慈しみに似てなお言葉足らず
                  愛しきに似てまだ遠く足らず
                  或いは焦燥に似て
                  時に切なさに似て
                   此に在りて確かに胸騒がすもの
                  その何たるかを・・・
                  我は未だ知らず







                  1000御礼   m-shottさまへ



                   雪 圍 −yukigakoi− 壱







「宗次郎」
まるで声を掛けられるのを知っていたかのように、すぐに薄い背は振り向いた。
「何処に行く」
日暮れて、少し顔貌(かおかたち)が分かりずらいのか、土方は鬱陶しげに目を細め、足を止めてそこに立ちつくしている宗次郎を見た。
勾配のきつい坂を、一気に駆け下りてきたのだろう。
宗次郎の唇から漏れる乱れた息が白く濁る。

「味噌が足りなくなって・・」
そんなことすら嬉しそうに告げる少年の稚気に、だが土方は端正な顔を曇らせた。
「誰か他に使いに出る暇な奴はいるだろう」
「みんなお酒が入ってしまって」
「酒に呑まれる奴等でもあるまい」
言いながら、自分の不機嫌を不思議そうにしている宗次郎を見ていれば、土方の苛立ちは抑えようも無く益々つのる。
如月も終わり近くに吹く風は、まだ肌を凍てつかせる程に冷たい。
幾分青みかかった宗次郎の白い頬に触れても、すでに温もりは無いだろう。

年が明けて宗次郎も十七になった。
もう少年と言うには似合わぬ年齢なのかもしれないが、それでも灯ともし頃に、強い風の中を独り行く姿は、土方にはひどく頼りなげに寂しく映る。
酒宴に昂じる者達に、悪意の無い事は十分に承知している。
それでも宗次郎一人が寒風の中に居ることに、土方は無性に腹が立っていた。
それは己に問うて応えの望むべくもない、理由の付かない憤りだった。


「今日はおつね様のご実家からお酒が届いたのです。それでみんな早くから・・」
「飲み始めたのか」
舌打ちすらしかねない、土方の苛立ちがどうにも分からず、宗次郎は戸惑ったように瞳を翳らせた。
「・・・味噌はすぐそこで買うことができるから」
躊躇いがちに告げた声が、何故か言い訳じみて小さくなった。
「近藤さんも一緒か?」
ゆっくりと頷いた小さな顔が、不安に彩られて更に蒼い。

「お前を怒っているのではない」
少年の心を意味無く脅した己の大人気なさに、土方は漸く気がついた。
宗次郎は、黒曜石の深い色に似た瞳を瞬きもさせず、ただ土方を見て動かない。
安堵するにはまだ言葉が足りないのだろう。
「一緒に行ってやる」
だがこれ以上掛ける言葉を知らない。
己の不器用さに諦めにも似た息をひとつついて、土方は仏頂面のまま身を翻すと歩き始めた。
突然の気紛れな挙措に、驚いて瞳を大きく見開き暫し立ち竦んでいた宗次郎だったが、広い背が自分を置いてずんずん先に行くのを見ると、駆けるようにして慌てて後を追い始めた。

「橋本様のお婆様の具合はどんなでしたか?」
「年寄の我侭だ」
にべも無く言い切る無愛想な応えに、やっと宗次郎が小さな声を立てて笑った。
「何が可笑しい?」
「だって土方さんはいつもそうだ」

小野路村の名主橋本家は、土方の祖母の実家にあたる。
その縁以上に、何処か気に入るところがあるのか、小野路村に行けば土方はこの家に暫らく滞在して過ごす。
最近では日野辺りの門弟を纏める立場にいる土方だったが、今回は橋本家当主道助の母が持病の腰痛で臥せっていると聞き、出稽古の帰りに見舞いに寄ったが為に、江戸に戻るのが二日ほど遅れた。
出かける前に、どうせ年寄りの駄々だろうとあしらってはいたが、どうして二日も泊まりこんでいたところを見れば、憎まれ口を叩きながらも、歳も多い老人の体を案じていたに違いない。
だがそれを決して表に出す男ではない。


