うたかたの・・   下

 

 

 

「すまん」

先ほどから頭を下げたまま、藤堂はそれしか言わない。

 

「藤堂さんが何を謝っているのか分からない」

遂に総司が困り果てたように呟いた。

 

 

「お前に山南さんを追わせ、介錯をさせたことを詫びている」

顔を上げてまっすぐに総司を捉える藤堂の双眸が苦しげだった。

 

「もう、終わったことです」

その目にある苦渋の色に、目を逸らしたかったのはむしろ総司の方だった。

 

「終わってなどいやしない。少なくとも俺もお前も。

あの時、山南さんを追うべきなのは俺だった。いや、俺でなくてはならなかった。

あの人の苦悩を知りながら、俺は見て見ぬ振りをしていた」

「それは皆同じだ・・」

「違う。俺は山南さんに一番近い存在だった。

だがあの頃、おれはあの人を殊更避けていた」

 

山南と藤堂は試衛館に来る前に、同じ北辰一刀流の道場で一緒だった。

付き合いは誰よりも長い。

 

「・・・・あの頃、山南さんが色々と俺に相談をかけてきた。

いや相談と言うよりも、俺には新撰組への不満としか聞き取れなかった。

確かに俺の中にも近藤さんや土方さんへの不満はあったさ。

だが山南さんの意見に同調するわけには行かなかった。

・・・・俺にはその時惚れた女が居た。

その女の為に俺は新撰組に居ることを望んだ。

温(ぬく)い布団に寝かせてやり、米の心配をさせることなく、

せめて人並みの暮らしをさせてやりたかった」

 

思わぬ藤堂の言葉に総司はその顔を直視した。

 

「そんな顔をして見るなよ。情けの無い話だろう」

自嘲するように漏らした低い笑い声が乾いていた。

 

「結局あの人は自分を偽ることが出来ずに新撰組を脱し、

俺は山南さんと同じ不満を持つ自分の心を偽っても、新撰組に居ることを望んだ。

俺は惚れた女の為に山南さんの声を真剣に聞くことをしなかった。

後悔といえば限りがないが、これも俺がしてきたことだ。

今更俺自身がどんなに慙愧に堪えられまいとそんな事はいい。

だがお前が苦しむ事はなかった。

山南さんを追い、あの人の首を落とさなければ成らなかったのは、この俺だ。

それを俺はお前にさせてしまった。・・・・すまない」

 

 

 

遠慮がちに音も立てずに入り込んでいた風が、少しだけ強くなって、

狭い隙間からさらに流れだそうと、木の桟を鳴らした。

 

 

再び頭(こうべ)を垂れた藤堂を、

総司は不思議なものでも見るようにして見ていた。

 

 

 

山南のことで苦しい思いをしていたのは自分だけではなかった。

自分の呻吟する様を傍らで見ながら、更に藤堂は苦しんでいた。

きっと藤堂は自分を見る度に、その事で辛い思いをしていたに違いない。

 

藤堂はもう解放されたいのかもしれない。

 

藤堂自身の心を偽って新撰組に居ることにも、

自分を見る度に山南を思い出すことにも・・・

 

 

それは全く別個なものだが、

しかし、傍らに居ながら土方を追う事に疲れていた時の自分にどこか似ている。

 

それを知りながら藤堂に尚新撰組に留まれと言う自分は

ひどく残酷な事を言っているのかもしれない。

 

 

 

藤堂の本当の胸の内を知ってしまった事で、総司は己の心に負けた。

もう、諦めねばならない。

 

その意思を翻す事は叶わぬと知りながら、

それでも必死で繋いでいた一縷の望みの糸を断たれて、

総司は初めて目の奥が熱くなった。

 

藤堂は出て行くのだ・・・・

 

それが突きつけられて知った現実だった。

 

 

 

「お前がそんな辛そうな顔をすることは無いだろう。詫びているのは俺だぜ」

陽気すぎる程に明るい声が室に響いて、

我に返って戻した視線の先に、藤堂の微塵の翳りも無い笑い顔があった。

 

 

「やはり藤堂さんはずるいや」

「何がだよ」

「もう、私に止める事をできなくさせた」

「それはお前にはずるい事かもしれないが、俺にはいい具合だったな」

 

いつもの様にさっぱりと言い切りながら、

しかし自分を見る藤堂の目の中に微かに滲むものがあったと思うのは、

或いは錯覚だったのかもしれない。

そんな思いに捉われながら、

総司は盃を手にとって、すっかり冷えてしまった酒を一気に飲み干した。

 

そうでもして目を瞑らなければ、

今度こそ零れそうなものを堪えるのに往生しそうだった。

          喉を伝わる熱さは、そのまま総司の瞼の奥に堪える露の熱さだった。

 

