玉 響 〜たまゆら〜 二十壱

 

 

 

 

少々勝手がすぎたかもしれない・・・

これでは総司のことは叱れない。

 

あと数町も行けば大路に出るという辻に来て、土方は己の軽率さ加減に苦笑した。

が、いつ頃からか自分を忍ぶ様にして追って来ている刺客達を

今更巻いて逃げる気もさらさら無い。

 

(伊東の狐めが・・)

つい先程まで自分を執拗なまでに苛つかせてくれた人間の顔を思い出す。

 

 

 

 

近藤に呼ばれて行った局長室に伊東甲子太郎は当たり前の様に鎮座していた。

土方が入って行くと白皙に一瞬薄い笑みを浮かべたが、

近藤への進言の途中だったのかお構い無く話を続けた。

 

近々将軍家茂が長州征伐への勅許を得るべく大坂から上洛する。

その長州征伐に近藤も同行するよう老中に働きをかけるべきだと

身を乗り出すようにして熱心に説く。

「これは幕府に於いてすでに大きな存在である、新撰組局長として当たり前のことなのです」

そう言われて、近藤は満更でも無い様子で伊東の話を聞き入っている。

 

 

「伊東さんはそう言われるがどう思うかね、土方君」

大方気持ちは固まっていただろうに、それでも近藤は土方に同意を求めた。

 

「敵地に乗り込んであんたにもしものことがあったら新撰組はどうなる。

少しは自分の立場というものを考えて言ってくれ」

苦りきった面持ちで答える土方に、

 

「もちろんそのことは私も十分に承知しています。

だが近藤局長が幕臣として長州征伐に同行するということは

結果として新撰組の将来(さき)を大きく開かせるものになるのです。

新撰組はすでにその強さで幕閣の一隅を占めています。

だがそれだけでは心もとない。

私はこの新撰組に更に何事にも動じ得ない箔を付けたいのです。

それができれば新撰組は名実共に幕府最強の集団になれるのです」

          自説に陶酔するかのように、伊東の頬が紅潮した。

 

 

土方は暫らくは黙って伊東の独演とも言える熱弁を聞いていたが、

急に立ち上がると室を出て行こうとした。

 

「何処へ行く」

咎めるような近藤の声に

「あんたが一人聞いておけばそれで十分だろう。俺は忙しい」

振り向きもせず、背中だけで応えてそのまま障子をぴしゃりと閉めた。

 

 

見ることはできなかったが、自分の取った振る舞いに

伊東の顔は大層歪んだであろうと思えば多少は胸もすくが、

それでも面白く無いことには変わりはない。

 

(多分、俺と伊東は生まれる前から相性が悪いのさ)

廊下を渡りながら、ずいぶんと子供じみた考えに我ながら苦笑した。

総司が聞いたら何というか・・・。

 

(声を立てて笑い出すか、近藤の立場を思って俺を責めるか・・どちらかだな)

どちらにせよからかわれることには相違ない。

だがその総司の顔を土方は何故か今、無性に見たいと思った。

 

 

 

助勤部屋の続くあたりまで来て隊士を捕まえて総司の事を聞くと、

一番隊は今夜は巡察で今しがた出て行ったばかりだという。

 

そのまま副長室には戻る気も起こらず、一人で屯所の外に出た。

何処に行くというあても無くふらりと外出するのは珍しいことだったが、

足は自然に馴染みのいる上七軒に向かっていた。

愛想も無い妓(おんな)だが、こういう時にはそれがいい。

そんな愚にもつかぬ事を思い浮かべながら歩いている途中で、

後を付けられ始めていたのに気が付いた。

 

 

 

 

(まったく、あの伊東のおかげさ)

声に出さずに毒づいて、

それでも土方は少なからず血生臭いにおいを予感して興奮している自分に苦笑した。

(発散させるのもたまにはいい・・)

そんな思いに捕われて、しきりと逸(はや)る神経を止められなかった。

 

 

引きつけるだけ引きつけておいて、辻の真中で歩を止めた。

止めた時には羽織の紐を解いて脱ぎ捨てていた。

振り向きざまに鯉口を切り闇に腰を沈めて、

無言で襲い掛かってきた最初の一人の胴を、居合いのような姿勢で払った。

肉を斬り、骨を割る手ごたえが掌にずしりとあった。

斬った相手が鈍い音と共に土ぼこりを上げて地に倒れる前に、

二人目と決めた相手の懐に自ら飛び込んでいった。

 