「・・もうずっと居るのですか?」
躊躇いがちに聞いた言葉の意味する処が試衛館だとは、言わずとも分かることだった。
「当分はな」
「そう言えば近藤先生が、土方さんは最近出稽古に行くのを嫌がっていると言っていた」
遅れをとるまいと足を急がせながら、嬉しそうに語る宗次郎を土方は振り向きもしない。
「日野に帰れば煩わしいだけだ」
「・・・煩わしい?」
何気ない一言に、ふいに宗次郎の声の調子が落ちた。
それは忘れてしまいたくとも出来ない、ずっと胸に残っているしこりのせいだった。
「縁談の話・・まだあるのですか・・」
覆い始めた薄闇の中で、夕にしぼむ花のように小さく、俯いた宗次郎の細い項が朧に白く浮かんだ。


昨年の春、師の近藤が嫁を娶った。
これを良い機会とばかりに、土方の元にも当人の意思とは関係なく、身を固めるようにと身内の者から縁談の話が幾つか持ち込まれた。
そんな事情を、複雑と言うには生易しすぎる思いを抱いて見ていた宗次郎だった。

一年前と同じ頃ふとした切欠で、土方を慕うという対象以上の存在と気付いてしまってから、宗次郎は息を詰めるように慄き怯える日々を過ごしている。
土方の行く先が白粉のする処だと知れば、胸を火箸で刺されるような痛みが走る。
夜更け、或いは夜明けて帰って来るまで、身じろぎもせずに神経を張り巡らせて、夜具の中でじっと待っている。
その間苛まれるのは、自分でも目を背けたくなるような激しい嫉妬だった。

土方が自分以外の誰かと楽しげに言葉を交わすのは嫌だった。
馴染みの女と肌を重ねる事を思えば、息が止まりそうに辛かった。
あまりの胸の苦しさに、身体を起こして眠れぬ夜を幾つ明かしたのか・・・
もう数えることもできない。


「当分治まりはしないだろうさ」
急に寡黙になった宗次郎の様子を、訝しいとは思いながらも、土方は歩を緩めずまだ下りきっていない坂を更に先へと進む。
「・・・土方さんは・・」
遅れがちになっていた足音が、掛かった言葉とともに遂に止まる気配に、漸く土方が立ち止まり振り向いた。
そこに地に足を捕われてしまったように動かない、宗次郎の少し蒼い顔があった。
「どうした?寒いのか?」
それに微かに首を振っただけで、まだ唇は言葉の形を結ぼうとはしない。

長くなったとは言え、傾けば呆気ない程に落ちる日の代わりに、夜の帳(とばり)は冷気だけを肌に纏わせる。
剣の天稟と引き換えに天が与えた宗次郎の脆弱な肉体は、誰もが懸念しているものだった。
袖や袴の裾から出ている、容易く手折れてしまう細い枝のような手首や足首が、吹く風に容赦無く晒されている様に、土方は眉根を寄せた。

「お前はもう帰れ、味噌は俺が買って行く」
「一緒に行きます」
土方の憂慮を感じ取って、慌てて紡いだ言葉と共に、頬に乗せた笑みが意思に違えてぎこちなくなった。

本当は叉見合いをするのかと、聞きたかった。
いつか所帯を持ち、此処を離れてしまうのかと、聞きたかった。
否、もっと激しく問い詰めたい。
見合いなどするなと、自分の傍を離れないで欲しいのだと、そう懇願したかった。
だがそれらを全て胸の裡に仕舞い込んで、宗次郎は土方の前を足早に通りすぎた。
少しでも横を見れば、身につけている物の端が視界に入れば、そのまま立ち止まり土方の腕を掴み、必死に抑え込んでいる想いが言葉になって溢れ出てしまいそうだった。

そんな宗次郎の様子を些か持て余し、自分から遠くなってゆく小さなうしろ姿を見ていたが、少年の心に在るものを探り当てられぬまま、やがてゆっくりと土方も後を歩き出した。




「遅かったな」
表口ではなく勝手口に直接に回ると、出迎えたのは意外にも近藤だった。
まだ幼さの消えない愛弟子の帰りを案じていたらしく、戸口を開けて入って来る姿を見ると土間まで降りてきた。

