冬 陽  (弐)




五条の田坂の診療所はまだ朝も早いというのに、玄関の上がり框(かまち)にまで腰を下ろして順番を待っている患者で混みあっていた。
師走になって世間が慌しいのとは関係がないのだろうが、それでも風邪をひく者や、怪我をするものが多いらしい。
新しい患者が来たのだろうと、その気配を感じたのか、キヨが奥から小走りで出てきた。


「沖田はんやおへんか。どこぞ具合が悪うおなりやしたんか?」
キヨの言葉には、総司の身を心底案じてくれている響きがある。
「そうではないのです。田坂さんに話があって・・・ここで待っていてもいいですか?」
「そないなところで待たんでも、奥で待ってておくれやす」
患者が多くて忙しそうにしていれば、いつもはそのまま何も言わずに帰ろうとする総司が、こんな風に言うのには何か特別な事情があろうのだろうと、キヨは機敏にそれを察してくれたらしい。
「さあ、はようお上がりやす」
奥に上がって良いものか躊躇っている総司を急かせるように促すと、キヨは先に歩き出した。


通された室に居心地悪く端座したまま、何をするでもなく時を持て余していると、思いもかけず田坂が顔を出した。
「もう少し待てるか?」
新撰組における総司の立場を慮ってくれたのだろう。
だがその田坂の顔にも何か憂いのようなものがあった。
或いは遠藤の横死を知っているのかもしれない、そんな予感がした。

「今日は一日大丈夫です」
「悪いな、もうすぐ終わる」
それだけを言い終えてまた慌しく戻ってゆく広い背を、総司は複雑な思いで見ていた。



「待たせてしまったな。悪かった」
漸く田坂が顔を見せたのは、もう昼をとっくに過ぎた頃だった。

「何だ、先に食べていればよかったのに。俺を待っているとは殊勝だな」
入ってくるなり総司の前に置かれた膳の上のものが、箸もつけずにあるのに気付いて田坂は笑った。
膳は田坂の分と、キヨが一緒に用意してくれた昼餉だった。
手を煩わせてしまったと恐縮する総司を笑って、キヨも先に食べろと言ってくれたが、その気になれず結局こうしてそのままにしてある。
「冷めてしまうと、またキヨはうるさいぞ」
「それよりも田坂さん・・・」
どこかのんびりしている田坂に焦れるように、総司は言葉を掛けた。
「せっかく作った飯よりも大事なことがある、などと言うと又怒る人間がいるぞ」

「誰が怒りますのや」
総司の性急さを宥めながら腰を下ろした田坂の言葉尻をとって、すぐにキヨの声が聞こえた。
「耳だけは達者のようだな」
「へえ。おかげさんでこの通り。悪口だけはよう聞こえますのや」
キヨは文句を言いながらも冷えた茶を替えてくれた。
「沖田はん、はようお上がりやす。こないなせんせいに付き合ってあげることあらしまへん」
「ずいぶんと差があるようだな」
「お人柄の違いですやろ。若せんせいも少しは沖田はんの素直さを見習いなはれ」
苦笑する田坂に、キヨはまた一言意地の悪い事を言ってすぐに出て行った。
口ではきつい事を言っても、何やら話すことがあるのだろう田坂と総司を二人にしてくれた、それがキヨの気配りだった。


「田坂さん、今日来たのは・・」
キヨの足音が聞こえなくなるのを待って、総司は箸を持った田坂に向かって身を乗り出した。
「遠藤さんのことだろう?」
田坂は箸を置きもせず、小鉢にあった煮物を口の中にほおばった。
「知っていたのですか」
勢い込んでいた分、気が抜けたように言う総司に、田坂は視線を膳に置いたまま頷いた。
「君も食べろよ。どんな薬も飯を食う事には敵わない」
あくまで医者らしい言葉だったが、ふとそれが田坂の心の中にある何かを隠す為の術ではないのかと、総司は漸く気がついた。
例え遠藤がどういう人間であろうと、他生の縁があって昨日まで顔を合わせていた人間の死に、田坂が何も感ぜずにいられない筈が無い。
そこまで思うと、仕方なく総司は箸をとった。

