神さまたちの神無月




 秋の白っぽい陽が降り注ぐ、縁に寝そべりながら、
「なぁ…」
 京に在る平野神社の神さま、今木皇大神(いまきのすめ)さまは、
「こないなぽかぽか陽気に働くのは、愚かモンだけやと思わへんか?」
 と、北野天満宮の神さま、菅原道真公に語りかけました。
 すると、部屋の奥で蒲団を畳んでいた道真公は、
「屁理屈はええから、早く手伝おて。せやないと、今日中に仕事終わらしまへんで」
「夜に又敷くのやから、敷きっぱなしでもええやろ?」
「そないな事してみなはれ、待ってました、とばかりに非難ごうごう糾弾の嵐ですわ。去年神議サボったうちらに、周囲の目ぇは冷たいもんです」
 道真公は、神の世の世知辛さを、ため息混じりで嘆きました。

 そうなのです。
 今、ここ出雲の国では、日ノ本にお居でます八百万(やおよろず)の神さまが集まり、年に一度の神議の真っただ中。そう云う訳で、世間さまでは神無月、出雲の国では神有月と云うのですが…。実はこの神議を、二人の神さまは、黒船に乗ってきた魔女から京の町を守る云う、どうにも説得力に欠ける理由で昨年欠席してしまったのです。その代償でもないのでしょうが、今年回って来たお役目が、宿舎係。
 宿舎係とは、神さま達の使う布団の上げ下ろしや、食事の手配、国元から届いた便りの振り分けの他、やれ隣の部屋が騒がしい、蚊にさされた、夜の冷え込みが神経痛に良くない、などなど、あらゆる文句の受け口として、神議が催されている間は、それこそ寝る間もなく神殿中を走り回っていなければならない、大層面倒なお役なのです。

 「さっきも、男神はんの鼾が煩そおてかなわん、どうにかしてやって、弁財天はんが文句云うてきはったし…」
 道真公は、口を尖らせました。
「耳栓しはったらどないどす?って、云うたらええやん」
「そないなこと云うたら、エライ事になりますわっ」
「何で?そう云うのは、当事者同士で話合うのが一番やで?」
「職務怠慢やっ、云うて、一喝されるのが目に見えてますわ。それにおなごはんは、すぐ集団になります。ひとつでも煩い口が束になって来られたら…」
 ああ、恐ろしいと、道真公は身を顫わせました。
「面倒やなぁ、ここで居眠りしてたいなぁ」
 大神さまは大きな欠伸をすると、怠惰に籠るように背を丸めてしまいました。と、その時。部屋の片隅にあった鏡が、微かな光を放ったのです。同時に、銅鑼の音が響き、間延びしていた空気が、慌てて引き締められました。
 大神さまがのろのろ振り向くと、道真公は鏡に、
「何事ぞ?」
 と、厳かな声を掛けていました。すると間髪をおかず、鏡から、
「あっ、主さまっ、えらいことどすねん」
 ひどく焦った声が返りました。
「どないしたのや?」
「四条の四越っちゅう呉服屋に、ややが生まれるそうどす」
「うちは安産の神さんと違うで」
 道真公はおもむろに眉をひそめました。
「うちらも、そないに云いました。せやけど、そやつ、ややが生まれる前にどうしても、主さまの護符を母親の腹に貼っておきたい、云うて聞かんのですわ」
「母親の腹に護符つけとっても、賢い子が生まれるとは限らんで?人間ってのはそないなところが愚かやなぁ」
「…はぁ。けど、四越の主、市太郎ちゅうのは一寸違おて…」
「違う?」
「へぇ。自分と女房のおなみとの間に生まれる子は、日ノ本一の子に間違いあらへん。せやけど、人間、あまりに賢こ過ぎると、要らぬやっかみを買う。せいぜい天神はん位の賢さがええやろ。そんで知恵封じに護符を貼る、云いますのや」
 道真公の顔が、赤鬼のように、みるみる赤くなるのを見、後ろで寝転がっていた大神さまは体を起こしました。
 道真公はぶるぶると、鼻髭顎鬚を震わせていましたが、やがて、
「…ええ根性しておるやないか」
 と、怒りで歪んだ顔に、無理矢理笑みを乗せました。
「どないしはります?主さま」
 恐る恐る、鏡の向うで訊ねる声がしました。
「書いたる」
「知恵封じ、ですやろか?」
「阿呆っ、みぃーんなから嫌われる位、賢くしてやるわっ、うちを甘く見た報いやっ」
 云うや否や、道真公は、脇に吊っていた矢立てから筆を取り出し、天神と大書した紙を鏡に向けました。すると鏡は暫くそれを映していましたが、その内、文字がゆらゆらと揺れ始め、やがて消えゆくように薄くなるのと入れ替わりに、道真公の顔を映しました。

