我は知らず
                   恋しいよりも尚切なく
                   愛しいよりも尚激しく
                      
                   焔と化して我が身を焦がす
                   この想いの在りかを
                   狂おしくうちより萌えいずる
                   この想いの何たるかを

                   我は未だ名さえ知らず・・・





                  35000御礼    m-shottさまへ
            
       

     
                   早 蕨 -sawarabi-  (壱)






「こんな内情を見せたら一日と持たずに実家に帰られてしまうかもしれんな」
竈(かまど)を覗き込んでいる、井上源三郎は言葉の割にはそれをあまり気にも止めない風で、後ろにやって来た宗次郎に声をかけた。

高い位置にある明り取りから入る陽は、山吹色をして塵を宙に遊ばせながら斜めに土間まで届き、すでに夕暮れが近い事を知らせている。


「近藤先生のお嫁さんですか?」
火の加減を見ている井上に応えを返しながら、宗次郎は今井戸端で洗ってきたばかりの青菜を刻む準備をするために抱えていた笊(ざる)を置いた。
その音を聞きとめて、井上が振り返り宗次郎に体を向けた。

「悪かったな、お前ひとりにやらせてしまったか・・」
井上は人の良さそうな温顔を曇らせた。
「今日はみんないないから・・」
笑いかけた顔が屈託ない。
そう言いながら又笊一杯に乗った青菜を運ぶ後姿は、年が明けて十六になったとは思えない程に頼りない。



井上にとって宗次郎は自分の遠縁にあたる。
宗次郎の姉、光の婿である林太郎は井上の実家から出ている。
そんな縁もあって、この少年にはどうしても肉親の目から見たいじらしさが先に立つ。

「だが若先生が娶られたら、お前ももう少し稽古に専念できるだろう」
今この試衛館という町道場は当主の近藤周斎の人柄か、はたまたその養子である勇の懐の深さからか、寄って来て居つく人間は多いが、そのいずれもが金の工面ができない輩ばかりで、台所を任された井上の溜息は止まる日を知らない。

宗次郎はひとつも嫌な顔をすることなく、むしろこれが自分の仕事とばかりに手伝ってくれる。
が、最近では誰もが認める剣の才を持つ宗次郎に、こんなことに費やすことで稽古の時間を削りさせたくは無いと井上は常々思っている。
じきに迎える勇の嫁がここを仕切ってくれたら、今よりもずっと雑用から解放されるだろう。
宗次郎にはもう何の憂いも無く、天賦の才を思うざま伸ばして欲しい。
あるいはそうする環境を作ってやることこそ、己の使命なのかもしれないと、井上は最近思い始めている。

そんな事を井上が考えているなど、露ほども知る筈が無く、宗次郎はまだ少年のそれから抜けきらない薄い背を見せて青菜を刻み始めている。


「井上さん、吹いています」
宗次郎の声に現に戻されたように井上が竈の上を見ると、掛けた鍋の蓋が落ちんばかりに煮立っている。
「こりゃ、うっかりしていた」
慌てた井上の傍に走り寄ろうとした宗次郎の足が急に止まった。

「あっ」
鍋に気を取られていた井上にもその声は届いた。
「どうした?」
不審に聞く井上に、宗次郎が明るい表口の方を指差した。
「土方さんが帰って来た」
が、その方向を見ても人影すらない。
「誰もいないと思うが・・」
「もう行ってしまいました」
宗次郎の唇が面白そうに綻んだ。
「お前は歳さんの事は気配だけで分かるのか?」
呆れたような井上の口ぶりに、小作りな顔が嬉しそうに頷いた。


「それならば歳さんに飯はいるか聞いてきてくれ」
「何故ですか?」
言っている事が分からず、宗次郎は自分の背丈よりも少し高い井上を見上げた。
「今夜もどこぞの女の処に行くのなら飯はいらんだろう」
途端に宗次郎の顔から笑みが消え、瞳の奥が微かに揺れた。

