冬 陽  (壱)




新撰組局長の近藤勇が近日中には大坂に入るとの連絡は、その朝土方の元にもたらされた。
結局ひと月の余に渡った長州への旅は、幕府側も思うような成果を収めることができず、近藤にとっては不満の残るものだったらしいが、取りあえず無事に戻ってくることに、流石に土方も総司の前で安堵の色を隠せない様子だった。


「伊東の口車に乗せられただけさ」
吐き捨てるように忌々しげな口調に、総司が笑った。
それを横目で見やると、面白くなさそうに土方は文机に向かった。

「それよりお前、今日は田坂さんのところへ行く日だろう」
いつまでも小さな笑い声を忍ばせている総司に、土方が背中を向けたままで声を掛けた。
「・・・明日にしようかな、と思って」
「何故?」
背をくるりと返して、土方は問うた。
「このあいだ行った時に、田坂さん今日はお客さんが来ると言っていたから」
「関係が無いだろう」
「けれどキヨさんが大事なお客さんだって言っていました。もし行ってその邪魔になっては悪い」
「お前は患者だろう。患者を診るのが医者の仕事だ。何を遠慮することがある」
「そんなこと言うの土方さんだけだ」
尤もながら土方らしい強引とも言える理屈に、総司がまた声を立てて笑い出した。
「笑ってばかりいないで、日の暮れぬ内に行って来い」

追い立てられるようにして立ち上がりはしたが、総司はどうしようかまだ迷っているようだった。
できることならば、田坂はその客を会わせたくは無い風だった。

「どうした?」
そんな総司の様子を、流石に訝しんで土方が声を掛けた。
「・・いえ、何でもありません。行ってきます」
応えた時にはいつもの屈託の無い笑みを浮かべた。



毎月一のつく日に総司は田坂の診療所に通っている。
最近は別段体調が優れないということも無く、行けば診療を終えて他愛のない話をして帰ってくることが多い。
先日もそんな風に過ごして帰る間際に、ふと田坂が次に来る時はいつもよりも少し早めに来ることはできないかと総司に聞いた。
総司は他の患者の邪魔にならないように、なるべく夕刻、人の途絶えた頃にやって来る。
巡察の都合によってやむおえず翌日になったり、その日の昼前になったりすることもあるから、田坂の希望を聞き入れるのは容易い事だった。



「・・・どうしよう」
屯所を出て暫く歩いたところで佇んだまま、総司は誰に言うでもなく独り呟いた。
頬を嬲る風が冷たい。

昼はとうに過ぎている。
土方にはああ言ったが、今から行けば丁度田坂の客とかち合いそうだった。
行かぬと言えば土方は怒り出すだろう。
それでも田坂の迷惑になることは避けたかった。

どちらともつかぬ思案に暮れていたとき、ふいに厚い雪雲に覆われていた空から不釣合いな陽が射し込んだ。
その明るい強さが総司の心を少し積極的なものにした。
急げば客の来る前に診察を終えることができるかもしれない。

地にある枯葉を舞い上げる向かい風の強さを目を細めてやりすごすと、総司は先ほどよりも足早に歩き出した。



田坂の診療所は、五条の通りから清水寺に続く坂の手前を右に折れてすぐのところにある。
門を潜り玄関のたたきに入ったところで総司の足が止まった。

明らかに此処に来る患者のものとは思えない、贅を凝らした草履がある。
咄嗟にそれが、田坂やキヨの言っていた客のものだと判断できた。
急いで来たつもりだったがやはり間に合わなかったかと、音を立てずに踵を返そうとしたとき、奥から聞きなれた足音がこちらにやって来た。

「やはりそうだったな」
田坂俊介医師は、帰りかけていた総司を引き止められた事に安堵しているようだった。
「すみません。遅くなってしまって・・・今日は帰ります」
「遅くなどないさ。いつもよりずっと早い。それより早く上がれよ」
「けれど・・・」
促しても一向に動こうとしない総司を訝しげに見ながら、躊躇う視線の先に目をやって、初めて田坂は笑いかけた。

