総ちゃんのシアワセ♪ お正月でシアワセ♪一月一日なの はじまり 総ちゃんは火鉢に掛けた鉄瓶が、しゅんしゅんと湯気を立てているお部屋の隅っこで、膝を抱えてぽつんと座っています。 今日は元旦です。 それで土方さんは朝早くから、近藤先生と伊東さんとお年始のご挨拶に出かけてしまったのです。 もうお昼はとっくに過ぎたのに、土方さんはまだ帰って来ません。 せっかく賄いの隊士さんが作ってくれたおせちにも、総ちゃんはお箸をつけないでほおってあります。 総ちゃんはもう幾度目か、数え切れない溜息をつきました。 けれどすぐに思いなおして、ふるふると頭を振りました。 年の一番初めの日から、こんなにしょぼんとしていたら、お正月の神さまだってきっと気を悪くします。 そんなことで土方さんとの仲を邪魔でもされたら、とんでもないことです。 けれど一人でお部屋にいても、ますます寂しくなるばかりです。 こんなところでじっと待っているよりも、外で帰りを待っていた方がずっと落ち着くかもしれません。 総ちゃんは思い直したように、土方さんを迎えに行く為にすっくと立ち上がりました。 お外は良いお天気でしたが、思わず肩をすぼめる程の寒さです。 暖かいお部屋にいた総ちゃんは、真正面から勢いよく吹きぬけた北風に、思わず目を閉じて立ち止まり、ぶるっと震えました。 「沖田はんやおへんかぁ」 その時弾む声が聞こえて、総ちゃんが瞳を開けてそちらを見ると、西本願寺の玄海僧正さんがこっちに向かって嬉しそうに歩いて来るところでした。 「・・・あけましておめでとうございます」 総ちゃんは少し緊張して、身体をきっちりとふたつに折り曲げました。 実は近藤先生から、『ここは本願寺さんの敷地を間借りしているのだから、お寺さんにはくれぐれも粗相があってはいけないよ』といつも言われていたのです。 「おめでとうさん」 玄海僧正さんはにこにこと、満面の笑顔で総ちゃんに応えました。 「どこ行かれはるん?」 玄海僧正さんは総ちゃんに叉一歩近づいて、さっきよりもうんとご機嫌の様子です。 「・・・あの、土方さんを」 総ちゃんは土方さんを迎えに行くのだと言いかけて、なんだか恥ずかしくなり下を向いてしまいました。 「なぁ、沖田はん、今日うちとこの正念がぜんざい作ったんやけど、それ食べながら双六でもせえへん?」 そんなことはお構いなしの玄海僧正さんは、ちらちらと総ちゃんを見ながら巧みに誘います。 「・・・ぜんざい?」 総ちゃんは俯けていた顔を上げました。 その時ちょっとだけお腹がきゅるると鳴りました。 土方さんは甘いものが苦手ですが、総ちゃんは大好きです。 そういえば今日は朝早くに土方さんを送り出してから、何も食べていません。 本当はおせちだのお雑煮だの、あれやこれや用意してくれてあったのですが、総ちゃんはひとりで食べる気が起こらず、ずっと土方さんを待っていたのです。 それでも寒い北風の中にいて大好きな『ぜんざい』という言葉を聞けば、少し心が動きます。 「小豆は蝦夷の松前から取り寄せましたんや。そんで中に入れる栗は丹波の甘栗を氷室で取っておいたもんです。その小豆を柔らこお炊いてぜんざいにしましたんや。そんなんふぅわり炊いても小豆が口の中で形を無くすときは、ちゃんと歯ごたえがありますんや。栗は渋みがほんの微かにあって、それがまたまろやかな甘さを一段と引き立ててますのや」 玄海僧正さんはそんな総ちゃんの一瞬の心の動きを見透かしたように、おいしい言葉を並べ立てます。 流石は宗教家、だてに西本願寺門徒衆を相手に、日々説法している訳ではありません。 総ちゃんは考えます。 今日は近藤先生と一緒だから、土方さんは遅くなるでしょう。 大体がお年始回りなどと言うものは肩が凝るものです。 もしかしたら疲れて帰って来た土方さんが、甘いものが食べたいと思うかもしれません。 その時に『聞くだけで美味しそうなぜんざい』を出して上げる事ができたら、どんなにいいでしょう。 