「えらく素直だな」
そんな様子を、田坂がからかうように笑った。
「冷めるとキヨさんに怒られてしまう」
幾分愛想無く応えた声が、まだ田坂の態度に少しは不満が残るのだと伝えていた。
「誉められはしないだろうが、怒られるよりはましだろうな」
総司の不機嫌など気にする風も無く、膳の上の椀を掴むと、田坂は一気に喉に流し込んだ。
しばらく交わす言葉も無く、互いに無言で箸を進めていたが、ふいに田坂がその動きを止めて顔を上げた。


「遠藤さんな」
その名が田坂本人の口から出て、総司の顔にもまた緊張の色が走った。
「あの日俺が戻ってきた時には、流石にもう帰っていなかった」
「あんなに待たせていたのだから・・」
「そう言うな。俺もまさかこんなことになるとは思わなかった。が、昨夜は遠藤さんにも用事があったらしい」
「・・・用事?」
「藩邸には戻らずそのままどこかに行くとのだと、キヨに言っていたそうだ」

膳所藩京都藩邸は八坂神社の北側に位置する。
五条にある田坂の診療所からは僅かばかりの距離だ。
昨日総司が来た時にはまだ日も高かったから、藩邸にも戻らずにここからそのまま寄るところがあるのならば、それは其処まで戻る事が遠回りになる場所だったのかもしれない。
現に遠藤の遺骸は、西本願寺に近い堀川の川原で見つかっている。


「田坂さん・・」
何かを考え込むように、また黙々と箸を動かし始めた田坂に総司は遠慮がちに声を掛けた。
「何だよ?」
「・・・田坂さんに遠藤さんのことを知らせたのは膳所藩の人なのですか?」

それは先ほどからずっと胸にあった疑問だった。
自分は遠藤の死を聞いてすぐに屯所を飛び出した。
だが田坂は此処に着いた時には、すでにその事を知っていた。
永倉の話の内容では、膳所藩藩邸にも使わされた使者も着いたか否か位の筈だった。
それに田坂自身が膳所藩とはあまり縁を持ちたく無い様子なのは、総司にも分かっている。
だとしたら田坂が遠藤の件を知るのには些か早すぎる。


「小川屋だよ」
そんな総司の疑問を察したのか、田坂の方から応えがかえってきた。
「小川屋が今朝早くに知らせてくれた」
「小川屋さんが・・?」

小川屋は田坂が懇意にしている薬種問屋だ。
膳所藩邸にも出入りし、田坂も養父の関係からの付き合いだと聞いている。
総司も田坂に言われて、幾度か直接尋ねたことがある。

「何故小川屋さんが・・?」
「遠藤さんの遺骸の近くに落ちていた紙の切れ端に、漸く読めるほどだったが、五条の小川屋の場所が記されていたそうだ。
遺骸はまだ何処の誰とも分からない状態だったから、すぐに小川屋にも町方の者が来た。それで遠藤さんの身元の立会いをやらせられた小川屋から、俺のところにも知らせが来たということさ」
「小川屋さんと遠藤さんは親しかったのですか?」
「さぁ、どうだろうな。そんな話は聞いたことが無いが・・・。ただ遠藤さんが此処に良く来る様子なのは、出入りの時に度々見かけて知っていたらしい」
思案している風な田坂も、憂鬱そうだった。

「それより君は遠藤さんの事を、何故知っている?」
「遠藤さんが亡くなっていた辺りは新撰組の巡察の範囲なのです。それで朝知って・・」
「最初の発見者は新撰組だったのか・・・」
呟いた田坂の声が、どこか浮かなかった。
その様子に胸にひとつ引っかかるものを感じたが、総司は敢えてそれを問うことはしなかった。
何でもないように装いながら、田坂は遠藤の死を衝撃として受け止めている筈だ。
自分の知る田坂俊介という人間は、そういう心の持ち主だ。