「気にしなくていい」
「お客さんでは?」
「勝手に早く来た。だから君の診察が終わるまで待って貰っても一向に構わないのさ」
「そんなことできません」
「できる、できないは俺が決める事だろう?それにこんな寒いところでの問答はごめんだぜ」
言うだけ言い置いて、さっさと背を向けてしまった田坂を、仕方なく追うように総司は腰の物を抜いて上がり框(かまち)の板敷きを踏んだ。



「田坂さん・・・」
最後に抜いていた肩袖に腕を通して前を合わせながら、総司は何やら思案気に薬棚を覗いている田坂に声を掛けた。
「何だ?」
振り向かず、さほど気にも止めていそうにもなく田坂は応えた。
「・・お客さん」
「気にしなくていい」
目当ての物が見つからないのか、田坂の思考はそちらにだけ向けられているようだった。

「田坂さん」
もう一度強く、今度は呼んでみた。
その口調に漸く田坂が振り向いた。
「放っておけと言っているだろう」
うんざりしたような物言いにはどこか苛立ちすらあり、それを敢えて隠しもしなかった。

「でも私の為に待って頂いているのなら申し訳がない」
「俺は医者だ。患者を優先させてどこが悪い。大体一刻も早くに来るという方が悪い」
「そんな勝手な言い分・・」
「勝手じゃないだろう。本当のことだ」
そのまま又後ろを向いてしまった、いつもと違う田坂の態度が、総司には今ひとつ分からなく酷く居心地が悪い。

「・・・ああ、こんなところに入れてあったのか」
やっと目的の物が見つかったのか、その声が先ほどよりはずっと柔らかだった。
幾つもある小さな引き出しのひとつから、白い包みを取り出すと、田坂は総司の元に戻ってきた。
「薬をひとつ増やしてやろうと思ったのさ」
「これ以上飲むものが増えたら何も食べられなくなる」
「我儘を言うなよ。これからもっと寒くなるからな。風邪を引くのを防ぐ為のものだ。まじないのようなものさ」
差し出された包みには、更に一回分づつに分けられた薬包が入っているらしい。
「寝る前に湯に溶いて飲むように。捨てるなよ」
それを半ば強引に受け取らせられて、総司は憂鬱そうに小さな溜息をついた。


「せんせい・・?」
障子の向こうに影が動いてキヨの遠慮がちな声がした。
「入っても構わない」
その言葉を待っていたかのように、白い障子が開いて素早くキヨが身を入れた。
「せっかく温うしてはるのに、冷たい風が入ったらえらいことやわ」
「私の事なら大丈夫です」
総司は慌ててキヨに向かって言った。
病人扱いされて気を遣って貰うのは嫌だった。
「そういう油断が大敵なんですのや。キヨの言う事を聞いときなはれ」
少し睨むような仕草をしながらも、キヨの目は笑っていた。
「で、キヨは何を言いにきたのだ?」
黙っていればいつまでも終わりそうのないキヨのおしゃべりを遮るように、田坂は言葉を挟んだ。
「そやった。遠藤はんが出直して来た方がええやろかと言わはって、どないにしましょうなぁ」
キヨの口ぶりも、話の中身の割には至極のんびりとしたものだった。

「約束の時刻より早く来たのはあっちの勝手だろう。今は急患で手が離せないから、待つのが嫌ならば帰って頂く他無いと言ってくれ」
「田坂さん、それでは私が困る。もう終わったし、私は帰るから」
「何故君がそんなに気を遣う?」
総司の狼狽ぶりが腑に落ちないような田坂の口調だった。
「ほんまですわ・・・沖田はんはちぃとも気にしはることありませんのや」
「けれど、キヨさんはこの間大切なお客さんだって言っていました・・」
「キヨは大切なんて言うてまへんえ。お断り出来へんお人やとは言いましたけどなぁ」
どうやら客は田坂にとってもキヨにとっても、あまり嬉しい相手では無いらしい。
それでも総司にとっては気が落ち着かない。
「でも今日は帰ります」

