玉 響 たまゆら 十

 

 

 

七月も半ばに入った。

土方はまだ大坂から戻れないらしい。

 

暇を見つけて見舞いに来てくれる近藤や、

江戸以来の、今は新撰組の『幹部』と呼ばれている者達から

総司は隊の事を聞きたがった。

 

だが見舞いの者達は、田坂医師から極力仕事に関する話を

避けるように注意されているので、

総司の思うようには様子を聞き出せない。

 

つんぼ桟敷に置いていかれる焦りから、

何度も田坂に屯所にもどって静養したいと訴えたが、

田坂は聞く耳をもってはくれない。

 

 

 

今朝の診察の時も、それで田坂と一悶着あった。

いつにも増して執拗に、帰して欲しいと訴える総司に、

元来が短気な田坂であるから、

「いいかげんにしろっ」と怒鳴り置いて病室を出てしまった。

 

 

 

 

午前の患者が途切れて、診療所が一時静かになった時、

「俺の短気はもう治るもんでもないのだろうな・・」

机に向かっていたはずの田坂が、ふいに呟いた。

 

多分ずっとその事を気にしていたのであろう事は、

総司の病室から荒々しくもどって来ると

無言のまま仕事を続けていたことから良く分かる。

 

 

後ろで薬になる植物の根を挽きながら、キヨは聞えぬように小さく笑った。

その気配を察したのか、田坂が振り向いた。

 

「キヨ、笑うことはないだろうに」

面白くなさそうな田坂の声に、

キヨは堪えられずに、声をたてて笑い始めた。

 

 

キヨは田坂の養父がここで診療所を開いていた時から

手伝いに来ていたから、もう五十をとうに過ぎている。

嫁にも行かず、養母が世を去り養父も三年前に亡くなってからは、

住み込みで田坂の身の回りの世話から、診療所の切り盛りまでを

一人でこなしてくれている。

 

 

 

「沖田はんは、そら可哀想な位にしょんぼりしてはりましたぇ」

キヨは田坂が出て行ってしまった後、

肩を落として下を向いてしまった若者の姿を思い出していた。

 

「あの頑固者を聞き分けさせるには仕方がなかったさ」

キヨに責められているようで、田坂は仏頂面になって答えた。

 

「そうですやろか。沖田はんは、ほんまに素直なええ性格をしてはります。

若先生がちゃんと筋道を立てて、丁寧に話してあげはったら、

きっと分かってくれはると違いますか?」

 

「そいつができないから、俺の短気は直らないものかと聞いたんだ」

苦々しげにキヨに八つ当たりして、また背中を向けながら、

沖田がしょんぼりしていた、と言うキヨの話は本当だろうと思った。

 

患者の事を考えてのことで、悪いことをしたつもりは毛頭ないが、

キヨの言うとおり、もう少し言い様があったかもしれない。

 

 

あとでもう一度覗いてみるか・・・

 

そんな事を考えている時、玄関で人の声がした。

すぐに立ち上がろうとしたキヨを手で制して、

 

「いいよ、俺がでる」

言った時には田坂の背は玄関に続く廊下に消えていた。

 

「ほんまは優しいお人なんやけどねぇ」

わらいながら小さく呟いたキヨの声は、もうとおに田坂には届かない。

 

 

 

 

玄関の人影は腰に二本を差していた。

 

「急患でしょうか。それとも初めての方でしょうか」

珍しい客だと思いながらも、

田坂はいつも初めての客にはそうするように尋ねた。

 

「患者ではありません」

それに応えた声は、少し低いが艶があって良く通る。

 

「こちらに沖田と申す者がご厄介になっていると聞き伺いました」

 

年は自分より若そうだが、それでも幾らも変わらぬであろう。

だが決して構えて立っている訳では無いが、

その身からは一分の隙も見受けられない。

 

「失礼だが貴方は?」

「これは申し遅れました。伊庭と申します。

新撰組の近藤殿にこちらを伺って参りました」

 

沖田とは古い友人です、と言ったあとに

端正な顔に陽が射すように笑った。

 

新撰組の沖田といえば昨今

その名前は勤皇志士達の標的にすらなっている。

そういう意味で警戒をしてみたが、

近藤から聞いて来たと言えば通さぬ訳にも行かない。

 

 

「どうぞ、お上がり下さい」

田坂の言葉に伊庭と名乗った若い男は、

「御免」

短く告げて草履を脱いだ。

 

 

 

田坂の後ろを続きながら、中庭を巡らす廊下に差し掛かった時伊庭が

 

「総司はどんな具合でしょう」

ごく自然に語りかけてきた。

 

「だいぶ良くはなって来ましたが、

今暫らくはここで大人しくしていてもらわねばなりません」

「総司がそろそろ帰りたいと我侭を言い始めてはいないかと

近藤殿は案じていました」

 

「近藤さんは良く分かっておいでのようだ」

小さく苦笑するように言った田坂の横顔を、伊庭は改めて見た。

 

 

(どこかで見たことがあるような・・)

だが京で医者をしているこの男の顔を、自分が知る筈が無い。

少しばかり気になるのは、田坂の江戸者らしい快活な口跡だった。

 

 

そんなことを考えている時に、前を行く田坂の足が止まった。

「あの部屋です」

田坂の送る視線の先に、

中庭に向かって障子を開け放した明るい部屋があった。

 

 

 

 

 

 

朝から言い争いの様になって、

田坂を怒らせてしまったことを総司は悔いていた。

鬱積した気持ちを田坂に当ててしまった、自分の甘えが嫌だった。

もう少しして、午後の外来の患者が途切れるようになったら詫びに行こう。

 

そう思って、キヨが慰みにと付けてくれた縁の風鈴が、

微かな風に鳴るのを聞きいているうちに、まどろんでしまったようだった。

 

 

 

「沖田君」

その声に目が醒めた。

 

「お客さまだよ」

田坂の後ろに人の影がある。

逆光になって顔が分からず、総司は少し目を細めた。

 

「俺だよ」

聞きなれた声だった。

「八郎さん」

慌てて起き上がろうとした総司を、八郎は軽く制した。

 

「いいよ、寝てなよ。あんまり具合が良くないんだろ」

「もうすっかりいいんです。

みんなが大げさにしているだけで、本当は・・」

 

言ってしまってから、田坂がいることに気がついた。

どうしよう、という狼狽を正直に顔に浮かべている総司に

田坂は苦笑した。

 

 

「その位の元気なら客人の相手は大丈夫そうだな」

 

キヨに言って茶を運ぼう、そういい置いて出て行こうとした田坂に

総司は真から申し訳無さそうに頭を下げた。

 

 

 

そんな田坂と総司の様子を八郎は黙って見ていたが、

 

「あの医者・・、やはりどこかで・・」

そう呟いた声は聞き取れぬほど小さなものだった。

「えっ?」

 

「いや、何でもない。他人の空似だろうよ」

快活に笑って見せたが、

どこか心に引っかかるものを八郎は感じていた。

 

 

案外それが、総司を己の家に自由に置くことのできる男への

つまらぬ嫉妬あたりから来ているやもしれぬと、

八郎は自分に呆れて胸の内で自嘲の笑いを漏らした。

 

 

 

 

 

 

                    

裏文庫琥珀    玉響十壱