 

 

このまま寄るところがあるからという藤堂と店を出た所で別れる事になった。

 

 

「あ、藤堂さん、ひとつ聞いても良いですか?」

別れしなに、総司が問いかけた。

 

「何だよ」

「その女の人、その後どうしたのです」

聞く総司の目が悪戯そうに笑っていた。

 

「今から寄るところさ」

「なんだ」

「なんだって、それこそ何だよ」

「藤堂さん、いつも私には勝手なことばかりしているから、

振られてひとつ位痛い思いをすればいいと思ったのに」

「馬鹿野郎」

毒づきながらも藤堂の目も笑っていた。

 

「総司、お前な・・・。

今から言うことだけは素直に聞けよ。俺の遺言だと思って」

「又そんなことを言う」

総司は笑って見せたが、藤堂の目は真剣だった。

その双眸に引き込まれるように、総司も笑みを曖昧にした。

 

 

「あのな、物事を考える時は寝ているときは駄目だ。

体を横にして考え事をしても碌(ろく)な事は思いつかない。

考える時は体を縦にして、天道の日がある内にしろ。

そうすれば必ずお前は病に勝てる。病は気からだ。

きっとそうしろ。そうして良くなれ」

 

それは自分の体の最近の衰弱ぶりを、この男なりに、

遠まわしに労わってくれているのだと総司には思えた。

照れ隠しか、怒ったように告げる藤堂の情が胸に温かかった。

 

 

「できたらそうする」

「ばか、出来なくてもそうしろ」

 

応(いら)えは返さず、総司は小さな笑みだけを浮かべた。

 

 

遺言などと言うのなら聞いてはやらない。聞かずに焦らしてやる。

そうすればいつかきっと藤堂は帰って来る。

 

有り得もしない望みをまだ捨てられない思い切りの悪さを持て余しながら、

それでも自分の応えを求めて睨みつけてくる藤堂に、

 

「そうする」

総司は笑いながら頷いた。

 

 

嘘のひとつで藤堂の気持ちが安堵するならば、それでいい。

藤堂の帰りを、自分はもう待つことが叶わないかもしれない。

だからせめて今自分が藤堂にできることを、総司はしておきたかった。

 

「きっと、そうする」

 

二度目の応えに、藤堂がやっと満足そうに笑った。

 

 

 

風は屋内よりも外の方がすでに柔らかく暖かい。

桜花の咲き綻ぶのは、意外に早いのかもしれない。

 

うららかな陽射しの中で、屈託の無い藤堂の笑い顔が眩しくて、

総司は少しだけ目を細めた。

 

 

 

 

 

 

「・・・どうした」

耳元で囁かれた土方の低い声で薄く瞳を開いた。

 

いつの間にか耳朶を甘く噛んでいた土方が真上から自分を見下ろしていた。

言っている言葉の意味が分からず、総司はただ黙って土方を見返した。

 

愛撫によって高められた体の、どこもかしこも熱く土方を待っている。

その疼きを堪える方が、今の自分には切ない。

きっと自分はそんな瞳の色をしている。

その己の節操の無さに、羞恥で思わず目を伏せた。

 

 

「・・・藤堂のことをまだ考えていたのか」

だが土方の唇から漏れた言葉は、総司の予期せぬものだった。

 

「藤堂の事を、思っていたのか・・・」

今度は更に静かに土方が問いかけてきた。

 

「どうしてそんなことを・・・」

 

土方の激しい愛撫に翻弄されながらも、

きっと自分は今日伊東らと出て行った藤堂の後ろ姿を、

瞼の裏から消しかねていたのだろう。

その無意識の感情を土方は敏感に感じ取ったに違いない。

土方に言われるまで気がつかなかった。

 

 

総司の揺れる黒曜の瞳に己を映し出しながら、土方は声を出さずに苦笑した。

 

「お前の考えていることくらいわかる」

「・・・すみません」

「何故謝る。俺は責めているわけではない」

「でも・・・」

 

 

土方は自分を受け入れてくれてから、他の誰とも交渉を絶った。

だが今の自分は土方の望む全てを受け止めている自信が無い。

時折は零れる咳で行為を中断させて心配を掛けさせることもある。

そんな自分で土方を満足させているわけがない。

 

半分壊れたこの体が、泣きたく成る程恨めしく思うのはこういう時だ。

 

 

 

「藤堂さんのことなど考えてはいません・・」

己の体で応えられぬのならば、今は土方のことだけを想っていたい。

それは掛け値無しの総司の真実だった。

 

「嘘はつくな。俺に隠すな」

「・・・嘘ではありません」

「俺が辛いのは、お前がそうして心を隠してしまうことだ」

 

見つめてくる土方の双眸が限りなく優しい。

 