「膳所藩の人間さ」
「・・え?」
片足を立てようとした総司に、胡坐をかいたその膝の上に方肘をついて、頬杖していた田坂が憂鬱そうに呟いた。
「死んだ親父の知人で、凝りもせずに俺に縁談の話を持ってくる」
「縁談?」
「腹に一物持ったお節介か・・余程に暇を持て余しているのか・・どちらかだろうな」
「そんな言い方・・」
「せんせい、沖田はんに叱られてはるわ」
総司が嗜めるように言うのを聞いて、キヨが面白そうに笑い出した。


「今日はもう屯所にそのまま帰るのだろう?」
総司に声を掛けた時には、田坂は素早く立ち上がっていた。
「俺も小川屋まで用がある。途中まで一緒に行こう」
「でも、田坂さんはお客さんが・・」
「キヨ、遠藤さんには急患を送らなければならなくなったから帰りは遅くなるが、それでも良ければもう少し待つように言ってくれ」
「はいはい。ほな、そないに言うときますわ」

あっけにとられている総司を尻目に、田坂は着ていた白い被布を脱ぎ捨てると、そのまま歩き出したが二歩三歩行って立ち止まり、動く気配の無い後ろを漸く振り返った。

「帰るのだろう?」
「でも・・」
客にそのような無礼をして良いのか戸惑う総司に、キヨがふっくらとした頬を緩めた。
「沖田はん、遠藤はんにはキヨがあんじょう言うときますよって安心しなはれ」
キヨの笑い顔に促されて、総司は急(せ)かせる様に待っている田坂を見ると、まだ困惑の色を顔に湛えたまま仕方無さそうに腰を上げた。




「何をさっきから怒ってる」
「怒っているわけでは無いけれど・・」
往来を行く人々もどこか気忙しく思えるのは、師走も半ばを過ぎて正月を迎えるという活気のせいだろうか。
背の高い田坂と並んで歩きながら、総司はそれでも先ほどから自分の為に迷惑をかけた遠藤という人間への申し訳なさが消えない。

「客のことか?」
横を向いたまま黙って頷く総司に、問い掛けた田坂が低く苦笑した。
「待ちぼうけを食わされた挙句に置いてきぼりまで」
黒曜色に似た深い色の瞳が、横目で咎めるように田坂を見た。
「幾度断っても、よくも次から次へと、ああ持ってくるものだ」
「縁談の話ですか?」
「それだけではない。ついでに仕官の話も持って来るから余計に始末におえない」
「だったらそんなに良くしてくれる人を・・」
「相手にもそれ相応の算段があるのだろう」
「算段?」
「俺の死んだ親父をまだ慕ってくれている人が、今藩内で勢いがある立場にあるらしい。それで忘れ形見の俺に恩を売る事で、自分も美味い汁を吸うつもりなのだろうさ」

田坂にしては、ずいぶんと突き放したような口調だった。
それが無念の死を遂げた実父を未だ利用しようとする人間への、田坂の怒りとも総司には思えた。
多分あの遠藤という人間は、田坂の癒え切らぬ心の傷に土足で踏み込もうとしているのだろう。


「このまま真っすぐに帰るのだろう?気をつけて行けよ」
そんな事を考えていて、田坂が立ち止まったのに気付かなかった。
見ればいつも田坂が利用している薬種問屋小川屋の店の前まで来ていた。
「おい、そんなことじゃいくら新撰組の沖田でも心配になるぞ」
己の心許なさをからかうように言われて、流石に総司は赤面した。
「田坂さんのせいなのに」
「何がだよ。自分のぼんやりを人のせいにするなよ」

笑う田坂の顔に冬の陽があたり、その眩しさに総司は一瞬目を細めた。





「・・・あっ」
殺そうとしても、突き上げられる衝撃と共に短い声が漏れる。
固く瞼を閉じても、溢れる雫は眦から零れ落ちる。
白い胸と喉を仰け反らせて、打ち寄せる悦楽の波に浚われそうになるのを堪えても、身体はすでに限界だと総司を責め立てている。
まわした背に爪を立てて、滲む瞳でそれを伝えようと土方を見た。
が、そんな懇願を逆手に取るように、規則正しく刻まれていた律動がふいに止まった。
追い詰められた果てに解放の時を許されなかった身体は、それを強請(ねだ)って、内に潜む土方に密やかに絡みつく。
それでも土方は、残酷なまでに動きを止めたままだ。
その意図が分からず戸惑うように見上げた視線を敢えて合わせる事無く、土方は突然唇に当てがわれていた総司の右の手を掴むと、そのまま褥の際に縫いつけた。
左の手は肩の辺りで押さえつけられて自由にならない。
もう悦楽に咽ぶ声を忍ばせる堰は無い。
困惑の中にいる総司に、ゆっくりと土方が新たな波動を送り始めた。
意地の悪い所業に必死に唇を噛み締めても、それが崩れるのは砂でできた砦よりも脆い。

