掲示板2000御礼 芙沙さまへ
総ちゃんのシアワセ カルタでシアワセ♪なの
総ちゃんはとっても退屈でした。
実は今日は朝から土方さんが近藤先生と、会津様の本陣へお仕事で出かけてしまったのです。
こんな風に二人で出かける時は、いつも遅くなるのです。
お昼は独りで済まさなければなりませんでした。
もしかしたらお夕飯だって、ぽつんと食べなければならないのかもしれません。
それを思うと何とも哀しくて、総ちゃんはもう数え切れない溜息を、またひとつつきました。
立てた膝を抱えて座っている足元には、存在感をさりげなく誇示するように、近藤先生のくれたぴよちゃんが纏わりついています。
けれどぴよちゃんは愛らしい声で鳴くだけで、土方さんの真似のひとつもするような気遣いは持ち合わせてくれません。
総ちゃんはぴよちゃんを見る度に、全く正反対の土方さんを思い出して、とっても寂しくなってしまいます。
思わずぴよちゃんと反対側に顔を向けて、膝の上にほっぺを置いてしまいました。
けれどぴよちゃんはそれを見て、とっても不機嫌になったらしく、総ちゃんのか細い足首を黄色のくちばしで突付き始めました。
なまじ可愛らしいだけに、愛玩動物の矜持というものがあるらしいです。
「ぴよちゃん、痛いっ・・」
総ちゃんは思わず声を出してしまいました。
するとその時ふいに障子に人影が映り、はっと顔を上げると同時に声も掛からず、それは開けられました。
「沖田君はいつも暇そうでいいね」
見上げた総ちゃんを、ふふんと見下ろして、そこに立っていたのは伊東さんでした。
総ちゃんは吃驚してしまいました。
総ちゃんのお部屋に伊東さんが来るなんて、滅多やたらにあることではないのです。
「・・あの、あの・・」
伊東さんが総ちゃんとお話をするときは、いつも皮肉か嫌味か意地悪か、三つのうちのどれかなので、少しどきどきしてしまいました。
ぴよちゃんは総ちゃんを突付くのに飽きて、知らん振りして毛づくろいを始めてしまっています。
いざと言う時の保身術は、小動物だけに素晴らしいものがあります。
「今から暇つぶしにカルタの鑑賞会をするんだけど、沖田君もどお?」
伊東さんは珍しく楽しそうに、総ちゃんに声を掛けました。
「・・カルタ?」
総ちゃんは少し困ったように首をかしげました。
実は総ちゃんは土方さんから、伊東さんに近づいてはいけないと常々言われていたのです。
だから土方さんが帰ってきた時に、伊東さんとカルタをやっていた事が分かったら、きっと叱られてしまうでしょう。
いえ、土方さんの大嫌いな伊東さんと仲良くしたなどと知れたら、叱られてしまうどころか、総ちゃんの事を嫌いになってしまうかもしれません。
恐ろしい事に思い当たって、総ちゃんは慌てて首を横に振りました。
「何?やらないの?ま、別にいいんだけれどね、ただ珍しいカルタだから一寸誘ってみただけ。それじゃ」
愛想なく言い切る伊東さんを見上げながら、総ちゃんの脳裏にふとよぎるものがありました。
もしかしたら・・・
一度閃いた考えは、すぐに総ちゃんには絶対そうだ、の確信になりました。
「・・あの、・・・そのカルタって・・」
「世の中にこれ程悪趣味があるかと思うような、きんきらきんのつくりに、空前絶後の品の無い川柳を書いてあって、おまけに『いろは』が全部揃っていないという、見たらお天道様だってお怒りになりそうなカルタですよ」
途端に総ちゃんは小首を傾げました。
伊東さんの言っているカルタは、どうやら総ちゃんの思っているものとは少し違うようです。
総ちゃんが思ったのは、金色の縁取りで、更に金粉を散りばめ、中には古に名を残す俳人にも負けない土方さんの句を染め抜いた、お正月に八郎さんが特別に注文して作ってくれた、それはそれは立派なあのカルタなのです。
「梅の花一輪さいても梅は梅とか、どうにも突っ込みようの無い川柳ばっかりなんですがね」
「中身の句の程度に位負けしない『つくり』と言ってくれろ」
