かどわかし (四) ――宵五ツ半(午後九時)。 芝居が跳ねた小屋は、巨大な影を闇に埋め、ひたすらに沈黙する。 その、昼の賑わいが、一炊の夢かと惑わせるような閑寂が、まやかしの町と云う、猿若町のもうひとつの貌を浮き彫りにする。 「私が竹三さんの気をひくから、その間に・・」 木戸に視線を釘付けながらの囁きが、声になるのを憚るように、暗い溜まりに葬られた。 それに藤五郎は、頷くだけで応える。 不意に振り向いたおきみが、慌しい所作で袂から何かを取り出した。 「・・これ」 「何だい?」 「お金」 「金?」 訝しげに問う藤五郎の手を掴み開かせると、おきみは巾着袋を置き、強く握らせた。 だがその袋の重みに、すぐに藤五郎の眸が見開かれた。 「おきみさん、あんた、もしかしたら店の金を・・」 「町を逃れて大木戸を抜け街道へ出ても、まだまだ安堵の息なぞつけやしないのよ。お金は幾らあっても、邪魔にならないわ」 「だったら、おきみさん、これはあんたが持っていなければいけないよ。私はお尋ね者だ。でもあんたは違う。もしも捕まった時には、私は、あんたを脅して、それで匿わせていたと云うつもりだ。宗次郎さんを人質にしていたから、あんたは私の云う事を聞かざるを得なかった。宗次郎さんだって、きっと私の心を汲んでくれる。だから・・・」 藤五郎の声は、執拗だった。 それは、逃げられぬ我が身の定めを観念し、まだ今なら罪を免れ得る者を、必死に説き伏せているかのようにも聞こえた。 だがその藤五郎に、おきみは首を振った。 「おっかさんの部屋に、宗次郎ちゃんを助けて欲しいと書いた文を置いて来たの。・・あと半刻もすれば、番頭の宇平と代わって、おっかさんが番台を下りて来る頃。そうしたらすぐにその文に気付いて、宗次郎ちゃんを見つけてくれるわ。でもその時は、私のやった事も分かるのよ」 「おきみさんっ」 「お縄になる覚悟は、疾うに出来ているわ」 「あんたは私のやった事に巻き込まれただけだっ、まだ間に合う、間に合うんだっ」 「しっ、竹三さんだわ・・」 諦めぬ声を鋭く遮ると、おきみは藤五郎を凝視していた眸を木戸番小屋へ向けた。 其処に、薄ぼんやりと点る灯が、小屋の入り口から、人の膝上ほどの樽を回しながら引きずり出している、小柄な男の姿を照らし出していた。 やがて男は軒の下に樽を置くと、襟元を寛げ、蒸し暑さを払うように、せわしく団扇をつかい始めた。 「上手く木戸の外に出ることが出来たら、大川橋のたもとで待っていて」 その様を、眸を凝らして見ていたおきみだったが、一瞬短く告げると、いらえを聞く間も惜しむように、木戸番小屋から零れる明かりに向かって駆け出した。 「こんばんは、竹三さん」 突然、闇から降るように聞こえた柔らかな声に、首に掛けていた手拭で汗を拭っていた男が、胡乱に顔を上げた。 だがそれが顔馴染みの娘のものだと分かると、今度は驚いたように目を見張った。 「玉白屋さんのお嬢さんじゃねぇですかい?どうしなすったんです、こんな夜更けに」 幾ら夜の遅い湯屋だとは云え、あと半刻で木戸も閉めようかと云う頃合、若い娘が供もつけず一人歩きをしているのに合点が行かぬと云う風情で、竹三と呼ばれた男はおきみを見上げた。 「それがね、お客さんで、花戸川の草履屋のご隠居さんがいるの。いつも芝居を見た後、うちで一風呂浴びて二階でお喋りをして帰るのがお好きで、今日もそうして下さっていたんだけれど、急に持病の癪が出てしまって・・・」 「そいつぁ、てぇへんだ」 竹三は、少しばかり突き出た目を、大仰に見開いた。 だが其処に緊迫した気は無い。 ――湯屋には、湯から上がった客が、碁を打ったり将棋を指しながら歓談出来る二階がある。 それは男湯だけにあるもので、しかも女湯を覗く小さな穴まで拵えてある。 おきみは癪と云ったが、大方其処からの眺めに年寄りが逆上(のぼ)せたのだろうと、竹三の声には、そんな悠長な響きがあった。 「癪はすぐに治まったのだけれど、ご隠居さんは、駕籠で帰ると云ってきかないの。でもおっかさんが心配して・・、何しろお年でしょう?途中で卒中でも起こされら大変だから、草履屋さんまでお知らせに行った方がいいって云ってね」 「そりゃ、その方が、安堵できると云うもんです」 人の良さそうな顔を幾度も縦にして、竹三は頷く。 「それで竹三さんに、お願いがあるんですよ」 「何でしょう?」 おきみの顔に真剣なものが浮かんだ時、竹三はすっかり立ち上がっていた。 「生憎、今夜は、何故だか湯屋の方が忙しくて、おっかさんも座る暇が無い程、皆てんてこ舞いなの。それであたしが草履屋さんに行くって云ったのだけれど、おっかさんが心配をして。・・花戸川と云っても、草履屋さんは、木戸を出ればすぐ目と鼻の先だし、私一人で大丈夫だって云うのに、おっかさんと来たら、譲らないの。その内に、それじゃ、竹三さんところのお蔦さんに一緒に行って貰えって云い出したの。・・もう寝ようとしている夜更けに、本当に申し訳ないのだけれど、頼まれてはくれないかしら」 云いながら、おきみは竹三に、一分銀をふたつ握らせた。 「そんな事ならお安い御用ですよ、ですがこんな事されちゃ・・・」 金に目を落とし恐縮する竹三に、おきみは首を振った。 「おっかさんが、夜更けにご迷惑をお掛けするんだからって寄越したの」 「そうですかい、それじゃぁ、遠慮なく・・、おいっ、お蔦、お蔦っ」 竹三は押し頂くようにし、握った手を上げ頭を低くすると、狭い小屋の中に首を突っ込み女房を呼んだ。 その僅かな隙に、後の闇に潜んでいた影が、木戸を転げるように走り抜けていくのを、おきみは、背に体中のありとあらゆる神経を集めて感じていた。 藤五郎が、今、町を出た――。 暫し息を詰めるようにして、おきみは辺りに沈むしじまの中に佇んでいたが、やがて藤五郎の気配が僅かにも無くなると、一度目を瞑り、次に、はっきりと其れを開いた。 そうして、丁度こちらを向いた竹三と、出てきた女房のお蔦へ視線を戻した。 「ごめんなさい、下駄の鼻緒が心許ないの。すぐに履き替えて来ますから、ちょっとだけ待っていて貰ってもいいかしら。近くだし、大丈夫だとは思うけれど、町の外を歩くから何となく心配で・・」 「そんな事なら、かまやしませんて。どうぞ替えて来ておくんなせぇ。案外、逆上せちまったご隠居さんも、もうけろりとしているかもしれませんよ」 下駄に八の字を張る赤い鼻緒に目をやり、声を落としたおきみに、気のいい声が返った。 それに小さく笑みを浮かべて頭を下げると、おきみは慌てる素振りで駆け出した。 待っていて欲しいと――。 己の生涯で一度きり、いとしい夢を見た、大川橋のたもととは別つ道を。 道を知る松吉が案内をする形になって、土方と八郎の前を歩いていたが、その足が不意に止まり、広く先を照らすように、手にしていたぶら提灯を、肩より高く掲げた。 「・・志木先生でしたかい」 一瞬張り巡らせた緊張の糸が強かったのか、松吉の声には、安堵と、それを越えた虚脱感があった。 「そう云うあんたは、松吉さんかい?どうしたね、大勢で」 だが呼ばれた相手は松吉の事情など知る由も無く、返った調子は、いたくのんびりしたものだった。 