「・・・今日はどこにも行かないと思います」
小さな呟きだった。それに己の言った言葉への自信の無さが現れている。
「まぁ居ても居なくてもどちらでもいいが・・・。だが歳さんも若先生とひとつしか違わん。あの人こそ身を固めてもいいだろうに」
井上の言葉は親身から出たものだった。
本当にそうなることを願っているのだろう。
心底困ったように、ひとつ深い溜息をついた。

「・・・土方さんが誰かと?」
だがその井上の言葉は宗次郎の胸に、思わぬ動揺を与えた。
呟いて、もう一度見上げた井上が大きく頷いた。
「そうだ。歳さんも嫁を貰って守るものが出来れば、少しは腰を落ち着けて人の道を歩けるだろう」
「・・・でも、土方さんはまだそんな事を一度も言った事が無いから」
言葉の最後は口の中に篭るように小さく消えた。
「そういう風なところを周囲が叱らなければならんのだろうが・・・。ともかくも若先生が嫁を貰えば、歳さんもあれで考えるところがあるだろう」
宗次郎の様子など気づかず、井上は愚痴とも世間話とも付かぬように語る。


だが今宗次郎の心にひとつ刺さった棘は、そこから疼くような熱がじわじわと波打ち広がってゆく。
その感情が言葉では上手く表現できない。
ただ苛立ちとも似て、酷く不安定な何かが自分の中で生まれている。
それを自分で宥(なだ)めるように、胸の辺りに手を当ててみた。

「・・・どうした?どこか痛いのか?」
そんな少年の様子にようやく気がついて、井上が心配気に宗次郎を見た。
「何でもありません」
笑った顔が咄嗟に作ったものだと、明らかに分かる程にぎこちなかった。
「それではいいが・・・とにかく先に歳さんに聞いてきてくれ」

頷いて台所の框(かまち)に上って奥に消えてゆく宗次郎の後姿が見えなくなると、井上は竈の中で消えそうに小さくなった火を、急いで火吹き竹で熾した。





力強さを増してきた春の陽射しは、日が傾き始めた今頃でも時折目を細めなければならない程に眩しい。
その明るさに慣れた瞳には座敷の中が目暗がりのようになり、一瞬そこにいる筈の土方の姿が見えなかった。

「・・・土方さん」
思わず立ちすくみ室の中に掛けた声が、不安そうに小さかった。
「何だ」
奥に人影が動くのを見止めて、安堵したように宗次郎は息を漏らした。
ようやく慣れた瞳に、着ているものを替えようとしていた土方の姿が映った。


「・・出かけるのですか?」
「着替えに帰って来ただけだ」
見れば土方はここに来る前にすでに井戸端で水を使ってきたらしく、前髪は水が滴らんばかりに濡れている。
それを無言で見ながら、宗次郎は其処に佇んでいる。

土方に何処に行くのかとは聞かない。聞かずとも分かる。
否、聞いて返って来る応えを知る方がずっと嫌だ。
そんな我儘な自分を叱るように、宗次郎は掌を握り締めた。



昨年桜の花がそろそろ咲き始めた丁度今頃、土方は正式に天然理心流に入門してここで暮らすようになった。
もともとそのずっと前から試衛館を自分の塒(ねぐら)の様にしていたから、土方は今更正式も無いと笑っていたが、宗次郎はその時ただただ嬉しかった。
いくら今までと変わらないとは言え、それはまるで土方がずっとここを離れないのだという護符を貰ったような安堵感に宗次郎は包まれた。

確かに土方の生活は、全くそれまでと変化がなかった。
相変わらず出かけて行けば、二、三日戻らないことは普通で、時には半月以上も留守にすることがある。

それが当たり前のようにして来たが、近頃宗次郎は自分の中で、土方の不在を物足りないとだけ思っていた時よりも、もっと違う何かが芽生え始めているのを感じるようになった。
それは寂しいという負の感情ではなく、もっと激しく何かを嫌悪する感覚に似ていた。
だがその正体が一体何なのか分からず、宗次郎は今自分自身を持て余している。