その声を聞いて弾かれたように総ちゃんが顔を上げたのと、いつものように庭から扇子を口元にあて、ゆっくりと歩いてくる八郎さんの姿が見えたのが同時でした。
伊東さんは八郎さんを認めると、顔にくっつけてある、人を食ったような笑みはそのままに、お腹の中で思いっきり舌打ちしました。
実は伊東さんはあのカルタの中の句が、すでに土方さんのものだと弟の三郎さんに調べさせてあったのです。
それを知った時、流石の伊東さんもあんぐりと、お口が『あ』の字に開いて止まってしまいましたが、やっと『い』の字くらいまで戻すと、その時にはすでに、これを使って日頃貯まりに貯まっていた鬱憤のお返しを土方さんへしようと企んだのです。
で、小手調べに早速土方さんの大事な大事な総ちゃんをいぢめてやろうと、やって来たのです。
敵の城を陥落させるには、まず堀から埋めて行くのが一番です。
だてに新撰組参謀の名を拝領している伊東さんではありません。
ですから伊東さんにとって、総ちゃん至上主義の八郎さんは、お邪魔な虫以外の何ものでもなかったのです。
「おや、あのカルタを伊庭さんもご存知で?」
ちらりと八郎さんを一瞥すると、伊東さんはすぐに明後日の方を向いてしまいました。
「禁裏御用達の表具屋で意匠を施させて、特別注文で誂えてやったのは俺だからな」
面白くなさそうに横を向いたままの伊東さんに、八郎さんは更に続けます。
「ま、肩身の狭い婿の立場のあんたには、到底理解できない金の遣い方だろうが、江戸っ子の酔狂とでも思って笑ってくれろ」
と、事も無げに言い切ると、ぱらりと開いた扇子を口元に持ってゆき、唇の端をちょっとだけ歪め、嫌味の限りの笑みを浮かべました。
それを見て伊東さんは、総ちゃんがびっくりする位に、眉間だけでは飽き足らず、お顔全部に青い筋を幾本も立てました。
八郎さんの言うとおり、伊東さんは昔は鈴木さんと言ったのですが、その後深川の伊東さんという道場のお婿さんになったのです。
さてさて、伊東さんの事情などどうでもいい総ちゃんは、さっきから二人のやりとりを聞いていて、どうやら伊東さんの言っているカルタがやっぱりあの『土方カルタ』だと分かりました。
「・・・あの、そのカルタ、見せてほしいです」
総ちゃんは、出来た青筋を、今にも切れんばかりにひくひく痙攣させている伊東さんを見上げて、縋るような瞳でお願いしました。
そうなのです。
総ちゃんはもう一度だけ、あの土方カルタを見たいと、あれから毎日毎日恋焦がれていたのです。
初めてみた時に一遍で心奪われてしまった、立派な立派な土方さんの句で出来た金色(こんじき)のカルタ。
まるで土方さんが俳句の神さまになってしまったような神々しささえ湛えて、それは総ちゃんの瞳に映ったのです。
そして今も瞼を閉じて思い出すだに、感動でうるうるして来るのです。
そんな総ちゃんですから、伊東さんの酷評など耳に届くはずがありません。
愛は修正不能の錯覚ですら、堂々お天道さまの陽の下を、『それを天下の正道』として歩かせてしまうのです。
・・・世の中に、愛するが故にシアワセな勘違いより強いものは無いのです。
「いいですよ、ですからさっきからカルタを鑑賞しましょうと、誘っているじゃありませんか」
伊東さんは『全く手数をかける』と言う風に、総ちゃんをちらりと見下ろしました。
けれど伊東さんの意地悪な視線など何処吹く風、途端に総ちゃんのお顔一杯に、お日様が当たったような笑顔が広がりました。
「俺も遊んでやっていいぜ」
そう言った八郎さんは、いつの間にか総ちゃんの横に腰を下ろしていました。
相変わらず隙の無い御曹司です。
『あんたは誘っていないでしょっ』と伊東さんが口を開く前に、総ちゃんが八郎さんに向かって、とっても嬉しそうに、こくこくと幾度も大きく頷きました。
土方カルタに感嘆の声を上げるのは、ひとりでも多いほうが良いに決まっています。