「いえね、ちょっと其処まで、とんだ野暮用で。志木先生も、夜道は気をつけなすって下さいよ」 関わりが無い人間だと判れば、短い言葉を交わすその間すら酷く無駄な事に思え、松吉は先を急ぎかけた。 「おうそうだ、松吉さん」 が、相手はそれを許してはくれなかった。 「何でしょう?」 舌打ちしたいような焦燥が、松吉の声を尖らせる。 「玉白屋のおかみさんだが、あんた、何か知っているかね?」 「玉白屋さんですかい?湯屋の?」 松吉の苛立ちにはとんと気付かず、志木と呼ばれた老漢は、白い髭を綺麗に揃えた顎を引き頷いた。 「今朝方・・、と云うよりも、あれはまだ夜のうちだったが、あすこのおきみさんが突然やって来て、おっかさんが夕べから高い熱を出しているので、薬を欲しいと云うんだ。なら往診に行こうと云ったら、湯屋だけに、もし医者の私が出入りする処を同業者にでも見られたら、あすこのおかみは流行病だなどと、たちまち噂を立てられ、そうなれば店も休まなければならなくなる、だから此処はひとつ内密にと云う事だったんだが・・・。まぁ、それはそうかもしれないと、私も一旦は薬を出してみたものの、じかに病人を診た訳じゃないから気になってね。ほれ、あんた、先日会った時に、今玉白屋の男湯を直していると云っていたろう?だったら中の事情も知っているんじゃないかと思ってね」 「おかみさんですかい?玉白屋さんの仕事は三日前に終わりやしたが、今日、湯屋が混み始める夕暮れ時に、店の前で会った時には、いつもと変わらず元気なものでしたが・・」 会ったと云っても、それは宗次郎を探し、町を歩き回っていた時、偶(たま)さか姿を見かけたと云うに過ぎない。 それでも松吉の目には、玉白屋のおかみは、医者や薬が必要な程具合が悪そうには見えなかったから、応えた口調が些か不審げだった。 「そりゃ、おかしいな。・・おきみさんの云うような病状だったら、とても一日二日の内には治らんだろうに。それに番台から落ちかけて打った腰の痛みも引かなくて、その薬も一緒にと云う事だったんだが・・」 「熱さましと、痛み止め?」 どうにも合点が行かぬと云う風に、志木が首を傾げたその時、それまで無言で会話を聞いていた土方が、突然、松吉を押し退けるようにして前に出た。 「この兄さんは、誰だい?松吉さん」 温厚そうな見せ掛けと違えて、医者と云う職業柄か肝は据わっているらしく、土方の若気をやんわり制すると、志木は松吉に答えを求めた。 「うちのぼうず・・宗次郎の、兄代わりみたいな人でして」 この町で宗次郎の存在を知る者は、常に松吉夫婦と一緒にして見る。 だから宗次郎と土方の繋がりをどう説明したら良いのか、すぐには言葉を見つけられず、松吉のいらえは歯切れが悪い。 「あれ、宗次郎の?じゃぁあんたも、牛込の、何とかと云うやっとうの道場のお人かい?」 「そんな事より、その薬だ」 何処かのんびりと間延びした調子の志木の問いを、苛立つ声が阻んだ。 「熱さましの薬かね?」 「両方だ」 続けての無作法な物言いには、流石に志木も眉根を寄せたが、其処で臍を曲げると云う事は無かった。 それは、ちらりと遣った視線の先にある松吉の顔が、見たことも無く強張っているのが、志木に、緊迫した何かを感じさせた所為かもしれなかった。 「熱も高いが、腰もひどく痛がると云っていたから、熱さましに痛み止めを入れた煎じ薬と、それとは別に、胸に貼って熱を取る薬も渡したが・・」 松吉の憂いを取り除いてやれるものならばとの思いからか、老医師の説明は丁寧だった。 「痛がる?」 