でも帰りに『お土産に下さい』なんて言ったら恥ずかしい気がします。 「土方はんのお帰りはうちとこの知念と正念に見張らせておけばよろし。お姿が見えはったら呼びにこさせまひょ。そんで帰りには皆さんにも、ぜんざいをお土産にしはったらよろしいわ」 玄海僧正さんは総ちゃんの迷いを見逃さず、ここぞとばかりに押します。 ちょっとだけだったら「ぜんざい」をご馳走になってもいいかな・・・と、総ちゃんが思っていたときに、後ろから聞きなれた足音がしました。 「総司、何をやってるんだ?」 振り向くと案の定、永倉さんと藤堂さんが二人でゆっくりと、こちらにやって来るところでした。 玄海僧正さんは咄嗟に横を向くと、仏さまが吃驚するような苦々しい顔で『ちっ』と言いました。 「これはこれは、永倉はんに藤堂はん、おめでとうさんです」 けれどそれも一瞬のことで、玄海僧正さんはすぐに門徒を前にした仏教行事用の『徳の高そうなお顔』に戻りました。 「あのね、玄海僧正さまがぜんざいをご馳走してくれて、双六やりませんかって・・」 総ちゃんは一人でご馳走になるよりも、みんなで食べた方がきっと美味しいに決まっていると思って、にこにこしながら言いました。 双六だって二人でやっていたら、すぐに上がってしまいます。 でもそれを横で聞きいている玄海僧正さんの笑顔が、いつの間にか『貼りついたよう』になっていることには全然気が付きません。 「双六かぁ・・・・百人一首の方がいいな」 藤堂さんが腕を組んで顎を撫でながら言いました。 (あんたを誘ってるんとちがいますっ) 玄海僧正さんは思いっきり嫌な顔をしました。 「俺は坊主めくりの方がいい」 永倉さんは坊主を前にとても失礼なことを、全く悪気無くさらりと言いました。 (こいつら仏の顔も三度まで言うんを知らんのかいなっ) 玄海僧正さんはまだ自分は仏ではないので、欲得にまみれていても当たり前だと思っています。 玄海僧正さんはとてもたくさんの修行を積んで来ましたが、『あんなんで悟りが開けたら苦労はせぇへん』という現実志向の持ち主でもありました。 けれどそんな玄海僧正さんのお腹の中など知るはずも無く、ふたりは延々と百人一首か坊主めくりかでもめています。 総ちゃんは譲らない二人を見ながら、もしも今夜土方さんがぜんざいを食べながら、双六を一緒にやってくれたらどんなに楽しいだろうと、ぼんやりと思っています。 一度捕われた楽しい思考は、土方さんの姿を求めて総ちゃんの目をつい門に向けてしまいます。 「そんなところで皆固まって何をしているのだえ」 どのくらいそうして門の外を見ていたのでしょう。 またまた突然後ろから、今度はもっと聞きなれた声がしました。 皆が一斉に振り向くと、八郎さんが何やら紫色の風呂敷を手に持ってやって来るところでした。 何とその後ろには田坂さんもいます。 「伊庭さん何しに来たのさ」 藤堂さんは八郎さんがむっとする事を、全く考えなく聞きました。 「総司と坊主めくりをしようと思ったのさ」 オウム返しのようにあっさりと応える八郎さんに、玄海僧正さんはもう苦々しい顔を隠せません。 (ほんまっ、失礼な奴等や。坊主めくってもなんも出てこんわっ) そっとお腹の中で舌打ちしました。 「田坂さんもおそろいかい?」 永倉さんは後ろの田坂さんにも一応声を掛けました。 永倉さんは自分は『気配りの人』だと、信じて疑っていません。 「たまたま一緒になっただけさ」 田坂さんは『たまたま』に力を込めて、本当に嫌々そうに言いました。 「あのね、玄海僧正さまがぜんざいを食べて、一緒に双六しませんかって・・・」 総ちゃんはさっきよりもっと人数が増えて、ますます嬉しそうに言いました。 これでぜんざいを食べながら土方さんを待つ間も退屈しなくてすみそうです。 「双六よりも面白いものがあるぜ」 その言葉に皆が注目すると、八郎さんは手にしていた紫の風呂敷を総ちゃんの目の前に差し出しました。 「これは俺が作らせた特注の『かるた』だ。