あんなに立派なカルタをわざわざ作ってくれた八郎さんです。
きっと八郎さんだってもう一度見たいに違いないと、総ちゃんは信じているのです。
「ついでに他の奴等も誘ってやったらどうだえ?」
八郎さんは、すでにそこに伊東さんなんかとっくに居ないと云う風に、総ちゃんだけに視線を合わせたまま、にっこりと笑いかけました。
「あれは私のものですっ、勝手に決めるとは失礼な」
伊東さんはむっとして、八郎さんに突っかかりました。
「婿って言うのはどうにも懐が狭くていけないねぇ」
八郎さんは、『婿』という言葉を少し大きく言うと、やれやれと云う風に両手を上げて頭を振りました。
伊東さんは貼り付けてあった笑顔を、もう剥がす事もできない位にお顔が強張って、今にもひび割れてきそうでしたが、ぎりぎりの処でどうにか起死回生して持ち直しました。
流石、このご時世に道場をきりもりしていた、世渡り上手のお婿さんです。
それに・・・・
本当の処は、伊東さんには最初から、あのカルタで総ちゃんを苛めるだけでは終わらせない魂胆があったのです。
そうです。
伊東さんの本当の目的は、土方さんへの報復にあったのです。
この句をあの土方副長の作ったものだと屯所中に知らしめたら、どんなに気持ちが良いでしょう。
土方さんはきっと立ち上がれないどころか、恥ずかしくって部屋から一歩も外に出る事だって出来なくなるに違いありません。
それを想像するだけで、目の前の憎たらしい八郎さんの事も忘れて頬がゆるんでしまいます。
だとしたら八郎さんの言うとおり、カルタを見せる人間は一人でも多い方が良いでしょう。
伊東さんは八郎さんの言うことを聞くのはとっても癪に障って嫌でしたが、ここはひとつ辛抱の婿だった昔の自分を思い起こして、とって付けたような笑みを、又貼り付けなおしました。
「まぁ、どうしても見たい・・・っていう人たちがいれば、見せないでもありませんが・・」
伊東さんはすごくもったいぶって、節回しをゆっくりと、まるでお芝居のように言いました。
それを聞いた総ちゃんの瞳が大きく瞠られました。
それは当たり前の事かもしれません。
あんなに立派な土方カルタを、どうして三人の胸の中だけに仕舞っておくことができるでしょう。
誰だってあのカルタを見れば、そのすごさに驚いて土方さんに羨望の眼差しを送る筈です。
総ちゃんはその時の事を思うと、それだけでもううっとりとしてしまいます。
「そういう事ならば、見たい人間を集めましょう」
伊東さんはすっかり余裕を取り戻して、総ちゃんにいつもの少し嫌味な笑い顔を向けました。
その伊東さんに、総ちゃんは笑顔で頷きました。
そしてふと、もしかしたら伊東さんは土方さんの事を好いているのかな?と思ったりしました。
だからいつものように意地悪を言っても、結局のところ、本当はみんなにあの土方カルタを見せびらかせたいのかもしれません。
そんな風に思うと何だかとっても嬉しくって、総ちゃんの上機嫌が分からず呆れている伊東さんに、更に満面の笑みを向けました。
・・・・・愛こそは
偉大な万華鏡なのかもしれません。
さて、伊東さんや総ちゃんの呼びかけに、人が良いのか暇なのか・・、結局断りきれずに渋々集まった面々は・・・・
伊東さんに誘われて、嫌と言えなかった藤堂さん、その藤堂さんに丁度暇だったのが災いして付き合わされた永倉さん、更に自分だけじゃ嫌だった永倉さんに、昔のよしみで強引に付き合わされた島田さん、尚且つ、たまたま隣に居たというだけで、大きな島田さんの縋るような視線に負けた山崎さん、そして偶然にも総ちゃんにお菓子を届けに来ていた西本願寺の玄海僧正さんの五人でした。
これに、総ちゃん、八郎さん、当の伊東さんで、全部で八人がカルタ鑑賞会をすることになったのです。
そして・・・ここは伊東さんのお部屋。
参謀という名の管理職ですから、一応他の隊士さんのよりは少し広めです。
その真中にみんな輪になって座らされています。