「大人しく留守番をしていろ」
「土方さん・・・」
そのまま出かけようとした大きな背に、咄嗟に声を掛けた。
振り向いた土方に、だが宗次郎は何も言えずに立っている。

「何か用事があるのか?」
促されて、小さく首を振った。
土方はそんな宗次郎を暫し黙って見ていたが、やがて方頬だけを緩めて笑った。
「土産を買ってきてやる」
後は何も言わずにまた踵を返した。

どんどん離れて行くその姿を、宗次郎はまるで瞳に焼き付けるかのように、瞬きもせずに見ていた。


土方の行き先は分かっている。
きっと白粉の香がむせる様に漂う処だ。
今までもそうだった。
だから今更自分の知らない処に出かけようと、驚くことでもない。
だが先ほど井上が嫁をと言った言葉が、宗次郎の心に土方をどこにも行かせたくはないと駄々をこねさせる。
どうしてそんな風に思うのか・・・どんなに考えても分からない。
けれど胸にあるのは酷くどろどろとした、嫌な思いだった。

「・・・へんだ」
言葉に出して呟いても、その思いは消えない。


急に陽が傾いたのだろう。
肌に触れた風が、春というのに驚くほど冷たかった。
視線を外に移してみれば、すでに辺りは夕暮れに染まり始めている。

きっとこんな寂しい色が、自分の心を少し分からなくしたのだ。
そう思ってみたとき、ふいにひとつ頬を伝わるものがあった。
慌ててそれを手の甲で拭った。

「へんだ・・・」
もう一度繰り返した途端に、反対側の瞳からも何かが零れ落ちた。
訳の分からない自分には愛想が尽きる。
「・・・ばか」
情ない自分に向かって言ったつもりが途中から泣き笑いになった。





「何だ、土方さん先に行っちまったのか」

日が落ちて全てが闇に覆われる寸前の薄暗がりに、隠れるようにしてやって来た伊庭八郎は、声を聞いて出迎えた宗次郎の顔を見るなり面白くなさそうに呟いた。

「何故八郎さんに分かるのです?」
宗次郎はひとつ年上の八郎に不思議そうに聞き返した。
「お前の顔を見れば分かるよ」
言いながらさっさと玄関の縁台を上がった。
「・・私の顔を見ると何故分かるのかな」
八郎の後に続きながら、宗次郎は小さな笑い声を立てている。
「それだけ寂しいと顔に出ていれば誰にでも分かるさ」
八郎は振り返らない。
「寂しいなどと思っていない」
足の速い八郎の背を追いながら、宗次郎は声音が少し硬くなるのを押し殺すように早口で言い切った。

「寂しくなけりゃそんな顔をするな」
自分について来る少年の足音だけは聞きながら、八郎は相変わらず後ろを見ない。
「八郎さん、どこに行くのです?」
ずんずん奥に入ってゆく八郎に、流石に宗次郎が声を掛けた。
「お前の部屋だ」
「私の・・・?」
「今日は泊めてもらう。そういう事で家を出てきた。今更帰れないだろう」
宗次郎は八郎を追う足を止めた。

「・・・八郎さん、またお父上に嘘をついたのですか」
呆れたような口調だった。
その気配に気付いて八郎もようやく立ち止まり、後ろを振り返った。

「嘘なんかついてはいないぜ。試衛館に泊まると言って来た」
「けれど本当は土方さんと出かけるつもりだったくせに・・」
宗次郎の声に咎めるような非難の色があった。
「結果的には泊まることになったのだから嘘にはならないだろう」
八郎の物言いは、うしろめたい気持ちの欠片も感じさせない。

「それより腹が減ったな。お前はもう飯は食ったのか?」
「今日はみんな出稽古に行ったり、他所に出かけていたりで・・・先に済ませてしまいました。八郎さんの食べる分位なら残っているけれど、でも青菜を浸したものの他に何も無い・・・」
言ってから宗次郎の顔が少しばかり困惑に染まった。



