花は咲くもの愛でるもの
夢は見るもの覚めるもの
ならばうつつにありて見る夢は
銀糸金糸に彩られ
目も眩むほど艶やかに
ひとつもたくさんありますよう
|
30000御礼 iriyaさまへ
宴 -utage- (上)
「で、お前はいったい何を言いたいのだえ」
伊庭八郎は横臥していた体を更にうつ伏せて腹ばいになりながら、鏡を覗き込み乱れた髪を撫で付けていた女に聞いた。
「・・・・言いたくおへん」
客の為に自分で火を点けた煙管を渡しながら、そうは言いながらも女の声音には、まだその先を聞いて欲しそうな甘えた響があった。
「言わずとも分かれと言うのかえ。京の女は難しい」
低い忍び笑いに、遊びなれた洒脱な駆け引きがあった。
「土方さんのことを聞きたいのだろう?」
「さぁ、どうですやろ」
淡い行灯の色に映る含んだ笑みが艶(あで)やかだった。
色街の女は十分に自分を美しく見せる方法を知っている。
「そないなお人のことは知りまへん」
「知らなければ話を聞いてもつまらねぇよなぁ」
面白くもなさそうに、形ばかりに白い煙を吐き出しながら、八郎は殊更抑えた調子で呟いた。
「お客はんは土方はんを知ってはるんどすか?」
煙管を横から白い指でとりあげて、女はしなをつくった。
「そう思ったから俺を誘ったのだろう?」
芝居じみた流れのまどろっこさを、胸の裡で些か面倒に思いながら、それでも女に辛抱強く付き合ってやるには骨が折れる。
いい加減に解放されたいが、恋敵の昔の所業を寝物語に聞きたいが為に、この女と褥を共にしている。
(にしても、つまらねぇ宴会だったな)
白粉の香が鼻につき始めた女との会話を続けながらも、今ひとつ醒めた頭で八郎はうんざりと吐息した。
今日もてなしてくれたのは心形刀流の京に在留の弟子だった。
弟子と言っても八郎よりは遥かに年上で、養父共々の招待に断る訳にも行かなかった。
大体が八郎は島原が好かない。
最初の印象が悪かったせいか、どうも馴染むことができない。
酒の席で独りだけ白けるのも気が咎め、せめて思考をこの先の新撰組の屯所にいる筈の想い人の姿に馳せて、どうにかその場を凌いでいたが、隣に侍らされたこの女に何かの話の切欠で新撰組の土方を知っているかと聞かれた。
遊女が客の席で他の客の話をするのは余程の事が無い限りあり得ないが、八郎はその女の失態を咎めることもせず、むしろやっと見つけた興とばかりにこうして枕まで共にした。
が、それにもそろそろ飽きてきた。
(・・・早めに切り上げて総司の顔でも見に行くか)
まだ夜更けというには早い時刻だから、想い人は起きているだろう。
そのまま新撰組に泊まってもいい。
いっそ酔ったふりをして総司の室に布団を並べるのも悪くは無い。
土方は嫌がるだろうが、その顔を見るのもまた面白い。
一石二鳥で憂さ晴らしにはもってこいの妙案かもしれない。
「・・・せやから、土方はんは・・・お客はん、聞いてはりますか?」
責めるような口調に、現(うつつ)に戻された。
人が折角良い思いを見つけたと言うのに、邪魔した女が今度は憎い。
全くもって人とは勝手なものだと思うが、これが正直な心なのだから仕方が無い。
「悪いが急に用事が出来た」
言うなり立ち上がった八郎を、女は呆気に取られて見上げている。
帯を結ぶ間ももどかしげに帰り支度を始めた男を暫し見ていたが、やがて女は諦めたように溜息を吐いた。
「東(あずま)おとこは嫌いや・・・土方はんとみんな一緒や」
「おいおい、一緒にするのは勘弁してくれろ」
抗議する声もどこか浮いている。もう頭の中には想い人の顔しかない。
「けどほんまや。あのお方も嘘つきや・・・」
小さいが冗談とは思えぬ真剣さが声にあった。
「嘘つきとは・・・穏やかじゃねぇなぁ」
再びその言葉に興を蒸し返されたように、八郎が漸く女を振り返った。
「ええんどす。お帰りなんどすやろ?遊女の戯言なんてつまらなおす」
女は拗ねたように少し横を向いた。
