玉 響 たまゆら 八

 

 

 

 

「・・・死んだほうが、いい」

死をいう言葉に魅せられたように、総司がもう一度呟いた。

 

その言葉が終わらぬうちに

一瞬、自分の頬を熱い衝撃が嬲(なぶ)った。

総司は何が起こったのか分からないまま、

気づいた時には体が畳の上に投げだされていた。

 

 

 

「馬鹿なことをっ・・・」

震える声のする方に、ようやく目をやると、

そこに蒼白と言っていい程に顔色を変えた土方がいた。

その顔はかつて総司が見たことの無い、憤りと苦渋に歪んでいた。

 

土方に頬を張られたのだ・・・、

まだそこに残る酷く熱い感触が、辛うじて総司を正気に戻した。

 

自分を見据えたまま動かない、

土方の苦しそうな顔が視界の中で滲んで、

総司はやっと自分が泣いていることを知った

 

 

「・・・土方さん・・」

滲む視界の中で必死に焦点を合わせようとしているのに、

みっともない程に次から次へと溢れるものがある。

 

その傍にゆっくりとやって来ると、

土方は総司の体を、両の腕に抱え込むようにして抱(いだ)いた。

 

 

「・・土方さん」

「死ぬなどと口にすることは絶対に許さん」

 

「許さん」

 

もう一度低く呟いた土方の、痛いほど強く抱きしめる腕が、

唯一自分が縋がれるもので、片頬に痺れる様に残る熱はそれに縋れと強く囁く。

溢れるものを拭おうともせず、総司はただその腕の中で嗚咽していた。

 

 

 

 

 

土方と田坂が総司の療養先について相談している間中、

当の本人は少し離れて、ぶっきらぼうに横を向いたまま無言だった。

 

それが瞼を赤く腫らした照れ隠しであると分かっていたから、

土方も田坂もあえて何も言わず、ほおっておいた。

 

 

 

自分の行き先など、どこでもいい。

土方から離れるならそこが極楽であろうと、

地獄であろうと自分にとっては同じ事だ。

捨て鉢とも、諦めとも思える気持ちで、他人事のように

二人の会話を聞き流していたが、

 

「沖田君はうちでお預かりしても良いのですが」

その田坂の言葉に、漸(ようや)く総司は声のする方に顔を向けた。

 

 

「うちでよければしばらくここで療養するといい。

もっとも言付(いいつけ)はきつく守ってもらうがね」

 

からかう様な笑みを浮かべて自分を見る田坂に、

やはり総司は何も応えられず、そのまま又下を向いてしまった。

 

 

「それは願ってもないこと・・」

総司に変わって応えたのは土方で、これは心底有難かったのか、

声に安堵の色を含ませ、それを隠しもしなかった。

 

「どこかに家を借りてとも思ったのですが、それでは目が行き届きません。

こちらにお世話になれるのでしたら、最早何の憂いもありません」

 

言葉が終わる前には畳に両手を付いて、

田坂に向かって深く頭(こうべ)を下げていた。

 

 

 

 

 

 

すぐ前を行く土方の広い肩が、ずいぶん遠くにあるように思える。

来る時には隣を歩いていたその距離が、

そのまま自分と土方の距離だった。

 

だが今自分はこの土方の元を離れなければならない。

 

生きて離れることは、死ぬことによって永遠に離れることよりも、

今の総司には遥かに絶えられぬもののような気がした。

 

 

 

 

「どうした」

後ろに付いてくるはずの総司の足が

少し遅れ気味になるのを案じて、土方が振り返った。

 

 

「何でもありません・・それより・・」

「それより?」

 

「さっきはすみませんでした・・」

みっともない所を見せてしまったことを、

小さな声で詫びる総司の顔に羞恥の色が上(のぼ)った。

そのまま恥ずかしくて顔を上げられない。

 

 

「お前の泣き顔をみたのは、久しぶりだな。

最後に見たのは・・、ああ、確か周斎先生の大切にしていた

皿だか何だかを落として割って、ベソをかいていた時だったから

もうずいぶん前のことだな」

昔を懐かしむように、土方が目を細めた。

 

「・・・そんな昔のことを」

からかわれて、更に総司の顔に上った朱が色を濃くした。

 

 

「だが田坂さんの所に行ったら、先程のような我侭は許さんぞ」

「はい・・」

少し肩を落とし気味にしてはいたが、

それでも総司はまっすぐに土方の目を見て頷いた。

 

 

そんな総司の決意を痛ましい思いで見ながら、

やがてその感傷を振り切るように、

 

「ひと月なぞ、あっという間だ・・・」

そんな顔をするな、と言いかけた土方が、ふいに翳った空を見た。

 

 

 

「雨がきそうだな」

土方の声につられて総司も空を見上げた。

先程までの明るすぎる位の空を、

黒い塊のような雲が急に覆い始めていた。

 

 

「駕籠にした方が良いだろう」

 

機敏に辺りを探ると、丁度視界の一番はじに駕籠屋の看板があった。

躊躇無くそこに入って行く土方を見ながら、総司は小さな溜息をついた。

 

 

 

暫らく土方とは離れることになってしまう。

せめて帰りの道は少しでも長く、共に歩いていたかった。

そんなささやかな望みすら叶わない。

 

 

(もう自分には何一つとして、思う通りになることはないのだ)

 

今大粒の雫を落としても、何の不思議も無い暗い空を見上げながら、

誰に向けて良いのか分からぬ理不尽さに唇をかみしめた。

 

 

 

 

 

 

 

                  裏文庫琥珀    玉響九