無言でキヨの作った膳の上のものを口に運ぶ姿を見ながら、総司は田坂の胸の裡を、まるで自分が辛いもののように受け止めていた。





「田坂さんは元気だったかえ」
副長室から聞こえてくる、癖の無い少し低い独特の声が、すぐに誰のものか気付きはしたが、やはり伊庭八郎は其処にいた。
「八郎さん、何故田坂さんのことを?」
顔を見るなり田坂の話題を持ち出されて、総司は不思議そうに八郎を見た。
「何処に行ったかと聞かれたから俺が応えた」
不機嫌を隠しもしない土方の声だった。

「・・・すみません」
文机に向かったまま、振り向かない背に小さく詫びても心の裡は落ち着かない。
きっと又何も言わずに飛び出して行ったのを怒っているのだろう。
「いつまでも立っていないで座れ」
ようやく体を向けて、廊下に立ったままで自分を見ている総司に、ひとつ吐息すると土方は促した。


「田坂さん、仏になった遠藤という膳所藩の人間のことを何か言っていたか?」
最初にその話題を口にしたのは八郎だった。
「八郎さん、どうして遠藤さんの事を知っているのです」
「そう言うお前は何故、遠藤という人間を知っている」
驚いたように問う総司に、逆に問い掛けたのは土方だった。

「・・・遠藤さんは、昨日田坂さんの処に行った時に丁度そこに居たお客さんで・・」
「お前は顔を合わせたのか」
「いえ、顔を合わせることは無かったのだけれど・・・」
「名前だけでも昨日知った人間が横死したと聞けば気になったか。いや、それが田坂さんに係わる事にはなりはしないかと、お前はそれを案じたのだろう?」
土方に何と応えて良いのか分からず、言葉を詰まらせた総司に聞いたのは八郎だった。
言い当てられて、総司は仕方なく微かに頷いた。
叉要らぬ節介をやきに行ったと、土方に怒られるのは目に見えているが、それが真実であれば隠す事もできなかった。
案の定、おずおずと見上げた土方は渋面を作っている。


「遠藤という人間は田坂さんには関係が無い。だからもうこれでお前が気を病む必要は無い」
土方の声音にまだ治まり切れない苛立ちがあった。
だが田坂にその知人の横死を知らせる為に出かけた事に、どうしてこれ程土方が拘るのか、それが分からず、総司が戸惑ったように土方を見た。

「土方さんの不機嫌の原因はな、八つ当たりさ」
それまで黙って二人のやりとりを聞いていた八郎が、笑いながら横目でちらりとその当の本人を見やった。
「誰が八つ当たりだ」
「それ以外の何だってんだ」
少しも臆さない八郎の辛辣な応えだった。
が、総司にはまだ何も分からない。
ただ黙って二人の話の成り行きを、まだ抜け切れぬ困惑の中で聞いている。


「今日見つかったその遠藤という仏さんの身柄の件で、膳所藩と何かあったらしいぜ」
「伊庭」
土方が苦々しげに、短くその先を制した。
「・・・膳所藩と何かあったって・・土方さん」
急(せ)いて問う総司に、土方は諦めの息をついた。
「別に何かがあった訳ではない。心配をするな」
「けれど、今八郎さんが・・・」
「膳所藩から遠藤などと云う人間は知らんと、そう言われただけだ」
土方の双眸が探索の壁に阻まれた憤りに、鋭く細められた。
「そんなことは無い。昨日田坂さんは、確かに膳所藩の人だと・・」
「間違いはないだろうよ。嘘をついているのは膳所藩さ」
胡座をかいた格好は、決して行儀の良いものとは言えないが、その姿に崩せぬ品格がある八郎の、横から挟んだ憂鬱そうな声だった。

「大体膳所藩という処が処だからな・・・」
どこか含んだように呟く八郎の言葉を総司は聞き逃さなかった。
「膳所藩がどうかしたのですか・・?」
「いや、他意はない。ただ・・」
「ただ?」
「六角獄舎に居る川瀬太宰の事を思い出したのさ」


