潦 -niwatazumi-
(弐)




 今通りすがりに軽い会釈を交わしたこの村の者の顔に、何処かぎこちなさが有ったのは、自分達の存在を迷惑がっている証しなのだと知る山南の面に、仕方無しの苦笑が浮かぶ。

 まだ雪も融けやらぬ頃合に草鞋を脱いだ郷士屋敷の家人達は、清川八郎と袂を別つた芹沢鴨、近藤勇を中心とする残留組に、結局そのまま母屋を提供し続ける事になった。
それがこの郷士達にとって、経済的にも精神的にも大変な負担を強いていると承知しながら、しかし此処を動こうとしない自分達の傲慢さには、流石に決まりの悪さは拭えない。
が、他に術が無いのならば、今はこうして居座る他無いのだと――。
早々に開き直るふてぶてしさに、己の面の皮もずいぶん厚くなったものだと、山南は肩頬だけを歪めて笑った。

そんな事を思いながら、煙る雨の中、其処だけが闇を深くしている黒い門を捉えた山南の目に、突然、小さな灯りが飛び込んできた。
それが提灯の灯だとは容易く判じられたが、手にしている初老の人間に覚えは無く、不審に思い目を凝らすと、今度はその奥から、これは見紛うこと無い、井上源三郎が追って出てきた。
二人とも山南には気付かず、そのまま何やら一言二言立ち話をしていたが、やがて白い被布を纏った見知らぬ者は、井上の丁寧な見送りを受けると、前に傾けた傘に顔を隠し、此方に向かって歩き出した。

 玄関から門まではそう長い距離では無かったが、共に傘を差しての道は歩きにくく、擦れ違いざま、身を脇に寄せて先を譲った山南に、相手は目を伏せるだけで礼の形をとった。
が、その一瞬、微かに鼻をかすめた薬草の匂いが、山南の胸の裡を不意にざわめき立てた。



「井上さん」
後ろから掛けられた声に、建物に入ろうとしていた背が一瞬驚いたように振り返ったが、それが山南だと分かると、井上は飛沫を上げながら駆け寄って来た。
「あれは?」
その井上に傘を差しかけて遣りながら、今正に門を出ようとしている人影を目線で指し問う声には、既にある種の懸念を隠せない。
「総司を診てもらった医者なのだが・・」
同じように、小さくなって行く姿へ目の位置を移して応えた井上だったが、どうにもその顔色が冴えない。
「総司が?具合が悪いのだろうか?」
「夕刻ずぶ濡れになって帰って来た時には、もう熱があったらしい。・・其れだけならまだ良かったのだろうが、その姿のまま稽古へ駆り出されたのが悪かった」
「稽古・・?雨の中でか」
この時期、漸く会津藩御預かりとなったばかりの浪士組は、その鍛錬の場に、壬生寺の境内を借用していた。
山南の声が険しくなったのは、夕刻、しかも雨の中でわざわざ稽古をすると云う行為自体に、悪意を感じずにはいられなかったからだった。
「新見に、云われたらしい」
「新見が?」
思わず繰り返した名に、頷く井上の顔が苦々しげに歪んだ。
「断れば後で近藤さんに迷惑がかかると思ったのだろう。結局稽古とは名ばかりの、新見相手の試合と云う形になった。それでも一本も取らせず終わったが、戻ってきた時には、ひどい熱になっていた」
「それで総司は?」
急(せ)いて問う声が、焦れて上ずる。
「直ぐに八木さんの家と付き合いのある医師を呼んで診て貰ったが、もう少し遅ければ、肺腑にまで炎症を起こす処だったと呆れられた。熱のある身を隠して、新見の他に二人を相手にしたんだ、その位で済んだのが幸いだったさ。・・尤もこの一件に関しては、芹沢も近藤さん達と一緒に黒谷に行っていた留守の事で、帰って来てからずいぶんと新見を叱ったらしい。総司の枕元にも出た」
幸いだったと。
そう告げた井上の物言いは静かではあったが、しかし何時にない厳しい面に浮かんでいるのは真実の安堵では無く、慈しみ深い者へ無体を強いた相手への、限りない憤りだった。
否、それは常に総司の身体に対して持っていた憂いが、こうして現実のものとなってしまった事への、何処にも持って行きようの無い、井上なりの不安なのかもしれないと・・・
睨むように外の雨に視線を据えている朴訥な横顔を、山南も黙って見詰めた。
だがそれは又、山南自身も、そのまま己の心に置き換える事が出来る杞憂だった。
――総司の脆弱な身は、江戸から京に上って来る途中でも、近藤を始め試衛館の者達を幾度か案じさせた。
だがあまりに脆い肉体が、もしもその類稀な剣の才と引き換えに与えられたものならば、或いはそれを捨てさせれば、総司は凡人としての健やかな日々を送る事が出来るのでは無いのかと。
最近山南は、そんな敵わぬ希を、邪気の無い笑い顔を見ながら願う事すらある。