「と、云っていたがな」 頷いた志木だったが、その寸座、土方の横顔が、俄かに険しさを増した。 「あんたが役者になど入れあげるから、おっかさんも頭痛の種が増えて、余計に痛みが増すんじゃないのかねと云ったら、あの娘(こ)も困ったように笑っていたがね」 不意におし黙ってしまった土方にでは無く、志木は松吉に笑いかけた。 「役者・・、とは?」 が、その土方に代わり、思いもかけぬ一言に、八郎が気色ばんだ。 「せんだって、あすこの番頭の宇吉さんが風邪を引いたと来た時に、零していたのさ。おきみさんがちっとも婿取りの話に首を縦にしないのは、何とかと云う若い役者に惚れているからだと。まぁ、あすこは、おかみさんがしっかりしているから、娘が役者に入れあげて身代を潰すと云うような事は無いだろうがね」 浮世に咲く、徒(あだ)な艶話を引き合いに、からからと、喉の途中で声を回すようにした笑いが空(くう)に響いた。 だがその刹那、志木を囲んでいた三人の顔に、得も云えぬ硬さが走った。 そして次の瞬間、其処に居る間すら惜しむように、土方と八郎が、そして松吉が身を翻した。 澱んでいた気が動き始めたのか、西から東へと流れる風に押され、弓張り月の半ばが雲に隠れた。 皆目分からぬ事情に、暫し呆気に取られていた志木だったが、不意に足元に深く沈んだ闇を訝しぎ、天を仰いだ。 そうして、肌に絡む風に孕まれる湿り気が、いつの間にか先程より重くなっている事に気付くと、片手に持つ薬箱を揺すり上げた。 「雨が、来んうちに着けばいいが・・」 ぽつりと漏れた呟きが、自らの事を云っているのか、それとも慌しく去っていった男達の事を云っているのか、そのどちらか分からなくなってしまった己のいい加減さに、志木は、途中で押し止めたような、くぐもった声で苦笑した。 「玉白屋の娘」 「おきみさん・・かい・・?」 大工仕事で足腰には自信があるものの、流石に若い二人には敵わず、ともすれば置いていかれがちになる悔しさに、歯を喰いしばりついて来る松吉が、土方の背に応えた。 が、土方にしろ八郎にしろ、今は目指す場に辿り着くのに思考の全てを捉われているから、後ろの松吉まで慮る余裕は無い。 「入れあげていたのは、藤五郎だったのか」 「・・其処までは・・聞いちゃいねぇ。だが玉白屋には・・宗次郎を・・連れて良く行くから、・・おきみさんとは顔馴染み・・だ」 荒い息の下から、途切れ途切れに返るいらえの声は聞き取り難いが、受け答えはしっかりとしている。 だがその気丈を支えているのは、自分こそが宗次郎を助け出すと決めている、松吉の負けん気だった。 「さっき、あんたがあの医者に聞いた、薬の件・・」 そこに割り込むように、八郎が質す。 「痛み止め方か」 触れれば切れるような察しの鋭さに、傍らを走る八郎が、前を見たまま頷いた。 「おきみと云う娘が藤五郎を匿っているのは、間違い無いだろう。そして宗次郎は、その何処かで関わってしまった。だから二人に捕われた。・・だがあの宗次郎が、そう容易く人の手に落ちるとは思えん」 どのような息の詰め方をしているのか、足は一層速くなっているのに、八郎の語りに乱れは無い。 「・・自由を奪われているのは、怪我をさせられたか・・」 その事は、土方も判じている筈だった。 否、確信していると云って良かった。 だから薬の件を問うた時、痛み止めの方かと、即座に反応したのだ。 そして八郎自身、己の推量を言葉にした途端、身の芯からうねるような激しい焦燥が渦巻いた。 それは恐怖とも、怒りともつかず、八郎を戦慄させる。 つと、土方が前に出た。 