一昨年急逝した八郎の実父の後を、高弟であった掘和想太郎が継いで、今八郎はその養子となっている。
適材ならば流派を継ぐ者は決して血縁からでなくても構わないとういう心形刀流の家訓だが、それでも周囲の誰もが八郎こそ次の後継者と信じて疑わない。
だがその八郎は昨年の夏、高熱に苛まれて動けず木の下でぐったりしていた自分を介抱してくれた縁を持ってから、何が気に入ったのかこんな場末の町道場にふらりとやって来て、時には幾日も滞在して行く。
最近では土方と夜遊びにも頻繁に出かけているようだった。

それを別段不思議とも思わず今まで過ごしてきたが、贅をかけた遊びに興じる八郎にはこんな粗末な夕餉など口には合わないのではないかと、宗次郎は時折思う。
それに今日は井上と二人だけだったから簡単に済ませてしまった。
飯は炊いたが菜はとても人に出せる品ではない。


「ではそれをくれ」
だが八郎の応えは、宗次郎の憂慮などには頓着なさそうだった。
「台所に行けばいいのだろう?」
八郎は勝手知ったる建物の中を、今度はそちらに向かって大股で歩き始めた。





「八郎さんは変な人だ」
仕舞い湯を使って帰って来た宗次郎が、縁にいる八郎に声をかけた。

「何故?」
先に湯を使い、右足だけを下ろして、丁度半分胡座をかいた具合に縁に腰掛けていた八郎がその声に振り向いた。
宗次郎はただ含むように笑っただけで、応えは返さずそのまま八郎の横に腰を下ろした。

「お前ちゃんと拭かないと又風邪を引くぞ」
見れば宗次郎の濡れた髪から、まだ拭いきれない雫が細い首筋を伝わって零れ落ちている。
昼は浮かれるような温(ぬく)い風が吹く春とは言えどまだ夜は寒い。
こうして夜風にあたっていることすら、そろそろ止めにして室の中に入ろうとしていたところだった。


「どうして今日は行かないのです?」
横を向いたまま問い掛けた宗次郎の声がどこか沈んでいた。
「行かないって、どこに」
「土方さんと一緒のところ・・」
八郎の顔を見ないで俯き加減にしている横顔が硬かった。

「女の処か?」
その言葉に微かに宗次郎の頬が動いた。
「少し飽きてきたしな」
それを見逃さず、八郎が応えを返した。
「・・・飽きてきた?」
ようやく宗次郎が八郎を見た。
「女遊びもつまらなくなってきた」
八郎はそんな宗次郎の咎めるような視線を受けて苦笑した。
こんなことを何のてらいも無く言ってのけるひとつ年上の八郎は、宗次郎にとっては遥か遠い処にいる人間だった。

「そんな怖い顔をするな」
「・・怖い顔などしていない」
「それがしていない顔かよ」
「呆れているだけです」
怒ったようにまた俯いた項(うなじ)が、朧な月の明かりに映し出されて、ぼんやりと青白く浮かぶ。



暫し何か考えているように縁から下ろした自分の足の先を見ていた宗次郎が、ふいに誰に聞かせるとも無い風情で呟いた。
「・・・土方さんも・・」
が、すぐに躊躇うように言葉を止めた。

土方も八郎のように、いつか女遊びに飽きることがあるのだろうか。
本当はそう聞きたかった。
だが突然自分の胸に湧いた、この思いに狼狽した。
こんなことを聞いたら、きっと八郎はおかしいと思うだろう。


「土方さんも・・どうした?」
その先を促す八郎の問いかけに、小さく首を振るだけで宗次郎は応えた。
「あの人は女遊びに飽きるなどと言うことはないだろうよ」
その言葉に、宗次郎が弾かれたように八郎を見た。
「それが聞きたかったのだろう?」
自分を見つめてくる黒曜石に似た深い色の瞳が、言い当てられた事を怯えるように見開かれた。


