玉 響 たまゆら 七

 

 

 

梅雨時の雨の合間に射す日差しは、

もしかしたら真夏のそれより遥かに強烈なものなのかもしれない。

 

昨晩からの雨があがって、広くも無い庭に無造作に植えられた潅木が

貪欲に光を吸い込む様を見ながら、土方はそう思った。

 

 

 

「長くお待たせしました」

明るすぎる視界を遮ぎって、障子を開け放した廊下から姿を見せたのは

田坂俊輔医師であった。

 

「お忙しい所を申し訳ありません」

この男にしては慇懃な物腰で恐縮する土方に、

          

「私の仕事はあまり忙しく無い方が、本当はありがたいのです」

田坂は白い歯を見せて笑った。

その笑い顔が、照りつける夏の日差しの生命力と、

何の遜色も無いほど力強いものであることが、

ふと、今から話題にしなければならない総司への不憫さにつながった。

 

 

「総司は・・」

「診察に使っている間に控えているようにと言ってきました」

 

総司がここにいればいかに田坂といえど、

有体(ありてい)にその病状を説明するに憚るものがあるだろう。

田坂の気遣いに土方は黙って頷いた。

 

 

 

「田坂さん、今日は率直にお伺いしたい。

先日総司の薬が変わったようだが、

やはりあれの具合は悪くなっているのだろうか」

 

その土方に何と答えるものか、田坂は少し考えるようにしていたが、

何かを決めたかのように、ゆっくりと話はじめた。

 

「はっきり申し上げて、今の状態はあまり良くない。

確かに健康なものにも辛いこの陽気です。

病を抱えている沖田君の体には想像以上に負担が掛かっています。

ただ、彼の場合はそれが回復せずに、

さらに病状を進行させてしまうことが怖いのです」

 

遠まわしではなく直截にそう告げたのは、土方という男が、

そうすることでより的確な判断を下せる人間であると、

田坂なりに判断したからだ。

 

 

 

田坂の言葉に、土方は腕を組んだまま黙まりこんだ。

 

「このままの状態でいたら、総司はどうなりますか」

やがて低く問うた声は、田坂がその顔を見返す程重く沈んだものだった。

 

 

「暑さによる体力の消耗と、仕事の疲労の蓄積。

・・・・ひと月を待たずに動けなくなる日がくるでしょう。

初めて喀血したのが丁度、一年前と言っていましたね。

そのまま新撰組で健康人と同じ生活をして、

普通の人間以上に過激に動いて体力を消耗させているのです。

本来ならばとっくに床に臥したまままの状態になり、

下手をしたら命すら無くなっていても不思議ではない。

その後大きな喀血もなく、良くここまで何事も無く済んで来たものです。

私にはその事の方が奇跡的としか言い様がありません」

 

 

重ねる田坂の言葉に、土方の表情は変わらぬ様に見えたが、

微かにその面(表)は青ざめ、

苦しい何かを押し殺している様子が伺えた。

 

 

 

暫しの沈黙の後、土方が口を開いた。

 

「しばらく静養させようと思いますが、

どこかに預けた方が良いのでしょうか」

それは喉の奥から絞りだしたような、嗄れた声だった。

 

「今はそうするより他はないと思います。

だが新撰組に居ては静養にはならないでしょう。

どこか静かに体を休められる所はないのですか」

 

土方は心あたりを考える様に目を細めたが、

これと言って思いつくところは無かったようで

「近藤と相談して早急に探します」

それだけを言うと、組んでいた腕を解いてその手を膝に置きなおした。

 

 

田坂は黙ったままその土方に向かって一旦は頷いたが、

 

「最近、沖田君には何かあったのかな」

ふと思い出したように、全く別のことを口にした。

 

「何かとは?」

「いえ、このあいだ来た時に、

いつもと様子が違っていたようだったので・・・、

私の思い違いならば良いのだが、少し気になりました」

 

 

今日の前に総司がここに来た日と言えば、伊庭が屯所に来たあの日である。

その前日に総司は伊庭に会っている。

その時から確かに総司の様子におかしい所がある。

 

 

伊庭と総司の間に何かがあったことは土方も察してはいる。

だがそれを田坂にすら悟られる程、総司にとって深いものであった事に、

土方は内心衝撃を受けていた。

 

 

「きっと私の取り越苦労でしょう」

そう言って笑うと、田坂はこの話題を終わらせたが、

土方の胸に何か言い知れぬ重いものが残った。

 

 

「そろそろ呼んであげないと、沖田君が焦れて待っているでしょう。

あまり彼の期待には沿う結果では無いことになったが」

田坂は立ち上がり、先に立って土方を総司の待つ部屋へと誘った。

 

 

 

 

 

東側に面して、午後には日が射さなくなる涼しいその部屋の真ん中に、

総司は裁きを待つ人間の様に、不安に駆られながらぽつんと座っていた。

 

やがて聞こえてきた重なる足音に、弾けるように顔を上げてそちらを見た。

 

 

 

「待たせたかな」

田坂の声よりも、その後ろに立っている土方の顔を見た時に、

総司は自分の不安が間違いなく的中した事を知って、顔が強張った。

 

 

「沖田君、君には暫く仕事を休んで、少し静かな所で静養してもらうよ。

これは土方さんと相談して決めたことだ」

相違ありませんね、

と、田坂に視線を向けられた土方が確かに頷いたのを見たとき、

 

 

 

「嫌ですっ」

総司は悲鳴の様な短い叫びを上げていた。

 

 

「嫌です、できません、どこにも行きません」

大きく瞠ったままの目は、もうどこにも焦点を合わせてはいない。

 

「嫌です・・」

呆然とそれだけを繰り返す、総司の傍らに来て片膝を折ると、

土方はその骨ばった肩に手を置いた。

 

「すぐに元に戻れる。とりあえずひと月と田坂さんはおしゃっている」

 

だが土方の静かに諭すような言葉も、今の総司には通用しない。

 

「嫌です。どこにも行きません」

いつの間にか自分の頬に流れるものがあるのさえ気が付かない。

 

 

 

めったに見せぬ総司のその涙にあわてたのは、むしろ土方の方だった。

 

ここは何と強情を張られても説得して静養させるつもりだったが、

まさか涙を流してまで抵抗されるとは思いもよらず、

又、それを見て情けない程に狼狽している自分をどうすることも出来なく、

土方はただ総司の流す涙を、胸の裂ける思いで見ていた。

 

 

 

 

「沖田君、死にたいのかっ」

その状況を破ったのは、田坂の鋭い一言だった。

 

 

「・・・死ぬ・・」

「そうだ、死にたいのか」

田坂は総司の正面に座って、厳しい視線をその濡れた顔に投げかけた。

 

 

「今の君の状態のまま、新撰組で仕事を続けていたら死んでしまうぞ」

断言するように言い切る田坂は、自ら命を見限ろうとした患者に

微塵の甘えも許さない医師の顔をしていた。

 

 

          

その田坂すら視界の中に入れず、

「・・・死んでも、いい・・」

無意識に、胸の内の真実が零れ落ちた。

それさえも、総司は気付いていない。

 

 

引き換えに、黒曜の瞳が「死」という言葉に、

希望を見つけたかのように鈍い光を放った。

 

 

 

 

 

 

裏文庫琥珀      玉響八