「ほんま、腹立つ、髭の艶にようないわ。目の保養をせんと…」
 ぶつぶつ文句をたれながら、道真公は、鏡を覗き込みました。
「けどあんたの顔じゃ、髭はもっと嫌なんと違う?」
 からかうように、大神さまも鏡を覗き込みました。
「覗かんといて」
 道真公は慌てて鏡に覆いかぶさりました。しかし、それより一瞬早く、
「あっ」
 っと、大きな声が上がりました。
「これはまた、えらい、可愛い子ぉやなぁ」
 大神さまの頬の肉が、ほわりと緩みました。
「見んといて」
「ええやんか、減るもんやなし」
「減りますっ」
「なぁ、この子、誰?なんか…、けど、どっかで見たことあるような気がせんでも…」
 大神さまが、はて、と首を傾げるのを見、道真公は急いで鏡を懐に仕舞おうとしました。ところが、はっと顔を上げた大神さまは、紫電一閃の如き素早さで、道真公の懐から強引に鏡を奪い取ってしまったのです。
「総ちゃんやっ」
「何しますのやっ、うちの鏡をっ」
「総ちゃんの小さいころやろ?この子?なっ?そうやろっ?」
「うちの鏡返してっ」
「いややっ、総ちゃんやぁっ」
 大の神さまが二人、三寸足らずの鏡を奪い合う姿は中々見られぬ光景ではありますが、神さまとて恋に迷えば、導(しるべ)も見失い、道も外します。大神さまは鏡を胸に抱き、道真公に背を向けてしまいました。
「人のもん返さんのは、盗っ人やでっ」
 たとえ相手が先輩神でも、負けるわけにはゆきません。道真公は大神さまの背に圧し掛かりました。
「ふん、一寸借りてるだけや。あんたこそ、鏡の待受けに惚れた相手を映して、仕事もせんでニヤニヤしてたって知れたら、えらいことやで」
「サボってばかりの大神はんの分まで、いっつも、うちは仕事してます」
「まぁ、そう堅いこと云わんとき。今日は布団敷き、うちが全部やるよって。もうちょっと見せといて」
 大神さまは、うっとりと鏡を見つめました。
「なぁ、この総ちゃん、幾つくらい?」
「十六」
 道真公は憮然と答えました。
「十六かぁ…。大人と子供の間、少年やな、ええなぁ…」
「大神はん、あんた、ただのいやらしいおじさんになってはる」
 胡散臭そうな視線が、鏡を見つめている横顔をじろりと睨みました。
「北野はん、この総ちゃん、どこで見っけたん?」
「そら、江戸まで逢いに行ったに決まってますわ。うちかて神さま、五年、十年なんぞ、ひとっ跳びですわ」
 道真公はピンと髭を張り、誇らしげに大神さまを見下ろしました。
「ほな、うちも逢いに行こ」
「そりゃ、残念なこってした」
「何で?」
「今は神さん全員集まって、年に一度の神議やってんのを忘れはったんかいな」
「ちょっと逢いに行くだけやん」
「それが今年はあかんのですわ」
「なんで?」
 不満そうな目が、道真公を見ました。
「毎年、神議の最中に、国に帰って居眠りして来はる神はんが仰山おますやろ?せやし、出雲の大神はんが、今年から大社の周りに結界を張って、うちらを閉じ込めてしまいましたのや」
「結界?」
 怪訝そうに眉を寄せた大神さまに、道真公は髭の先を指でなぞりながら頷きました。
「そらまた、面倒をしてくれはったなぁ。神はんが神はんを信頼しのうて、どないするねん」
 大神さまは、大仰な溜息をつき、肩を落としました。
「あんたはんのような神さまが居はるから、出雲の大神はんの信頼も揺らぎますのや」
 力の抜けた大神さまから素早く鏡を取り戻すと、道真公は、着物の袖で愛おしそうに拭き始めました。