「歳も一緒だったのか」
後ろに土方の姿を見止めると、強面に似つかわぬ人好きのする笑い顔になった。
「其処で一緒になった」
返す応えは相変わらず愛想が無い。
「それでは心配は要らなかったな」
そんな事には頓着無しに、近藤は機嫌が良かった。
「心配?」
だがその一言を聞き咎めて、土方が繰り返した。
宗次郎も不思議そうに見ている。
「近頃ではこんな場末の道場にも、何のかんの言って難癖を付けてくる不埒な輩も多いからな。それを返り討ちにされて恨みに思っている奴もいるだろう」
最近の世情の慌しさに、小さな町道場にもその手合いの者は引きもきらない。
そして逆に叩きのめされた屈辱を、闇夜に紛れて卑屈な手段で返そうとする人間もいる。
近藤の危惧は其処の辺りにあったようだった。

「今日来た奴も、名は何と言ったか・・どうにも気になってな、それであまりお前が遅いので、何かあったのではないかと案じていた」
「・・堀内さんと、言っていた人のことでしょうか?」
中々出てこない師の記憶を助けるように、宗次郎が代わりに応えた。
「誰だ、それは」
「手合わせを願いたいと言って来て・・・」
その時を思い出す思考に気を捉われたのか、宗次郎の声は最後まではっきりとは続かなかった。
「道場破りか」
土方の言葉尻が強くなった。
「いや、道場破りとも違う。最初から最後まで礼は欠かさなかった。あんな道場破りはいないだろう」
だが近藤の顔には、それが相手に対しての好意ばかりとは受け取れない何かを含んでいた。
「で、誰が立ち合った?」
「私です・・」
それまで二人の会話を黙って聞いていた宗次郎が、やはり小さな声のまま応えた。
「お前が?」
不審に問う土方に頷いた宗次郎の、後ろで結い上げた髪が心元無く揺れた。


幼い頃からその片鱗を見せてはいたが、ここ二、三年の宗次郎の剣の上達には誰もが目を瞠っていた。
そんな弟子を、近藤は滅多に外には出そうとしなかった。
その近藤の心裡を土方は、純粋に天然理心流という流儀を継がせる者への配慮として受け止めていた。

「何故お前が?」
それ故、疑問は近藤に直截に向けられたものだった。
「他に誰も居なかった。俺が立ち会うつもりだったが、相手が宗次郎を名指した」
「宗次郎を?」
途端に土方の声が低くなった。
「それは出来ないと流石に断ったが、九貝殿の名を出してきた」
「九貝?」

九貝因幡守正典はこの試衛館から、ほんの数間行った処に屋敷を構える大身の旗本で、幕府講武所の初代頭取でもあり、一旦退いた後も再び復帰し、長いことその運営に係わっていた。
隠居した今も与える影響力は衰える事無く、講武所の教授陣に名を連ねる為に、九貝屋敷には訪問客が途絶える事が無い。


「九貝殿から試衛館の事を聞き、宗次郎と是非一度立ち合いたいと思い足を運んだと、そう言出だした」
九貝程の人物であっても、すぐ目と鼻の先に居を構えれば、取るにも足りぬ貧乏道場とはいえ、その存在位は知っていると事は想像できる。
だが宗次郎の名まで聞き及んでいるとは、考えにくかった。

「・・・八郎さんが・・」
土方の沈黙が不機嫌と誤解したのか、宗次郎が戸惑いがちに声を掛けた。
「伊庭が?」
「伊庭君が九貝殿に一度世間話のついでに言ったのを覚えていて、それから今日来た相手・・堀内という名だったな・・確か。その人間に伝わったそうだ」
心形刀流の次期後継者と目され、今は亡き実父、養父共に講武所の師範をしている八郎ならば九貝との面識もあるだろう。
有り得ない事も無い。
「いつも余計なことだけは忘れん奴だな」
最近では遊び仲間にもなった八郎のことをそんな風に言って、土方は少しばかり眉根を寄せた。

