雫 sizuku(下) 玉響〜たまゆら〜 番外
褥も無く、畳の上に押し倒されてその冷たさに総司の体が一瞬強張った。
共に重なりながらすくめた肩ごと抱くようにして、
八郎の顔が総司のすぐ真上にあった。
「後悔はしないと誓うか」
鋭い視線が総司を射抜く。
その切ない問いかけに、目だけで頷く。
そのまま総司の髪をいじっていた八郎の指先が頬に触れ、
やがて唇にたどり着き、輪郭をそっと撫でた。
その感触に思わず目を瞑った時、
唇が少しひんやりとした八郎のそれに塞がれた。
目も開けることができず、どうすれば良いのかも分からず、
総司はされるがままになっていたが、息苦しさから微かに口を開いた。
その瞬間を待っていたかのように、口内に八郎の舌先が滑り込んだ。
初めて自分以外の熱を持つ侵入者に口腔を侵(おか)されて、
総司は驚いて上に重なる八郎の胸をどけようと抗った。
その抵抗を許さず、八郎は抱いている腕の力を強めると、
更に総司の舌に己のそれを絡ませ強く吸った。
吸い上げられ、犯すように口腔を弄る八郎の舌に、
総司は全身の力という力が抜け、
溶けるようにだらしなく弛緩してゆく自分に戦(おのの)き
咄嗟に八郎の背に手を回し強く縋った。
八郎の唇はそれだけでは許さず、顎を伝い首筋を這い、
肌蹴られた胸にたどり着くと、鎖骨の窪みを丁寧に舐め上げる。
ただそれだけで息があがり、呼吸が荒くなる。
総司の青みがかった白い肌が上気し、熱を持って火照りだす。
小さな突起を舌でなぞられると、
痺れるように全身を走った鋭い感覚に、
思わず声を漏らしそうになった。
それを辛うじて呑み込んで、顎をそらして唇を噛んだ。
雨の音だけが気配として感じられる静寂の中で、
袴の紐を解かれる新たな衣擦れの音が、
総司の身を一瞬にして硬くさせた。
咄嗟に八郎の手を掴んで抵抗すると、
その腕はあえなく絡め捕られ、
八郎の手のひらの下で畳に貼り付けられた。
そのまま何もかもが初めての総司には、己を取り戻す余裕などなく、
黒曜の瞳から零れ落ちるものがあることすら知らず、
ただただ、八郎の執拗な愛撫に声を殺して翻弄され続けた。
やがて一瞬にして下肢を抱えあげられ、
強引に暴かれたその付け根が冷たい外気に触れると、
総司に激しい羞恥心が蘇った。
身を捩り八郎から逃れようとした瞬間、
体の中心を激痛が貫いた。
愛撫の余韻を全て消し去る、
突然襲った体が引き裂かれるような痛みに
総司は八郎の胸の下で無意識に暴れた。
その総司の抗いを押さえ込むようにして、
八郎は高ぶった己自身を更に深く沈めようとした。
だが激痛に激しく筋肉を硬直させてしまっている総司の内部は
これ以上の八郎の侵入を頑なに拒む。
きつく締め付けられて、端正に造作された八郎の顔が苦しげに歪む。
額に玉の様な汗を滲ませ、黒曜の瞳から次から次へと涙をあふれさせ、
八郎の背中に爪を立てて総司は死に物狂いで痛みに耐えている。
時折耐えられなくなった悲鳴がくぐもった低い声になって漏れる。
総司の吐き出すだけの様な、荒々しくも浅い呼吸が段々と弱くなってゆく。
(やはり無理だったか・・・)
一時動きを止めてその様子を見ながら、八郎は胸の内で後悔していた。
生まれた時から男を受け入れられる器官を持つ女と違って、
男同士の性交は受ける相手の方にかなりの負担を強いる。
元来が華奢な骨組みを持つ総司の体が、
その衝撃に耐えられるものかと八郎には密かな憂いがあった。
総司の顔から先程まで上気していた仄かな朱の色が消え、蒼白になっている。
時折焦点が合わない目は意識を失いかけているのだろう。
この体にこれ以上の負担をかけるのは無理と判断した八郎が
体を引いて離れようとした時、それを総司が腕を掴んで止めた。