どれもこれも微妙に計算され尽くした誘い方だった。
「お前も意地の悪い事を言うねぇ・・」
耳朶を噛むように囁きながら、八郎は女の機嫌を取り始めた。
恋敵の弱みを握る為なら、多少の我慢などこの際厭うものではない。
あわよくば総司を連れて江戸に帰ることができたら、この女のひとりふたり身請けしてやってもいい。
総司の傍らに居るためならば、心形刀流は弟の想太郎にくれてやっても良いと思っていたが、そうなるとやはり金は要る。
いやこの際遣うだけ遣い切って、あとを想太郎に任せればいい。
あれは中々生真面目な奴だから何とでもやって行くだろう。
八郎の思考は咄嗟にそこまで巡らされていた。
「・・で、何故土方さんは嘘つきなのだえ」
「うちに女はお前だけや・・そう言わはりましたんぇ」
「それはいつのことだい?」
八郎は女の指に己のそれを絡めた。
女はまだ不満気な口調を崩さないが、八郎の胸にゆっくりと体を預けてきた。
十分に目論みどおりの、小まめな奉仕が功を制した結果だった。
(全く骨の折れることだぜ・・・)
心裡で呟きながらも、八郎はその先を促す。
「半年・・・いやもう、そないになるんやわ・・・」
「土方さんは半年もお前をほおっておいたのかえ?」
「いけずやわ・・・おなごにそないなこと言わせはるんどすか?」
八郎を見上げた眸が艶やかに染められた。
(・・・半年って言やぁ・・・)
上の空の奉仕だけは止めないで思い出すのは、総司と土方が出来てしまったあの忌々しい頃合いだった。
「土方はん、うちの名が梅香ゆうのをえろう気に入ってくれはって・・」
「あの人は梅の花が殊更好きみたいだからなぁ・・」
一応相槌を返しながら、まだ頭の中には面白く無い展開が蘇って胸糞が悪い。
女の名が梅香ということも、やっと思い出した。
「そんで前にご自分でつくらはった俳句で気に入らはってるのがあるから言うて、それを短冊に書かはって、うちに呉れはったんどすえ」
梅香はそんな八郎の思惑など知る由も無く、どこかうっとりと陶酔したように言葉を紡いだ。
「・・俳句?」
「へぇ。うち大事にしてますのや」
梅香は鏡の下に付いている抽斗(ひきだし)の中を、何やら探しているようだった。
(・・そう言えば川柳にもならねぇ俳句が趣味だったな・・)
八郎はぼんやりと恋敵の嗜好を思い出していた。
「ほら、これ。見ておくれやす」
梅香は嬉しそうに八郎に短冊を差し出した。
「・・・梅の花、一輪咲いてもうめはうめ・・」
最後の方は聞き取れに程に低い声になった。
(・・・よくもこれだけ恥ずかしげも無い句を人に遣ることができるものよな)
八郎は土方という男に些か呆れた。
「なぁ、うちにぴったりやと思はしまへんか?」
梅香は白粉に塗られた顔に浮かぶ紅の唇を嬉しそうに綻ばせた。
「確かになぁ・・・」
土方も土方なら、梅香も余程に御目出度い人間なのかもしれない。
「けどこないにうちの事を思ってくれはっていたのに、もう半年も・・・」
梅香の声が急に沈んだ。
「なぁ、お客はん。知っておいでやしたら教えておくれやす」
ふいに又その語調が強いものになった。
「土方はんには誰ぞええお人ができはったんやろか」
梅香に見据えられて、八郎は沈黙した。
それに相違無いからお前の処には来ないのだろう、と言うのは容易(たやす)い。
が、それを告げる事は、即ち恋敵に己の敗北を認めるというに等しい。
八郎はまだまだ総司を諦めてはいない。否、是が非でも土方から奪い取る積りでいる。
「うち土方はんが馴染みにしてはった他の女子(おなご)はんも仰山しってます。けどみぃんなご無沙汰や言いますのや」
「土方さんはそんなにあちこちに馴染みを作っていたのかえ」
「悔しゅうおすけど、五つの指には足らんくらいに・・・」
梅香の眦(まなじり)が少しばかりきつくなった。
(忙しいの何のと言いながら、結構こういう事はまめにしていたな・・やっこさんも)
八郎は自分の事はとっくに棚に上げている。
