玉 響 〜たまゆら〜 二十六

 

 

 

 

闇に目が慣れると、触れるほど近くに土方の顔があった。

瞼に土方の掌が翳(かざ)され目を閉ざされると、

唇にひんやりとした感触が走った。

 

口を吸われているのだ・・・・

 

何も見えぬ闇の中で、総司の全ての神経が捉えられたそこに集められる。

塞がれた口のせいだけではなく、

胸の高鳴りの息苦しさに思わず喘いで唇を割った時、

それを待っていたようにするりと何かが入り込んできた。

 

自分と違う温度の舌、自分よりも少し冷たい唾液が流れ込む。

初めて土方という異質なものを受け入れた感覚に総司の体が強張った。

それを敏感に察して、土方がその背に廻した腕に更に力を込めた。

 

口腔をまさぐる舌に上顎の襞をなぞるように触れられると

一瞬体が浮遊したように力が抜けた。

 

土方が体を少しづつ倒してゆく。

その感覚すら現(うつつ)のものか分からない。

 

自分は今この人に抱かれるのだ・・・

それが唯一総司の思考を支配していた。

 

 

畳に背の全てがつくと、漸く土方が唇を開放した。

乱れた息に喘ぐ総司を上から見つめると、ゆっくりと顔を下ろしてきて、

 

「お前が欲しい・・・」

それだけを吐息と共に耳元に囁いて耳朶を噛んだ。

 

 

 

 

肌蹴られた着物を褥にして、

総司の白い腕が、脚が、

月明かりだけが漏れる薄闇の中で蠢(うごめ)く。

土方の性急な愛撫に、息を吐くだけが精一杯で、

もう何も考えることができない。

 

首筋を掌で撫でられ、鎖骨の窪みを吸われ、

やがて唇は薄い胸にある唯一の彩りにたどり着き、

その輪郭をなぞられただけで体中が身震いするような淫らな感覚に、

思わず漏れそうな声を総司は指で口を塞いで耐えた。

 

が、土方は更に容赦なく追い詰める。

肩を抱いていた手が滑るように下肢にくだり

いつの間にか昂ぶりを見せはじめた総司を包み込んだ。

己の浅ましさ恥ずかしさに全身が朱に染まり、

思わず土方から目を逸らして身を捩ってその下から逃れようとした。

 

「総司・・」

その体を強引に戻し、顔に手を当て自分に向けさせると、

 

「俺も同じだ」

抗う総司の腕を掴むと土方は、

その手をすでに熱い欲望の貌(かたち)に変わっている自分にそっと触れさせた。

 

「俺もお前と同じだ・・・

お前がいとおしくてたまらない。俺のものにしたい。

だから体が欲しがっている」

          

囁きながら、包み込むような深い土方の眼差しに、

下から見つめる総司の瞳が滲んで揺らいだ。

その一つがこめかみを伝わって横に零れ落ち、

次の瞬間には体を起して土方の首に腕を捲きつけ、強く縋り付いていた。

 

 

(この人が欲しい、心も体も全部を欲しい・・・

ずっと、ずっと欲しかった)

 

土方の唇を探して重ねた。

それを待っていたように土方の舌が絡み付いて来た。

きつく吸い上げられて、恍惚感に一瞬気が遠くなりかけた。

 

 

下肢に伸びていた土方の指が更に最奥を求めて後ろに滑った。

その感覚に朧(おぼろ)に霞んでいた総司の意識が呼び戻された。

自分を求める土方の手を思わず掴んで止めた。

訝しげに見る土方に、

 

「・・・初めから、土方さんを知りたいのです」

囁いたのは聞き取れぬ程に小さな声だった。

「無理だ、慣らさなくては」

 

女と違い男同士の場合、元々が相手を受け入れる器官ではないから、

十分に慣らしても受ける相手にはかなりの衝撃がある。

まして伊庭に一度だけ抱かれたとはいえ、

総司にとってはやはり経験は皆無に等しい。

 

 