「・・・嫌だ・・土方さん・・」

零れる雫と、拒絶というのにはあまりに儚い声は、言葉とは裏腹に次第に陶酔の色を帯び始める。
耳朶に届く想い人の切なく甘美な喘ぎは、そのまま土方自身の昂ぶりとなり、やがて情炎の熱い煽動が総司に忘我の境を彷徨わせ始めた。
漏らす息だけが全てで、薄く開かれた瞳はうつろに、己を蹂躙している土方の姿すら像として結んではいない。
薄い胸にある仄かな色合いに唇を這わせただけで、抱え上げられていた下肢が欲情の迸りを求めて爪の先までをも強張らせた。

「・・い・・やだ・・」
我知らず土方の動きに腰を合わせて紡がれる言葉は、それがどんなに拒むものであっても、すでに悦びの代償でしかない。

「総司・・」
囁くように呼んで、それが合図のように熱く潤う深遠の淵に更に土方が己を沈めたとき、戒められた身体が弓なりにしなり、濡れた唇から細い悲鳴が放たれた。



全てを解放し、まだ瞳を閉じた想い人の乱れた髪を指で梳いてやると、僅かに瞼だけが動いた。
「・・すまなかったな」
そのまま貝殻の裏のように青く血管の色を透かしているそれに唇を当てると、漸く深い色の瞳が微かに開かれた。

「辛かったか?」
少し憂えて覗き込む眼差しが土方のものだと分かると、総司は咄嗟に顔を背けた。
先ほどまで堪えることもできずに、声を漏らしていたに違いない自分がひどく恥ずかしい。
だがそれすらも残酷な程に記憶にない。
自分はただ土方の意のままに翻弄され続けていた。
思い起こしただけで、羞恥で全身が火照るのが分かる。

「怒ったのか?」
土方の問い掛けに、顔を合わせて応えることができない。
僅かに首を振って、否と告げるのが精一杯だった。
背を向けたまま小さく震える頼りない身体を、土方は後ろから覆うように抱きしめた。
「お前の声が聞きたかった・・・」
どこか気弱な声に、総司が振り向きざまに土方の首筋に腕を絡めて縋りついた。

「怒ってなどいない・・・けれど」
土方の肌の温もりの中のあるという安堵感が、心を素直にさせる。
「・・けれど・・ああいう自分は自分じゃ無いみたいだ」
「では俺を嫌うのが本当のお前か?」
想い人に言葉を躊躇わせる、何もかもを知り尽くした上で、からかうような土方の眸だった。
「どうしてそんな風に・・」
総司の瞳が今自分を包む腕(かいな)の主を、恨むように見上げた。
「・・・怒らせて見たくなるのだろうな」
応えはそのまま問い掛けだった。


だがそれは総司を前にすれば、欲する本能だけが先走るのを抑えきれない自分を、少しばかり持て余している土方の真実だった。
「何故もっと優しくしてやれないのだろうな・・」
想い人は胸に業病を抱えている。
誰よりもそれを案じ、何よりもそれを恐れているからこそ大切にしてやらねばならないのに、気がつけばいつも激しく想いの丈をぶつけているだけの自分がいる。


「・・・どうしてだろうな」
自嘲するように低く笑いながら、土方の指は頬に乱れかかった総司の髪を掬った。
「そんなの昔からだ」
小さく笑った唇が、揶揄するように咎めた。
「ずっと前から土方さんは意地悪だった」
「俺がいつそんなにお前を苛めた?」
「いつもいつも、もう覚えてなどいられないくらいに、・・・・優しかった」
「どっちだ」
「どっちも」
含むような笑みを責めるように、土方の唇が総司のそれを塞ごうとしたとき、ふいにその動きが止まった。