「近藤さんや土方さんは?」
が、直ぐに山南は、感傷に引き摺られかけた己を吹っ切るかのように、再び口を開いた。
「さっきまで総司の枕元にいたが、今日黒谷で聞いて来たのが難しい話らしく、その件で全員を集めて談義すると云う事だった。それで八木さん処の広間を借りて、今は其処に行っている。あんたもわしも行かにゃならん」
話しを振られ思い出したのか、井上は傘を差し掛けている山南を仰ぎ見た。
「何でも、わしらを名乗る辻斬りが出たそうだ」
「・・辻斬り?」
「顔を隠して襲い、虫の息の相手に、壬生浪士組だと名乗ってくれるらしい」
「ご丁寧な事だな」
「だが巷の人間の目には、辻斬りも芹沢達の乱暴も、それからわしらも、さして変わりはないだろうさ」
穏やかな笑い顔の下に隠され、滅多に見せる事は無いが、時に驚く程辛辣な意見を口にするこの先達の憂い顔を、山南は改めて見遣った。
そして今回のそれが、総司に纏わる、新見への鬱憤から来ているとは、誰に聞かずとも知れた。
「では今、総司は一人なのだろうか?」
しかし山南は敢えてその事には触れず、玄関の軒先まで来ると井上を中に入れ、傘を畳みながら己の憂事を問うた。
「眠っている筈だ。あんたが帰ってきたら、近藤さんが話を始めると云っていた」
「総司の顔を見たら、直ぐに行く」
少々慌てた井上の声にも背中で応え、脇に用意されていた水桶で形ばかり足を禊ぐと、一瞬すら焦れるように上がり框を踏み、山南は目指す室へと歩みを早くした。

 そのあまりに素早い一連の所作に、言葉を掛ける切欠を失くし、暫し呆然と見ていた井上だったが、視線の追う姿が次第に小さくなり、やがて全てが消え去ると、大きな諦めの息をひとつついた。





 今山南が廊下を踏みしめる前川家と、集会場所に指定された八木家とは、細い坊城通りを挟んで筋向いになる。
そして前川家では、浪士達が立ち退かないと知るや、其処を明渡す格好で屋敷を出て行ってしまった。
そう云う意味では、家人と同居の形の八木家よりは、遠慮のいらない分気が楽とも云えた。

 大の男達の詰め込まれた八木家の騒がしさも此処までは届かず、止まぬ煙雨がより閑寂さを増す中、きっちりと閉じられた雨戸の隙から入り込む風が、手にしている蜀蝋の灯を揺らす。
だが音を殺すようにして進めていた山南の足が、廊下を曲がった処で不意に止まり、更に手燭の灯は、吹きかけられた息で消された。
そのまま見詰める視線の先にあるのは、白い障子に映る、当の本人を遥かに凌ぐ大きな影だった。
が、その影の動きが何をしようとしているのかが分からず、山南は暫し中の様子を探っていたが、それも一瞬の事で、雷(いかずち)のように閃いた勘に、止めていた足が急ぎ床を蹴った。


――総司を驚かせたのは、乱暴に開けられた障子よりも、敷居際に仁王立ちになっている山南の、嘗て見たことの無い厳しい眼差しだった。

「これ以上、近藤さんの胆を冷やすつもりか?」
夜具の上で、衣の袖に通しかけていた腕を止め、狼狽のあまり伏せてしまった面輪に、容赦の無い叱咤が飛ぶ。
「そんな身体で集会に出よと、誰が云った?」
しかし更に掛かかる追い討ちの言葉にも、か細い項を垂れさせている華奢な肩の主は、堅く唇を閉ざしいらえを返そうとはしない。
その様が、この若者の見かけによらぬ勝気を物語り、山南に諦めの息をつかせる。
一向此方を見ようとしない頑固に焦れ、やがて乱暴に腰を下ろすと、漸く深い色の瞳が躊躇いがちに上げられた。