ふいをつかれて必死にそれを防ごうとした相手の刀と刀が合って小さな火花が飛んだ。

それを一旦力で押し返して間合いを取ると、

土方は初めて自分を取り巻く影の数を確かめた。

 

何処の誰とも名乗らない、少しの声も漏らさない、

だがかなりの鍛錬を積んだ集団だった。

 

(どこぞの藩の差し金だろうが・・)

最近の新撰組の著しい頭角の現し方を良しとしない他藩の感情を

土方は嫌というほど認識している。

 

(それにしても、ちと数が多すぎるか・・・)

少なくとも五人は確実に居る。一人一人やっていたのでは埒があかない。

斬るのは良いが刀は刃こぼれし、斬った人間の脂が巻き、

そのうち使い物にはならなくなる。

 

(・・さて、どうするか)

体は一人斬った感触を忘れられず異様な高ぶりをおぼえている。

だが頭は冷静に次の判断を模索する。

 

 

 

 

「さしつかえなくば助太刀致すが」

 

ふいに敵の、さらに後ろから気負いの無い声が聞えて、

一番驚いたのは土方を囲っていた刺客達らしかった。

 

薄闇に包まれた視界の先に長身の男が立っていた。

すでに手にした提灯の灯は消されているが、腰に差すものは無い。

それを敵も素早く見とめたのか、その内の一人が丸腰の相手に向かって

やおら威嚇とも言える太刀を繰り出した。

 

まずい、と土方が思わず舌打ちした時、

それまで無防備に立っていたかに見えた男の影が一瞬消えた。

が、消えたかに見えたのは男の身のこなしがあまりに素早かったせいで

次の瞬間には男は向かってきた敵に対して、姿勢を極端に低くすると

その懐に入り込んで強(したた)かに鳩尾に拳を突き入れていた。

 

ぐぅ、という声にならない叫びをあげて、相手は地面にもんどり打って倒れ込んだ。

それを見ていた敵が一瞬動揺した。一旦広がったそれは戦闘の意欲を急激に削がせる。

そうなれば相手が絶対的に不利になる。

最早これまでと観念したか、多分首領と思われる一番遠くから見ていた男が

引けという合図をだすと残りの者は刀をかざしたまま二歩三歩後ずさったが、

後は蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ出した。

 

 

 

「怪我はありませんか、土方さん」

その様子を見届けて、ふいに掛けられた声の主に今度こそ土方は驚いた。

 

「・・・田坂さん」

「新撰組副長がお一人でこんなところを歩いていてよいものですかな」

笑いを含ませながら歩み寄ってくる田坂俊輔の顔を土方は呆れて見た。

 

「それを言われると少々面目がない。が、田坂さんこそ何故このようなところに」

自分は上七軒に行こうとしていた。

田坂の診療所は五条だからずいぶんと離れている。

 

 

「私の師の家がこの近くにあり、その家に招かれての帰りです。

戻る途中で貴方の姿をお見かけして声を掛けようかと思ったところに

どうも後ろから客を連れていらっしゃるようで、結局ここまで付いて来てしまいました」

 

「人には好かれん性質(たち)だと思っていたが、こういう客には良く好かれる」

土方は声を低くして笑うと

田坂の後ろで苦悶して、のたうち回るようにして倒れている刺客を見た。

 

その視線に気がついたのか、

「ああ、その男は大丈夫です。あばらの二、三本は折れているかもしれませんが」

とても医者とは思えない事を言って笑った。

この若い医者も胆の在りどころがずいぶんと変わっているらしい。

 

「が、土方さん、貴方の斬った男の方はいけないようですな」

「番屋に届けておかねば又うるさいでしょうな」

言った後から土方は暫し考え込むように沈黙した。

 

(届けたら届けたで又煩わしいが・・・、身から出た錆と思って観念するか)

そこで思考を止めると、改めて田坂に向き直った。

 

 

「田坂さんお互い血生臭いままで戻るのもぞっとしないでしょう。

少しばかり相手になっては頂けないか」

手で盃を干す真似をしながら、土方は田坂を誘った。

珍しく誰かと酒を酌み交わしてみたい気分だった。

否、誰かとではなく、多分この目の前の若い医者と話をしてみたかったのかもしれない。

 

 

「私でよろしければお相手しますよ。私も今夜は飲みたい」

 

土方が珍しいと思う、半ば自嘲の様な笑みを浮かべて田坂は頷いた。

 

 

 

 

 

                裏文庫琥珀      玉響二十弐