「大丈夫です・・・、大丈夫ですから」

「・・・無理だ、総司」

頬に乱れた髪を指で梳くってやりながら、土方は宥(なだ)めるように言った。

それに総司は利かぬ風に首を振った。

 

「初めから、一番初めから土方さんを知りたいのです・・・」

恥じて消え入るように儚く言いながら、

だがその言葉の裏にある激しさに土方は言葉を呑んだ。

黒曜の瞳が強い意思の色を湛えて見上げてくる。

 

 

きっと総司は伊庭とのことを思っているのだろう。

自分を諦める為に一度だけ伊庭に抱かれたことが、

悦びの内に自分を迎え入れることを許さないのだろう。

ならば・・・

 

土方は腕に抱く総司に視線を落とすと、

「辛いぞ・・、耐えられるか?」

確かめるかのように問いかけた。

 

自分の思いを察してくれた土方に、

総司は躊躇いも無く頷くと、その背を引き寄せる様に腕を廻した。

それが土方の心を決めさせた。

 

 

土方の手に支えられ、

一瞬にして下肢が宙に舞うように持ち上げられたと思った瞬間、

それを恥じる間も与えず、中心に熱い塊が押し付けられた。

何が起こるのか探る暇もなく、

次に襲ったのは体が跳ね上がる程の激痛だった。

 

少しずつ、だが強引に土方が押し入ってくる。

体の中心が引き裂かれる灼熱の痛みに、

唇を血の滲む程噛んで耐えようとしても思わず悲鳴に似た声が漏れる。

額に背に、体中に冷たい汗が滲む。

 

こんなにも土方を受け入れたいのに、体はそれを頑なに拒む。

瞳からはその悔しさと苦痛に露が零れる。

意識はともすれば途切れそうになる。

 

 

今土方は自分の中にいる。

この痛みと苦しさと一緒に自分の中にいる・・・。

全部を覚えていたい。だから意識を失くすわけにはゆかない。

 

「・・・・土方さん・・」

ようやくその名だけを呼んだ。

 

「総司・・」

朦朧とした感覚の中で、それは驚くほど耳の近くで聞こえた。

その声に、体を貫く痛みと一緒に今一度はっきりと意識が戻ってきた。

 

「総司・・」

幾度も耳元で囁きながら、土方も叉きつく拒まれて辛い。

 

「・・・ひじかたさん、・・最後まで・・」

荒い息を何とか抑えて告げた途端に、

総司の目に溜まったものが溢れて、細い糸をひいて零れた。

 

 

すでに限界に近い悲鳴を上げている体にこれ以上の負担は掛けられない。

胸の病に犯された体は、ただですら吸う息に限りがある。

薄い胸を上下させて苦しい呼吸を繰り返す総司があまりに痛々しい。

 

だが躊躇している土方を促すように、

宙に浮いていた総司の下肢がその腰に絡みついた。

体勢を変えた瞬間、さらに激痛が走ってくぐもった悲鳴と共にのけ反った。

それでも総司は下肢を解こうとしない。

 

          総司の激しさが、土方を追い詰める。

 

総司にとって悦びを得ることが、自分を受け入れる事の一番では無い。

総司は一緒になりたいのだ。自分と一緒になりたいのだ。

今、中途で止めることは総司に苦痛だけを残す。

強く両の脚に絡まれてそれを知って、土方にあった全てのためらいが消えた。

 

 

頼りない腰に腕を回すと、反射的に逃げるそれを引き寄せた。

そのまま止めていた己自身の滾る欲望を一気に突き入れた。

その衝撃に総司の胸も押さえられている腰も体全てが、

畳から撥ねるように反り返った。

 

一瞬、意識は遠くに飛ばされたらしい。

うつろに合わぬ視線を追って「総司」と呼ぶと

辛うじてこちらを見ようとする。

 

 

「総司・・」

耳朶を噛み幾度もその名を呼んで現(うつつ)に戻す。

苦しく喘いでせわしなく息をもらす唇を、そっと啄ばむように合わせる。

掌は包み込むように肌を撫で、

指先はいとおしむように細やかな愛撫をくりかえす。

 