すでに自分の上には無い土方の視線の先を追えば、確かに屏風を越えて襖の向こうにあるのは人の気配だった。
それが誰のものかも、すでに土方には分かっているようだった。
総司にもおおよその察しはつく。
抱いていてくれた腕(かいな)に一瞬力が籠められると、すぐに温もりは離れていった。
それを追うことはできない。


衣ずれの音ひとつさせることすら怯えるように、総司は夜具の中で身じろぎせずに土方が襖を閉じる音を聞いていた。
山崎の、あたりを憚るようなくぐもった声と共に土方の足音が聞こえなくなると、遣る瀬無い息がひとつ零れた。




室の全てを深閑と呑み込んでいた闇が、少しぼんやりとなったような気がする。
夜明けが近いのだろう。
結局帰ってこない土方を待って眠る事はできず、気だるい身体を叱咤しながら起こすと、薄い夜着を通して無防備に曝した肌に冷気が突き刺すようだった。
土方が仕事部屋にしている隣室にも人の気配はない。
明るくなって人目に触れない前に、自分の部屋に戻らなくてはならない。

ここに来る時に着てきた羽織を肩に掛けただけで、息をも殺すようにして静かに襖を開け、廊下の板敷きを素足で踏みしめた。
背筋まで凍らせるような冷たいそれは、自分の密事へのささやかな天の戒めのように総司には思えた。


吐く息が白く濁る。
多分そこに土方がいるであろう監察部屋の方向に視線を暫く巡らせていたが、やがて諦めたように反対側へと歩き出した。






「で、仏さんはどこの人だったんだい?」
隊服を着たまま玄関の上がり框に腰を下ろして、立ったままの島田魁と話し込んでいるのは永倉新八だった。
二人の会話の邪魔になっては悪いと思って、そのままこちらを向いている島田だけに軽く会釈して通り過ぎようと思った総司の足を止めたのは、次に永倉から繰り出された言葉だった。
「遠藤主計・・・・、膳所藩の人間なのか?」

思わず振り返った総司と、島田の目が合った。
「何だ、後ろの奴は総司だったのか」
何の思惑も無く後ろを振り返った永倉の顔が、総司の尋常ではない顔色を見て途端に訝しげに変わった。

「どうしたんだ、お前。顔色が良くないぞ」
「永倉さん、その人・・」
詰め寄って問う総司を、永倉が両の手の平で押さえるように牽制した。
「誰のことを言っているのだ」
「誰って、今膳所藩の遠藤って・・」
「お前知っているのか?」
「昨日田坂さんの所に居たお客さんが、遠藤さんと言っていた」
「・・・ああ、あの人は元膳所藩の人間だったらしいな」
永倉が確かめるように島田の顔を仰ぐと、黙って元監察方の二番隊伍長は頷いた。

「仏さんって・・その人死んだのですか・・」
「昨夜遅くに堀川の川原にあった仏さんが、その膳所藩の遠藤って人間だったのさ。ただそれだけだ。だが受けた傷の太刀筋が酷いという話を、今島田さんとしていたのさ。あんな斬り方をされちゃあ斬られた方も成仏できないだろうよ」
島田魁は永倉の江戸時代からの友人だった。
気さくな物言いはその時からのものだろう。

「それにしても、田坂さんはこの事をまだ知らんだろう。身元が分かったのはついさっきらしい」
「膳所藩邸には知らせが届いた頃だと思いますが」
島田が横から永倉の言葉を補った。

膳所藩邸に遠藤の事が知らされても、今は藩とは何も関係の無い田坂の処にまではその報は届くまい。

自分は結局顔も見なかった相手だった。
が、招かれざる客だと言ってはいたが、田坂もまさかの遠藤の死を知れば心を痛めるに違いない。
田坂に知らせねばならないと決めた総司の行動は早かった。



「永倉さん、島田さんでも良いのです。土方さんに私は田坂さんの処に行ったと、伝えておいて貰えませんか」
言うが早いか、驚いて呆気に取られている永倉の横をすり抜けて、総司は寒風の中を飛び出していた。









             事件簿の部屋     冬陽(弐)