陽 秋 -あきひ- (弐)
「これがその達吉どす」
総司の顔に動く色をそっと探りながら、伝五郎は、敷居際に座る硬い面持の若者を紹介した。
「確かにこの方でした、間違いありません」
総司は明るい瞳を伝五郎に向けると、達吉に向き直り居住まいを正した。
「先日は助けて頂いてありがとうございました。おかげで…」
「気にせんといておくれやす」
にべなく言葉を遮られて、総司は一瞬唖然と達吉を見た。だがすぐに我に返ると、己を鼓舞するように息を呑み、そして食い下がった。
「いえ、それだけではないのです。あの時達吉さんは、暴れた男を追っていたのではないのですか?」
「誤解どす」
いらえは更に短くなり、付け入る隙が無い。総司は言葉に詰まった。助けを求めるように伝五郎を見ると、こちらはいつの間にか腕組みを高くし、天井の一点を見詰めている。何か考え事をしているようだった。落胆して達吉に視線を戻すと、真一文字に口を引いた顔を伏せ、目を合わすのを避けている。総司はそっと溜息を吐いた。居心地の悪さはこの上ない。いっそ庭の菊花を話題にでもしようかと思案した、その時。
「うん、そうしよ」
突然、伝五郎が呟いた。そして達吉に目を向けると、近くに寄れと云う風に手を振った。達吉は迷惑げに顔を顰めていたが、
「早う来い」
促されて渋々膝を進めた。
「あんな、うちは思うたんやけどな…」
伝五郎は内緒話をするように、声を潜めた。が、当人は努めて気を使っているつもりなのだろうが、伝五郎の声には腹の底から響くような力があって、話は部屋の中に筒抜けだ。耳を塞ぐ訳にも行かず、出された菓子盆に視線を止め、総司は聞かない振りを装う。
「この際沖田はんに何もかもご相談して、力を貸して貰ろうたらどうやろう?」
「おかしっ…、いえ、伯父さんっ」
達吉が狼狽えた声を上げ、鋭く総司を見た。総司は益々瞳を伏せる。
「けどなぁ、今回の仕事はお前ひとりでは無理や」
だが総司の心裡など知ってか知らずか、伝五郎は頓着なく話を進める。
「な?悪い事は云わん。沖田はんに手伝おて貰えれば、やゑもどれ程安心するか…」
「いい加減にして下さいっ」
別人かと思われるような達吉の怒り声に、思わず顔を上げそうになった衝動を、総司は寸でのところで堪えた。部屋の中が、益々居心地の悪い空気に包まれて行く。
「沖田はん」
伝五郎は、今度は総司に矛先を向けた。戸惑いつつも顔を上げると、穏やかな伝五郎の目と合った。ついでにちらりと視線を流すと、これは梃子でも口を開かないと決め込んだような、達吉の一石な顔が視界の端に映った。だが伝五郎は頓着ない。
「さっき沖田はんは、実は達吉は、あの暴れた男を追っていたんやないか…、と訊ねはりましたやろ?それ、当りどすのや」
ええ勘してはりますなぁなどと呑気におだてられても、それは達吉の神経を逆なでするばかりで、総司は背中に冷汗が流れる思いだ。
「実は男の持っていた包みが、どうやら盗まれた経箱らしいのどす」
「盗すまれたもの?」
驚きに目を瞠った総司に、伝五郎は真面目な顔を作って頷いた。
「盗みに入られたのは、山科の釣月寺(ちょうげつじ)云うお寺はんどす」
「盗賊の事は、奉行所に届けてあるのですか?」
「もちろんどす。…けどなぁ」
意味ありげに伝五郎は達吉を見、そして総司に視線を戻した。
「その経箱の事だけは、どうしても奉行所に届ける事ができしまへんのや」
「何故です?」
「できへん事情がありますのや」
「事情…?」
総司は綺麗な眉を潜めた。
「へえ、事情と云うより秘密…、どすやろな」
伝五郎は声を落とし、達吉は苦り切った顔を横に向けている。