ちらりと流した視線の先に、整いすぎた造作の横顔が、今は鬼面のような形相で、月華に照らし出された。 だがそれを阻むように、今度は八郎の足が、土方を先んじる。 「畜生っ」 互いに先を譲らぬ二つの背との間が、次第に開いて行くのを目に刻みながら、滴る汗を乱暴に拭うと、松吉は唸るような低い声で、もつれる己の足を叱り付けた。 遠くで鳴る鐘が、ひどく頼りなく聞こえるのは、もう指一本動かす事すら侭なら無い、気だるさの所為なのかもしれないと、そんな事を思いながら薄っすらと瞼を開いた時、不意に、幾多の男達の笑い声が起こった。 それが湯屋からのものならば、まだ釜の火は落とされておらず、さっきの鐘は、何刻(とき)を知らせるものであったのだろうか・・・ 外からの刺激は、少しずつ、少しずつ、混濁していた宗次郎の意識を覚醒させて行く。 が、声のした方へ面輪を向けようとした刹那、ぎやまんの欠片が突き刺さったような鋭い痛みが、脳天から四肢の先までを、一直線に突き抜けた。 しかもその苦しみに思わず漏れた呻きは、声になる事無く、冷たい汗だけが額に滲むにとどまった。 手足は再び縛られ、更に口までもが、何か布のようなもので塞がれているのだと――。 この時になって漸く宗次郎は、今自分の置かれている状態の全てを判じた。 動きを戒められ、声を奪われ、そして放り出されている我が身。 痛む身体をどうにか捩り人の気配を探しても、其処には、塗り籠められた闇だけが鎮座し、重いしじまを敷いている。 藤五郎もおきみの姿も、無かった。 塞がれた唇では十分に息を吐く事も出来ず、手足に喰いこむ縄の疼痛を堪えながら、今度はゆっくりと、宗次郎は、まだ続いている笑い声のする方へ首を反らせようとした。 と、その時。 梯子を上ってくる微かな人の気配に、外へ反りかけた面輪が、咄嗟に其方へ向けられた。 古い梯子は、人の肌に触れれば汗になるような湿気を吸ってもまだ足り無いようで、時折、みしりと軋む音を立てる。 上がってくる者は余程に用心をしているのか、音がするたび、其処で動きを止める。 そうして、ようやっと梯子の全部を上り終え、闇に浮き出た人影は、尚も音を殺し、転がされている宗次郎の傍らまで来ると、其処に膝をつき、火打ち石を叩いた。 二度三度、一瞬にも足らず闇に咲いた火の花が、灯心に、小さな焔を宿した。 「・・・宗次郎ちゃん」 ぼんやりと灯った燐光が、おきみの憂い顔を下から照らし出す。 「ごめんね。あんたに、こんな惨(むご)い仕打ちをして・・」 震えながら伸ばされた指が、宗次郎の乱れた前髪を丁寧にかき上げる。 だがおきみは、宗次郎の戒めを解こうとはしない。 「藤五郎さんは、町を逃れたの。夜っぴて走れば、朝が来るまでには千住の宿に着くわ。そうして、二年か三年、何処かで修行を積んで・・、もう一度江戸に帰って来た時には、あの人はきっと立派な役者になっている」 独り語る声は次第に昂ぶり、宙の一点を見詰める眸が、幻を追うように細められた。 しかしその言葉の持つ意味が分からず、宗次郎はただただおきみを凝視する。 「だって・・」 束の間、言葉は躊躇するように途切れたが、再び現(うつつ)に戻ったかのように、宗次郎に視線を戻した時、ぽつりと呟いた顔が、哀しげに笑った。 「その為に、あたしは助太夫さんを殺したんですもの」 その寸座、おきみを見上げていた両の瞳が、驚愕に見開かれた。 「・・そう、宗次郎ちゃんの思っていたとおり、あの時、助太夫さんはまだ生きていたのよ」 ――強張った面持ちの宗次郎を見詰めるおきみの声は、まるで絵空事を語るかのように、静かなものだった。 |