玉 響 〜たまゆら〜 二十五

 

 

 

 

「伊庭と何があった・・」

 

重ねて問い掛ける土方の口調も目の色も、激しさがつのる。

 

 

手首を掴んでいる土方の手に、もう片方の自分の手を掛けると、

それを外しながら、

「八郎さんに何か聞いたのですか・・」

総司は目を反らすようにして小さく呟いた。

 

「さっきまで田坂さんと一緒だった。

そこで伊庭がお前を江戸につれて帰りたいと望んでいると聞かされた。

お前はその伊庭に何と応えたのだ。

伊庭と一緒に江戸に帰りたいと、そう言ったのか」

自分に言い聞かせながら、必死に押さえているつもりが、

そうすればそうする程感情は昂ぶる。

 

 

吹き荒れた嵐が一瞬鎮まった様に言葉が切れると、

その静寂(しじま)に耐えかねたように総司が顔を上げた。

そのまま瞬きもせずに土方を見つめた。

土方の両の眸に自分が映し出されている。

合わせ鏡のようにその中にいるもう一人の自分が、

逃げることは許されないと静かに、そして強く迫る。

 

(もう・・・逃げない)

 

それは土方の問い掛けからではなく、

今まで自分で自分を欺き、隠し通して来た、

己の胸の内にある本当の真実、

土方への想いから逃げないとの決心だった。

 

 

 

「・・・八郎さんと約束をしました」

「約束を?何のだ」

 

総司はその一言を告げる為にありとあらゆる体中の神経を、

今、土方その人だけに向けた。

          暫らくそうしていて、やがてゆっくりと口を開いた。

 

 

「貴方を想って苦しくて、切なくて、どうしようもない気持ちを

一度だけ、一度だけ貴方に伝えると・・・・そう約束しました」

 

堰きとめられていた思いが溢れ返って、それがひとつ露となって頬を伝わった。

 

土方が動かず自分を凝視している。

 

・・・この人はどうするのだろう。

迷惑だと自分をなじるのだろうか、

それとも何も言わず自分を置いて出てゆくのだろうか。

だがもうそれも恐れない。後悔はしない。

 

 

「貴方を想うこの気持ちを、一度は捨てようと決めました。

決して表には出すまいと、そう決めました」

 

むしろ静か過ぎる声で淡々と言葉を紡いでゆく総司だが、

頬に伝わるものは溢れて止まることを知らない。

 

それすら拭わずに、

「貴方を諦める為に、・・・・・」

 

一瞬の躊躇のあとで、

「私は・・・八郎さんに抱かれました」

 

告げた言葉の衝撃に、土方の目が驚愕に瞠られ顔から色が失せた。

 

 

「・・・貴方を忘れる為に、京に上る前に、私は八郎さんに抱かれました。

それでも私は貴方を諦めることができませんでした。

打ち捨てなければと思えば思う程、苦しくて辛くて・・・・」

 

零れる露は細い頤(おとがい)の線をなぞって滴り、

膝に置かれた総司の手の甲にぽたぽたと落ちる。

それでも総司は語ることを止めない。

 

「貴方が色町に行く時は袖を引いて、行っては嫌だと止めたかった・・・

けれど傍(そば)にいれば息をすることすら切ない。

貴方のことが一時たりとも私の心から離れない。

・・・・いっそ狂って死んでしまえば楽になれると思った」

 

「けれど・・・・一度は諦めると決めた貴方への想いを、

結局こうして堪えられることができずに言葉にしてしまいました」

 

 

息すら止まったように動かず自分を見る土方に向かって、

総司は涙でくしゃくしゃになった顔で笑いかけた。

もう後戻りをすることは出来ない。

だが何も思い残すことも無い。

 

「私はこんなに情けない人間です。

貴方の足手まといには成りたくないと、

貴方の望みの邪魔立てだけはしまいとそう決めていたのに・・・・

自分の我慢ができませんでした・・・・許して下さい・・」

 

 

 

「・・・私は・・」

更に言いかけようとした総司の視界が、突然何かに塞がれた。

 

 

「もういい、・・・もういい・・総司」

 

すぐ耳元で土方の声がした。

語り続けている間中、二度と掛けられることは無いかもしれぬと

覚悟した土方の声が自分の名を呼んだ。

 

「・・・っ・・」

必死で堪えていた嗚咽が漏れた。

もう言葉を紡ぐことができなかった。

 

それに呼応して覆い被さるように背に廻された土方の腕が

さらに強く総司を抱きしめた。

 

 

 

「・・・情けないのは俺だ。心を隠して見ない振りをしていたのは俺だ」

 

総司の骨が軋むほどに廻した腕に強く力を入れて、

 

「俺はお前を抱いた伊庭をいっそ殺してやりたいと思う。

今の俺の顔を見てくれるな。・・・・嫉妬で狂いそうだ」

苦しげに言葉を搾り出しながら、総司の頭の後ろを手のひらで抱えた。

 

「・・・俺はお前をどこにもやりたくない。

もう誰にも触れさせたくはない。

伊庭にも田坂にも・・・・誰一人として触れさせたくはない」

 

「お前を俺だけのものにしておきたい。

心も体も、この髪の一本すら・・・・

お前の全部を、いつもどんな時も俺のものにしておきたい。

俺はそういう勝手な人間だ」

 

 

 

今自分の耳に届く土方の言葉は幻のそれだろうか・・・

だが、自分を締め付けてくるこの腕の力強さは何なのだろう・・・

もう滲むもので何も形を結ぶ事ができない視界の中で、

総司はぼんやりとその声を聞いていた。

 

 

 

どの位そうしていたのか、無言で抱きしめていた土方が、

ふいに腕の力を解いて総司の体を解放した。

 

そのまま総司の肩を掴んで正面を向かせると、

まだ濡れたまま乾かぬ瞳を見据えた。

 

 

 

「俺はお前を欲しい。今すぐに欲しい。

お前を俺のものにしたい。俺以外のものにはさせたくない・・・。

こんな俺をお前は蔑むか」

 

見開いた瞳のまま、総司は激しく首を横に振った。

言葉は出ない。声も出せない。

ただ、おずおずと触れれば遠のく幻を掴むように、

その手を土方の頬に伸ばした。

指先が微かに触れた。

血の通った人の温もりに励まされるように、

もう一つの手を伸ばして掌(てのひら)で土方の顔を包み込んだ。

瞳を覆う露が邪魔をして土方が見えない。

もっと近くに寄らなければこの幻は消えてしまう。

 

総司はたまらず腕を伸ばして土方の首筋に縋った。

その背を、さらに強い力で抱きしめてくれる土方の腕があった。

 

「お前を抱きたい・・」

切なげに耳朶に触れる土方の声に、

縋る腕に力を込めることで総司は応えた。

 

 

 

抱きしめられているのは自分なのに、

今、拒まれることを恐れるように低く囁くこの人が

この世の何ものにも代えがたい程にいとおしい。

 

抱きしめているのは自分なのに、

深く包み込むように縋り付いて来るこの腕の持ち主を、

いつかこの世を離れる時が来ても決して離したくはない。

 

 

いずれ堕ちる修羅ならば、いっそ共に堕ちて行きたい・・・

 

 

 

 

脇にあった行灯の灯に、土方が静かに息を吹きかけた。

青い芯を赤い郭で縁取ったそれは、一瞬横に揺らいで消え、

ただ音の無い闇だけが残った。

 

 

 

 

      

 

裏文庫琥珀    玉響二十六