「沖田はんは、小野小町と深草の少将の話は知ってはりますか?」
「百夜通いの…、と云うあれですか?」
突然の話に戸惑いながら、それでも記憶の残片を探し出して総司は訊いた。
「そうどす、そうどす。あの、百夜通いの話どす。…深草の少将は百日目の夜、大雪の道で難儀して、とうとう倒れはって小町はんの元へは行けなかった、と云う悲話どすわ。ところが…」
伝五郎は総司の真正面まで膝を進めた。そして早口で、囁くように云った。
「ほんまはあったんどす、百日目の恋文」
「えっ?」
「しっ」
思わず声を上げた総司の口元に指を立てると、伝五郎は用心深く辺りを見回した。
「くだんの釣月寺にあったんどす、その文」
「……」
「な、吃驚どすやろ?」
「…はあ」
曖昧に頷いたものの、総司には今一つ現実感が湧かない。大体が、その昔話と今回の事件が何故結びつくのかさっぱり分からない。しきりに首を捻っていると、
「けどなぁ…」
天井を見詰めた伝五郎が、深いため息をついた。
「少将はんの話は、報われないからこそ美しいんどすわ。もしこの悲恋も、百通目があったと知れれば、なんや、少将はんの恋は成就しはったんかと、皆興ざめどす。他人の幸せに、世間は厳しいどすからなぁ」
「そう云うものでしょうか?」
「そう云うもんどす。実らぬ恋ならばこそ、野次馬かて鷹揚になれるんどす」
伝五郎は深く頷いた。その伝五郎を、
「あの…、もしかしたら、その百通目の恋文が盗まれたのですか?」
総司は遠慮がちに促した。
「おお、そうっ、その通りどすのや。何とお察しの早い」
伝五郎は膝を打って大仰に驚いた後、にこにこと総司に笑いかけた。
「まぁ、百通目の文があると分かれば、当時は色々と不都合もあったんどすやろ。そんな訳で、寺ではずっとその文の存在を隠し通していたんどす。けど今回、恋文が入っていた経箱ごと盗まれてしもうたんどすわ。事情が事情だけに、寺でも困り果て、遂にはこの達吉に探し出すようお鉢が回って来たんどす」
「何故達吉さんに?」
総司は達吉に視線を向けた。が、達吉は総司を見ようとはしない。その横顔にくっきりと苛立ちが浮かんでいる。
「達吉が、護らなあかん寺だからどす」
代わりに、伝五郎が答えた。
「釣月寺がある山科から東へ一里ほど行った所に、小さな山里があります。達吉の家はその里長で、代々、山科から大津一帯の寺社仏閣を陰で御護りする役目を担って来たんどす」
達吉がぎょっと顔を上げたが、その視線を気に留める様子も無く伝五郎は続ける。
「村の者達は男も女も幼いころから、剣の他にも、柔術やら棒術、小太刀などを習います。身を張って寺々を護らなあかんからどす。無論、村の長い歴史の中では、新しい土地へ流れた者達もおります。例えばその一部は、山をひとつ隔てて里を作り、やがて伊賀衆、甲賀衆と呼ばれるようになりました」
「伊賀?」
総司は息を呑んだ。
「へえ、そうどす。伊賀衆も甲賀衆も、元は達吉の村から出て行った者達どす。けどな…」
伝五郎は唇を湿らせると、
「この話は沖田はんとうちの内緒の話どす」
楽しそうに笑った。
総司は達吉に視線を向けた。その達吉はと云えば、あからさまに怒りを浮かべた横顔を庭に向けている。だが例えその逆鱗に触れようが、むくりと頭をもたげた達吉への好奇心はみるみる胸に膨らみもう抑えることが出来ない。総司は興奮に声を滑らせた。
「そう云えば、刃物に小石を命中させると直ぐに人ごみに消えた達吉さんの身ごなしは、とても素人とは思えない鋭さでした」
「そうどすやろ、そうどすやろ?」
嬉しそうに伝五郎が頷いた。
