに情けないものだとは思わなかった。
今にも泣きそうに聞こえた。
必死に縋りつく腕をはずして、総司の両手が頬にあてがわれた。
「ま…だ…?」
「ああ。おまえは…俺と、生き……」
熱く悶え、そこにいる俺をきついほどに締めつけてくる内部に酔いながら、俺を見上げる瞳を見つめながら呟く。
「ぁああ――――!!」
掠れた悲鳴を上げ総司は果てた。
俺の手のひらに、快楽の証を放出して…。
俺も、総司の中に欲望を限りを放った。
俺は繋がったまま、気を失った総司の上に崩れるように圧し掛かった。
耳元で聞こえる高熱に喘ぐ呼吸が胸に迫る。



残された時間は、いったいどのくらいなのか。
計れるものならば、足りない生命を足してやることもできるのに……。



意識を手放し、弛緩した身体から離れることは容易いことだった。
だが俺は総司の中から離れたくなかった。
中にいれば、欲望が再び頭をもたげることを知っていたから――――動かなかった。

そして――――

東の空が白々と明けるまで、総司を求めて貫き続けた。
横たわる意識のない恋人のそこは完全に緩んでいて、離れることに抵抗はなかった。
ただ、惜しむように、小さく腰が揺れただけだった。
俺が離れた瞬間、零れ落ちた、愛欲の名残。
いつまでも、なくなってくれるな、と願う。
総司の時間が止まっても、
いつまでも…俺の…
俺一人の総司であるように…



俺の勝手な望みを、その白濁した名残に託した。



残酷なほど散らされた赤い刻印を刻まれたこの白い肌の持ち主は、今は深い闇の中にいる。
この闇から醒めるまで、俺がついた嘘を塗り固めなくてはならない。
放り出され、どす黒く変色した、禍々しい悪夢の色と共に。



真っ白の寝間着を着せて、敷き直した真新しい布団に横たえる。
唇に耳をよせ、その小さな呼吸音と吐く息の暖かさ、穏やかさに安堵する。
掠め取るように軽く口づける。
もう少しこのままという思いに囚われるが、そうはいくまいと首を振る。
この高熱と喀血の量を考えれば答えは一つしかない。
「田坂さんに使いでも出す…か」
そう呟いた俺は、眠る総司の頬に触れてから部屋をあとにした。





                                                  終





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