「・・・山南さん、集会に遅れてしまいます」
「お前が大人しく蒲団に入ったら行くさ」
「私も・・」
「行くという言葉は聞かないよ、総司」
「もう大丈夫なのです」
必死のあまり、思わず山南の袖の裾を握りしめたことすら意識の外において、総司は詰め寄る。
「そんな身体で行ったら、近藤さんや土方君だけでは無く、皆が案ずる。話は後で教えてやる、誰もお前をつんぼ桟敷に置こうとは思ってやしない」
「・・でも」
「私の云う事が聞けないのか?たしか無理はしないと、江戸を発つ間際に約束をした筈だが・・・違(たが)えるのならば、それはそれでもいいさ。が、ならば私にも、其れ相当の考えがあるぞ」
含むように笑う声に、山南を見詰める瞳が大きく揺れる。
「それに・・」
その狼狽の様を愉快そうに見ながら、山南は一度言葉を切った。
「総司は、探索には向かないな」
「・・えっ?」
思いもかけない言葉に、細い造りの面輪が一瞬強張った。
「あれはお玉が池の道場にいた頃の友人で、たまたま京に来ていたものを、浪士組の噂を聞きつけ、もしや私がここに居るのではと、会いに来た昔馴染みだ」
身を隠していたつもりが、山南には疾うに知られていた羞恥が、色の透けた総司の頬を、みるみる朱に染め上げる。

「黙っているつもりはなかったのです・・・声を掛けようと思ったのです、けれど・・・」
「私が難しい顔をしていたから、ついつい掛け損なったか?」
曖昧に言葉を濁しながらも、隠し切れぬ嘘を律儀に映した硬い面輪に目を細め、揶揄する声が柔らかい。
だが狼狽と焦燥の中で、今は紡ぐ言葉すら覚束ない総司には、山南のその余裕が見つけられない。
「山南さんとその方、とても真剣そうな話をされているように見えたのです。それでつい・・」
「声を、掛けられなかったか・・」
更に苦く笑う視線に合うと、深い色の瞳が再び伏せられてしまった。
「人に聞かせるような大した話でもなかったが、・・・だがつまらぬ事で、お前を案じさせてしまったようだな。その詫びはしなければならないな」
「・・詫びだなんて」
「が、ずっと気になっていたのだろう?私に難しい顔をさせていた、その相手の事を」
「江戸に居た頃も、見た事の無い人だったから・・」
笑いを含んで向けられた双眸に、応える声音が心許ない。
「お前には余計な心配を掛けてしまい、すまなかったな。だが今日の処は大人しく寝ていろ。そんな顔を見せたら、近藤さんも皆も落ちついておれんだろう」
始めは軽口の体(てい)の声音だったが、自分を凝視している、何処にも色の失い面輪を見ている内に、山南自身にも杞憂の念が強くなったのか、言葉の仕舞い際には薄い背に手を当てると、半ば強引に夜具に仰臥させた。
そうして背中が安定すれば、総司も張っていた気が緩んだようで、身を苛む辛さが一気に襲ってきたのか、抗う事無く、されるがままになっている。

「話の内容は必ず・・・」
教えてやると、括り枕の上の面輪に言いかけた山南の声が、夜具の脇に置かれていた枕盆に視線を止めるや、ふと途切れた。
その一瞬の沈黙を不思議に思ったのか、同じように視線を辿った総司が、盆の上の大ぶりの湯呑に気付くと小さく笑った。
「・・土方さんが、煎じてくれたのです。戻ってくるまでに飲んで置かないと、又怒られてしまう」
上がってきた熱の所為なのか、瞳に張られた水の膜は、言葉が紡がれるたびに大きく揺れる。
「確かに土方君ならば、捨てた所でそれを見抜く位は容易い事だろうな」
「でも、とても苦いのです・・」
笑いながら不満を言う調子には、だがそれを嫌っている風は無い。
むしろそうして誰かに訴えるのを、楽しんでいる風情すらある。
「さっきの医者が置いていった薬もあるのだろう?其方の方が飲み易くは無いか?」
ならば医師の寄越したものを服すれば良いと告げた、邪気の無い問答だったが、総司は困ったように瞳を伏せてしまった。
それがどう言う事なのか・・・
「総司の熱は、土方家伝来の薬でなければ効かんのだったな」
この不器用な若者に問うのは酷に相違ないと知りながら、それでも揶揄するように少々意地悪く笑うと、山南は夜具の端を掴んでいた細い手を仕舞い込んでやった。
「そんなこと・・」
「まぁいいさ、慣れぬ土地での水と薬より、日頃馴染んでいるものの方が体には良かろう」
言い訳する言葉が見付からない焦りの代わりのように、伸ばされかけた手指を己の掌で押さえると、山南はその駄々を、再び夜具の中に封じ込めた。
「さて、そろそろ顔を出さなければならんのだろうな。近藤さんも待っているだろう」
「あの・・」
立ち上がった山南に、遠慮がちな声がかかった。
「話の内容は教えてやると、そう云った筈だ。但し、お前が大人しく寝ていたらの話だ」
唇の端に笑みの名残を留めて見下ろす山南を、もうそれ以上は止める事も出来ず、総司は曖昧に頷いた。