 

 

幾度かめに唇を重ねた時、

それまで苦しい息だけを吐いていた総司が、

微かにそれとは違う声を漏らした。

 

甘やかな吐息にも似たその声音に思わず土方が見ると、

総司の瞳にほんの僅かに恍惚の色が見え隠れしている。

 

それを見取って、ゆっくりと体を動かすと、

 

「・・・あっ・・」

総司の中に眠っていた悦びを揺り起こすそこに触れたのか、

今度は短い声を放って切なげに眉根を寄せた。

 

「・・・総司」

呼んで更に体を揺らすと、

必死に悦楽の片鱗を掴もうと探るのか、もう土方を拒まない。

 

すでに暴走しそうになる牡の性を、土方は辛うじて堪える。

それに焦れるように、総司が無意識に強く縋る。

 

「・・・もう、・・」

性に経験の浅すぎる総司が耐え切れないように土方を見上げた。

だが土方は貪る手を止めない。

 

 

(・・・まだだ)

まだ早い、まだこのままでいたい。

まだこの愛しい者と一つになっていたい。

 

「・・・総司、まだだ」

 

隣り合わせにある苦痛と悦びの間(はざま)を漂いながら、

耐え切れず閉じていた瞼を総司は微かに開いた。

 

「一緒だ・・」

土方の言葉に、

 

「・・一緒」

喘ぐように呟いて、微かに作った笑みに瞳が濡れた。

 

「そうだ一緒だ」

強く言い切って、

もう押さえることができない欲望の滾りを迸らせるように、

土方は更に貪欲に総司の体を求めつづけた。

 

 

 

苦痛ではない、しかし悦楽だけでもない。

もっと違う、泣きたいほどに切なく甘い感情がある。

包み込まれながら包み込むような、慈しむよりもまだ激しい思い。

いっそ繋がったまま、共に堕ちてしまいたい。

 

激しく揺さぶられながら、そんな忘我の境を彷徨い、

やがて夢と現(うつつ)の際まで来た時に、

己の中を満たしていた熱い塊りが激しく奥を突き上げた。

 

瞬間自分も土方も弾け散り、

体がふわりと宙に浮いたと思ったのを最後に、

あとは全てが闇に呑まれた。

 

 

 

 

 

額に置かれた手にある人肌の温かさにうっすらと目を開けた。

頬に誰かの指先が触れている。

 

それが今傍に居て欲しい人のものだと確かめたくて動いた途端に

 

「・・・っ」

体を貫く激しい痛みに襲われて声を漏らし、顔が苦痛に歪んだ。

 

 

「大丈夫か・・」

心配げに覗き込む眼差しは確かに自分が求めていた人のものだった。

「・・・大丈夫です」

応えて、先程までの出来事が夢では無いと知り、

思わず目を伏せた顔に朱の色が上った。

 

その頬をいとおしそうに手のひらで包み込みながら、

 

「辛い思いをさせてしまった。だが俺はお前を欲しかった。

今もそうだ。これからもそうだ。いつも傍において置きたい。

誰かに取られるのが恐ろしい。お前を誰にも遣りたくない。

俺はこんな情けない人間だ。

・・・・それでもお前は俺と一緒に来るか」

 

 

すぐには応えず、総司は無言で手を伸ばした。

やがて土方を捉えると首筋にその手を廻し、渾身の力でしがみ付いた。

 

 

 

「はい・・・」

はっきりと告げなくてはならぬと言い聞かせても、

止まらぬことを知らぬ涙と嗚咽に言葉はかき消される。

 

「・・・はい・・」

しゃくりあげながら、

それでも何度も何度も繰り返し応(いら)えを返した。

 

泣くのはみっともないと自分を叱るが、

その内にどうにもならなくなって、

あとは土方の胸に顔を埋めてただ泣いた。

 

そして、今だけはそれを許す自分が居た。

 

 

 

 

               裏文庫琥珀     玉響二十七