玉 響 たまゆら 十壱
先日二度会った時は、病を抱えているといいながらも
表面は何事も変わっていないように思えたが、
こうして浴衣の寝巻姿で、床から頼りない体を起している総司をみると、
八郎の胸に言い様のない不安が広がる。
確かに労咳は総司の中に巣食い、
今もその手を休める事無く体を侵し続けているのだと言うことを、
目の前に見せつけられる思いだった。
「八郎さん、上様が上洛されたのですか?」
そんな八郎の思惑など知らず、総司は素直に疑問を口にした。
「非番さ。そうそう毎日上様の警護をしていたらこっちがまいっちまう」
真実そう思っているのだろう、
八郎の少し自棄(やけ)を含んだ物言いに総司は笑った。
「土方さんが、今大坂にいるのですよ」
「へぇ、一度も会わないけどね」
「それは無理ですよ。土方さんは忙しいから」
「どうせ俺は暇だよ」
そっぽを向いた八郎に、
「そういうつもりじゃないけれど」
そう言いかけた言葉が、途中から明るい笑い声に変わった。
八郎のこういう風に短気なところは田坂に良く似ている。
総司は先程の少しぎこちなかった田坂の態度を思い出した。
田坂も朝のことを気にしていたのかもしれない。やはり後で詫びに行こう。
そう思ったところへ
「どうした?」
八郎の声が掛かった。
何やら笑いを含ませたまま自分を見ている総司を、
八郎は怪訝な顔で見た。
「八郎さんと田坂さんが似ていると思って」
「田坂・・ああ、あの医者か?」
総司は笑ったまま頷いた。
「どこが似ている?姿形はこれっぽちも似ちゃいないぜ」
「そうではなくて・・・」
それを言っていいものか、総司はもう一度沈黙した。
だがその黒曜の瞳は悪戯そうに自分を見ている。
「なんだ、話せよ。気色の悪い」
「怒りませんか?」
「場合によってはな」
「では言わない」
笑われたままあっさりと打ち切られて、八郎は苦笑した。
「怒んねぇから言ってみな」
「本当に怒りませんね」
「だから早く言ってみなって」
焦らされて苛つき始めた八郎に向かって、
「そういう短気なところ」
さらりと言って、総司は弾けるように笑い出した。
途端に八郎は端正に造作された顔をしかめたが、
総司の屈託のなく笑う顔を久しぶりに見ながら、
不思議とそれに満足していた。
(惚れた弱みかい・・)
総司につられて思わず苦笑している自分に、更に呆れた。
暫らく他愛も無い会話に終始して、
あまり長居は体にさわるだろうからと八郎が腰を上げたのに、
総司が「送る」と立ち掛けたのを、八郎は制した。
「そんな格好で見送ってもらった日にゃ夢見が悪い。
送ってくれる時は元気な姿にしてくれ」
言われて改めて自分の浴衣単の格好に気がついて総司は赤面した。
少なくとも武士が表玄関に人を送る格好ではない。
今日のところは八郎の言葉に素直に頷いて床から見送った。
総司にはそう言って一人部屋を出たが、八郎には別の思惑があった。
先程総司の病室まで案内してもらった廊下を逆に辿りながら、
八郎は田坂の姿を探していた。
京の民家にありがちな間口は狭いが結構に奥行きのある建物で
部屋数は思いの他あったが、風が通るようにどの部屋も障子や襖が
開け放されていたから、田坂の姿はすぐに見つかった。
「お帰りですか」
八郎の姿を見ると、田坂の方が先に立って声を掛けた。
「すっかり長居をしてしまい申し訳ない」
八郎は頭を下げた。
「いえ貴方が来てくれて沖田君も鬱憤ばらしができてよかった」
「鬱憤ばらし?」
怪訝に見る八郎に田坂は苦笑して頷いた。
「今朝新撰組に帰らせろとあまり聞かなかったので、
少し厳しく叱責してしまったところです」
「その位にしてもらわねば、総司には効かないでしょう。
あれでなかなか頑固なところがありますからね」
「確かに」
田坂は新撰組を離れて養生するようにと言った時の
人が変わったかと思えるような、総司の抵抗を思い出して少し目を細めた。
素直で優しげな外見の中に、本当は炎の芯にある蒼さの様な
静かな激しさを秘めている若者なのかもしれない。
そんな田坂の思考を八郎の声が遮った。
「突然で申し訳ないのですが、
先生の手が空いているようでしたら少々お尋ねしたいことがあります」
「どうぞ、今は患者も切れていますから」
言いながら、田坂は自室に八郎を招きいれた。
改めて田坂の前に座り直すと、
「総司が世話になっております。近藤殿も大変感謝していました」
八郎は頭を下げた。
「堅いことはやめましょう。
私にとって沖田君は患者ですから当たり前のことです。
いや、沖田君をこのまま新撰組において置いたら
私は患者を殺してしまうことになる」
冗談めかして田坂は笑ったが、八郎にはまんざらそれが嘘とも思えず、
複雑な思いで田坂の顔を見つめた。
「で、話とはその沖田君のことですか」
田坂に言い当てられて、最早隠す必要も無いと思ったか、
八郎は黙って頷くと、
「総司が労咳と言うことは知っています。
労咳という病がどんなものかも、身近にその病の者が居ましたから
良く分かっているつもりです」
少し低いが良く聞き取れる声で言った。
その病の怖さを八郎は嫌と言うほど知っているつもりだった。
肺を侵した病巣はやがて全身に広がり、
喀血を繰り返しながらなす術も無く衰弱し、ただ死を待つ。
その業病に総司が囚われた。
だが自分は手をこまねいたまま、総司を死なせることはしない。
決して、させはしない。
その必死の決意が八郎に一つの道を選ばせた。
「私は総司を江戸に連れて帰りたいと思っています。
ただ、あれの今の体力で江戸までの道中に耐えられるでしょうか
そのことをお伺いしたかった」
思いも掛けない八郎の言葉だったが、その決心には微塵の揺らぎも無いと、
田坂を見る目に強い光が宿っていた。
「それは、近藤さんや土方さんと相談の上での話だろうか」
「あの二人にはまだ話してはいません。今のところは私一人の考えです。
・・・いや、もうそう決めてしまったのですが。
もっとも総司には手酷く嫌われましたがね」
笑った顔に何のてらいも構えもないことが、
八郎の言葉の真実に思えて、田坂は改めてその顔を見返した。
ほんの少しの間沈黙すると、田坂はゆっくりと口を開いた。
「そう・・、医者としては貴方と一緒に江戸に帰ることを勧めたい。
夏が終わって涼しくなるのを待って無理をせず道中を行けば
今の状態ならばまだ大丈夫でしょう。・・・だが」
「だが・・?」
八郎が怪訝に田坂を見た。
「だが私一人の人間としては、彼をここに残らせてやりたい」
言ってしまってから、自分でも予期せぬ思わず出た言葉に、
田坂は胸の内で驚いていた。
何故そんな言葉が突然に口をついて出てきたのか、
一番分からなかったのは、田坂自身かもしれなかった。
もしかしたら、今目の前で激しい色を湛(たた)えて自分を見据えている
『総司を江戸に連れて帰る』という伊庭の言葉に逆らってみたかった、
ただそれだけだったような気がした。