落つる日にも似て



「寝てなくて大丈夫なのか?」
木刀を抱えるように壁に凭れ外を眺める背に低く甘い声をかける。
緩慢な動きで振り向く、笑みさえ浮かべる青白い顔に概視感を覚える。
「今日は、気分がいいから……」
袖から覗く白く細い腕。乱れた裾から見え隠れするしなやかな足。
そのどれもが土方を不安にさせる。
「さっき、久しぶりに、素振り…したんです」
天然理心流独特の太い木刀。慣れ親しんだ感触を愛しげに見つめる顔に自嘲の笑みが浮かんでいる。
「昔は百まで振っても何ともなかったのに、十数えると息が切れて…、二十も振らないうちに、木刀を落としてしまいました」
胸に巣食う宿痾は、少しの猶予も許してくれない。
霧雨の翌日に血を吐いて倒れて以来、総司の病状は日を追って悪化しているように思う。
本当は身体を起こしていることさえ辛いはずだ。
なのに素振りなど……
気がつくと土方は総司を抱きしめていた。
抱きよせた身体の細さと吐き出される荒い呼吸。
土方を不安にさせる材料はいくらでも揃っている。
だが、今ここで土方が気弱になるわけにはいかない。
目の前の愛しい男に縋るわけにもいかない。
「大丈夫…すぐに……」
聞き逃しそうなほどに小さな声だったが、視線を巡らせた先にある笑い顔は、
いつも土方のささくれだった心を柔らかく包みこむ、総司独特の笑顔だった。
互いに静かに見つめあい、どちらからともなく口づける。


「明日は出立でしょう?」

「ああ」


土方は新規隊士募集のために江戸へ向かう。
準備に追われ忙しいはずの土方に余計な心配はさせたくない。


だがなぜだろう。


今日はひどく人恋しい。


土方が


恋しい…


「そんな瞳で見るな」
「…え」
「分かっている」
ふいに零れた土方の言葉。
「今夜は、おまえのそばにいる」
「……」
「もう少し我慢してくれ」
おどけた土方に総司は小さく笑った。
まだ天道は高い位置にあり、障子を通して明るい日差しが差し込んでくる。
名残惜しげに見つめあう二人は、啄ばむような口づけを交わした。
入って来た時と同じように静かに障子を閉める土方を、総司は瞬きもせず見送った。



土方の気配が遠くなると、総司は部屋の中央に敷かれた布団に力なく身を投げた。
胸が痛い。
意識が遠のく。
このままでもいい。
少し眠れば、夜には土方に会える。
あの力強く優しい腕に抱かれて、快楽の海へ共に堕ちることができる。

「もう少し……待てば…」

小さな呟きは声にならず、唇の中で淡く溶けていく。
総司は目を閉じ、引き込まれるように眠りの底へと入っていった。



「…総司?」
心配気に覗きこむ秀麗な貌に笑みを返すのが精一杯だった。
自分の中で弾ける土方の欲望に応え、それでも足りないとでも言うように細い腕で土方の首に縋る。
「…ひっ…」
官能の嵐が去ってからも掠れた声で土方を呼び、土方の瞳に自分を写して微笑む。
「心配するな。すぐに帰って来る」
きょとん、と首を傾げて見上げる濡れた瞳は扇情的だった。
「おまえがいるから必ず戻る。だから……」
待っていろ、と。
病など治して俺の帰りを出迎えろ、と。
多くを語らない土方の瞳が言っていた。
「……」
総司は小さく頷くことで応えた。
言いたいことは百万語もあるのに、潤いを失った掠れた声では、その万分の一も伝わらないとでも言うように、ただ頷く。
土方も掠れた声の責任を感じているのか、それ以上の答えは求めてこなかった。

ただ

ほっそりとした身体を、力強く抱きしめた。



天空に浮かぶ月が西へ傾く頃。
総司は静かに起き上がり、隣で眠る土方を見つめる。
胸の奥からこみ上げる熱いものを堪えるように両手で口を覆う。


今日は土方の出立の日なのだ。
後ろ髪を引かれるような見送りはできない!


必死な総司を嘲笑うようにこみ上げるものは止まらない。
少しでも口を開けば、そこにあるものすべてを赤く染めてしまう。



そんなこと!…できない…



総司はなるべく音をさせないように立ち上がると部屋を出て行った。



「歳っ、頼んだぞ!!」
「ああ」
式台に立つ幼馴染の声に凛とした返事をする。
その幼馴染の隣に控えめに立っている恋人に視線を投げる。
「いってらっしゃい」
近頃では結い上げることのなくなった黒髪をなびかせて笑みを浮かべる総司。

熱く見つめあい視線を絡めて……

土方は、背を向けた。

最後尾が見えなくなると同時に、総司の身体がグラリと揺れた。
「総司っ!!」
咄嗟に支えた近藤の腕の中で総司は意識を失った。



容赦のない高熱は総司から体力を奪い、帰営した土方を病床で迎えた。
土方は何も言わず、深い哀しみを映した瞳で総司を見つめ、壊れ物でも扱うように、優しく抱きしめ続けた。







                                         終






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