「それでお前は勝ったのか?」
大よそ言葉通りだと確信していた土方に、意外にも宗次郎は首を横に振った。
「いや、負けたという訳ではない。互いに一本ずつを取り三本目に入る前に、堀内とういう人間が竹刀を引いた」
何と応えて良いのか思案に暮れている宗次郎に代わって、近藤が後を続けた。
「どういうことだ」
土方の端正な面に、一瞬険しい色が走った。
「自分の負けだと、良い勝負をさせて頂いたと、そう言って向こうから頭を下げた」
応える近藤も又、その時の状況を思い起こして、どこか腑に落ちない風だった。

「・・・けれど」
まるで居るのか居ないのか分からないように、薄暗い土間の隅にひっそりと立っていた宗次郎が初めて自分の意志で口を開いた。
「もしもあの時続けていれば、あの人が勝ったのに・・・・」
如何にも頼りなげな十七歳の少年の言葉の中に、似つかわない強い調子で一瞬滲んだのは、宗次郎の剣士としての研ぎ澄まされた勘に裏づけされた確信だった。

「お前にわざと負けたと、そう言うのか?」
素直に頷く宗次郎に、近藤が穏やかな双眸を向けた。
確かに近藤自身にも堀内という人間が、宗次郎の上を行く技量の持ち主だと云う事は分かっていた。
が、それは宗次郎のまだ浅い経験との差によるもので、今は仕方の無い事だと思っている。

「堀内・・・下の名は何と言った?」
暫く何かを考え込むようにしていた土方が、少し低めの声で問うた。
「さて・・・堀内とだけしか。お前は何か聞いているか?」
腕を組んで聞く近藤の視線に、宗次郎は又小さく首を振った。

煤がこびり付いた黒い柱に掛かけられてある蜀台の蝋燭が作る灯りの中で、三人がそれぞれの思惑の内にいる時、それを無遠慮に邪魔する足音が聞こえてきた。


「何だ、土方さんも帰って来ていたのか」
屈託の無い声は、一年程前から此処に居候を決めている永倉だった。
「生憎な」
「とんと愛想のねぇ奴だね、あんたも」
憎まれ口を叩きながらも、わだかまるものが無いのは、この男の人柄の所為なのだろう。
「今日来た堀内という人間を知っているか?」
話の前後を省き、その時その場に居なかった事を承知で、敢えて土方は永倉に問うた。
松前藩を脱藩し、斉藤道場で神道無念流を納め、尚且つ坪内主馬の道場で心形刀流を会得し、師範代までつとめていたこの男の顔の広さならば、今日あった出来事を聞いて、或いは堀内という男に心当たりがあるやもしれないと、土方が下した判断だった。

「宗次郎と互角の勝負をしたって奴だろう?」
案の定、永倉にはすでに事情は通じているようだった。
「分からなねぇな。何処でも強い奴なら大概噂には上るが・・・世間はそれ以上に広いからな」
言いながら宗次郎に向けた眼差しに、まだ世の中の何たるかを知るはずも無い少年への慕わしさが籠められていた。。
「それより宗次郎が蒼い顔をしているぜ。何も好き好んでこんな寒いところに居るこたぁねえだろうよ」
言われて改めて宗次郎の顔を見れば、外から戻って一度も暖を取ることができていない身体が小刻みに震えている。
今までそれにすら気づかなかった事に、土方の胸に己への苦い咎が広がる。
「宗次郎は今日は早くに休め。いろいろと慣れぬ出来事で疲れたろう」
その様子を見て、労わる近藤の声にも些か不安の色が混じった。

だが宗次郎は其処を動こうとしない。
ただひたすらに土方を見ている。

「どうした?」
頑なに口を閉ざした少年の心を引き出してやるように、土方が声を掛けた。
「・・・土方さん・・今夜は」
それでもまだ言葉にするのを躊躇って、黒曜石の深い色に似た瞳が揺れていた。
「もう出かけはしない」
全部を言わせる前に、土方の方から応えた。
それが耳に届くと、漸く宗次郎の瞳から落ち着かない色が消えた。