だが八郎も又、今己の意志を無視して滑り出た言葉を、胸の裡で繰り返して戸惑っている。
土方が自分と同じような心境にあるとは思えないが、それでも宗次郎に告げたとおりだとは限らない。
それが宗次郎の求める応えとは逆のものであると知りながら、敢えて断言するように否と言い切った自分のこの気持ちは何なのか。


「あの人の遊びが治まるのってのは、嫁を娶っても無理だろうよ」
「・・・よめ・・」
呟きは意識の外にあったものらしい。
それが証拠に宗次郎の面(おもて)は、表情を失くして動かない。

「そういえば近藤さんの祝言はいつだった?」
「・・・あと十日もすると」
「近藤さんが嫁を貰えば、土方さんも少しは落ち着く事を考えるかもしれないがな」
宗次郎の薄い肩が微かに揺れた。

土方がいなくて今宗次郎が寂しい思いをしているのは良く分かっている。
今ですらこの少年はこんなに土方の事を頼っている。
それが嫁を娶ってしまえば、宗次郎にとって土方は益々遠い存在になるだろう。

そんな宗次郎の心を十分に知っていながら、どうしてこんなに意地の悪い事ばかりが口をついて出るのか八郎には分からない。
だが今目の前で、宗次郎のあからさまな動揺を見ていれば、更に追い詰める言葉は止まらなくなる。


「土方さんはあれで近藤さんには根っから惚れこんでいる処があるから、案外に自分も早くに嫁を娶りたくなるかもしれないな」
「・・・そんなこと・・土方さんは考えたことなど無いって・・」
小さな声で抗った言葉は、心の苦しさが生んだ嘘だった。


土方にその事をどんなに聞いてみたいと思ったことか。
嫁を娶って所帯をもって子を成し、安寧な生活を送りたいのかと。
その応えが是だと返されることが怖くて、ずっと聞く事ができずにいる。
そうだと応えを聞く位ならば、このまま聞かずにいつ止むとも知れぬ不安の中に居たほうがいい。

いつか土方も自分のことなど構ってくれなくなる時が来る。
そんな日が来る事など、まだまだ先の事だと思っていた。
だがどうだろう。
刻(とき)は知らぬ間にあざ笑うような早さで過ぎ行き、こうしてあらゆる現実を突きつけて自分の胸を苛む。

けれどきっと今胸を押し潰すような苦しさは、寂しい思いだけではないのだろう。
もっと激しくて切ない。
この思いは何なのだろうかと、宗次郎は胸に片方の手を当ててみた。




「・・・風邪、本当にひいちまうぞ」
そんな宗次郎の様子を黙って見ていた八郎が、言葉を掛けながら立ち上がると、縁を離れてさっさと室に入ってしまった。


すっかり暗いその中で、八郎は宗次郎に気付かれぬように溜息をついた。
このままいれば、どうしようもなく宗次郎を責めたててしまいそうだった。



初めて会った時から、宗次郎は土方を慕っていた。
それは傍で見ていて痛々しいほどに、いつもその瞳は土方の背だけを追っていた。
だから宗次郎が土方が自分からいつか離れて行ってしまうことに、寂しいを通り越して衝撃すら覚えるのは仕方が無い。
土方と宗次郎を知る者から見れば、それはごく当たり前のことだろう。
だがその宗次郎の一時の動揺すら、今の自分は許せない。



「どうにかしてるぜ・・・」
ひとり闇に愚痴て見ても、誰も応えはくれない。
「・・やはり遊んでいた方が似合っていたかもな」

らしくもなく遣る瀬無い思いにひとつ吐息して、宗次郎がさっき敷いてくれた夜具に潜り込んだ。
となりの夜具の主はまだ縁に腰掛けてこちらに来る気配はない。


「風邪をひくぞ」
幾度目かの言葉を少し乱暴に投げ掛けて、八郎は宗次郎とは逆を向くと、主の意志をちっとも聞かぬ今夜の自分から背けるように固く目を瞑った。


闇だけが、今は自分の心を唯一鎮めてくれるものに思えた。










         きりリクの部屋      早蕨(弐)