露 tuyu (下)
外の舳先に居る船頭の操る櫓が、水を弾く音だけが微かに聞える。
土方の熱い吐息が耳朶に触れる。
そのまま頬を伝わり、合わせた唇の間から熱い舌が滑り込む。
その熱さを確かめるように、総司は貪欲に自分の舌を絡めた。
きつく吸い上げられて、息苦しさに眉を寄せた。
瞬間土方の唇が離れて、次には首筋を這っていた。
少しだけ肌蹴られた単(ひとえ)の胸元に手のひらを付けられると、
総司の熱をもって乾いた肌が、ひんやりと冷たい感触に一瞬震えた。
小さな咳がふたつ、みっつ零れる。
その様子を気遣いながら見ていた土方の手が止まった。
(無理だ・・)
愛撫によって乱されただけではない呼吸のせわしなさ、
自分の体温より遥かに高い、総司の体の熱さが土方の雄の性を止めた。
松本良順をして『危険な状態』と言わせしめた体である。
江戸への艦の旅すらその保証はできないと言われた。
体を合わせる激しさに耐え切れるわけがない。
(殺してしまうところだった・・)
激情のままにその肌に触れてしまったが、
土方は今現実に戻されて、最後までそれを貫き通さなかったことに安堵した。
急に動きを止めてしまった土方を総司は不安げに見上げている。
その黒曜の瞳と視線が絡まった時、
「お前を殺してしまう訳にはゆかない」
額に乱れた幾筋かの髪を梳いてやりながら、土方は柔らかく笑った。
総司は一瞬訳の分からぬと言うように土方を見たが、
その言葉の意図するものが理解できると、
やがて瞳に湛えた色は、怨慕(えんぼ)に染まる深い闇の色だった。
やおら体を起して身動きをしない土方を責めるように
その首に腕を絡ませると、総司は自分から唇を合わせた。
まだ欲しい、まだ足りない・・・
少しの隙も無いように、少しの息も漏らさぬように
総司はその唇を欲した。
息が切れて喘ぎながら唇を離して、
苦しい呼吸の下から総司は無言で土方を見た。
見つめる黒曜の瞳が滲んで揺らめき、
合わせた唇は濡れて艶めいていた。
その総司の激しさに土方は息を呑んだ。
「・・・抱いて下さい」
消え入るように呟いた、総司の妖しいまでの瞳の色に捉われて
もう逃げることのできないのは、
己自身の性(さが)以外からの何ものでもないことを知った。
すべての迷いを捨てきるように、
土方は静かに理性の箍(たが)を外した。
熱く肌を滑る唇に総司の切ない吐息が漏れる。
その声を漏らす事をいつもは堪えてきたが、
今総司はそれを自分に許した。
唇の愛撫に熱い官能が呼び起こされ、
掌の愛撫に奔放に身を捩る。
すすり泣くような甘い吐息を漏らして、
さらに縋り付いて来る総司を腕に抱きながら、
それでもまだ土方はどこか一点で躊躇を捨てきれずにいた。
その土方のためらいを敏感に察したのか、
総司が大胆に下肢を開いた。
嵐のように激しく襲う羞恥を土方が鎮めてくれるかを待つように、
堅く瞼を閉じ、唇を噛み、骨の形が透き通る痩せた体が小刻みに震える。
その姿が土方を一切の躊躇から解き放った。
総司は命を賭けて、自分を誘っている。
たとえその身が果てようともそれに臆する事無く、
全身全霊で自分を誘っている。
ならば落ちるところまで、共に落ちるだけ・・
「・・総司」
甘く吐息を吹きかけるように、いとおしげにその名を囁いて、
土方はゆっくりと総司の中に自分を埋め込んで行った。
瞬間、強引に押し開かれる苦痛に眉根を寄せたが、
その衝撃が通り過ぎると総司は瞼を薄く開けて土方を見た。
体の中にある土方は焦がれる程に熱い。
痛みは常に悦びと隣り合わせにある。
今総司にとって、熱さも痛みも悦びも、
すべてが土方そのものだった。
それを忘れぬように、どこに朽ち果てようと、
決して忘れぬように、その背に爪を立て、
下肢を絡めて更に強く縋った。
揺らすたびに白い胸が仰け反り、切ない息がたまらず零れる。
揺らされるたびに土方の熱さを体に刻み込む。
揺れて揺らされて・・・・
揺れているのが水に浮かぶ舟なのか、
自分自身なのかも分からなくなり、
翻弄され続けて、いつか命の際まで昇りつめ、
一瞬の、悲鳴に似た短い声を放って果てると、
水に沈む小石のように、そのまま深く意識は闇に呑まれた。
荒い呼吸を整えながら、土方は腕の中でぐったりと弛緩している総司を見た。
そっと横たえて、恐る恐る唇に指を触れる。
その指に微かな息を感じて、脱力するように総司の体に顔を伏せた。
(まだ、息をしている・・)
それが情けないほどに嬉しい。
静かに眠る総司の頬を手のひらでそっと包み込む。
「俺をおいて死ぬな・・」
深い闇の中にいる総司にこの声は届かない。
だが土方は言葉にせずにはいられなかった。
「死ぬな・・」
呟いた途端に目の奥が熱くなり、視界が滲んだ。
それが露となって、下にある総司の窶れた白い頬に落ちた。
それにも気付かず、総司は闇に居つづける。
「・・・・死ぬな・・、俺をおいて、死ぬな」
やがて舟が川を終わり海に入り、底に伝わる揺れが大きくなっても
土方は零れ落ちる露を拭おうともせず、総司の頬に己の頬をよせて、
繰り返し、繰り返しそれだけを囁いていた。
了