「これ以上は無理だ」
汗で頬に張り付いた乱れ髪をそっと撫でてやりながら告げる八郎に、
総司は激しく首を振った。
何かを言いたいらしいが乱れた息が邪魔をして、なかなか言葉にならない。
それでも必死に呼吸を整えると、
「・・・・優しくなど・・しないで、下さい・・」
八郎の目を見据えてはっきりと言った。
八郎は今自分が下に組み伏している総司の顔を驚愕の思いで見つめた。
総司は悦びを得る事など微塵も期待してはいないのだ。
総司にとってこれは罪以外の何ものでもないのだ。
思い人の為に体を引き裂いて汚し、罪を作る。
その罪を封印として己の思いを一つ残らず閉じ込める。
その為にはこの行為は総司にとって
ただ辛いもので終始しなければならないのだ。
そこまで思った時に、八郎の胸にかつて無い激しい嫉妬が湧き上がった。
それは今、自分の下になって苦し気な呼吸を繰り返しながらも、
背に回した細い腕の力を更に強めてくる
総司の思い人に向けられたものに他ならなかった。
ここまで総司に思われている土方を、
八郎は初めて身を焦がすような嫉妬の対象として意識した。
そしてその激情はそのまま
下から自分を見つめてくる総司自身に向けられた。
八郎は総司の頭の下に腕を回すと、僅かに持ち上げて再びその唇を犯した。
荒々しく、大胆に口腔を弄り、
溢れる唾液が総司の唇の端から糸のように細く流れる。
ただですら苦しい息の下で、
口を強く塞がれて総司は辛そうに眉根を寄せた。
その苦しげな顔すら今の八郎を刺激する。
もう優しく気遣う余裕はどこにも無かった。
頼りない腰を持ち上げると、止めていた己自身を一気に打ち込んだ。
瞬間尖った悲鳴と一緒に総司の体が撥ね上がって、
のけぞった薄い胸の皮膚を通して、あばら骨の形が露(あら)わになった。
全てを受け入れさせて、そのひとつひとつにも唇を這わせる。
耳朶を噛み、離して「総司」と名を呼び、又噛む。
止むことなく指で、手のひらで、そして唇で
滾(たぎ)る恋情の嵐を残す隈なく体中に散らす。
風に巻き上げられた木の葉のようにただ翻弄され続け、
やがて苦痛だけに支配されていた総司の黒曜の瞳に、
僅かに恍惚の色が浮かび始めた。
その一瞬の色を見逃さず、八郎は更に激しく動く。
揺らされるたびに宙に抱え上げられた総司の下肢が舞う。
(俺の腕の中で哭け、俺の熱さで狂え・・・)
熱い愛撫を繰り返し、繰り返し、
やがて逃げ切れない高みに追い込み、
堪えられず切ない声を放って果てるまで、
八郎は逆巻く激情の限りを総司の体の中にぶつけ続けた。
ひとつに繋がったこの部屋の空気を、今は誰にも触れさせたくなくて、
勝手場から自分で調達してきた冷酒を手酌であおりながら、
八郎は敷いてやった布団に横たわる総司に視線を落とした。
総司は静かな寝息をたてて眠っている。
その頬に優しく手を触れると、薄い瞼が細く開いた。
「もう少し寝ていな。市谷には今日は泊まると使いを遣ったよ」
まだ闇の中にあっても無意識に土方の事を気に止めていたのであろう。
八郎の言葉に安心したように、又瞼を閉じた。
それを憎いと思いつつ、そのいじらしさが限りなくいとおしい。
意識の無い総司を清めてやっているときに、
その下肢にこびりついた幾筋かのあざやかな朱の色が、
今共に落ちようとしている畜生地獄への熾き火(おきび)の色に八郎には思えた。
「こんなことで思い切れるってもんでもねぇだろ、お前も俺も・・」
総司の乱れた髪を指でそっと梳きながら、八郎は呟いた。
いつの間にか雨足が激しくなったようで、
庭に叩き付ける雫の音が耳にさわる。
その音を聞きながら八郎は、
物憂そうに最後に残った酒を一気に干した。
了