 主の気質そのもののように、音もさせず静かに合わされた障子が山南の姿を視界から消し去っても、総司は床の中から、遠くなり行く気配を追う。

 教えて欲しいのは、集まりで談義される内容では無かった。
知りたかったのは、あそこまで山南に峻厳な面差しをさせた人物との関わりと、その理由だった。
あの時声を掛けてはいけないと、咄嗟に身を隠す程に、山南の面は険しいものだった。
それは他人に見られる事を、頑なに拒む厳しさでもあった。
相手の事を問うた時、山南は差し障りの無い言葉で応えたが、もし仮により踏み込んで尋ねても、それ以上のいらえは戻らなかったろう。
それが即ち、返答を拒む山南の意志だった。
が、総司の懸念となっているのは、あの男に対する山南の態度が、彼の人物の存在を疎いながらも、何処か遠慮にも似た躊躇いを感じさせる点だった。
それは常に穏やかな体(てい)しか知らぬ人の、初めて真実の過去に触れ得た一瞬とでも云って良かった。
だがその事が山南を要らぬ面倒に関わらせる事にならなければ良いと、今総司の胸の裡を落ちつかなくさせる。
更にもうひとつ。
その懸念を深くさせているのが、最近とみに溝を増してきた、土方と山南の関係だった。
理由を問われて明確に出来るものでは無いが、山南に険しい顔をさせていたあの人物の存在が、もしやこの後二人にとって大きな災いの元凶となるのではと――。
何故か総司はあの瞬間から、拘りを解けない。
埒も無いと己の愚考を叱っても、染みになった小さな黒い点は、蜘蛛が粘る糸を張るように、心の裡を重く搦め取って行く。

自分にとって土方は唯一追う人であり、其れが為に、我が身は存在している。
だが山南も叉、土方とは全く別の意味で大切な人だった。
その土方と山南が、今のまま考え方を違えて行けば、いずれ行きつく果ては決裂しかない。
そしてその時自分は・・・

其処まで思って、総司は天井を見詰めていた両の瞳に右腕を当てると、小さな息をついた。
何も今日の一件が、土方と山南の確執に結びつく訳ではない。
それに土方はあの人物の事を知らない。
が、幾らそう自分に言い聞かせても、一度囚われた杞憂は、それが理由の分からぬものだけに際限無く膨らんで行く。
そしてまるでその危惧を現にするかのように、不意に背中に走った悪寒を、総司は山南の掛けて行ってくれた夜具に深く身を沈める事で堪えた。





「ずいぶんと、ごゆっくりな事だったな」
背中から掛かった声が誰のものなのか・・・
それを十分に承知していながら、敢えて焦らすようにゆっくりと振り向いたのは、山南の裡に、いらえを返すに面倒が先走ったからだった。

「皆を待たせてしまい、悪かった。江戸での知己が、私が京に来ているのを知り尋ねてきてくれたは良いが、積もる話で思いの外遅くなってしまった」
「江戸での知己とは、それは叉偶然な事だな。さぞ話にも花が咲いたろう」
「久しぶりの邂逅を喜んではくれたが、辻斬りの汚名を被せられるような嫌われ者の集団では、さてそれもどんなものか」
「云いたい奴には云わせておけばいい。その嫌われ者の集団が、そのうち京に無くてはならない存在になるさ」
幾分自嘲めいた口調の山南に応える土方の物言いには、衒いも力みも無い。
が、それはこの土方と云う男の、自信の裏返しでしか無い。
そしてどうしてかその事が、今夜は山南の癇症に障る。
もしも今胸に渦巻くこの感情を、強いて言葉で表現するのならば、それは近藤を軸に、浪士組と云う集団を組織化し、着々と基礎を造り上げて行く、土方と云う男の手腕への妬心なのかもしれなかった。
しかしそれにも増して、土方と関わる限り、その見苦しい妬みに塗られた己を直視しなければならない事が、山南にとっては苦痛だった。