「けどな、どんなに達吉が優れていても、一人で出来る事と出来ん事があります。盗人等は、早うに盗品を売り捌こうとしますやろ。もしかしたら、もう京から出てしもうた宝もあるかもしれまへん。時は一刻を争います。そこで…」
「私がお手伝いをするのですね」
「はい、お願いできますやろか?」
「もちろんです」
逸った声で、総司は頷いた。
「良かったなぁ、達吉」
促しても、達吉は黙り込んでいる。伝五郎はため息をついた。
「こないに愛想の無い奴どすけど、堪忍しておくれやす」
「いいえ、私こそ宜しくお願いします、達吉さん」
「けどほんに、これで一安心どす。万々歳や」
伝五郎が上機嫌で云い、総司は嬉しそうに達吉を見ている。そして達吉だけが、憮然と不機嫌の中に居る。
気づけば、東から回って来た陽が、いつの間にか座敷の中ほどまで射し込んでいた。総司は小鳥のさえずりが賑やかな庭に目を遣った。軒の向こうに覗く空が澄み高い。今日も秋晴れの、良い一日になりそうだった。
鉢植えの菊が二つ。嵯峨菊で、花弁が、外に向かって花火のように円を描いている。嵯峨の友人白木屋から昨日届けられたもので、花が終われば又鉢ごと引き取りに来てくれるから、花の美しい時だけを愛でれば良い気楽な預かりものだった。
伝五郎は暫く菊の鑑賞に精を出していたが、陽が回って来て背中が暑くなり軒の下に入った。すると待っていたように廊下に影が差した。
「お頭」
遠慮がちな声が呼んだ。
「やゑか」
「一休みして下さい」
やゑは湯呑を乗せた盆を縁に置いて微笑んだ。女にしては低くめの柔らかな声が、秋の陽ざしに似合っていた。
「ちょうど喉が渇いたところや」
伝五郎は笑いながら、縁に腰を下ろした。
伝五郎が茶を飲んでいる間、やゑは黙って袖無し羽織を畳んでいたが、やがてふとその手を止めた。そして少し迷うように、庭を見ている伝五郎に視線を向けた。
「お頭…、あの」
「達吉の事か?」
問われると、達吉に似た細面の顔に憂いが浮かんだ。
「達吉は他の誰かと仕事ができますやろか?」
「それが心配か?」
「…へぇ」
やゑは膝の上に置いた手を握った。
「達吉は他人を自分の内側に入れんところがあって…。それはあの子なりの、自分への厳しさなんやと思うのどす。大きなお役を担うと決まった時から、自分の敵は自分の中に棲むんやと、ずっと云うてましたから。けど…」
云いかけて止めた言葉をじっと待つ眼差しに気づくと、やゑは、はっと顔を上げた。
「つまらんお喋りをしてしもうて、堪忍して下さい」
「ええのや」
恥じ入るように俯いたやゑに、伝五郎は柔和な目を向けた。
「次の跡目に幼い達吉を選んだのはうちや。その所為で、普通の子供のような我儘も楽しみも、達吉には我慢させなあかんかった。後悔をした事は無いが、本当にこれで良かったのか、お前たちの両親に訊ねてみたいと思った事はある」
「いいえ…」
やゑが慌てて頭を振った。
「父も母も有難いと思ってますやろ。…うちら姉弟は、お頭に親以上の情をかけてもろうて大きくなりました。うちらにとって、お頭の存在がどれほど大きなものだったか…」
「そないに思うてくれとると嬉しいけどな」
伝五郎は少し寂し気に笑い、そして菊に遣った目を細めた。
「なぁ、やゑ。うちは達吉の世間を、もう少し広げてやりたいのや」
「お頭…」
「うちらは、その始祖から、ずっと都を見続けて来た。戦も、混乱も、飢餓も、平安の時も、ずっとずっとや。けど今、時代は物凄い勢いで変わろうとしている。黒船が来て、異国の文化が入って来るのや。それは嘗てない大きな波や。波は、全てをひっくり返すやろう。政も、文化も…。うちには都の…、日本の行く先が見えん」