「藤堂が出て行くのは仕方がない。

あいつはあいつで決めた事をしたまでだ。俺も止めるつもりはない」

 

「だが・・・」

呟きながら土方の手のひらが総司の頬を探った。

 

「お前だけは俺から離れて行くことを、俺は許さん」

 

何かを言いかけようと動いた総司の唇を、一瞬早く土方のそれが塞いだ。

唇を合わせるだけの束の間の抱擁だった。

 

ゆっくりと捉えていた唇を離すと、

土方はもう一度総司の瞳をまっすぐに見つめた。

 

 

「俺はお前の心も体も全部が欲しい。

だがお前を縛りつけたくはないと思っていた。

いつかお前が誰かに心寄せて所帯を持ちたいと言えば

その幸せを願ってやる他に仕様が無いと思っていた。

俺の勝手な望みの道連れにお前を犠牲にはしたくはなかった」

 

「そんなこと・・・」

 

 

土方は勘違いをしている。

誰がそんなことを望むものか・・・・

自分がこの生涯で唯一望むものは土方その人以外にはいない。

それを上手く言葉に表せぬもどかしさに、総司は激しく頭(かぶり)を振った。

 

 

「もう少し聞け・・」

その総司の背に土方の腕が回って己の胸に引き寄せるように抱きしめた。

 

「・・・・この間・・、お前が俺を受け入れることを拒んだ」

 

その時の自分の抗いが土方にこんなことを言わせているのかと、

総司の瞳が不安の色を湛えた。

その怯(おび)えを拭い去ってやるように、

土方の指が乱れた総司の前髪を掬ってやる。

 

 

「責めているのではない。あれは俺が悪かった。

だが俺はあの時俺を受け入れないお前を憎んだ。

俺を拒むお前を許せなかった。

俺は・・・・、俺はいつの間にかお前は自分のものだと思っていた。

いや、きっと最初からそう思っていたのだ。

お前は俺だけのものだと・・・他の誰にも渡せないと・・。

そして今もそうだ。

奇麗事を並べても、所詮俺はこんな男だ。

それでももう自分の心は偽ることはできない。

・・・・俺の傍らからお前が離れることを、俺は許さない。

俺を残して死ぬことも・・・俺は許さない」

 

 

 

あわせた肌を通して、土方の胸の鼓動が自分のそれに伝わる。

規則正しく、力強く、自分を抱え込んでいる腕の確かさにも似て、

総司を限りなく深く包み込む。

 

 

きっと自分はこの腕の中にいて良いのだ。

いつかこの人を置いて逝く日がくるまで、

この胸に頼って生きていて良いのだ。

 

こめかみを伝わって零れ落ちる露の冷たさに、

漸く自分が泣いているのだと知った。

 

 

 

おずおずと差し伸べられた手を、土方が待っていたように掴んだ。

 

その骨ばった手を握り締めながら、

想いの限りを込めて土方は、今度こそ激しく総司の唇を貪った。

 

 

 

 

もう欲望の滾(たぎ)り止められぬ激しい土方に、総司の意識は時折霞んだ。

突き上げられる度に仰け反り、

声を漏らすのを堪えることも叶わず、ただ泣かされた。

 

 

そのおぼろげな意識の下で、

土方の傍らを決して離れたくは無いと思った。

他の誰かに渡すならば、

いっそこの手に掛けて次に渡る世まで連れ逝きたいと願った。

 

・・・業火に燃え尽された、もはや人とは呼べぬ自分がいた。

 

 

それでも・・・

 

そこまで想うからこそ

土方の将来(さき)の邪魔をするのは許せない自分がいる。

土方の為ならば、どんなに辛くても

血が滲む程に唇を噛み締めて身を引ける自分がいる。

 

 

 

ひとつ土方の心に触れれば、ひとつ自分の胸に秘め事ができる。

一度腕に抱かれれば、離されることに怯える。

 

腕を差し出して強く絡めながら、

だがいつかそれを解くのも・・・きっと自分だ。

 

尽きぬ想いと苦しさと・・・

きっと輪廻のように繰り返し

少しの心安らぐ時もなく、自分はこの世の生を終えるのだろう。

 

 

 

そんなとりとめも無い思いを遮るように、土方の熱さが迸る。

 

もう土方以外をどこにも刻み込めぬ程に高められ、

やがてひときわ切ない声を細く放った。

 

 

 

たゆたうように静かに揺れて淵に沈みながら、

ここにあるすべてが泡沫(うたかた)のできごとでも

ただ、ただ今は土方がいとおしいと思った・・・

 

 

それが全てで・・・・あとは闇に呑まれた。

 

 

 

 

 

                                   了

 

 

 

                   琥珀短編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その女の人は・・今は」