「・・それよりも、総司の事だが」
不意に話題を変えたのは、そんな自分から目を背けたいが故の、逃げ道だったのかもしれない。
「総司が何か?」
だが土方には此方の話題の方が気になるものだったらしく、感情と云うものをめったに見せない端正な面が、珍しく歪められた。
「あれは江戸に帰した方が良いと私は思う。浪士組が今後益々大きくなれば、各々に掛かる負担も半端なものでは無くなる。そうなれば元々が脆い造りのあいつの身体にも・・」
「総司の事には、口を挟まないで貰いたい」
ぴしゃりと言葉阻んだのは、それ以上語るを許さないと云っても過言で無い、土方の鋭い口調だった。
その勢いに一瞬面を厳しくして息を詰めた山南だったが、それを静かに吐くと、硬い声が再び唇をついて出た。

「では聞くが・・」
山南の嘗て無い挑戦的な視線を真っ向から受けながら、しかし土方も叉、決して双眸を逸らさない。
「君も近藤さんも、総司の事を真剣に考えた事があるのか?確かにあいつの剣の才は、稀有なものだ。が、実践となれば又違う。人の肉を裂き、骨を割る。・・・生か死かを賭けた戦いでは、道場での稽古など比べ物のにならぬ厳しさと、心身の負担を強いられる。この先否応無しに続くであろうそんな日々に、あいつの身体がいつまで持つと思う。分かりきっている筈だっ」
語る内に激してきた自分自身を止める事が出来なくなったのか、或いはこの一件に事借りて、今まで裡に溜まっていた憤懣が迸り出てしまったのか・・・
ごく僅かではあったが、室に残っていたその誰もが、一瞬其方に視線を向ける程に、山南の語尾は荒く乱暴に途切れた。
それでも土方は動かない。
だが山南を見据える双眸に宿る色は、苛烈が過ぎて、凍てるように冷たいものだった。
「山南さん」
が、その緊縛を破るようにゆっくりと歩み寄ってきたのは、一番後ろで島田魁と話していた近藤だった。

「山南さんの気持は、総司の親がわりの俺には何より有り難い。いや、其処まであいつを案じてくれているのだと思えば、言葉も無い。・・この通りだ」
朴訥と告げる言葉に、嘘は無いのだろう。
区切るように重く語られる一言一言には、真実のみが籠められている。
現に近藤は、下げた頭を上げようとはしない。
だがそうなれば、その真摯を直截にぶつけられた者は、もう引く他無くなる。
何の算段も無い、莫迦のつくこの実直さこそが、近藤勇と云う男の最大の武器であり、そして又しても自分はその縄手に囚われたのかと・・・
其処まで思い、観念の息をついた山南の片頬に、苦笑とも自嘲ともとれる薄い笑みが浮んだ。

「近藤さん、私も少し言い過ぎた。此処に来る前に総司の処に寄って来たのだが、あいつが無理を押して談義に出ようとしていたその姿を思い出した途端、つい感情を先走しらせてしまったようだ。・・総司の事に関しては、近藤さんが一番案じている筈が、つまらぬ節介をしてしまい申し訳なかった」
厳つい肩に手を掛けそれだけを告げると、土方には僅かに視線を流しただけで、山南は無言で室から出て行った。
そして振り返らぬその後姿を、感情と云うものの全てを削ぎ取ってしまったかのような、土方の怜悧な顔(かんばせ)が凝視していた。


「・・歳」
「何だ?」
遠慮がちに呼んだ声に応えて振り向いた顔は、いつもと何ら変わりの無い無愛想な友のものであり、その事に近藤は漸く安堵した。
「辻斬りの一件で互いに苛立つのは分るが、総司の事を話題に悶着を起こすな。あいつの耳に入ったら、自分の事でと、それこそ又気を揉む」
それが気懸かりなのか、近藤の顔が初めて渋く歪んだ。
「分っている」

相手を見ず、素っ気無い程に短いいらえを返すと、後はもう用は無いとばかりに踵を返し、はやり先程の山南と同じように大股で出てゆく広い背を、近藤は遣る瀬無い溜息と共に見送った。










きりリクの部屋   潦(参)