 柔らかな陽が巣籠りしたような縁に腰をかければ、そっと寄り添う心地よい眠気。
「…総ちゃん」
 閉じた瞼の裏に愛しい人の姿を映し、道真公が折角の誘いに身を投じようとした、その時、
「なぁ…」
 お世辞にも可愛いとは云えない銅鑼声に、至福は妨げられたのでした。
 不機嫌この上ないです、と顔に描き、道真公は振り向きました。
「あんな、小っちゃい頃の総ちゃんは、あんたの事は知らんわけや?どないして、総ちゃんの前に立ったん?総ちゃんと逢おた時の事、話してぇな」
 大神さまは体を起こし、四つん這いで縁に出ると、道真公の横に腰かけました。
「話したくありまへん」
 ツンと、道真公はソッポを向きました。
「そないなこと云わんで。あ、布団の上げ下ろしな、神議が終わるまで、ずっとうちがします。よろず窓口、一手に引き受けます。あんたに手間は掛けません。せやから、な、この通り」
「神さんが神頼みしてどないしますのや」
 道真公は胡散臭そうな一瞥をくれました。けれど一寸間を置き、
「…布団敷きと、よろず窓口なぁ」
 と、宙に視線を巡らせました。
「そうなったら、朝から晩まで、総ちゃんを鏡に映して見ておられるなぁ…」
 ぶつぶつ、呟きは続いていましたが、やがて、
「手を打ちまひょ」
 大神さまに、尊大な顏を向けたのでした。
「おおきに。ほな早う話して、話して」
 いそいそと、大神さまは膝を進めました。
 道真公はコホンと小さな咳払いをしました。そしてそれを合図に、
「…あれは、総ちゃんがまだ少女の頃やった。江戸の場末の汚い道場に、まるで掃き溜めに鶴のように、総ちゃんはおった」
 大神さまの、少年やろ、と云う突っ込みにも耳を貸さず、夢にたゆたうように語り始めたのです。