川瀬太宰とは強い勤皇思想の持ち主で、元は膳所藩家老戸田五左衛門の五男であった。
川瀬は藩内の攘夷思想家の弾圧に際して、一部藩士を長州に逃している。
その後川瀬自身は今年五月に捕らえられ、今は六角獄舎に居る。
だが将軍家茂が八郎達奥詰と上洛する際にも、膳所藩で一泊する予定が、膳所藩士による将軍暗殺の企ての動きがあるとの情報により流れた。
膳所藩にはそんな経緯(いきさつ)があった。


「何か膳所藩は、遠藤さんの死に不都合な事があって隠そうとしているのでしょうか?」
「さあな・・・そこまでは分からん。ただ隠したい事があることは確かだろうな」
八郎もどこか釈然としないようだった。

「総司、もうお前は自分の部屋に戻れ」
ふいに土方がまだ仏頂面のまま、総司に視線を送った。
「・・・けれど」
「余計な事には首を突っ込むなと言ってある」
否という言葉を許さぬ、土方の強い口調だった。

さらに食い下がる言葉を探そうとして、総司にふと思いあたることがあった。
もしかしたら土方は、八郎と何か話があるのかもしれない。
思えばここに来た時に、二人はそれまで交わしていた会話を急に断ち切らせたような不自然さで自分を迎えた。

先ほど八郎が言っていた膳所藩の川瀬に先導される事件は、幕府も注目している事柄だった。
或いは土方は遠藤の死に対して頑なな態度を取りつづける膳所藩の事情を、幕閣の内部の情報と照らし合わせて聞き出す為に、八郎を此処に招いたのかもしれない。


「飯は食ったのか」
黙ったまま自分なりに思考を巡らせてまだ其処を動かない総司に土方が掛けた声が、先ほどよりは幾分和らいでいた。
「・・え?」
「昼飯だ。食っていないのなら早く食え」
呆れたような土方の口調だった。
「田坂さんの処で、キヨさんにご馳走になりました」
漸く心を現(うつつ)に戻して、総司が慌てて応えた。
「すみません。もう行きます」

立ち上がる総司を土方も八郎も、もう止めなかった。
「あとで寄るよ」
胸にわだかまるものを感じつつ、室を出ようとした総司を八郎が笑って見上げた。
それに無言で頷いて、土方の方をちらりと見ると、もうすでに背中を見せて文机に向かっている。
総司は諦めたように、障子の桟と桟を静かに合わせて閉めた。




昼下がりで巡察に出ている隊もあるというのに、間借りしている西本願寺の敷地内にある俄造りの道場から聞こえてくる掛け声は、近藤の帰営が近いのと、正月を迎える師走の終りの慌しさでいつもよりずっと賑わいがある。
その声をぼんやりと聞きながら、総司は先ほどから火箸で赤い炭をつつく動作をただ繰り返している。

土方と八郎は何を話しているのだろう。
普段は大して気にも止めない政(まつりごと)が、万が一にも田坂に係わって来ることであると思えばどうしても神経はそちらに奪われる。
田坂はすでに膳所藩とは縁を断っている。
だから心配をすることは無いと自分に言い聞かせるのだが、そうすればする程、不安は逆らうように大きくなってゆく。
遠藤が誰に斬られたのかは分からない。
だが最後に立ち寄った先は田坂の処なのだ。
それが総司の胸に何か重い予感をもたらす。
田坂に要らぬ類が及ぶことの無いように、今はせめてそれだけを願うしかなかった。



「そんなに灰をつつくな」
ふいに開けられた障子に驚いてそちらを向くと、八郎が呆れたような顔で立っていた。
どれほど心が他所にあっても人の気配は機敏に察する総司に、それをさせないのは八郎位なものかもしれない。

「土方さんとの話は終わったのですか?」
「あの人と話していても面白くも何ともないからな。さっさと切り上げてきた」
無意識に総司が宙に舞わせていた幾ばくかの灰を手で払うようにして、八郎は仏頂面で火鉢を挟んで腰を下ろした。