年賀の挨拶用だがな」 「特注?」 藤堂さんは不思議そうに紫の包みを見ています。 「そうだ。たった七日で作らせた」 八郎さんは大仰に頷きました。 「・・・で、誰への挨拶用だ?」 永倉さんは『どうでも良いこと』だと思いましたが、聞いて欲しそうな様子の八郎さんに、『気配り名人』を自負する手前、一応問い掛けました。 「つまらないものだが・・・ひじ・・」 「誰でもええですわな。そないなことより、沖田はん、早うぜんざい食べまひょ。こないな寒いとこにおったら風邪引きますわな」 言いかけた八郎さんを遮るように、玄海僧正さんが突然会話に割って入ってきました。 「そうそう、風邪を引いたらいけないよ。早く帰ろう」 それまで黙って事の成り行きを見ていた田坂さんが、この辺りで自分をきっちり主張しました。 でもお腹の中で、風邪を引いちゃったらまた自分の家においちゃおうかな、とこっそり思っています。 いえ、いっそ風邪でもないのに風邪と言って有無を言わせず引き取っちゃうのも医者の役得かなと、ふと思ったりもしました。 邪魔された八郎さんは、本当はとっても面白くなかったのですが、『どうせ凡人と坊主に言っても分かるまい』と高飛車に決め付けました。 「・・・・ぜんざい、お土産にもらってもいいですか?」 総ちゃんはこんなお行儀の悪いことを聞いたら近藤先生に怒られちゃうかもしれないと思うと、どきどきしましたが、寒い中を帰ってくる土方さんの事の方が大切で、玄海僧正さんにお願いせずにはいられませんでした。 「もちろんですわな。たんと持って行っておくれやす。せやけどぉ・・・、その前に双六してくれへんことにはぁ・・・」 玄海僧正さんはいつの間にか増えた恋敵達のせいで、総ちゃんを『ぜんざい』を盾に脅していることに気が付きません。 「双六したらぜんざいくれますか?」 総ちゃんは土方さんの為に必死です。 「坊主は坊主めくりが相場と決まっている」 突然八郎さんが、何の根拠も無く、自信たっぷりに言い切りました。 それを聞いて籐堂さんは、『いつから坊主相場になったんだろう・・・』と思いましたが、ちらりと横目で見た永倉さんが妙に納得気に頷いているので、何だかそんな事は昔から決まっていた事のような気がして、八郎さんに聞くのをやめました。 「なんで坊主が坊主めくらなあきまへんのやっ」 玄海僧正さんは八郎さんに食って掛かりました。 (めくりたいんは・・・・) そんなに怒りながらも、ちらりと横の総ちゃんを見て、ちょっとだけほっぺたを緩めました。 その時また枯葉を舞い上げる勢いで、強い風が通り過ぎました。 総ちゃんは前髪を吹き上げられて、おでこをさらして、またまたぷるっと震えました。 こんな寒い日にあっちこっち廻っている土方さんを思うと、瞳がうるうるしてしまうほど胸が痛みます。 早くぜんざいを貰って、お部屋を暖かくして、帰りを待っていてあげなくてはなりません。 「玄海僧正さま、双六をやります」 総ちゃんは土方さんの為にぜんざいを貰おうと、頭の中はもうそれで一杯でした。 「ほな、早うに行きまひょ」 玄海僧正さんはここぞとばかりに、一人ほくほくと総ちゃんの手を自分の両手で取ると、一緒に歩き出そうとしました。 そのときです。 「・・・けど」 永倉さんが呟きました。 一斉にみんながそっちを見ると、腕を組んだ永倉さんが何か深く考え込んでいるように空を睨んでいます。 やがてゆっくりと視線を戻すと、合点がいかないように皆を見回しました。 「坊主が正月からサイコロ振っていいのか?」 眉間にシワを寄せて、討ち入りの時のような厳しい顔で聞きました。 「博打打ちみたいだな」 藤堂さんも素直に頷きました。 (坊主がサイコロ振ってどこが悪いんやっ、坊主かて仏さんにはまだなっていないんや、欲もあれば色も抜けませんっ) 玄海僧正さんは思わず大声で怒鳴りそうになりましたが、はたと気づいて周りを見回しました。 門徒さんでもいたらえらいことです。 