庭の一点を見据えている伝五郎の横顔に、厳しい色が差した。
「そう云う今だからこそ、達吉には人の情を知って欲しい。…今更と、達吉は怒るやろ。それでもな、人と交わした情は、どんなに世の中が変わろうが、ここに残る」
伝五郎は自分の胸を指した。
「いや、全てが変わりゆくなら、そう云うもんだけが唯一心に留まるのかもしれん」
自らに問いかけるように云い終えると伝五郎は、先を見据えるように、菊に戯れる光の向こうに目をやった。が、その目がふと悪戯な光を宿した。
「それにな…」
やゑを見た顔が、もう笑っている。
「達吉と沖田はんは案外ウマが合うんやないかと、うちは思うのやけどな」
「ほんまに…」
やゑが潤んだ眸で頷いた。
「うちもそないな気がしてきましたわ」
湿り気を吹っ切るように明るい声で答えたやゑの脳裏に、鴨川の河原で自分を庇って刀を捨てた若者の姿が蘇る。逃げろと伝えた瞳は、あの緊迫した状況下でも凛と涼やかだった。
――あの若者なら、弟の力になってくれるかもしれない。
いや、きっとなってくれるだろう。
やゑは薄く微笑んだ。そして伝五郎の横顔に止めていた視線を、菊の花弁から滑るように零れる秋陽へ、そっと移した。
高瀬舟が、ゆらりゆらりと川を上って行く。櫓が水を弾くたび、水面に白い光が煌めく。
天道は上り町は活気に満ち始めたが、軒下にはまだ夜の気配が蹲っていて、寒々しい空気が足元から這い上がって来る。足に絡みついた冷気を解すように、総司は軽く足踏みをした。その時、半町程先の物陰に隠れ長屋の一番奥の家を窺っていた達吉が、こちらに走って来た。
「どうでしたか?」
急いて訊いた総司に、達吉は渋い顔を見せた。
「駄目や、昨夜も帰って来た様子は無い」
「病気のお内儀は?」
「家作の人間が交代で様子を見にくるようだ」
「…そうなのですか」
ひとり帰らぬ夫を待つのはさぞ寂しかろう。ましてや具合が悪ければ尚更だ。総司の胸に哀れが兆す。
今総司と達吉が居るのは、寺町通の店先で暴れた男孝介の家作、長蔵店だった。場所は七条通りから高瀬川沿いに半里ほど南に下った新宮社近くで、東寺の塔が近くに見える。孝介は病身の内儀と二人暮らしだと云う。
「達吉さんは、どうして孝介さんに目を付けたのですか?」
不思議に思っていた事を、総司は訊いた。
「この辺りの家作の事情は、伯父の伝五郎が隈なく把握しとる。孝介の事も、伯父の家作に住む者が情報を持ってきたのや」
「伝五郎さんの家作の人が?」
密偵のような働きをする人間が、家作にいるのだろうか?総司は怪訝に眉を顰めた。その疑問を勘良く察したようで、
「伯父は大家を置いておらんからな。家作に住む信頼の出来る者に、大家の役を頼んでいるのや。何か不審な事があれば、伯父の耳に入る」
達吉は先回りしたいらえを返して来た。ああ、と、総司は頷いた。
家作は大抵持ち主と大家が違う。大家は地主の雇人で店子の世話をする。そう云う者を雇う代わりに、伝五郎は家作に住んでいる信頼のおける者に、人々の世話役を頼んでいるようだ。情報を持ってきたのは、その一人らしい。
「この南隣の高堀店に住む浪人に、十日ほど前、孝介が蒔絵の経箱を見せに来たそうや」
「盗まれたと云う経箱でしょうか?」
「水に浮かぶ月の意匠が施されていたと云うから、そうやろ。孝介はその時、高く売れるだろうかと訊ねた」
「どこで手に入れたとか、そう云う事は?」
「訊いたが答えんかったそうや。その直後、孝介の留守に人相の悪い連中が現れた。帰って来てそれを聞いた孝介は、慌てて家作を飛び出しそれきりや。うちらが寺町で見たんは、その後や」
「孝介と云う人は、盗賊の一味なのかな?」