「師走も半ば、寒い日やったなぁ。うちは酉の市の、縁起モノの熊手売りの振りして、道場の玄関に立ったんや。そしたら総ちゃんが出てきて…」
 道真公は言葉を切り、
「その瞬間、うちの胸は張り裂けんばかりに動悸を打ち始めた。頭はのぼせて、顔はかっかして、もう何を云うたらええのか言葉も見つからん始末や」
 蘇るときめきを、体全身に迸らせるように、吐息したのでした。熱い想いに当てられたように、大神さまも、両の手で胸を押さえました。
「玄関の框に行儀よう座った総ちゃんは、じっと、うちを見上げはった。うちはもう足元かてふわふわしてきて、ただひたすら総ちゃんを見てた…。ああ、あの時、あの黒い瞳は、うちを、うちだけを映しておったんや」
 ほうっと、道真公は長い息をつきました。
「そんで総ちゃんの唇が動いて…」
「動いて…」
「御用は何でしょうか?、と…」
「かわいらしい声やなぁ…、弁天はんかて敵わんわ」
 まるで声が聞こえているかのように、大神さまは目を細め、錦に染まる山々を見詰めました。
「この世のものとは思えん、澄んだ、清い声やった…」
「あんたは、幸せもんや」
 うんうんと、道真公は、洟をすすりました。
「そんでも、見詰めてばかりのうちを怪しいと思うたんやろな、不意に総ちゃんの瞳が怯えるように曇った。うちは焦った。怪しいもんと違いますっ、由緒正しい、立派な熊手売りですっ、と慌てて云いかけた。と、その時」
「とき?」
 道真公は、ゆっくりと大神さまを振り向きました。顔から、それまでのシアワセの余韻が消えています。
「伊庭の奴が、来よったんですわ」
 忌々しげに、舌打ちしました。
「伊庭ぁっ?」
 大神さまは目を剥きました。
「あいつ、そないな頃から総ちゃんと…」
「そうですねん。不意に後ろから、熊手ならいらねぇよ、邪魔だ、そこ退きなと、ほざきましたのや」
「相変らず、態度の大きいやっちゃな」
 呆れる大神さまに、道真公も眉を顰めました。
「あいつ、伊庭の小天狗、なんぞ云われて、ええ気になってましたわ」
「若造の頃から、天狗やったんやな」
「末恐ろしい傲慢ぶりですわ」
 二人の神さまのひそひそ声に、小鳥たちのさえずりが戯れます。
「そんであんた、どないしたん?流石に負けておられん展開やろ?」
「もちろんですわ。お前こそあとから来といて邪魔とはなんや、大体、神さまに退けとはふてぶてしいのも程があるっ」
「と、云うたんか?」
「…云いたかった」
「云わなかったんかっ?情けない。あんたには神さまとしての矜持が無いんか?」
「……」
「何で云わんのや?うちなら云うで?云われっぱなしの、あんんたの気がしれないわ」
「…その後ろに、土方がおっても?」
 大神さまの喉が、大きく上下しました。
「…土方」
 道真公は無言で頷きました。
「あいつまで…」
「伊庭の後ろに、いつのまにか、おったんですわ」
「……あんたも」
 大神さまは、道真公の烏帽子の向こうに悪い夢が広がっているかのように、
「災難やったなぁ」
 そっと目を逸らせました。
「土方の奴、うちをじろりと睨みよると、伊庭の横を通りぬけて、ずんずん奥へ行ってしもうたんですわ」
「無視?」
「ひと睨みくれただけ」
「伊庭と同じくらい、礼儀を知らん奴やな」
「うち、奴の系譜をずぅーと辿おて、行き当たった先祖に、アホ、云いうてやりたくなりましたわ」
 直に本人に、と云うのではないところが、少々姑息ではありますが、道真公は頓着なく鼻息を荒くしました。ですが…。
「けどな」
 それまで、煮えくり返る怒りで歪ませていた顔を、不意にほころんばせたのです。
「シアワセは、後からやって来ましたのや」
「勿体つけたシアワセやな」
「大神はんかて、聞いたら羨ましいと思いますえ」
 道真公の目尻が、たらりと下がりました。
「総ちゃんが、うちに、申し訳ありませんて、謝おてくれたんやもん」
「えっ、総ちゃんがっ?」
「そうですのや。あの綺麗なお面を哀しそうに曇らせて、じっとうちを見つめはったんや…。ああ総ちゃん…」
 道真公は吐息のように呟くと、そっと目を瞑りました。
「うちの胸は又、ううん、今度はもっともっと激しく動悸を打ち、手で口を塞がんと心の臓が飛び出てしまいそうやった。そないなことええのや、かまへん、土方なんぞ気にせんといて、って云わなあかんのに、口が上手いこと回らんで、かっかかっか顔ばかりが火照って…」
 ふっと言葉を切ると道真公は、
「なぁ、大神はん…」
 顫える声で、
「やっぱりこれが、シアワセって云うもんやろか?」
 と、問うたのです。それに大神さまは、泪ぐみながら、うんうんと頷きました。
「…これが、シアワセ」
 道真公は胸に手を当てると、雲ひとつない空を仰ぎ見ました。
「うち、総ちゃんに、も一度、あないな瞳で見つめて貰えるのやったら、何でもやる。伊庭に邪魔や云われても、はいはい今日は寒おすな云うて退くし、土方に無視されても、お帰りやす、おつかれさんどした云うて、笑おて手を振り見送れる」
「うんうん」
「シアワセって、どこまで寛大になれるんやろ。神さまより凄い力を持ってはるなぁ」
「うんうん、そやな。うちもあんたのシアワセ、ちょっとだけ分けて欲しいわ」
「今なら出来そうな気がしますわ」
「ほんまっ?」
「総ちゃんのこと思い出すと、シアワセのお裾分けもええなぁて、思えてきますのや」
「あんたは、ほんまに果報ものやで」
 しみじみ説いたその声に、一寸だけ羨ましさを忍ばせながら、
「ほな、お言葉に甘えさせてもろうて…」
 大神さまは早速、道真公ににじり寄りました。
「あんな、うち、その哀しげな瞳して謝った総ちゃんを、見たいのや」
「え?」
「せやから、あんたに詫びた時の、総ちゃん」
「いや、せやけど、あれは、うちだけの…」
 道真公は言いよどみ、あらぬ方へ視線を逸らせました。
「あんたさっき、シアワセのお裾分けしたい、云うたやないか」
「…云うたけど」
「ほな、その時の総ちゃん見せてぇな」
「けど、今は神議中やよって…」
 なぁなぁと迫っても、道真公は、なかなか首を縦にしません。
 のらりくらり返事をかわして鏡を拭いている丸い背に、とうとう肝を焦らした皺嗄れ声が、
「シアワセってな、ひとりじめしようとすると、するりと逃げてゆくんやで」
 低く脅しました。ぎょっと振り向いた道真公を、大神さまの怖い目が、じっと見据えています。
「ほんまやで、うちかて、伊達に神さん長くやってんのと違うで」
 そう断言されれば、大切なものを失う怖さに慄くのは、神さまとて人とて同じこと。考えるより早く、恋する心の臆病が応えました。
「…ほな、ちょっとだけ」
 道真公がしぶしぶ向けた鏡を、大神さまは食い入るように覗き込みました。