その土方も今はどうやら総司一人に落ち着いているらしい。
だがそうなればそうなったで、八郎にはやはり面白く無い。
「うちは所詮色街のおなごです。好いて好かれて幸せになろうやなんて思わしまへん。けどうちにも意地ゆうもんがあります」
「・・意地?」
語っているうちに、段々と興奮してきた梅香の勢いに気圧されるように、八郎が聞き返した。
「へえ。こないなもんよこさはって、少ぉしだけ夢みさせはって、それから知らんではうち悔しゅうて、悔しゅうて・・」
梅香は遂に勝気な眸に涙を浮かべた。
「そうよなぁ。土方さんもそいつはちょっと酷い」
土方の悪口なら幾らでも言える。
八郎は大仰に頷いてやった。
「そうどすやろっ」
梅香は我が意を得たとばかりに八郎に詰め寄った。
それを相手に悟らせずに、変わらぬ同じ距離を保つ為に俊敏に身を引くのは、八郎の隙の無さだ。
実際梅香の勢いと、白粉の強い匂いにはうんざりしている。
「うち、土方はんのええお人をこの目でみんことには自分で諦めがつけませんのや」
梅香は八郎をとっくに視界から外して、そこに土方がいるかのように宙を睨んだ。
「それじゃぁ、梅香はどうしようと言うのだえ。まさか土方さんにいい人を連れてこいとでも言うのかえ」
八郎はさりげなく梅香に先を促しながら、焚きつけることもしっかり忘れない。
「それですのや。うちどうしても一目土方はんの相手はんを見とうおすのや。そんでうちよりそのおなごはんが綺麗なら諦めもつきます」
嫣然と微笑む梅香は、自分の容姿に大層な自信を持っているのだろう。
確かに美しい女だった。
だがそれは作られた美しさに似ていて、見る者の心にまでには映らない。
(総司の方が上だな・・・)
八郎は梅香に頷き返してやりながら、頭では想い人の顔を思い描いていた。
ふと閃いたのはその時だ。
「梅香、俺がお前が会いたがっている土方さんのいい人に合わせてやろう。ついでにお前と同じ思いをしている女がいたら声を掛けてやるがいい」
「ほんまに?」
驚く梅香に、八郎はその端正な顔に満面の笑みを浮かべて頷いた。
新撰組副長、土方歳三の毎日は多忙を極める。
今日も八郎が姿を見せても、一度ちらりと振り返っただけで、又文机に向かってしまった。
「そんなに忙しくっちゃぁ遊びにも行けねぇよなぁ」
笑いを含むような声で、八郎はその背に声を掛けた。
「伊庭、総司ならいないぞ」
振り向かず、土方は応えた。
「今日はあんたに話があって来た」
「俺は忙しい」
「見ればわかるさ」
「なら帰れ」
「総司の顔を見たら帰るよ」
「今帰れ」
広い背中が忌々しげに揺れた。
そんな土方を、八郎は今日は余裕を持って見ている。
「島原の梅香から託(ことづけ)を預かってきた」
「そんな女は知らん」
「だろうなぁ・・・あれだけ馴染みを作っていれば、顔を見ぬことには思い出すのも苦労だろうよ」
言葉は同情、声音はからかいだった。
「お前何を言いたい?」
漸く土方が振り返った。
「梅香という女が、あんたに文を返したいそうだ」
「文だと?」
「短冊にあんたの字で、梅の花を読んだ俳句が書いてあったよ」
土方の顔色が変わった。
「あんたも罪作りな人だね。女をいい気持ちにさせておいて、あっさりさよならはないだろう」
「お前の知ったことか」
「梅香に泣かれてつい約束をしてしまった」
「俺には関係が無い」
「梅香、あんたのいい人を見られなければその短冊を新撰組に送りつけると言って俺を脅すものだからなぁ・・つい」
そのまま又背を向けようとする土方に、八郎が少しばかり間が悪そうに告げた。
「伊庭っ、お前何を焚き付けてきた」
八郎の言葉は思惑どおりの効果をあげた
土方が振り返り、胸倉をつかまんばかりに詰め寄った。
「おっと、そんなにかっかされちゃぁ話もできない。まぁ、先に頭を冷やしてくれろ」
八郎の余裕は今や全開だった。
「梅香があんたのいい人を見たいと言った。でなけりゃ諦めきれないのだとよ。そりゃぁそうだろうよ。さんざその気にさせといて、ぷっつりご無沙汰じゃ相手も怒るわなぁ」