「いや、違う」
あっさりと、達吉は云った。
「あいつにそないな度胸は無い。経緯は分からんが、経箱はたまたま手に入れたんやろ。奴は女房の薬代が欲しかった、だから経箱を金に換えようと欲を出した。けど盗んだ奴らも経箱の行方を必死になって捜している。だから孝介を突き止め追って来た。俺はそう思うてる。…が、そこまでして経箱を奪い返そうとする理由が分からん。寺の、あの詮無い事情ならいざしらず…、や」
達吉は孝介の家に目を向けたまま、自問するように呟いた。そしてその目を外すと、
「仙丸と云う質屋の番頭の話はどないやった?」
総司に視線を向けた。
「番頭は雄二と云う名前でした。孝介さんは店に入るのを躊躇うようにずっと立っていたので、困った手代さんが番頭さんを呼びに行ったそうです。それで番頭さんが声をかけたら、突然あんな風に逃げ出したと云う事です。皆訳が分からないと、首を傾げていました」
ここまでの話は、昨日仙丸まで出向いて聞いてきた。店の者は総司の事を覚えていて、又、庇った子が店の隣の子供であった事から協力的に話をしてくれた。
「でも何故、声を掛けられたくらいで暴れ出したんだろう…。それに暴力を働くと云うより、あの時の孝介さんは、何か恐ろしいものから逃れようと必死で刃物を振り回していた、と云う感じが私にはしたけれど…」
「番頭が、孝介を恐怖に陥れるような存在だったのかもしれへんな」
「番頭さんが…?」
総司が驚きに目を瞠ると、
「他に適当な理由が見つからへんやろ」
達吉は口の中で呟くように云った。
「そういえば、番頭さんの姿を見た瞬間、孝介さんは息を呑んだ…」
総司は呆然と達吉を見た。そしてあの時、闇雲に包丁を振り回していた孝介の顔を思い出した。それは確かに恐怖そのものだった。
「孝介と番頭…。考えられるのは、経箱を通しての関りやろな」
達吉が、遠くを見ていた目を細めた。
「孝介さんが経箱を手に入れた経緯が、あの番頭に関わっているとしたら…。いいえ、あの番頭から奪ったものだとしたら、孝介さんがあんなに番頭を恐れたのが腑に落ちます」
「孝介は直ぐにでも金にかえたくて、経箱を質に入れようとした。けどその店の番頭が、たまたま経箱を奪った相手だった…。だとしたら、孝介には恐ろしい偶然だったやろな」
淡々と乾いた達吉の語り口は、そうする事で思考を整理しているようでもあった。
「ではあの雄二と云う番頭に、私は嘘をつかれた訳か…。でもそんな風にも見えなかったけれどな…」
首を傾げた総司を、達吉が呆れた目で見た。
「でも孝介さんのお内儀は、今回のことを何も知らないのですよね」
家作の一番端の家に視線を向けた面輪に、憂いの色が浮かんだ。
「何も知らずに、孝介さんが消えてからずっと一人なのですよね…」
井戸端には、女達が洗濯物を持って集まって来た。天道は陽溜まりを作り、生き生きと、朝の華やかさに家作は染まり始めた。だが戸の閉まったままの家は、そこだけが取り残されたように、しんと静まり返っている。
孝介の内儀は、外の賑わいを別の世界のように感じているのだろうか。暗い家の中で、陽を避けるように戸を閉ざし、一人床についている姿を想像するのは胸を突かれるような痛々しさを覚える。
「…不安だろうな」
我知らず声にした時、一刻も早く孝介を見つけなければならないとの思いが総司の裡を駆った。
「本当に、どこに行ってしまったのかな、孝介さんも経箱も」
首をひねった総司の頭の上を、達吉の深いため息が素通りした。
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