「あん、見えへん、邪魔やな、このでかい背中、誰?」
「うちです」
「伊庭も邪魔やけど、あんたも邪魔やな。丁度陰に隠れてもうて、肝心の総ちゃんが…」
「悪おしたな」
 憮然とした声も耳に入らず、大神さまは必死に鏡を覗き込んでいましたが、突然、わっと声を上げました。
「総ちゃんやっ、あれやっ、なっ?あの華奢な姿は総ちゃんやろっ」
 はしゃいだ歓声に、庭で遊んでいた雀が驚き、動きを止めて二人の神さまを見ました。
「あっ、又見えのうなってしもうた。今度は何の影やっ」
「土方ですわ」
「邪魔なっ」
 大神さまは、苦々しく舌打ちをしました。
「早送りして、土方消してえな」
「急がせんといて」
「ああ、もどかしいっ、うちが消したるっ」
「あっ、やめて、大事な鏡が割れてまうっ」
 強引に伸ばされた大神さまの手を払い、道真公が鏡を庇ったその刹那、ぶつり、と鈍い音がし、一瞬、鏡は闇の底のように黒くなりました。しかしすぐに、肩幅のある広い背を、今度は鏡一杯に映しだしました。
「…誰や?これ」
「…土方や」
 道真公が、呆然と呟きました。


 ちゅんちゅんと、再び雀は陽だまりに遊び、紅く化粧した木の葉を揺らす風もない、静かな暮れの秋。二人の神さまは身じろぎもせず、強張った顔で、鏡を凝視していましたが、やがて、
「…鏡が、動かん。…総ちゃん、土方に、隠れたままや。土方が、総ちゃんを隠してもうた」
 大神さまが、うつろに呟きました。
「……」
 道真公の方は、上半身をのめり込むようにし、鏡を覗きこんだままです。その時。
「あっ、二人とも一緒やった?」
 にこにこと、穏やかな笑みを浮かべて現れたのは、京にある、元祇園社の神さま、梛の宮(なぎのみや)さまでした。梛の宮さまは、珍しく慌ただしい足取りで部屋に入ってきました。
「あんな、今さっき、鏡交神も、念波もあかん、云う禁止令が出たんや」
「…禁止令…?」
 道真公が、うつろな目を向けました。
「ふん。あのな、出雲の大神はんが他所の国の…仏陀はん、とか云うたかなぁ。ともかくその人と交神中に、他の交神に邪魔されて密議が中断してしもうたんやって。ほんで大神はんが怒らはって、今、出雲大社の周りに結界を張ったんや。せやから、神議が終わるまで、鏡も念力も通じんからそのつもりで、云うことや。ほな、うちは他にも知らせんといかんから、行くで」
 梛の宮さまは、神さまの良さそうな目を瞬きながら話し終えると、また慌ただしく出て行きました。

「けどなっ」
 梛の宮さんの足音が消えると、はたと気づいたように、大神さまが道真公の肩を掴みました。
「あんた、鏡の中に絵を残してあるんやろっ?せやったら結界は関係あらへん、元の待受け総ちゃんに戻せばええことや?そうやろ?はよ戻そ?」
 なんで動かないんやろ…、と、ひとりごちながら鏡を覗く大神さまの背を、道真公はぼんやりと見ていましたが、やがて、
「…絵は、京に置いてありますのや」
 と、掠れた声で呟きました。
「えっ?」
 洒落にもならない応えで振り向いた大神さまでしたが、顔は、巌よりも堅く固まっていました。
「失くしたらあかん、思うて、天満宮の神殿の奥に鍵かけて置いてありますのや。あと、写しを、大宰府にも…」
「ほな、今見せてくれていたのは?」
「鏡経由で、京の蔵にあるのを…」
「…鏡交神か?」
「うち、待受け総ちゃん消してしもうた挙句、出雲の大神はんと仏陀はんとの交神まで途切れさせてしもうた。知れたらどないしょ」
「けど…、せやったら、せやったら…」
「神議終わるまで、鏡は土方の背中を映しっぱなしですわ」
「…土方の背中」
 ごくりと唾を呑んだ大神さまに、
「そう、ひじかたの、せなか」
 道真公は泣き笑いを浮かべました。

 互いを見つめ、うつろに笑いつづける神さまたちを、いつの間にか傾いた日に混じる神有月の冷たい風が、ふふふと意地悪するようにつつきました、とさ。








瑠璃色