土方は苦々しげに横を向いたままだ。
それを横目で楽しそうに垣間見て更に八郎は続ける。
「そういう訳で、俺も梅香の女心にいたく同情して、ついあんたのいい人を見せてやると約束しちまった」
「お前がしてきた約束なんぞ知ったことかっ」
「そうだよなぁ。相手が総司だって知られる位なら、短冊送られるなんて、どうってことねぇよなぁ。まぁ、男が約束破っちゃなんだが、梅香には事情を話しておくさ」
八郎が溜息を付きながら呟いた。
だが土方の頬がぴくりと動いたのを、しっかりと見逃さない。
「じゃぁ俺は総司の部屋で待っていることにするよ。邪魔したな」
「待て」
立ち上がり背を向けた八郎を、土方が止めた。
「何だえ?忙しいのだろう?」
これで土方は落ちたと思っても、さり気ない仕草は崩さない。
呼び止めはしたものの、土方は沈黙の中にいる。
自分の想い人が総司と誰に分かったところで、どうってことはない。
総司がその事に酷く神経質に拘っているから、今のところ誰にも言っていないだけだ。
だがあの短冊を送られて来た日には、二重に厄介が生じる。
第一にもしもあの句が伊東あたりの目に触れたら何を言われるか分からない。
嫌がらせに丁度良い講義の材料にされるかもしれない。
が、その時は倍にして返してやるからそれはそれでいいとしても、あれを梅香に送ったというのを総司が知ったらまずい。
梅香には何の考えもなくその場の雰囲気で贈った。
大体そんなこと自体忘れていた。
では何故それ程悩むかと言えば、実は先日総司には一句読んで贈っている。
その時想い人はその短冊を胸に大切そうに抱き、黒曜石に似た深い色の瞳を露で滲ませて俯いてしまった。
その姿のいじらしさに思わず『こんなことをしたのは後にも先にもお前だけだ』と言ったのは、他ならぬ自分自身だ。
それを思えば例え贈った過程はまるで違うとはいえ、梅香にも同じ事をしていたのを知られるのは避けたい。
それに総司は妙に自分に自信が無いところがある。
こんなことが知れれば又落ち込むだろう。
別れるとでも言い出された日には目も当てられない。
道はひとつしかなかった。
「伊庭、その話まだ誰にもしていないだろうな」
呻くような土方の低い口調だった。
「梅香とあんた以外にはな」
「梅香には会う。だが総司には言うな」
「ではどうするのだえ?梅香はあんたじゃなくって、総司を見たいと言っているのだ」
「総司を連れてゆく」
「ほう。大胆だね。惚れた相手が総司だと披露しちまう訳か」
「総司は女に化けさせる。ちらりとでも姿を見せれば梅香は納得するのだろう」
「総司を女にするのか」
八郎も流石に驚いたように土方を見た。
「仕方があるまい。お前が勝手な約束などしてきたお陰だっ」
土方は怒り心頭の様で八郎を睨んだ。
「・・・・確かに妙案だが・・。さて、総司は納得するか」
八郎は必死に勝利の高笑いを堪える。
それは或いは己が今まで生きてきた中で最大の努力を強いるものだったのかもしれない。
それ程気分が良かった。
「どうにかする。とりあえずお前は消えろっ」
怒鳴り声を背中で聞きながら、八郎はすでにその足で梅香の処に出向き、土方の馴染みの女達を集めるよう段取りを組む手配に頭を回せていた。
仮に総司が女の姿に化ける事を納得しても、次に土方には女達の冷たい報復が待っている。
例え過去の事とは言え、間近で惚れた相手の派手な女遊びを見せ付けられれば、総司とて心穏やかではいられまい。
それにあの梅香に贈った短冊だ。
総司が土方に愛想を付かせても何の不思議も無い。
否、一波乱無い方がおかしい。
想い人を我手に抱くのは、案外に近い先なのかもしれない。
日々伸び行く春の陽射しに凪ぐ風が、頬に心地よかった。
伊庭八郎、生涯に於いて最高に至福なうららかな午下がりだった。
「何故私が女の人の格好をしなくてはならないのですか?」
想い人の唇は残酷な程に素朴な質問を土方に向かって紡ぐ。
