お詫びのあとがき




事件簿というのは、ナニをドウスルという考えもなく、本当に気侭に始めるので、後で青くなるのは毎度の事なのですが。。。今回も多分にもれず、ソレでした。
でも今更反省しろと言われても、この性格はおいそれと直るものでもありません。(とっくに諦観・・・スミマセン(><))

『雪時雨』は、今年のお正月に壬生寺に行った際、新撰組勘定方の河合耆三郎の墓石を見て感じ入るものがあり、いつか河合さんに絡めた何かを作りたいなぁという・・、どうにも無鉄砲な発想から生まれたものです。
河合耆三郎に関しては、大好きな大内美代子さんの著『沖田総司』の中で、総司がこよりにする反古になった紙を貰いに行った時『几帳面にたたんで取っておいた』というくだりが頭から離れなかったのですが・・・(ーー;)変なトコ覚えていてスミマセン!

河合耆三郎は死後、一度は新撰組の菩提寺としていた『光縁寺』に葬られながら、身内の手によって壬生寺に墓石が建立され移し変えられました。
その墓石は芹沢鴨達のものよりも、よほどに大きく立派です。
側面に建立者の名前として、弟と妹二人の名前が刻まれています。

墓石を何となく見ている内に、『身内の人はエラク新撰組を憎んだんだろうなぁ』と、そう思いました。
これみよがしに墓を壬生寺に移し、更に元局長達よりも立派な墓石を建立した事が、その無念さ、憤りの強さのような気がします。
むろん実家のある播磨にも墓を作ったのでしょうが、壬生寺にある墓は、河合耆三郎の身内のやり切れない怒りと哀しみを現しているように思えるのです。

そしてその建立者が父親ではなく、弟であると言う事が、その時の私にはとても不思議に思えました。
河合の急を聞いて駆けつけたのは、弟だったのだろうか、ではその弟が播磨の実家を継いで米問屋をやっていたのだろうか・・・
耆三郎が二十七歳で亡くなった事を考えれば、少し下の年齢だろうか・・・
お父さんは儀平さん・・弟さんは儀一郎さん。
でも河合さんは耆三郎。
本来長男ならば河合さんに『儀一郎』とつけるのだろうに、不思議。。。
もしや河合さん養子だった??とか・・・
妄想は、くるくるくるくる回り始めました。(イエ、いっそそのまま目を回していた方が良かった鴨!)
やばいっ!と思った時には後の祭り・・・。
後はいつものように、自分で自分の首締める結果に・・・・(ーー;)とほほ。

さて、話の中で阿片が係ってきますが、当時阿片は時代劇で云うように、ご禁制でもなかったようです。
津軽の『一粒金丹』は本当にあった薬で、弘前藩津軽家に代々伝わった秘薬だったそうです。
HPで『一粒金丹』を売っていた、江戸時代の店の木の看板が見つかったという話がありました(^・^)

京都の嵯峨野には幕末の遺跡が数多くあります。
嵯峨の奥に植林された豊かな森林資源を生業とする商人達は、都を襲った政乱による幾度かの大火で巨額の富を得たそうです。
そしてその力は朝廷、諸藩と深く結びついて行ったそうです。
福田理兵衛はそういう土壌が生んだ『政商』でありました。
その理兵衛が長州に逃亡後、ということで、台頭したのが『白木屋』さんという架空の人物です。
(どうも商人が好きなようです。。。)


ところで・・・
ずっと思っていたのですが、私の書く総司は、ある意味大変異端であります。
ちっともカッコ良く無いし、すぐ悩むし。。。
どちらかと言えば引っ込み思案で、そのくせ後先考えずに走り出すという、近くに居たらホント、傍迷惑な奴です・・・
おまけに病弱だし。。。(イエこれは趣味・・はうっ!)
それでもこういう総司しか書けません。申し訳ナイ事です。


いつもどおりの、いい加減なノリ、イライラするぬるい展開、ショーも無いオチ、重ねてお詫び申しあげます。
もしもこんな好き勝手に付き合って下さり、最後までお読んで頂けましたのならば、お礼の言葉もありません。
心より、感謝いたします。
本当にありがとうございました(^〇^)



    
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