「こんなにかき回していたら灰が飛んで咳に悪いだろう」
「・・・すみません」
「すみませんは良いが、お前はもう少し自分の身体に気を遣え」
「遣っている・・」
「嘘をつくな」
「嘘じゃない。だから昨日だって本当は田坂さんの処に行くつもりはなかったのだけれど、ちゃんと行った」
少しばかり不服そうな総司の声音だった。
「行くつもりが無いって・・昨日は行く日だったのだろう?」
八郎は総司が一の付く日に田坂の処に通っているのを知っている。

「・・・その前に行った時に、昨日は田坂さんに大切なお客さんが来るからいつもより早く来るように言われていて・・そのつもりだったのだけれど、結局遅くなってしまったから、昨日は本当は行くつもりはなかったのです」
「が、行った。お前はそれを自慢したいのかえ」
からかうような八郎の口調だった。
「そんなつもりは無い」
八郎に返す声が怒っていた。
「そう怒るな。そのお陰でお前は遠藤という人間を知ったのか」
「・・・顔を見た訳ではない」
まだ機嫌を直しているとは思えない総司の声音だった。

「それよりも・・・」
「田坂さんには何も関係が無い」
総司の問いに先回りするような八郎の応えだった。
「けれど遠藤さんと言う人は田坂さんの処に寄って、昨夜は用事があると言って早くに帰ったそうです。田坂さんの処に居たときは膳所藩士だったに違いないのに、その後に斬られた途端に膳所藩では知らない人間だという。何かおかしい。それが何故かは分からないけれど、でもその事でもしも田坂さんに類が及んだら・・・」
総司の言葉はそこで途切れた。
そのまま先を続ける事を躊躇うように、口をつぐんでいる。

「お前は田坂さんが膳所藩と、又係わりができるのを案じているのか」
沈黙から背を押すように、八郎は静かに問い掛けた。
だが総司はまだ黙したままだ。

八郎が田坂の過去をどこまで知っているのか、それが総司にその先を告げることを戸惑わせている。
田坂の過去には、例えそれが土方でも八郎でも触れて欲しくはなかった。



「田坂さんが、杉浦俊介という時代にな・・・」
語り始めた八郎の言葉に、弾かれたように総司が伏せがちにしていた瞳を上げた。

「八郎さん・・田坂さんの昔を知っているのですか?」
「俺はまだ十の子供だったよ」
八郎の眼差しが遠くを懐古するように細められた。

「あの人の父親という人と、俺の死んだ親父が懇意にしていた。田坂さんの父親の杉浦左近という人は骨の髄まで武士だった人だ」
「それでは八郎さんと田坂さんは・・・・」
初めて聞くふたりの馴れ初めに、総司の思考は混乱しているようだった。

「俺は道場の高窓から、一度きり見たあの人を覚えているだけさ。田坂さんは俺の名は知っていただろうが、あの人自身は俺に面識は無い」
驚いて瞳を見開いたままの総司に苦笑しながら、八郎が炭に息を吹きかけ、消え行きそうになった火を再び熾した。

「将来(さき)が楽しみな太刀筋だと、親父が話していた。それから暫くしてだ。田坂さん・・・いや、杉浦家のああいう事情が生じたのは・・」
炭と炭の間を覗き込むようにして熾き火の具合を確かめながら、八郎の声が僅かに沈んだ。
総司はもの語らず、息を呑むようにしてただ八郎を凝視している。

「杉浦家の次男であった田坂さんがその後どうなったかは、俺は親父から聞かされてはいなかった。だからまさかこういう縁で又あの人と会う事になるとは夢にも思わなかった」

淡々と語る抑えた声音が室に響く。


八郎が火箸で下の炭を起こした瞬間、僅かばかりの灰が上がった。
それが障子を通して差し込む淡い陽の中に閉じ込められて、出場所を求めて宙を舞う。



その様を心ここに無いようにぼんやりと見ながら、総司は田坂の葬られた過去が又も目の前に現(うつつ)のものとして姿を見せようとしている予感に、胸の裡が重く覆われてゆくのを禁じ得なかった。










              事件簿の部屋    冬陽(参)