「確かに坊主がサイコロ振る図っていうのは、見栄えがいいもんじゃなかろうよ」 八郎さんはそんなことはどうでも良いと思いましたが、さっき人が気持ち良くしていた自慢話を遮った上、総ちゃんの手を握った玄海僧正さんを『今年土方の次に嫌なやつ』と思ったので、とりあえず永倉さんの意見に賛成しました。 「人に説法する身がサイコロじゃな・・門徒の手前もあるだろうしなぁ」 田坂さんも『何も宙を睨んで考える程の事でもなかろうに』と思いましたが、やはり目の前で総ちゃんの手を握られてむっとしたので、玄海僧正さんの一番痛いところをつきました。 「総司、ぜんざいなら食べに連れて行ってやる。だからもう帰ろうぜ」 八郎さんは総ちゃんの手を握っていた玄海僧正さんのそれを素早く外して、やんわりと笑いかけました。 けれど思いもかけず、総ちゃんは八郎さんに向かって首を振りました。 実は総ちゃんはずっと思っていたのです。 玄海僧正さんは若いけれど、西本願寺でも偉いお坊さんです。 そんなに『徳の高いお坊さんがくれたぜんざい』を土方さんに食べさせたら、きっと今よりも素晴らしい俳句ができるような気がするのです。 土方さんは句をひねる時は、難しい顔をして総ちゃんの相手をしてくれません。 けれど『徳のあるぜんざい』を食べて、すらすら句が出てくるようになったら、自分をもっと構ってくれる暇が出来きるのではないのかと・・・・総ちゃんはそんな風に考えているのです。 愛は常に『強引に舞い上えい』です。 「・・・玄海僧正さまのぜんざいが欲しいです」 蚊の鳴くよりも小さな、総ちゃんの声でした。 それを聞いて玄海僧正さんは、にんまりと笑いました。 「ご本人がこう言うてますのや。ほな早よう行きまひょ」 玄海僧正さんは誇らしげに言って、もう一度総ちゃんの手を取ると、あとは周りなど省みず強く引っ張りました。 「俺もぜんざいが食いたい」 その時、藤堂さんがぽつんと呟きました。 「あんたはんを誘ってはいまへん」 玄海僧正さんは振り向きざまに嫌そうに言いました。 「坊主は平等じゃないのか?」 永倉さんがこの間伊東さんから聞いた『斬り捨てさん』の事を思い出して、ごく素朴な質問風に聞きました。 「それは西洋の神さんですやろっ、うちとことは関係ありまへんっ」 「嫌だねぇ、懐が狭い坊主って言うのは。抹香臭くっていけないね」 八郎さんが素早く玄海僧正さんの手を総ちゃんから外すと、そのまま肩を抱き、袂からこんなに寒いのに扇子をとりだして口元にあてました。 「坊主が抹香臭くのうてどないしますんやっ」 又しても八郎さんに邪魔されて、だんだん俗人っぽくなってゆく玄海僧正さまに、総ちゃんはおろおろしてしまいました。 ここでご機嫌をそこねて『徳の高いぜんざい』を貰えなくなったら大変です。 それに良く考えたら、こんなに大勢にぜんざいを振舞えば、きっと土方さんの分まで残りません。 「・・・あの、あの、・・」 総ちゃんはひとり慌てて其処にいた皆を見回しました。 「・・・坊主めくりをやって、一番勝った人がぜんざいを貰えるようにしたらどうかな?」 総ちゃんはあんまり必死だったので、つい『双六』を『坊主めくり』と言い間違えてしまいました。 「・・あっ」 すぐに気が付いて、咄嗟に口元を両手で押さえても後の祭りです。 玄海僧正さんのこめかみが、ひくひくと動いています。 それが頭を丸めているだけに、血管の動きまでがよく見えます。 僧正さんは怒っているのです。 もう『徳の高いぜんざい』は貰えないかもしれません。 総ちゃんの瞳には何を考えるよりも先に、じわりと浮かぶものがあります。 これで去年よりもずっとずっと土方さんと一緒にいられるという夢は、儚くきえたのです。 今年も土方さんの俳句は、総ちゃんに勝利の高笑いを響かせました。 総ちゃんは、またまた一年寂しい時をすごさねばなりません。 もしかしたら桜のお花見にも、夏祭りにも・・・・そうそう、紅葉狩りにだって連れて行ってはもらえないかもしれません。 