総ちゃんは、八郎さんと大きな島田さんの間にお行儀よく座って、土方カルタを伊東さんが見せてくれるのを、今か今かと待っています。
あれを見た時のみんなの驚きと賞賛の声を想像すると、もうどきどきしてしまいます。
総ちゃんはそっと胸に手を当て瞳を閉じると、逸る自分の心を一生懸命鎮めました。
「どうしたんだえ?」
そんな総ちゃんの様子に、八郎さんが怪訝に声を掛けました。
「・・あのね」
これから繰り広げられる感動の先走りを、少しだけ八郎さんに話したら落ち着くかもしれないと、総ちゃんが声を掛けたとき、
「これなんですけどね」
押入を物色していた伊東さんが、漸く輪の中に戻ってきました。
「あっ!」
総ちゃんは伊東さんの手にある桐の箱を見ると、これ以上無いという風に嬉しそうな笑顔を浮かべました。
まだ白い桐の箱には、重々しく先に紫の房がついた紐が掛かっています。
そしてその中に納められているものこそ、箱に少しの退けもとらないあの土方カルタなのです。
伊東さんは厳かに座の中心にそれを置くと、ゆっくりと紐を解き蓋を開け、中から四十枚の文字札と、同じ数の絵札を取り出しました。
「うわぁ・・」
みんなが一体これが何なのか分からぬ内に、うっとりと溜息をついたのは総ちゃんでした。
「で、これが何だって言うんだ?」
永倉さんが、どうでもいいように伊東さんを見ました。
「これはある人間の作った句らしいんですがね・・・」
「土方さんのだろ?」
さも大変な秘密ごとを、もったいぶって言おうとしていた伊東さんの出鼻を見事にくじいて、永倉さんがにっこり笑いながら、いともあっさり言いました。
ところが・・・
それで大きな体を仰け反らせたのは、島田さんでした。
その同僚の動揺を機敏に目線で制したのは、いつも仕事の苦労を共にしている山崎さんでした。
(・・・あかん。心を乱れさせたらあかん)
山崎さんは島田さんに微かに首を振って、そう伝えました。
でもそうしながらも山崎さんは、さり気無くカルタから目を逸らしました。
「そのまんまの句だよな」
いつも悪気の無い藤堂さんが腕を組んで、さも難しそうに呟きました。
そんな藤堂さんに向かって、総ちゃんが嬉しそうに頷きました。
「あのね、蛙が飛び込んだ水の音の句があるでしょう?あれよりずっと上手なのです」
総ちゃんは土方さんの為に、薄っぺらの胸を少しだけ反らせました。
・・・愛は叉、思い込み名人でもあるのです。
自信満々の総ちゃんの顔を、不思議なものでも見るように、伊東さんはまじまじと見つめました。
「・・・うくいすや・・はたきの音もつひやめる・・?」
永倉さんが手元の一枚の札を見て、呟きました。
「下手に詠まれる位なら、いっそそのまま止めずに叩(はた)き続けてやっていた方が、鶯もありがたいってもんだろうよ」
八郎さんが気の毒そうに眉を寄せました。
「けどよ・・・」
八郎さんの後をとった永倉さんが、少し思案気に一旦言葉を止めました。
やがてゆっくりと宙にあった視線を戻すと、其処にいたみんなを見回しました。
「もしもこれがはたきじゃなくて、箒だったらどうなんだろうな」
「そういや、箒ってのはあんまり音がしないよな」
藤堂さんが、今頃気づいたように少し感心して言いました。
「だろう?雑巾がけなら尚のことだ」
永倉さんはやっぱり自分の突いた処は正しかったと言わんばかりに、満足げに笑いました。
本当に、考えてみれば全くもってそのとおりなのです。
箒でも、雑巾でもしっくりこないのです。
鶯の鳴き声に手を止めるのは、はたき掛けをしている時でなければいけないのです。
それを瞬時に見極めた土方さんは、やはりすごいのです。
総ちゃんは永倉さんの言うことに深く頷くと、うっとりと鶯の札を見つめました。
そんな三人を見ながら、八郎さんは慣れたもので、とっくに知らん振りを決め込んでいます。
伊東さんは何だか知らないけれど、とっても不愉快でした。