先回りした応えのもたらせた結果が、己の勘と寸分も違(たが)わなかった事に、土方は心裡で苦笑した。
最近、特にここ一年程の宗次郎は、感情の起伏が大きい。
敢えて言葉にするならば、それまで穏やかであったものが、木をくべられた途端、焔の勢いが一瞬強く熾るような、そんな様にも似ていた。
それほど激しいものでありながら、だが宗次郎は決して表には出さず、むしろ内に籠めるように酷く寡黙になったり沈んだりする。

それが何に由来するものか、未だ解き明かす事はできずにいる。
或いは少年期にありがちな不安定な情緒が為せる、一時的なものなのかもしれないと、そう思えないでもない。
が、それとも違う掴み処の無さに、土方も又困惑していた。
そんな宗次郎の傍らになるべく居てやりたいとは思うが、土方自身も己の行く末が見えず、ともすれば日々を苛立ちと焦りの内に終え、その余裕を忘れる事が多い。

だがこうして近藤に促され、酒宴の賑やかな席に交わる事無く、独り自分の部屋へと向かう頼りない背を見ていれば、胸に何とも切ないものがある。
宗次郎一人の孤独を受け容れてやれない今の自分の不甲斐なさを罵倒したい思いで、土方は暗い廊下の先に消えて行く姿に視線を縫いとめていた。


「堀内・・・、今日来たという奴だが、その人間に関すること、少し教えて欲しい」
宗次郎の姿の全部が見えなくなると、捉われていた一切の感傷を打ち捨てて、土方が永倉を見た。
「調べろ、と言うのか?」
冷えるばかりの台所に居る事に閉口し、そろそろ腰を上げかけていた永倉が応えて笑った。
「明日はどのみち九段へ行くつもりだった」
土方の言葉に是否は返さず、ゆっくりと立ち上がった。

九段とは、斉藤弥九郎の神道無念流道場のことを言う。
今勢いのある斉藤道場に行けば、大方の情報は得る事ができる筈だった。
それが永倉の、土方への応えだった。

多分八郎に聞いた方が早いのだろうが、その堀内という人間に関する事柄を、ひとつでも多く土方は欲していた。
それは宗次郎と結びついて、どこか胸を騒がす勘だった。

「あんたが気になるのなら、それは多分当たっているだろうよ」
言い置いて向けた永倉の背を、土方は見るともなしに視界の端に入れながら、今頃建物の一番奥の狭い室に火を熾し、暖を取り始めているであろう先程の宗次郎の憂い顔を思っていた。



朝起きて出て行ってしまって、今日は一度も戻って来る事は無かったから、室の中は闇に全てを隠してしまい、主すら拒むように深閑と静まり返っている。
踏みしめる畳は廊下の板張りよりも、湿り気を帯びた分だけひんやりと冷たい。
急いで入れた行灯の火が、漸く辺りのものの影を映し出すと、宗次郎はひとつ息をついた。

土方にあんな事を聞くつもりは無かった。
今夜は何処にも行かずに此処に居るのかと、そう問い質したかった心の先を読んでしまわれるような顔を、自分は土方に向けていたのだろうか。
あそこには近藤も、永倉もいた。
もしそうだとしたら、そんな自分を見て二人ともおかしいと思わなかっただろうか。
心に在るものを知られてしまったら、もう此処には居られない。
なにより・・・、土方に嫌われる。

宗次郎は突然背筋を襲ったものを、両の腕で自分を抱えるようにして堪えた。
それは寒さから来るものではなかった。
万が一にも知られてはならない土方への想いを、無防備に晒してしまった事への戦慄だった。

「・・誰にも・・言ったら駄目なのに・・」
唇を動かしただけのような微かな呟きは、自分自身へと向けた強い戒めだった。

身じろぎしない宗次郎の影を、行灯の中で微かな風に靡く焔が、まるで心そのもののように時折小さく揺らした。




冬の朝の凍てつきは、余分なもの一切を削ぎとってしまうように鋭く、それが所為か、色あるものはよりくっきりとその鮮やかさを増す。
結局眠りにつくことが出来ず、明け方近く漸くうとうととし始めた為に、いつもよりはずっと寝過ごしてしまった。
だが慌てて井戸へと向けていた宗次郎の足が、其処に行き着く前で止まった。