遂にひとつぽろりと、大きく見開かれた瞳から零れるものがありました。 「お前はそんなに坊主めくりをしたかったのかえ?」 八郎さんがここぞとばかりに慰める風を装って、総ちゃんの肩を更に抱き寄せました。 今年も一分の隙もぬかりも無い八郎さんです。 総ちゃんは、『もう双六でも坊主めくりでもいいから、みんなぜんざいを要らないと言って下さい』とお願いする気力もありません。 うつろな視界に幻のように浮かぶのは、美味しそうにぜんざいを食べている土方さんの姿です。 それも夢になってしまうのでしょうか? 「正月から弱いものいじめをするってのもなぁ・・・」 そんな総ちゃんを見て、藤堂さんが玄海僧正さんに言いました。 永倉さんは『坊主がいじめるってのもなぁ・・』と言いかけましたが、『これも総司にとっては試練なのかもしれない』と思い、はたと口を噤みました。 そしてここは一番、見てみぬ振りをして大きく成長させてやるのも又親切と、『大人の裁量を示した』自分に満足げに頷きました。 でも『ぜんざいで成長するってのもな・・』と、ふと思いましたが、もうめんどくさくなったので、やっぱり知らんふりすることにしました。 「所詮坊主だって俗物だってことだろうさ」 田坂さんが『商売敵』を冷たい目で一瞥しました。 医者と坊主はどこまでいっても平行線なのです。 みんなに攻め立てられて、玄海僧正さんの頭の中は今怒涛の勢いで色々なことが回っています。 史上最年少で西本願寺の僧正という位についただけあって、回転の速さは並みの人の比ではありません。 玄海僧正さんの頭の中で、遂に『りん』が、ちーんと鳴りました。 それまで瞑っていた目をぱっと開くと、玄海僧正さんは総ちゃんに向かってにこやかに笑いかけました。 それはもう営業用の『いかにも徳の高そうな笑み』でした。 「こうしたらどうですやろ。坊主めくりして一番勝った人がぜんざいを貰ろうて、そんで一番負けた人は一番勝った人の言うことを何でも聞くいうんは・・」 流石に僧正さま、転んでもただでは起きません。 例えどんな窮地に立たされても、起死回生の瞬発力はすごいものがあります。 いえ仏教とは、追い詰められてこその末法思想なのかもしれません・・・・ 仏の道は極めても極めても、果てがありません。 「・・・一番勝たなくてはぜんざいを貰えないのですか?」 総ちゃんはまだ涙を溜めた瞳で見上げました。 「総司、俺が勝ってぜんざいをやるよ」 八郎さんが自信満々に言いました。 けれど八郎さんの頭の中には『一番勝つ人自分、一番負ける人総ちゃん』の図式しかありません。 総ちゃんが何でも言うことを聞いて、自分のものになると思うとつい頬がゆるみます。 「俺も上げるよ」 田坂さんもいつもよりもずっと優しく言ってくれます。 お正月早々何て楽しい遊戯なのでしょう。 一歩出遅れていただけに一発逆転の勝利を狙っていましたが、今年こそは花も実もある毎日を送る事ができそうです。 田坂さんもお腹の中でにんまりと笑いました。 総ちゃんは頭の中で指を折って数えました。 坊主めくりをやる人は全部で自分を入れて六人です。 そのうち、八郎さんと田坂さんが勝ったら総ちゃんにぜんざいをくれる約束をしてくれました。 もしかしてお願いすれば、永倉さんや藤堂さんも譲ってくれるかもしれません。 そうなれば相手は玄海僧正さまひとりです。 けれどその僧正さまだって最初は『ぜんざいをお土産にあげまひょ』と言ってくれていたのですから大いに脈ありです。 これで土方さんに、甘くて心が『ほんわか』するぜんざいを食べさせることができます。 そして更に『徳のあるぜんざい』で、すらすら俳句が出てくるようになったら・・・ 総ちゃんの頭の中で、お正月とお盆が一緒に手をつないで、にこにこ笑いながら全速力で走ってきます。 「玄海僧正さま、その坊主めくりをやりたいです」 総ちゃんはやっと乾いた涙の跡が残る頬を興奮で紅くして、玄海僧正さんに向かうと、幾度も首を縦に振って頷きながら言いました。 