「その女、長州の大物の馴染みだ」
「けれど、それと私が女の人の格好をするのとどういう繋がりがあるのです?」
総司の瞳はまっすぐに土方に注がれ、それは疑う事を知るものではない。
黒曜石に似た深い色の瞳に捉われれば罪悪感に苛まれるが、この際それは見て見ぬふりをせねばならない。
我が身の保身と総司とこれからの先の事を思えば、ここは何としても頷かせなければならない。
「私は男です。女の人の格好をするのは嫌です」
土方の沈黙の中にある苦渋など知るはずも無く、総司の声が少々怒っていた。
日頃は自分を通すことなど無い総司だが、こういう時の頑なさと強さは自分の想い人ながら手に負えない時がある。
「近藤さんの頼みだ」
「近藤先生の・・・・?」
追い詰められて苦し紛れに口からつい零れたその名は、しかし総司の心に動揺を与えたようだった。
その総司の心の有様を、土方が見逃す訳が無かった。
「実は昨日長州にいる近藤さんから文が届いた」
「文が・・?近藤先生に何か?」
総司の顔色が変わった。
その尋常でない心配のしようは、こんな時でも土方には面白く無い。
が、土方はその思いをとりあえず今は棚に上げ、この展開を如何に己の僥倖にするかに猛烈な勢いで思考を回転させ始めた。
「近藤さんが単独で長州でつかんだ情報だ。その女の元に手配中の大者が匿(かくま)われているらしい。しかしこれが憶測の余地を出ない」
「近藤先生がお一人でつかまれたのですか・・。すごい」
近藤の手柄に興奮し、総司の声が少し上ずった。
総司は近藤に掛け値無しに陶酔している。
否、それは肉親への愛情を超えたものかもしれない。
近藤も総司をこの上無く慈しみ大事にしている。
その様子に又も不快の色を隠せない土方だったが、流石にここは辛抱だった。
「だがさっきも言ったとおり、これは確かなことではない。実は伊東が長州で何やら不審な動きを始めたらしい」
「伊東さんが・・・?」
総司の顔が途端に曇った。
「伊東は前々から強い勤皇思想を持っている。今回のこの近藤さんの働きも邪魔しようとさえする気配があるらしい」
「そんな・・・」
想い人は時々厄介なくらいに人を疑う事を知らない。
今の話も伊東が同じ新撰組にあっての近藤に対する裏切りと捕らえたようで、些か衝撃を受けているようだった。
「そういう訳で近藤さんは今敵地にあって四面楚歌の状態で動けない。この屯所内にも伊東の息のかかった輩がいるやもしれん。そこで俺とお前に島原のその女の元に忍んで探れと言ってきた」
我ながら素晴らしい辻褄合わせだと思う。
土方は今己のこの妙案に自分で自分を絶賛したい気分だった。
「けれど・・・」
総司は少し首を傾げるように、考え込んだ。
「何だ」
「島原ならば、土方さんは新撰組副長として顔を知られている。いくら私が女の人の格好をしても無理だと思う」
全く以って当然な総司の意見だった。
「そこが狙いだ」
「狙い・・?」
「俺がお前と見合いをする。その席を島原で設けて女を呼ぶ。そうすれば俺は新撰組副長を隠すことをしなくてもいい。見合いとあらば相手も流石に油断するだろう」
「・・・見合い」
総司の瞳が驚いたように大きく見開かれた。
「引き合わせる相手の役は伊庭に頼んである。幸か不幸かあいつは島原が嫌いで滅多に行かないから顔を知られてはいない。いざという時には腕も立つ。まぁそれだけが取柄と言えば取柄の奴だからな」
立て板に水のように流れる作り事に、実の処土方自身も呆れていた。
が、もうどうにでもなることでもない。
事は猶予を待たず進み始めている。
「分かったな。これは近藤さんの為だ」
もう有無を言わせぬ強い土方の口調に、総司の瞳が哀しそうに揺らいだ。
土方は幸か不幸かと言った。
だが総司にとっては不幸以外の何ものでもなかった。
うな垂れて、小さな溜息をひとつついた。
戯れのように入り込む風の穏やかさすら恨めしい、春の日の午下がりだった。
きりリクの部屋 宴 (中)
|
|