まだ雨戸は閉められたままだが、この戸の向こうに土方は眠っているはずだった。
昨夜は確かに何処にも出かける気配は無かったが、それでも姿が見えなければ一時も安堵できない不安に駆られる。
雨戸に近づこうと動きかけて、すぐに怯えたように止める。
心の衝動そのままの行為を繰り返していた幾つ目かに、内からやや乱暴な音とともに戸が開いた。


「何をそんなに驚いている」
大きく瞳を見開いて、まるで凍りついたように動かない宗次郎を、土方が呆れたように見下ろしていた。
「・・急に戸が開いたから」
胸の皮膚すら破りかねない心の臓の音の大きさを必死に叱かりつけ、それを隠す為に浮かべた笑みが硬く強張った。

「今日、伊庭は来ると言っていたか?」
「・・・八郎さん?」
首を傾げる宗次郎に、土方が苦笑した。
「聞いていないのならいい」
「八郎さんがどうかしたのですか?」
ふいに胸の裡を乱したざわめきは、八郎とともに土方が今夜出かけてしまうのでは無いのかと、そんな憶測がさせたものだった。

土方が八郎と女遊びに行く背を見送るのは、生身を切り刻まれる程に辛い。
白粉の匂いをさせて帰ってくるのを迎えるのならば、いっそ息を止めてあの世に渡ってしまいたいと思う程に苦しい。


「少し聞きたいことがあったが・・そのうち来るだろう」
「昨日の人のことですか・・?」
問うた声が、まだ拭えぬ自分の猜疑を恥じるように小さかった。
「お前が案ずる事は無い。・・大方ただのひやかしだ」
宗次郎の心の有り様を知る筈も無く、土方の応えは堀内という昨日の人間の事で終始した。

「伊庭が来たら起こしてくれ」
まだ眠りが足りないのだろう。
それだけを言うと、土方は又室に入り込んだ。



白い障子が隙無くぴたりと閉じられても、宗次郎は暫らく其処に足を止めたままだった。
動かぬ身に、冷気が土から這い上がってくるように身体を覆う。
諦めを付けられず、駄々をこねる心に流されている自分を諌めて漸く踵を返そうとした時、ふと縁の下にある、土とは少し違う色合いに目が行った。

それは地から出てはいるが、すでに先に伸び行くはずの茎は力を無くし、今にも崩れ折れそうに頭を垂れている。
葉はすでに枯れ、土と同じ色を為し、一吹き風を送れば敢え無く千切れ、何処へか舞い行くだろう。
宗次郎は足音を殺して忍ぶように五寸にも満たない枯れ草の傍まで行くと、膝を折り屈み込んでそれに触れた。


縁の下だったからこそ、この枯れ草は雨露も雪も凌げ、今日まで姿形を留めていることができたのだろう。
過ぎて行った季節に咲かせた花はどんな色をしていたのか・・・・
それすら知らない。
自分の中にある土方への想いを垣間見てしまってから、心穏やかでいられる日など一日も無かった。
移ろいゆく日々の中に、憩う間など一時たりとも有りはしなかった。
躊躇うように伸ばした指が乾きすぎた葉に触れると、まるでそうしてくれるのを待っていたように呆気なくそれは地に落ちた。

その様を宗次郎はぼんやりと見ていた。
落ちた枯葉は其処に留まることすら許されず、すぐに風が浚った。

この葉のように、いつか誰かがこの苦しく切ない想いを止めてくれ、まるで何もなかったかのように土方の傍らで過ごせる日が又やって来るのだろうか・・・・。
否、そんな時などやって来る筈が無い。


瞳に映していたか細い茎が、ふいに滲んだ。
零れ落ちる前に拭おうと、慌てて手の甲を持っていったが間に合わず、瞳から溢れた露は頬に伝わり首筋まで流れ落ちた。
見苦しいと、どんなに叱っても一度堰を切って出たものは止まらず、もうどうすることも出来ず、宗次郎は折っていた両膝に伏せるようにして顔を隠した。










               きりリクの部屋     雪圍(弐)