その時またまた木枯らしが、ぴゅうっと六人を巻き込むように吹きましたが、総ちゃんはちっとも寒くはありませんでした。 瞼を閉じれば、土方さんの笑顔が一杯です。 総ちゃんは今、とってもとってもシアワセでした。 お寺さんのただ広い本堂に総ちゃんたち六人は、まぁるくなって座っています。 その真中には玄海僧正さんが桐の箱から取り出した、色も鮮やかな百人一首の札が裏を返して積み重ねられています。 坊主めくりとは、百人一首の絵札だけを四つ程に分けて積み重ね、順番にめくってゆく遊びです。 それで坊主の絵を引いた人は、せっせと集めていた札全部を失います。 その札を次にお姫さまの絵を引いた人が、棚からぼた餅形式で全部もらえるのです。 実に簡単な仕組みですが、その実単純すぎるだけに人生そのもののようで、なかなか奥が深い・・・などと籐堂さんは、あまりの本堂の中の寒さに哲学してみたりしました。 「さぁ始めますっ」 玄海僧正さんはまるで意気込む鼻息まで聞えそうに、力を籠めて開催を宣言しました。 袈裟は外して、何と邪魔になる袖の始末のために、襷(たすき)まで掛けようとしています。 「鉢巻はいいのか?」 それを見ながら籐堂さんは親切に聞きました。 「すべるだろう」 永倉さんは藤堂さんを、年上の者として一応嗜めながら、『そうだよな?』と何の悪気も無く、玄海さんに笑い掛けました。 邪気の無い親切は時々残酷です。 玄海僧正さんは普通ならそこで『大きなお世話やっ』と怒鳴り返すところですが、今は何としても勝利しなければならないこの事情に、余計な神経と体力を使うのは避けた方がいいと咄嗟に判断しました。 玄海僧正さんが渦中の人にちらりと視線をやると、総ちゃんは四つに分けられ積まれた札を、じっと見て身じろぎもしません。 総ちゃんもこの勝負に賭けているのです。 ついでに邪魔な恋敵達も見回すと、八郎さんは扇子を口元にあて、札を見ながら何やら思案している様子です。 その表情にも厳しいものがあります。 田坂さんは胡坐をかいて腕を組んだまま、やはり札を凝視しています。 だれもが一番を狙っているのです。 玄海僧正さんは目を閉じ、改めて自分に喝を入れなおしました。 「で、順番はどうするんだえ」 八郎さんが札を見たままで聞きました。 「俺は最後でいいよ」 どうでもいい永倉さんが言いました。 「俺は最後から二番目でいい」 これまた、もっとどうでもいい籐堂さんが言いました。 「ほな、うちらだけですな」 玄海僧正さんは、八郎さんと田坂さんと総ちゃんを見て、厳(おごそ)かに言いました。 「ここは正月とういうことで、歳の順番にしたらどうやろ」 突っ込む余地を与えないように、玄海僧正さんはとても強く言い切りました。 「なんで正月と歳と関係があるんだよ」 けれどそんな玄海僧正さんの努力などまるっきり無視して、藤堂さんが尤もな事を聞きました。 「労われってことだろうよ。まぁその位は勘弁してやるさ」 八郎さんが余裕の笑みを浮かべて、玄海僧正さんを見ました。 色即是空、色即是空・・・ 玄海僧正さんはこめかみをひくひくさせながら、お腹の中で般若心経を必死に唱えて平静を装います。 総ちゃんはその横で『歳』と聞いただけで、土方さんのお顔が頭に浮かんで、どきどきしています。 あの無愛想で端正なお顔が、自分の手で勝ち取ったぜんざいで、嬉しそうに少しだけ笑みを浮かべるのを想像しただけでもういけません。 「玄海僧正さま、早く坊主めくりをやりたいです」 総ちゃんは詰め寄るように言いました。 ・・・・色即是空、色即是空・・・・ 必死の瞳に見つめられて、ぐらつく平常心を正すように、玄海僧正さんは一段と大きな声で般若心経を唱えます。 『・・・・あかん』 けれど玄海僧正さんはいくら頑張っても、こんなものは無駄な努力だと知っています。 「ほな、始めましょうか」 そうして煩悩にとびきり正直になると、とろけるような笑みを総ちゃんに向けました。 瑠璃の文庫 お正月でシアワセ♪むすび |