山崎さんは物の考え方も人それぞれだけれど、できたら上司は自分の容認できる範疇にある思考の持ち主であってほしいと、願わずにはいられませんでした。
そして・・・・
気の毒だったのは、やはり島田さんでした。
山崎さんのように『切り捨て』る精神鍛錬をしていない、人の良い島田さんは、先ほどからカルタを凝視し、『きっと・・流石・・・なんだろう』と一生懸命思い込もうとしているのですが、そうすればそうする程、体も頭も受け付けなくって、ほとほと困り果てているのです。
大きな背中を少し丸めるようにして、小さな溜息をついた島田さんを、伊東さんは見逃しませんでした。
「もし寸評をなどと言われても、幾ら上司とは言え・・この句じゃねぇ・・」
ここぞとばかりに伊東さんが、頭をふりふりさせながら、あたかも同情するように島田さんに声を掛けました。
「いえ、決してそのようなことは・・」
元々が忠義一徹、人情の人島田魁。
ですがその上に正直者と冠すれば、すでにこの問に否と応えることは、修羅に落とされて閻魔様を前に嘘を言うよりも辛いことなのです。
隣に座っている総ちゃんはその島田さんの応えを、瞳を輝かせて待っています。
島田さんの大きなお口から、これから繰り出される称賛の数々の言葉を思っただけで、もう感動の先走りで瞳がうるうるして来ます。
古来つまらぬ忠義の犠牲となって、一体どれ程の人間が詰め腹を切らされたものなのか・・
八郎さんは島田さんの顔から滴り落ちる汗を見ながら、武士の世界の厳しさを何となく思ったりしました。
玄海僧正さんはそんな事はどうでも良いけれど、総ちゃんの隣の席を占めている島田さんが困り果てているのを横目でちらりと見て、『ええ気味や、ふふん』と笑うと、すぐに自分にはお罰が当たらないように、心のなかで般若心境を唱えました。
「これ、これなんか、島田さん、貴方どう思います?」
更に容赦無く追い詰める伊東さんの声が、島田さんの耳に残酷に届きます。
島田さんは観念しました。
ここで忠義を尽させねば、島田魁は後世まで後ろ指を指される漢(おとこ)に成り下がるでしょう。
上司が白い鴨を黒といえば、それは黒。
お天道さまが西から昇り東へと沈み、川は海から始まり山で終わると言われれば、それも是。
島田魁、己の正直な心とは、今生の別れの盃を交わしました。
堅く瞑っていた目を開けると、そこには金粉を散らした墨跡も鮮やかに・・・
『菜の花のすたれに上る朝日かな』
じっと、大きな目を剥くようにして凝視して動かなくなってしまった島田さんに、伊東さんが更に声を掛けました。
「すだれって・・ねぇ。もう少し何とか・・」
くすっ、と笑って、伊東さんは意見を求めました。
島田さんの汗がぽたりと、ひとつ畳の上に落ちました。
これが限界かと山崎さんが危惧した時、それまで真一文字に結ばれていた島田さんの口がやおら開きました。
「ごっ、茣蓙(ござ)では朝日は見えませんっ」
島田さんは顔を真っ赤にして、まるで親の仇のように札を睨みつけながら、今自分にある力全部を使い果たして声をふり絞りました。
総ちゃんは横でこくこくと、嬉しそうに頷いています。
そうです。
確かに茣蓙では朝日は見えません。
すだれの合間から、ちらちらと見えるからこそ、お天道さまのありがたさが忍ばれるのです。
やはり島田さんです。
洞察力の鋭さは伊達に監察方で鍛えてはいません。
阿修羅の如き形相でまだ札に向かって目を剥いたまま、滝のような汗を流し続けている同僚の苦しい胸の内を慮り、山崎さんは痛ましそうにちらりと視線を流して島田さんを見ました。
伊東さんは忠義も此処まで来ると、最早人としての自分は捨てているのだろうと、何となく島田魁という人間が哀しいもののように思えました。
瑠璃の文庫 カルタでシアワセ(した)
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